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プロローグ
1、
しおりを挟む足音が響く。
狭い通路を、石畳を蹴って走る足音が。
「はあ、はあ、はあ!」
呼吸音が響く。
暗い通路内に、荒く苦し気な呼吸音が。
「くそ、なんなんだよあれは一体!?」
声が響く。
そのたびに白い息が吐き出され。
寒い真冬にも関わらず汗を流して走る者の声が。
暗くて狭い、石で作られたその通路を、様々な音が満たす。
走る男はまだ若い。20代になるかどうかの青年。
男は何も分からずに走っていた。
一体どこをどう走っているのかも、この道がどこへ通じているのかも、何も分からずに。
ただ我武者羅に走っていた。
まるで何かから逃げるかのように──
「はっ……はあ、はあ!……え、行き止まり!?」
大きく息を吐き出したところで男は立ち止まった。
目の前に立ちはだかるは冷たい石の壁。その先に道は無い。左も同様。それから右を見たところで男は息を呑んだ。
「扉……?」
ただの石壁しか無いと思われたそこには、小さな扉があった。
どうすべきかの逡巡は一瞬。直後背後から近づく気配に気づいた男は、慌てて扉に手をかけた。
扉は彼を拒むことなく、開かれる。
ギイイイ……
まるでホラーゲームで聞くような嫌な音を立てて、扉はゆっくりと開いた。
中は案の定、真っ暗。
身をかがめねば入れないほど小さな扉の向こうは暗く、懐中電灯をうまく照らす事が出来ない。だが迷ってる暇は無いと、男は扉の向こうへ体を滑り込ませた。
バタン!
驚くほど大きな音を立てて扉が閉まり、一瞬男は体を強張らせた。
直後。
ドンッ!!
「ひ!?」
何かが扉にぶつかる音がして、男は喉の奥で悲鳴を上げる。
だが音はそれだけ。その後は何事も無かったかのように、静寂が横たわる。
ややあって、男は息を吐いた。
「はあ……」
吐く息は白い。
流れる汗を、グイと袖で拭う。
走って暑くなったが、季節は相変わらずの冬。そして暖房など期待できない場所では、直ぐに体が冷えてしまうだろう。
急がねば、と男は扉から目を離し背後を振り返った。
小さな懐中電灯だけ、という心もとない灯りを室内に向ける。
「なんだよここ……?」
そこはとても奇妙な部屋だった。
かなり大きな部屋だというのに、壁に窓は一つも存在せず。
照らしだされた家具はどれだけの年月放置されていたのか、埃まみれで真っ白になっており、朽ちてボロボロになっている。
だが奇妙なのはその点ではない。
どれも古めかしいが、懐かしき日本を思い出させるだけのこと。
異様なのは、部屋に設置されたそれだった。
「牢屋?なんでこんなとこに……」
広い室内の中央にドンと設置されたそれ。部屋の大半を占めるのは、鉄格子のそれだった。
スタスタと歩いて手を伸ばせば簡単に触れることのできるそれ。
指で触れた鉄格子はヒヤリととても冷たい。まるで氷のように。
「これは……女性の部屋か?」
暗い室内が懐中電灯の微かな明かりに照らされる。並べられる数々の家具。
それらを目を細めて見ていた男は、小さく呟いた。
よく見れば、埃まみれの人形が飾られている。扉が壊れたクローゼットからはみ出している服は、分かりにくいが女物のようだ。
一体なぜ、このような暗く陰気な部屋に閉じ込めていたのか分からない。
だがこの部屋の主は、それでもけして冷遇されていたわけではないことが、置かれた物の名残で分かる。
どれも昔の日本であれば高級そうな家具ばかり。薄汚れた服も、素材は良いのではないだろうか。
とはいえ、鉄格子越しに見てるだけでは詳細は分からない。入ろうにも出入口とおぼしきそれは、鍵がかかっていて開きそうになかった。
試しに扉部分をガチャガチャ揺らしてみたが、無機質で冷たい音が人の出入りを拒むだけ。
「他に扉は……」
もし今入って来た小さな扉しか出入口が無いとしたら、絶望的だ。来た道を戻る勇気は男には無い。
どうしたものかと明かりを部屋の隅々まで照らして散策する。
そして気付いた。
「あれって……扉、だよな……?」
鉄格子の奥、かすかに見えるそれに男は気付いた。
それはやはり小さいが、扉だった。だがそれは鉄格子で囲まれた部屋の中にある。鉄格子の中に入れない以上、通る事は不可能に思われた。
「何かこじ開けるのに使えそうなのは……」
古い作りの鍵だ。錆びまくったそれは、うまくすれば開くのではないだろうか。
キョロキョロと見渡すも、鉄格子から外の部屋には何も落ちておらず、鉄格子内ですら道具になりそうな物は見当たらなかった。
どうしたものかと考えあぐねていると。
「!?なんだ……頭が……」
不意に思考が停止する。それは突然襲い来る──睡魔だった。
こんなところで眠るわけには……
そう考え終わらぬうちに、男は目を閉じた。
・・・・・・
カチ
コチ
カチ
コチ
その音を耳にした男は目を開いた。
ボウッとした頭で目だけを動かす。が、暗くて何も見えない。
気だるい体をどうにか起こし、頭の中のモヤを振り払うかのように頭を振る。
そして目をこらしたが、暗闇が横たわるだけ。
ふと指に固い物が触れた。それは懐中電灯だった。
安堵してスイッチを入れる。
照らされた光景を目にして、男は言葉を失った。
ゴクリと喉を上下する。乾いた口内のせいで、それはとても難儀した。
「な、んだよ、これ……」
絞り出したかのような声。
その目が捉えるのは、先ほど見ていた鉄格子内の光景だった。
それは先ほどとなんら変わらない。
変わったのは。
変わってしまったのは、男の居場所。
「なんだよこれ!なんで、どうして……中に入ってるんだ!?」
そう男は叫んだ。鉄格子の中から。
鉄格子はその1本1本の間隔が、人など通る事が出来ない狭さ。そして唯一の出入り口には鍵がかけられ開かなかった。
確かにそのはずなのに。
念のため扉の鍵をガチャガチャ動かしてみた。だがそれは先ほどとなんら変わりなく、冷たい音が開錠を拒むのだ。
開かない鍵、出入り不可能な牢のような部屋。なのに青年はその中に確かに立っている。
困惑する頭のまま、キョロキョロと不安げな目が室内を見渡した時。
男は気付いた。気付いてしまった。
「扉が……開いてる?」
先ほど鉄格子の外から見ていた、奥の小さな扉。間違いなく閉ざされていたそこが、開いてその奥にポッカリと暗闇を映し出していたのである。
「な、んで……?どうし……」
どうして?
呟くような言葉は最後まで放たれることはない。
それを聞いた瞬間、男の体が固まってしまったのだ。
動くことはできる。だが動けない。
その耳に届く音に、男は動けないでいた。
ヒタ ヒタ ヒタ
それは確かに足音。それも素足の。
いるはずがない。誰もこの場には。自分以外、居るはずもないのに。
だが確実にそれは聞こえるのだ。
男の背後から──
ヒタヒタと足音が近づくにつれ、ガチガチと男の歯が鳴る音が大きくなる。
「ひ……」
恐い、恐ろしい、見たくない、逃げたい、でも動けない。
そもそもどこに逃げればいい?格子の扉は開かない。では奥の扉?
そこははたして安全なのか?奥の扉の向こうが安全だなんて、一体誰が知るというのか?
動けないまま足音だけがどんどん近付き。
ヒタ ヒタ……
不意に音が止む。
男は先ほどの汗とは全く異なるそれ……冷や汗が背中をつたうのを感じる。
足音は男の真後ろで止まった事を感じ、嫌な汗がドッと流れ出るのを感じた。
広がる静寂。何の気配も感じない部屋。
意を決した男は、目だけを背後に向けるのだ。
そして──
「────────!!!!」
声にならない悲鳴が、その場を支配した。
男の行方不明者届が出されるのは、それから数日後のこと──
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