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里奈と美菜と貴翔と隆哉
6、
しおりを挟む虚ろな目が私を捉える。命の光を感じさせないのに、その瞳は確かに動いて私を見る。
「里奈」
私はもう一度声をかけた。声に応じるように、里奈はスッと立ち上がった。そしてゆっくりと……とてもゆっくりと、彼女は歩く。
生きてるはずないのに。
最後の夢の中で、確かに里奈は死んでいたのに。
それを信じたくない貴翔は受け入れなかったが、里奈は確かに死んでいた。その顔は死の色をまとっていた。
だというのに、里奈はその最期の姿のままで、歩いてきたのだ。私に向かって。
一体彼女が存命だったのは何年前の話、いや何十年前の話だったのだろう。なのに今、彼女は当時のままの姿で、変わることなく存在している。動いている。幽霊と言うにはあまりにハッキリ実体化しすぎている。
(ずっと、呪い続けてきたのだろうか……)
その苦しみは想像を絶するもので、胸が痛い。今や私の中では、恐怖よりも悲しみが勝っていた。
親に売り飛ばされ、館に閉じ込められ虐げられ、ひどい目に遭わされ──挙句の果てにはこんな地下に監禁され、忘れ去られて。
あまりに酷いではないか、不幸ではないか、可哀想ではないか。
恨む気持ちは分かる。ずっと里奈の体験を見てきた私には、彼女の苦しみが分かる。
同時に貴翔の苦しみも分かり、困惑の感情を隠せない。
そんな私の前にゆっくりと、ついに手が届きそうなところまで、里奈が近付いてきた。
明かりに照らされたその肌は白く、白すぎて、血が通ってるようには見えない。感情のない瞳は、生者のそれとはあまりに違いすぎる。
彼女はそこにいるのに、いない。幽霊ではなくとも、彼女は生きてないのだと、理解する。
「里奈、あの……」
「どうして?」
何を話すつもりでもなく、沈黙に耐えかねて声を出せば、それに重ねるように里奈の口が動いた。
それは驚くほど感情のない、冷たい声で、背中がゾクリとした。
「里奈?」
「どうして……私は死ななくちゃいけなかったの?」
その問いは、以前里奈に投げかけられたものだった。シャワーを浴びてた時に現れた彼女に、かけられた問いだった。その時は何も分からなかったけれど、今は分かる。彼女の苦しみが、深い悲しみがよく分かる。
ツツ……と、知らず頬を涙がつたった。「ごめんね」知らず謝罪の言葉が出た。「ごめんね、苦しかったよね、辛かったよね、悲しかったよね……」と。
私の前世がなんであれ、今や私は如月美菜の生を歩んでいる。遠い過去の彼女のことを、今更どうこうできるわけもない。だがそれでも謝った、謝るしか出来ないと思ったから、ただ謝った。
「ごめんなさい」
「どうして……」
そんな私に、里奈はまた問いかける。俯き涙を流していた私は、顔を上げて彼女を見た。
「──!!」
息を呑む。いつの間にか思ったより近くに、鉄格子に顔が付きそうな距離に里奈が近づき、私の顔を覗き込んでいた。
「里奈……?」
「どうして?」
里奈は問う。どうしてと、私に問う。
「どうして──」
どうして
「お前は生きてるの?」
「──!!」
その瞬間、手を掴まれた。
「きゃあ!?」
里奈の手が──恐ろしく冷たい、氷のごとき冷たい手が、鉄格子を握り締めたままの私の左手を掴んだのだ。
思わず腕を引くが、けれどそれは成功しなかった。子供とは思えない力で、ビクともしない。
「は、離して……!!」
「どうして生きてるの!?」
里奈の叫び声が、焦る私の耳を突く。
「どうして、お前は生きてるの!?どうしてどうしてどうしてどうして!!!!」
ツツ……と里奈の額から流れ出るのは、どす黒い血。生者と異なる、黒い血が里奈の美しい顔を染める。
「ひ!い、いや!嫌よ、離して!」
恐怖に足が震えるのを必死で踏ん張り、腕を引く。だが里奈の手は外れない。
コトリと音が聞こえたのはその瞬間。正面の里奈でもなく、自分でもない。
それは足音。牢の外、私と同じ空間の、石壁の方から、足音が聞こえるのだ。
コトリと、ズズズと、歩くような引きずるような音。目の前では未だ叫び続け私の腕を掴む里奈。
ガタガタと震えた、歯がガチガチと鳴った、だが聞こえる音は止まない。
ゆっくりと右手を動かし、懐中電灯を照らす。里奈ではなく、牢の中でもなく。牢の外、私の横。すぐそばに聞こえる音に向けて明かりを照らし。
「あ──……」
「だずげ……」
低くくぐもった声。それは二人の死体だった。動く屍だった。
ついさっきまで、壁にもたれかかりピクリとも動かなかった男性と、坂井夫人。それが私に手を伸ばし、近付いて来ていたのだ。
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