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広谷一家
5、
しおりを挟む「──っと、シー、黙れって!」
「むぐー!?」
思い切り叫んだつもりだったが、口を塞がれて声はくぐもってしまった。
慌てたように押さえつけてくる気配に、私は必死で身をよじって逃げた。突然現れた存在から、逃げるように身を離し、それが誰かを確認しようと振り向いた。そこには予想外の人物が──
「霧崎さん!?」
「だからうるさいっての、静かにしろよ」
なんとそこには遅刻霧崎が立っていたのだ。苦々しい顔で頭をガシガシと掻き、大きな溜め息をついて私を見る。その目は苛立たし気な色をたたえていた。
「どうして霧崎さんがこんな時間にこんな場所にいるんですか!?」
「そりゃこっちの台詞だ。部屋の窓から外を眺めて酒飲んでたら、走ってくあんたが見えたんだよ」
そう言って霧崎は第三の館を指さした。
一人でツアーに参加した彼は、部屋でも一人で過ごしている。不安であるならスタッフが同室すると渡部さんが申し出てたが、彼はそれを迷わず断っていた。
「一人優雅に飲酒ですか、よろしいことで」
嫌味っぽく言えば、気にすることなく肩をすくめる。
「こんな状況で飲まずに居られるかっての。そんなことよりお前だろ、何やってんだよ」
いつから私は霧崎にお前と言われる関係になったのだろうか。ちょっとイラッとくるが、まあ私も内心お前を呼び捨てだけどなと考えることで、心の平穏を保つことにする。
私は黙って第二の館を見上げた。中は明かりが全くついてないのか、暗くて窓から覗いても様子は分からない。
「ここ開けたらあのオッサンの磔死体があるだろうに、そんなの見たいのか」
「見たいわけないでしょ」
「じゃあなんで扉を開けようとしてたんだよ」
「……人が入ってくのが見えたから」
一人ではないという安心感からか、霧崎の飄々とした口調のおかげか、恐怖心は幾分和らいでいた。だからと言って、まだ入る勇気は出ないけれど。
扉を見つめてそう言えば、霧崎は「マジで?」と呟くように言って。
おもむろに扉に手をかけた。
「え」
驚く間もなく、霧崎は扉を開けてしまった。
「ちょ、ちょっと!」
「んだよ、誰かが入ってったんだろ?」
「う、うん」
「だったら絶対何かあるだろ。てか普通に鍵が開いてる時点で異常だ。追いかけるの一択じゃねえ?」
「そ、それはそうなんだけど……」
「おら、行くぞ」
「あああ、ちょっと待ってよ!」
こういう時、こういう強引なタイプは頼りになると感心すべきなんだろうか、それとも無鉄砲と呆れるべきだろうか。
答えを見出せぬうちに、霧崎は扉の向こうへ体を滑り込ませてしまった。慌てて追いかける。
そうっと中を覗き見れば、外からは分からなかったが、ほのかに明かりがついていてホッとする。キョロキョロと周囲を見渡すも、恐くて正面だけは見れなかった。
「あ」
不意に霧崎が声を上げる。
「な、なに!?」
肖像画を見たくないので、正面を見据えて立つ霧崎の背に隠れる形で、霧崎の声に反応した。
だが私の問いかけに霧崎は答えない。じれてもう一度「どうかしたの!?」と聞く。背後で静かに扉が閉まったが、それどころではない。たとえ相手がふざけた態度の多い人物であろうと、今私にとって唯一頼れる存在。それが霧崎。
思わずその背中をギュッと握りしめた。
霧崎は私を振り返ることなく、正面を指さした。そこは坂井さんが磔になってる場所じゃあ……
「誰かが居た気がする」
「え、どこどこ!?」
驚いて慌てて霧崎の背中から顔を出す。直後に私はその行為を後悔することとなる。
「う……!」
もろに遺体を見てしまった。気持ち悪くなりその場にしゃがみ込む私を、鼻で笑うのは霧崎だ。
「はは、一度見てんのに弱っちいなあ、お前」
「……よく平気ね」
「俺はフリーのライターだからな。芸能人のゴシップから殺人事件まで、なんでも金になりそうなら取材して記事にする。今回のツアー参加は、依頼があったからなんだけどな」
「殺人事件の取材って、死体を見ることなんてあるの?」
「まあ……色々あるんだわ」
どんな色々だ。聞きたくもないので聞かないけど。
私は正面を見ないように気を付けながら、口元を手で覆ったまま立ち上がった。
「それで、本当に誰かいたの?」
「ああ、えーっとなあ……一瞬だったが、肖像画の下に人影が見えた気がするんだ」
「え!?」
「でも一瞬で消えたんだよなあ。見間違いか?」
見間違いか何か分からないが、そう見えたのなら確認すべきだろう。
だが「確認したら?」とは言えない。そう言ったらおそらく霧崎のことだ、「気になるなら自分で見てくれば?」と言いかねない。そしてそう言われた場合、私は全力で首を横に振るだろう。だから確認を、とは言えなかった。
ところが私が何も言わないでいると、霧崎はサッサと動き出すではないか。階段に足をかけて、肖像画の真下、階段の踊り場に向かおうとする。
「え、え、えええ……」
ここまでいくとさすがに感心せざるを得ない。いくら死体を見た事があったとしても、異様な死に方してる人のそばに気にせず向かうなんて、常人にはマネ出来ない行動だ。
私は肖像画の死体が視界に入らないよう、手で視界の上を隠して、とにかく霧崎だけを目で追った。
肖像画の真下は白い壁があるだけだ。そこを霧崎はベタベタ触ったり、屈みこんだりして何かを探すようにしている様子が見えた。
しばらくして……「お、あった」という声が。
「おーいあったぞ、ここに隠し扉の取っ手があるわ」
そう言って、床をゴソゴソしてたかと思えば、直後、ガコンと音を立てて何も無いと思われた白い壁が動いた。そしてそれは扉となり開き、ポッカリとその向こうに空間が見て取れた。
離れて見ていた私は、どうすべきか悩んで……けれど好奇心には勝てず、できるだけ床だけを見るように俯いて階段を上る。
霧崎は私が辿り着くまで待っててくれた。扉となった白い壁を持ったまま、顎をしゃくって「見てみろよ」と私を促すのだった。
離れてても分かるのだけど、中はどう見ても真っ暗だ。何を見るものでもないだろう。だが何かあるのかもしれないし、何かありそうな顔を霧崎はしてる……気がする。
だから迷ったけど、思い切って扉の向こうを覗き見た。
そこは……
「真っ暗だわ」
「だな」
本当に真っ暗で何も見えないではないか。拍子抜けもいいとこだ。ただ、足元には下りの階段があるのが分かった。
「下に行けば、何か有るのかな?」
「かもな」
「それじゃあ戻って、明日隆哉達と一緒に……」
いくらなんでもこんな夜中に、こんな未知の世界を探索は危険すぎるだろう。この隠し通路を渡部さん達が知ってるかも、確認しなければいけない。
広谷さんの奥さんの行方は気になるが、とにかくここに今入るのは宜しくない。
そう思って、戻ろうと暗闇から視線を外そうとしたその瞬間──
ドンッ
「え」
衝撃を感じて思わず声が出た。
私は目を見開き、よろけながら背後を振り返る。暗闇に落ちる感覚に、慌てて伸ばした自分の手の先に見えたのは──霧崎だった。
飄々とした、ふざけた笑みを浮かべるでもなく、無表情でこちらを見る顔だった。
霧崎が、伸ばした私の手を掴むことはしない。
私を突き飛ばした手を引っ込めて、階段を転げ落ちていく私をなんの感情の色も持たずに見つめて。
そしてゆっくりと扉は閉じられた。
ガコンという無機質な音が響き渡り、直後広がるのは、暗闇と、静寂だけだった。
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