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第1話
1-6、
しおりを挟む「お祖父ちゃん!」
美咲さんが驚いたように相手を呼ぶ。そこには杖片手に立つお祖父さんがいた。いつの間に。
杖をガンガンと乱暴につきながら近づいて来た祖父は、冷蔵庫の前に立つ菜桜さんをひと睨み。
それから菜桜さんが手に取ろうとしていたコーヒーボトルを手に取って、彼女の眼前に突き出し言った。
「いいか、これはワシの……ワシだけのコーヒーじゃ。誰も、家族ですら飲むことは許さん!よく覚えておけ!」
「それは失礼しました。ごめんなさい」
「ふんっ!!!!」
素直に頭を下げて謝る菜桜さんの姿に怒りがそがれたのか、鼻を大きく鳴らしただけでボトルを冷蔵庫に戻し、祖父は出て行った。おそらくあの人も工場に向かったのだろう。
突然吹き荒れた嵐が去り、沈黙が横たわる。
「ごめんなさいね」
不意に声がしてハッと見れば、美咲さんの母親が立っていた。エプロン姿で今から洗い物をするというところか。
冷蔵庫を開けて、先ほどのコーヒーボトルに目をやる。
「これ、義母が淹れたコーヒーなんです」
「あなたの義母……つまり美咲さんのお祖母さん?」
言って菜桜さんが美咲さんを見れば、彼女は静かに頷いた。
「え?でもたしかお祖母さんって……」
「ええ。一昨年に亡くなってます」
「それって……」
「あ、祖父は別に認知症とかではないですよ。80代とはいえ、まだまだ現役、しっかりしたものです」
「じゃあ?」
祖母は一昨年に亡くなっている。最初に聞いていた説明通りに、もう一度美咲さんはそう言った。
でも冷蔵庫には亡くなった祖母の淹れたコーヒー。しかし祖父はボケてない。
それから導かれる答えは?
「ひょっとしなくてもそのコーヒー、飲んだらお腹こわしたりしません?」
「え?」
「いやだから、それ、お祖母さんが淹れたコーヒーなんですよね?てことはどれだけ新しいとしても、お祖母さんが亡くなられる直前のもので……一年以上は経っている、と?」
「……そうです」
一昨年のどの時期に亡くなったかまでは聞いてないので分からないが、それでも一年以上は経っている代物である。そりゃ飲むなというか飲めない。
「お祖父ちゃんは、お祖母ちゃんの淹れたコーヒーがなにより好きだったんです。大昔から……いつから始まった習慣かは分かりませんが、お祖母ちゃんのコーヒーを飲まないと一日が始まらないって。でも好きなコーヒー豆を取り扱っている店が閉店しちゃって、最後の方はお祖父ちゃんがネットで注文して取り寄せてたんです」
美咲さんは少し寂し気な顔をする。
「お祖母ちゃんが亡くなり、もうお祖母ちゃんの淹れたコーヒーが飲めなくなる。その事実は私たちの想像以上にお祖父ちゃんを苦しめました。だからお祖父ちゃんは、お祖母ちゃんが淹れたこの最後のコーヒーを、いつまでも捨てられずにいるんです」
「愛しておられたんですね」
「ええ。孫の私から見ても、本当に仲睦まじい夫婦でした。だから今のお祖父ちゃんを見たら、お祖母ちゃんはきっと悲しむ」
「昔はあんな感じではなかったんですか?」
「怒る姿、怒鳴っているところなんて見たことありません。いつも物静かで優しい人でした」
でもそれは、孫のひいき目なのかもしれませんね。
寂し気な顔はそのままに、無理に作った笑顔を貼り付けて美咲さんは言う。
僕には祖父母というものがいない。気付いたら居なかった。だから孫としての気持ちってのは分からないが、それでも親しい人の変貌は悲しいものだ、という気持ちは分からなくもない。
菜桜さんがもし僕にすごく優しい人だったら……いやその変貌は、悲しくなるより喜ばしいことだな。いやいや、菜桜さんは今のツンデレが一番だよ。あれでも、菜桜さんにデレってあるのか?
「トト、あなた今、すっごいくだらないこと考えてるでしょ?」
菜桜さんの図星に思わず手を口に当てる。声に出していたわけではないが、心の声を聞かれたようで気まずい。
「……菜桜さんは僕のことをよく理解してますね」
「不本意だけどね」
これはデレかそれともツンか。
「あ、ブラックコーヒーありました」
すっかり話が逸れて本題がなんであったか忘れかけている僕らに、美咲さんの声が届く。
目的であるところの、僕のためのブラックコーヒー探し。
来客のためにと用意されていたそれは、賞味期限が長持ちする缶コーヒーであった。
* * *
乱雑に置かれた本、皺が残ったままの洋服、棚には所狭しと並べられた模型の数々。
アイドルのポスターなんてものはなく、ベッドの下に男ならではの秘密アイテムが隠されているのか否か。それは想像するしかない。
「弟さんは、プラモデルがお好きだったんですね」
菜桜さんの問いに美咲さんは頷いた。
「そうなんです。ここにあるのは全て奏介が作りました」
なるほど、フィギュアや模型が多いと思ったら、それらは全て奏介さんの手作りらしい。実に器用な人だったんだな。
「彩色まで、ですか?」
往年の、なんとかというロボットアニメに出てきたプラモデルを指差し、また菜桜さんが問う。美咲さんはこれまた頷いて、部屋主がもう使うことのない机を指差し言った。
「凄かったんですよ、あの子。組み立てている様子を見たことがあるんですけど、細かいパーツを器用にくっつけていくんです。説明書なんてほとんど見ずにスイスイと作り上げていくもので、まるで魔法だなと思いました。彩色も、それ専用の画材を買ってきては、これまた器用に綺麗に塗り上げていって……」
エアブラシなんかも使ってました。
残された画材を見ながら言う美咲さんは、遠い過去の記憶を……懐かしい思い出を前に目を細める。
「へえ、これは凄い」
棚の一番上には、大きな某かの戦艦。これは大作だ。
「それは一年かけて作ってました。高校二年生の時です」
僕の感嘆の声を嬉しそうに聞きながら、懐かしそうに語る美咲さん。やはり姉弟仲は良かったのだろう。
「奏介さんが何か思い悩んでいた様子は……っと、一緒に暮らしてないから分からないんでしたね」
思わず聞いてしまったことに慌てて口元を押さえたけれど、美咲さんは嫌な顔せずニコリと微笑んだ。
「ええ、はい。とはいっても月に一度は帰って来てましたし、あの子が死ぬ直前にも会ってたんです。推しのコンサートがあるんだって嬉しそうに言ってて……だから自殺なんて……」
「そういえば……でもそれにしては、その推しとやらのポスターが見当たらないような……」
最初に見て思ったままに、アイドルのポスターが無いなと思えば、美咲さんが苦笑する。
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