櫻花荘に吹く風~103号室の恋~

柚子季杏

文字の大きさ
3 / 16

櫻花荘に吹く風~103号室の恋~ (3)

しおりを挟む

(ヤバイなあ……どうしようかなあ……でもなあ、無しって訳にはいかないんだよなあ)
 毎度のことながら、件の避けては通れない作中のシーンについて、このところ担当からお叱りの言葉が届く毎日。それまでが自分にしては有り得ないほどにとんとん拍子で書けていたから、余計に気落ちしてしまう。
 日当たりの良いウッドデッキに部屋から持参した座布団を敷いて座り、由野はぼんやりと風に揺れる桜の木の若葉を見ていた。
 重なり合った葉の隙間から零れる光が煌いて、寝不足の視界にキラキラと眩しい。
「あれ、由野さん? お仕事終わったんですか?」
「……うわっ! は、春ちゃん、どうしたの?」
「お天気がいいから、ニス塗りしちゃおうかと思って」
 うつらうつらとしながら春風に吹かれる由野の前に、ハケと缶を持った春海がぬっと顔を出して来た。突然背後から覗き込まれ、吐息の掛かるその距離に由野は慌てた。
 今の今まで頭の中を占めていた自作小説の主人公である三好を、急いで隅へと追いやる。原稿のエロシーンに詰まって現実逃避をしていた、なんて事まではバレていないはずだと必死で心を落ち着けた。
「ビックリさせちゃいました? ごめんなさい」
「いや、うん、ちょっとだけ。大丈夫だよ。それより、ニス塗り?」
 ビクリと身を竦ませた由野に、春海がシュンとする。
 そんな顔をさせるつもりは無かったと微笑みながら頭を撫でてやれば、目的を思い出した春海がハケを掲げて見せながら、満面の笑みで頷いた。
「はい。折角補修したのに、このままだとまた直ぐ雨で悪くなっちゃうでしょ?」
「そっか、じゃあ僕は中に移るよ」
 ウッドデッキというよりは、陸にある桟橋のようなこの場所。長年雨風に晒されていたせいで、上に這わされていた材木はあちこち腐っていて危なかった。
 ここ数日杉田と春海は古い材木を剥がして、新しい物へ張りかえるという、ちょっとしたリフォームに取り掛かっていたのだ。
 杉田がいるうちに、一人じゃ出来ない修繕箇所を出来るだけ直して行くつもりなのだろう。最近はこの場所に限らず、櫻花荘のアチラコチラで金鎚の音が鳴り響いていた。勿論、それと同時に春海の上げる悲鳴も。
 大工仕事は得意では無いらしい春海の、轢かれたカエルのような声が聞こえて来る度、悪いと思いながらもこっそり笑ってしまったりもした。

 新しい木の匂いがするデッキから移動した由野が、鼻歌交じりに作業を開始する春海を何気無く見ていると、ちらりと由野へと視線を向けた彼の手がピタリと止まる。
「ん? どうしたの?」
「……何か、由野さんに見られてると、恥ずかしいですね」
「恥ずかしい? 何で?」
 何となく……と、微妙に赤くなって俯くその表情が可愛くて。思わずつられて熱くなった頬に、由野はパタパタと手で風を送りながら、参ったなと小さく息を吐き出した。
 作品のモデルになんてしてしまった罰が当たったのだろうか。自分の性癖は至ってノーマルだったはずなのに、春海のやる事なす事がどうにも気に掛かって仕方が無い。
「あ、駄目だよ春ちゃん」
「へ? 何が?」
「ニスの重ね塗りは、乾いてからにしないと……ああ、ほら、まだらになってる」
「あ……」
 何度も繰り返し同じ場所でハケを動かす春海に、由野は待ったを掛ける。見ればその部分だけが妙に浮き上がって見えていた。
「貸してごらん……ほらこうやって、塗る時は一気に…ね?」
「すごい……やっぱり由野さんってすごいなあ、何でも出来ちゃうんですね」
 綺麗にカンナ掛けされた木材の上、滑らせるようにハケを動かす由野の手付きに、春海が瞳を輝かせる。
「いやいや、これ位はほら、中高時代に授業でやったりもしたしさ。僕は料理はからっきしだし、あんな美味しいご飯作れる春ちゃんの方が凄いと思うよ?」
「――ボクは、本当、いつも空回ってばっかりだし……料理は必要に迫られて覚えただけだから、凄くなんて無いんですよ」
 学生の頃から構築作業よりも塗ったり貼ったりが好きだった由野にとっては、言葉通り大した事では無かった。
 それでも春海から寄せられる、尊敬の色を乗せた眼差しが擽ったくて。このところ駄目出しばかりを受けていた由野にとって、褒められるという行為自体が久々で、それが何だか照れ臭かった。
 けれど本音を交えた由野の言葉に、春海の表情にほんの少し翳りが差した。
「春ちゃん?」
「ウチね、母子家庭なんです。今時はあんまり珍しくもないけど、所謂私生児、ってやつで……小さい頃はそれを理由に虐められたりもして。ほら、子供って時々残酷でしょ?」
 やってみますとハケを受け取った春海が、中へと移動した由野へと背を向ける格好で、手を動かしつつポツポツと語り出す。
「みっちゃんのお母さんとウチの母さん、学生時代から仲が良かったらしくて。ここに来るまでは、みっちゃん家で持ってるアパートのひとつに、タダ同然のお家賃で住まわせてもらってたんです。みっちゃんとは本当、物心が付く前からずっと一緒で、兄弟みたいに育って」
「そうだったのか……」
 普通の友達というには親密で、けれどどこか一歩引いたような春海の観月への接し方。
 無意識のものなのだろうけれど、ふとした瞬間に感じた遠慮するような態度は、そういった生い立ちから来ているのかもしれないと、語られる言葉に耳を傾けながら、由野は小さく相槌を打った。

「ボクってどん臭いみたいで、それもあってからかわれてたんだろうけど……そういう時っていつもみっちゃんが助けてくれて。いつか恩返し出来たらいいなあって、思ってたんです」
「それで管理人を引き受けたの?」
「うーん、それもあるけど……母さんが再婚する事になって。一緒に付いて行くような歳でも無いし、だからって一人で住むのには部屋も広いし。それに、専門学校出たのはいいけど、見習いじゃお給料安くて生活がカツカツだったんですよね」
「見習いって、何の仕事してたの?」
「あ、一応、コック見習い? みたいな――」
 洗い物ばっかりで終わっちゃいましたけど、と苦笑する春海を見つつ、由野はなるほどとひとつ頷いた。料理に関しては何の心配をすることも無く、初めから美味いものが食えていた事に合点がいく。
「料理、好きなんだね」
「っていうか……母さんには大学行けって言われたんですけど、ボク勉強苦手だし…だったら手に職を付けろって。でも力仕事は向いてないんで」
 初日の階段落ちを思い出した由野が眉を顰める。知り合ってまだ日は浅いけれど、確かに春海には鳶などの危険を伴う仕事は無理そうだ。
「働いてる母さんに変わって、家の事はやってたし。美味しいって言ってもらえると嬉しいから……って、そんな単純な理由で選んだんですよ」
「そうかあ……でもそのおかげで、僕は美味しいご飯を頂けてるわけだから、感謝しなくちゃいけないね」
 微笑んで告げる由野へと、春海が「ありがとうございます」と、少し表情を和らげた。
「みっちゃんのお店も紹介されたんですけど、調理の仕事は嫌いじゃなくても、手荒れが酷くて続けるのは厳しかったんです。それで、何か違う仕事をって探してた時に、源じいに変わってここの管理人やってみるかって、声を掛けてもらって……ボク、ずっと母さんと二人だったから、大勢での生活って楽しそうだなって思って、それで引き受けたんです」
「なるほどねえ。それにしても、観月くんの…というか、杉田さんのとこって、そんなに色々やってるんだ? 杉田さんとは結構付き合い長いけど、そういう話ってした事無かったからなあ」
「あ……そういえば内緒だったかも? …みっちゃんにはボクが喋った事黙ってて下さいね? えっと、みっちゃん家は幾つか飲食店やってて、昔から土地持ちだったとかで、不動産も何件か。経営はお兄さん達がやってるから、みっちゃんは気楽に生きるんだーって言ってますけど」
 慌てる春海に誰にも言わないよと約束を交わせば、ホッとした顔をしながら、それでも彼の話は止まらなかった。誰かに聞いてもらいたかったのかもしれないと、由野は苦笑を浮かべつつ春海の話に付き合った。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話

日向汐
BL
「好きです」 「…手離せよ」 「いやだ、」 じっと見つめてくる眼力に気圧される。 ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26) 閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、 一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨ 短期でサクッと読める完結作です♡ ぜひぜひ ゆるりとお楽しみください☻* ・───────────・ 🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧 ❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21 ・───────────・ 応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪) なにとぞ、よしなに♡ ・───────────・

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました

芦田オグリ
BL
「ずっと、ずっと好きだった」 魔王討伐の祝宴の夜。 英雄の一人である《盗賊》ヒューは、一人静かに酒を飲んでいた。そこに現れた《勇者》アレックスに秘めた想いを告げられ、抱き締められてしまう。 酔いと熱に流され、彼と一夜を共にしてしまうが、盗賊の自分は勇者に相応しくないと、ヒューはその腕からそっと抜け出し、逃亡を決意した。 その体は魔族の地で浴び続けた《魔瘴》により、静かに蝕まれていた。 一方アレックスは、世界を救った栄誉を捨て、たった一人の大切な人を追い始める。 これは十年の想いを秘めた勇者パーティーの《勇者》と、病を抱えた《盗賊》の、世界を救ったあとの話。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

処理中です...