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第六話 少女と狼犬

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「うあああああ!?」

 人だと思ったものは──人の形をしているように見えたそれは、けれど人では無かった。

 かつて人だったもの。
 けれどもう、それは人ではない。

 ズタズタに引き裂かれた全身。
 目が飛び出した者、耳や鼻に顎が無い者。
 手が千切れかけてブラブラと振り回す者、足を失いながらも器用に手を使って、腰から上で移動する者。
 首が折れて奇妙な方向に向いてる者に、もう首すら無い者までいる。

 それは人であった、けれど人ではない──化け物の集団だった。

「ぎゃあああ!!来るな、来るなああ!」

 逃げようにも腰は砕け、未だ背後からしがみつく化け物──これが真里亜だとは信じたくなかった──のせいで、動くに動けない。

 叫んでステッキを振り回すことしか、出来ない。その眼に、化け物の集団はどんどん近寄って来るのが映った。

「だんなざまあ……」
「だずげでくれえ……」
「死にだぐねえよお」
「いでえよお」

 耳障りな間延びした声で、化け物が口々に助けを求める。
 いつの間にか側に落ちていた生首すらも、懇願する。

「旦那ざまあ、おら何も悪いことしてねえだよ。なのになんでごんな目に……いてえよお、ぐるじいよお……だずげでくんろ、旦那ざまああ……」
「ひ、ひい、ひいい……」

 それは確かに見覚えのある使用人の一人だった。他の化け物も、どれも見覚えがある。中には使用人ではないが、近隣で見た事ある顔も混じっていた。

「おどうざま、真里亜ごわがったの、恐かったのよお……おどうざまあ」

 背後からは真里亜だと名乗る化け物。それが回してきた腕に力が込められ、より一層逃げるのが困難となる。

「ままま、真里亜、落ち着け、分かったから、分かったから放してくれ、なあ真里亜」

 歯も舌も無いはずなのに、器用に話す化け物──真里亜。
 どうにか落ち着かせて力が抜けたところに逃げようと画策するも……

「駄目よ、離したら逃げるでしょう?おどうざま、逃げぢゃうでじょう?嫌よ、真里亜を一人にじないで。ねえお父ざまあ……だすけでえ……」
「ひいい!」

 生温い吐息が耳にかかる。目をチラリと横に向ければ微かに見える、化け物の横顔……思わずギュッと目を閉じた。

「ひ!!」

 不意に、手に何かが触れた。
 違う、化け物の一体が手を掴んで来たのだ。

「な、は、離せ、離せ!」

 手をブンブン振り回すも、化け物はより一層力強く握りしめてきた。

「旦那あ……ワシの左手が無くなってしまいました」

 見れば化け物の左手は千切れてない。残った右手の力は年寄りとは思えない強さだ。

「何を……」
「これじゃあ仕事が出来やせん、出来やせんよ」
「何を言ってる!?私がそんなこと知るか!」
「なんて酷い……仕事が出来なきゃ首かお給金を下げなさるんでしょう?それは酷い、あんまりだ」
「──知るかそんなこと!この化け物め!」

 いいから離せと腕を振り回すも、その手が離れる事はない。いよいよもって不気味やら恐ろしいやらとなったところで。

 頬をパックリ切り裂かれた顔を、男が近づけてきた。

「──!!」

 恐ろしくて逆に目を閉じる事が出来ない目の前で、歯の無い男が口をニヤリと歪ませた。

「じゃあ旦那あ……」
「……」
「この左手、ワシにください」

 何を言ってるのかと思考が追い付かない。
 この化け物は今なんと言ったのか?左手が欲しい?誰の?私の?私の左手を?

「馬鹿な事を……」

 言うな。
 その言葉は最後まで発せられる事は無かった。

ブチッ

「ぎいやあああああああああああ!!??」

 不快な音と共に、襲う激痛のせいで。
 左手を引きちぎられ、言葉は途中から叫びとなったのだった。

「手が!私の手があああ!!!!」
「ああ、お父ざま、お父ざまあ……」

 痛みでのたうち回ることも出来ず、痛みに苦しみながら、背後から真里亜に抱きつかれる様は……異様な様であった。


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