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広谷一家
4、
しおりを挟む廊下の石床には長細い絨毯が敷かれている。まるで、催事にセレブが歩くレッドカーペットのように。
そのお陰で靴音が響くことはない。
私は静かにゆっくりと歩いた。そして人影が見えた廊下の突き当りに辿り着く。右を見てから左を見る。人影は左に歩いて行ったのだ。長い廊下はほんのり明かりがあるだけで、奥の方は暗くてよく見えない。ただ、誰も居ないのだけは分かった。
どうしよう、戻ろうか。そう考えながら、少し廊下を進んだ。だが歩みはそこで止まる。
正直に言おう。
非常に恐い。
当たり前だ。人が死んだり行方不明になったりしてるのに、こんな夜中に一人で行動なんて怖すぎる。
とりあえずの確認はしたのだ、これ以上私が動くこともないだろう。脳裏の片隅に里奈の恐ろしい顔が思い出されたが、まあ別にこんな深夜にやる必要もないだろう。そんな条件は里奈も言ってなかった。
よし、部屋に戻ろう。鍵は忘れたが、ドアを激しく叩けばさすがに隆哉も起きるだろう。……他の部屋の住人も起こしかねないが、そこは申し訳ないと謝るしかあるまい。
そう思って踵を返そうとしたその時。
廊下に沿った窓の外。ふと、視界の片隅に何かが動くのが見えたのだ。その瞬間、私の動きは止まる。ギシッと体が軋む、嫌な音が聞こえた気がした。
そのまま、ギギギ……と音がしそうなぎこちない動きで首を横に向け、窓の外を見る。
気のせいだろうか、気のせいであって欲しい。
こんな夜更けに、外に誰かが居るなんてこと、今の状況では考えられないのだから。
だが私の願いは聞き届けられる事は無かった。
「あれは……」
そこに確かに見覚えのある人を見つけて、私は走り出した。
フラフラと、まるで夢遊病者のように歩くその人を追いかける為に。
広谷さんの奥さんを追いかけるべく、考えるより先に私は走り出した。
* * *
「あれ!?どこ行ったんだろう……」
館の大きな玄関は鍵がかかってなかった。見た目に反して軽く押せば開くそれをくぐり、私は慌てて外に出る。さっきまであった恐怖心は、焦る気持ちが凌駕しているのか、今は無い。とにかく早く広谷さんを連れ戻さねば!
明らかに尋常ではない様子だった奥さんの姿を思い出し、私はキョロキョロと外を見回した。
「──いた!」
だいぶ遠くに、白い服を着た彼女が見えた。どうやら第二の館──桐生家奥方の為の館に向かってるらしい。
まさかこんな夜更けに息子を探しに行ったのだろうか?心配で朝まで待ってられずに、行ってしまったのかもしれない。
事情は分からないが、とにかく止めた方がいいのだけは分かった。朝まで待てば、ご主人と隆哉と渡部さんが向かう事になってるのだから。それまで待てない彼女の心情も分からなくもないが、だからと言って好きにさせれる状況でもない。
慌てて追いかける私の目の前で、広谷さんは迷わず第二の館の扉を開けて中に入ってしまった。
建物が大きいと遠近感が狂う。そんな事は知ってるけれど、実際第三の館から第二の館は本当に遠かった。移動時、気絶してたから知らなかったけど。
ようやく第二の館に辿り着いた時には、息が完全に上がっていた。
「──っはあ、はあ、はあ……し、しんどい……」
扉に手をかけた状態で、肩で息をする。息を整えるのにしばしの時間を要した。
「よし」
ようやく息が整ったところで顔を上げる。そして私は扉を押し開け……られない。
だってそうでしょ?この扉の向こうは玄関ホール。そしたら直ぐに目に飛び込んでくるのだ。あの、大きな肖像画が。
そしてその肖像画には、アレがある。すなわち、そこに磔となった坂井さんの遺体が。
入る勇気が出ない私は、ひたすら悩み続けた。どうする?誰かを呼びに戻る?誰かって?隆哉を?でも今から第三の館に戻って誰かを起こしてまた戻って来たとして、はたして広谷さんを見つけられるだろうか?
考えて出る結論は嫌なもの。人を呼んでくるのでは間に合わない、というものだった。そんな結論に達してしまう自分が本当に嫌になる。
だが出てしまったものは仕方ない。そう結論を出したのは自分なのだから、その結論に従った行動をするしかない。
「大丈夫、里奈は私には何もしてこない。弟を探せと言ってるんだから……うん、大丈夫、きっと大丈夫」
散々これまで酷い目に遭わされてるのに、大丈夫も何もないのだが、そう言い聞かせでもしなければ到底勇気など出やしない。
私は大きく深呼吸をしてから、意を決したように、扉に触れた手に力を込めた。
その瞬間、誰かの手が私の肩に置かれ──悲鳴が夜の闇に響き渡る。
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