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櫻花荘に吹く風~103号室の恋~ (11)
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動揺を春海に気付かれていない事を祈りつつ、若干早足になりながら玄関を出た由野は、赤くなっているだろう自身の顔を隠すように片手で口元を覆ってひたすらに歩を進めた。
「も、無理だろ、これは……」
梅雨入り前の青く澄んだ空を見上げた由野は、口元を覆っていた手を外すと、火照った頬へとその手で風を送った。
春海から、自分自身の気持ちから逃げ続けていたけれど、足掻いても消える事の無かった想いから目を逸らすことは、もう出来そうに無かった。
「――僕は、春ちゃんの事が、好きなんだな……」
言葉に出してしまえば、その言葉はすとんと胸に落ちてきて、納まるべき場所へと納まった。それはほんの少し擽ったいような、懐かしいような、不思議な感覚だった。
自分の気持ちを認めたからといって直ぐに行動へと移せるはずもなく、由野はここ数日で開いてしまった春海との距離をどう縮めていけば良いか思いあぐねる。
「…普通に、僕も一緒に食べれば良かったんだよな――」
トレイに並んだ美味しそうな夕食を前に苦笑が浮かぶ。
作中では主人公に、時には突拍子も無いほど大胆な行動をさせてしまうのに、書いてる本人はと言えばこの有様なのだから呆れてしまう。
『今日はこっちで一緒にご飯食べられそうですか?』
『あー……明日からは、そっちで食べるよ』
夕方図書館から戻った由野に、ダイニングスペースから顔を覗かせた春海がそう声を掛けてくれたというのに。
答えようとした瞬間二階から降りてきた観月の姿が目に入り、思わずそんな答えを返していた。
菜箸を手に持ったまま、由野の帰宅の声に慌てて飛んで来たのであろう春海はやっぱり可愛くて。由野の答えを聞いた途端にしゅんとした彼を、愛おしく感じた。
なのに実際はこうして部屋に食事を持って来てしまう辺り、自分はどれだけ臆病なのだろうと自嘲が漏れる。
「……あ、美味いなこれ――こっちも」
サクサクに揚げられた鶏肉の上に、甘酸っぱいあんかけと野菜のスライス。強い味を中和してくれるような、翡翠色の小さな豆。ほんのり塩味を感じるしらすと梅の入ったご飯。ピリッとした辛味が後味を引くスープ。
『由野さん最近忙しそうだから……お酢って疲れた身体に良いんですよ、残さず食べて下さいね』
そう言って微笑んだ春海が少し寂しそうに見えたのは、由野が今感じているような寂しさを、傍にいて欲しいと願う存在が隣にいない事の切なさを、春海にも同じように感じていて欲しいという願望の表れなのだろうか。
「一人で食うのって、味気無いな……美味いけど、さ」
耳を澄ませば、ダイニングの方向から微かに聞こえて来る観月の声。北斗は今日は出勤の筈だから、きっと二人で食べているのだろう。
『その気が無いなら』
何度となく脳内に響く観月から告げられた言葉。
真剣な表情で由野と向き合った彼の、どこか焦りを帯びた顔が浮かぶ。頭の中のその映像に、由野は小さくゴメンと呟いた。
観月が春海に対して抱いている感情は、あの会話からも、その後の彼から向けられる眼差しからも想像は付いた。 けれどどうやら自分も、人に言われてあっさり諦めが付くような感情ではないらしい。
明日からは春海と一緒に、食事をしよう。また何気無い会話を沢山交わそう。そうして少しずつでも、彼に自分を知ってもらう事から始めたい。自分は話の中で生きている主人公達のような、派手な恋愛は出来ないから。ましてや同性を相手に恋をするなんて、初めての経験だから。
ゆっくりでもいいと思った。
いずれこの想いを春海へと告げた時、その結果が受け入れ難いものであったとしても、自分で納得がいくように。
由野がそんな決心をしたその少し後、部屋の扉がノックされた。
「はい――観月、くん?」
「……本当、こんな草臥れたヤツの何処がいいんだか……」
「は?」
呟きにも似たその声は小さ過ぎて、由野の耳には届かなかったけれど、予期せぬ訪問者の姿に面食らう由野を見据えた観月は、口の端に笑みを浮かべて言葉を続けた。
「――オレ、今から飲みに行ってくる」
「はぁ……行って、らっしゃい?」
「後で春海が来ると思うから、ちゃんと話聞いてやって――あんたも、思ってる事があんなら、ちゃんと話しろよ? そんだけ、んじゃな」
言うだけ言って向けられた背中を言葉も無く見送る。
たった今観月から言われた言葉が、徐々に脳内へと浸透していく。
あれだけ牽制の眼差しを向けて寄越していた観月から、自分の気持ちを伝えろと後押しをされたのだと気付いた瞬間、観月の想いをも受け取ったような気さえした。
「春ちゃんが……来る? 話をしに?」
耳を澄ませば微かに聞こえて来る水音に、春海がまだ台所にいることが分かる。
落ち着かなさに部屋の中をうろうろとした由野は、一旦気持ちを落ち着けようと、バスルームへと向かった。
「ふぅー、あっつ……ッ」
熱いシャワーを浴びた由野は、いつもは疎らに生えたままにしてある無精ひげもキッチリと剃り落とし、自覚したばかりの気持ちにきちんと整理を付けたつもりだった。
汗の浮かんだ額をタオルで拭いながら戻る、部屋まで続く廊下の先で、自室の前に佇む人影に気付くまでは。
「……春ちゃん」
「あっあの、お、お風呂上りにビールとか…その、どうかなって――」
適当な入れ物が見付からなかったのか、春海の手にしたお盆の上、ボールに敷き詰めた氷の上に、数本のビール。そしてグラスが2つと、つまみらしい小皿が目に入った。
手に持ったままだった眼鏡を慌てて掛ければ、微かに震える春海の手の動きがリアルに感じ取れて。
「め、迷惑じゃなかったら、ですけど……」
そう言って俯く春海の顔は緊張に強張って見えて、お盆の上のグラス同士が、カチャカチャと音を立てていた。
「取り敢えず、中、どうぞ――あっ、散らかってるけど……」
万年床は、先ほど観月から春海が来るという話を聞いた際に、気持ち脇へと押しやってはいたものの、6畳一間の部屋の中、空いているスペースなど限られている。
座布団も無い部屋、壁側は本棚で占領され、その前には棚に納まり切らない書籍が山と積まれていて、座る場所すらないような状態だ。
己の部屋の惨状を見回した由野は仕方なく、布団を座布団代わりに二人並びあう形で腰を下ろした。
「えっと……あ、ビール、飲みますよね?」
「ああ、うん、じゃあ、頂こうかな? あ、そら豆だ」
「初物が出てたんで、美味しそうだなぁって思って……」
「あー…じゃ、あの、乾杯?」
何処と無く漂うぎこちない雰囲気のまま、春海がグラスへと注いでくれたビールを受け取り、グラス同士をカチリと合わせる。
何に対する乾杯なのか互いに突っ込む事も出来ないまま、由野はぐいっと、春海はちびりとグラスと傾けた。
「も、無理だろ、これは……」
梅雨入り前の青く澄んだ空を見上げた由野は、口元を覆っていた手を外すと、火照った頬へとその手で風を送った。
春海から、自分自身の気持ちから逃げ続けていたけれど、足掻いても消える事の無かった想いから目を逸らすことは、もう出来そうに無かった。
「――僕は、春ちゃんの事が、好きなんだな……」
言葉に出してしまえば、その言葉はすとんと胸に落ちてきて、納まるべき場所へと納まった。それはほんの少し擽ったいような、懐かしいような、不思議な感覚だった。
自分の気持ちを認めたからといって直ぐに行動へと移せるはずもなく、由野はここ数日で開いてしまった春海との距離をどう縮めていけば良いか思いあぐねる。
「…普通に、僕も一緒に食べれば良かったんだよな――」
トレイに並んだ美味しそうな夕食を前に苦笑が浮かぶ。
作中では主人公に、時には突拍子も無いほど大胆な行動をさせてしまうのに、書いてる本人はと言えばこの有様なのだから呆れてしまう。
『今日はこっちで一緒にご飯食べられそうですか?』
『あー……明日からは、そっちで食べるよ』
夕方図書館から戻った由野に、ダイニングスペースから顔を覗かせた春海がそう声を掛けてくれたというのに。
答えようとした瞬間二階から降りてきた観月の姿が目に入り、思わずそんな答えを返していた。
菜箸を手に持ったまま、由野の帰宅の声に慌てて飛んで来たのであろう春海はやっぱり可愛くて。由野の答えを聞いた途端にしゅんとした彼を、愛おしく感じた。
なのに実際はこうして部屋に食事を持って来てしまう辺り、自分はどれだけ臆病なのだろうと自嘲が漏れる。
「……あ、美味いなこれ――こっちも」
サクサクに揚げられた鶏肉の上に、甘酸っぱいあんかけと野菜のスライス。強い味を中和してくれるような、翡翠色の小さな豆。ほんのり塩味を感じるしらすと梅の入ったご飯。ピリッとした辛味が後味を引くスープ。
『由野さん最近忙しそうだから……お酢って疲れた身体に良いんですよ、残さず食べて下さいね』
そう言って微笑んだ春海が少し寂しそうに見えたのは、由野が今感じているような寂しさを、傍にいて欲しいと願う存在が隣にいない事の切なさを、春海にも同じように感じていて欲しいという願望の表れなのだろうか。
「一人で食うのって、味気無いな……美味いけど、さ」
耳を澄ませば、ダイニングの方向から微かに聞こえて来る観月の声。北斗は今日は出勤の筈だから、きっと二人で食べているのだろう。
『その気が無いなら』
何度となく脳内に響く観月から告げられた言葉。
真剣な表情で由野と向き合った彼の、どこか焦りを帯びた顔が浮かぶ。頭の中のその映像に、由野は小さくゴメンと呟いた。
観月が春海に対して抱いている感情は、あの会話からも、その後の彼から向けられる眼差しからも想像は付いた。 けれどどうやら自分も、人に言われてあっさり諦めが付くような感情ではないらしい。
明日からは春海と一緒に、食事をしよう。また何気無い会話を沢山交わそう。そうして少しずつでも、彼に自分を知ってもらう事から始めたい。自分は話の中で生きている主人公達のような、派手な恋愛は出来ないから。ましてや同性を相手に恋をするなんて、初めての経験だから。
ゆっくりでもいいと思った。
いずれこの想いを春海へと告げた時、その結果が受け入れ難いものであったとしても、自分で納得がいくように。
由野がそんな決心をしたその少し後、部屋の扉がノックされた。
「はい――観月、くん?」
「……本当、こんな草臥れたヤツの何処がいいんだか……」
「は?」
呟きにも似たその声は小さ過ぎて、由野の耳には届かなかったけれど、予期せぬ訪問者の姿に面食らう由野を見据えた観月は、口の端に笑みを浮かべて言葉を続けた。
「――オレ、今から飲みに行ってくる」
「はぁ……行って、らっしゃい?」
「後で春海が来ると思うから、ちゃんと話聞いてやって――あんたも、思ってる事があんなら、ちゃんと話しろよ? そんだけ、んじゃな」
言うだけ言って向けられた背中を言葉も無く見送る。
たった今観月から言われた言葉が、徐々に脳内へと浸透していく。
あれだけ牽制の眼差しを向けて寄越していた観月から、自分の気持ちを伝えろと後押しをされたのだと気付いた瞬間、観月の想いをも受け取ったような気さえした。
「春ちゃんが……来る? 話をしに?」
耳を澄ませば微かに聞こえて来る水音に、春海がまだ台所にいることが分かる。
落ち着かなさに部屋の中をうろうろとした由野は、一旦気持ちを落ち着けようと、バスルームへと向かった。
「ふぅー、あっつ……ッ」
熱いシャワーを浴びた由野は、いつもは疎らに生えたままにしてある無精ひげもキッチリと剃り落とし、自覚したばかりの気持ちにきちんと整理を付けたつもりだった。
汗の浮かんだ額をタオルで拭いながら戻る、部屋まで続く廊下の先で、自室の前に佇む人影に気付くまでは。
「……春ちゃん」
「あっあの、お、お風呂上りにビールとか…その、どうかなって――」
適当な入れ物が見付からなかったのか、春海の手にしたお盆の上、ボールに敷き詰めた氷の上に、数本のビール。そしてグラスが2つと、つまみらしい小皿が目に入った。
手に持ったままだった眼鏡を慌てて掛ければ、微かに震える春海の手の動きがリアルに感じ取れて。
「め、迷惑じゃなかったら、ですけど……」
そう言って俯く春海の顔は緊張に強張って見えて、お盆の上のグラス同士が、カチャカチャと音を立てていた。
「取り敢えず、中、どうぞ――あっ、散らかってるけど……」
万年床は、先ほど観月から春海が来るという話を聞いた際に、気持ち脇へと押しやってはいたものの、6畳一間の部屋の中、空いているスペースなど限られている。
座布団も無い部屋、壁側は本棚で占領され、その前には棚に納まり切らない書籍が山と積まれていて、座る場所すらないような状態だ。
己の部屋の惨状を見回した由野は仕方なく、布団を座布団代わりに二人並びあう形で腰を下ろした。
「えっと……あ、ビール、飲みますよね?」
「ああ、うん、じゃあ、頂こうかな? あ、そら豆だ」
「初物が出てたんで、美味しそうだなぁって思って……」
「あー…じゃ、あの、乾杯?」
何処と無く漂うぎこちない雰囲気のまま、春海がグラスへと注いでくれたビールを受け取り、グラス同士をカチリと合わせる。
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