すべてが覆る日

らがまふぃん

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 「まったく心惹かれないね。おまえなんかに」
 冷たい目が、ヒンディルを見た。
 こんなにも冷たい目を、誰からも向けられたことなどなかった。
 元々感情の乏しかったドゥマだったからか。その目が、余計に恐ろしく、ヒンディルは意識を失いかけた。倒れかけたヒンディルを、側の女官が咄嗟に支えることで何とか意識を保ったのだが、そのまま意識を失った方が幸せだったのかもしれない。
 その後に続く、絶望の言葉を聞かずに済んだかもしれないから。
 「もう終わりにしよう」
 ドゥマの言葉に、ヒンディルは目を見開いた。
 「ノノ。痛かっただろう」
 包帯で覆いきれなかった箇所から見える、火傷の痕。
 ノノが話せないとは言え、誰の仕業かすぐにわかった。
 ヒンディルの側に控える別の女官に、ドゥマは聞いた。
 「ノノのこれ、何があった?」
 正直に話せと、耐え難いほどの圧をかけられ、女官は震えながら答えた。
 十日程前のお茶の時間のことだ。淹れた紅茶の温度が熱かったと、ヒンディルがその紅茶をノノに向かってかけた。それだけでは気が収まらなかったヒンディルは、ノノを引っ張って厨房に行くと、火の入ったかまどにその顔を押し当てた。あまりに常軌を逸した行動に、さすがに大騒ぎとなった。声の出ないノノは、傷みに転がり回ることしか出来なかった。すぐに医者が呼ばれ、両親からヒンディルは大目玉を食らい、一週間謹慎させられたのだという。
  側で言い訳がましく喚き散らすヒンディルの声は聞こえていないのか、それを気にすることなくドゥマは、泣きそうな目をノノに向けた。
 「もう、こんなことには、ならないから」
 ノノは困惑している。それはそうだ。一度として言葉を交わしたことはない。ヒンディルの付き添いとして、控えていただけの存在。仕える人の、婚約者だと理解している。
 それなのに。
 何が起こっているのか。
 ノノの頭を優しく撫でる手から、温かな光が溢れた。
 「まだ、痛いところはあるか?」
 高度で使える者が殆どいないという治癒魔法を使ってくれたようだ。驚いて目を丸くするノノに、ドゥマは優しく微笑んだ。こんなにも話をすることにも、こんなにも表情があることにも、こんなにも気遣われることにも。今のドゥマ、すべてに驚く。暫く呆然としていたが、ハッとしてノノは頭を下げた。大丈夫だということと、お礼を込めて。
 ドゥマの手が再び優しくノノの頭を撫でる。
 「な、なに、してるのよ、あんたは、わたくしの、婚約者でしょう」
 長く婚約者をしている自分には、エスコート以外で触れたことすらないのに。会話だって表情だって、なかったのに。
 あまりの出来事に、ヒンディルは震える声で、絞り出すように告げる。
 「ああ、そうだった」
 ヒンディルの言葉に、思い出したようにドゥマは右腕を振った。途端、地面に芸術品のような美しい魔方陣が描かれた。
 「来い」
 それだけ言うと、魔方陣が輝く。目映い光が収まると、その陣には国王夫妻含む、国の重鎮たちが総勢九名。突然のことに呆然とする九名は、ドゥマとヒンディルを見て、何かを察したように苦笑いを浮かべた。
 「突然の呼び出し、すまない」
 およそ目上の人間に対する口のきき方ではないが、重鎮たちは無礼を咎めるでもなく小さく頷く。
 「この女との婚約を破棄する」
 重鎮たちは目を瞑り、一つ、息を吐いた。
 ついにこの日が来たか、と。
 何事もないわけではなかったが、何事もないとして過ごしてくれていたドゥマ。このまま十八を迎えて婚姻を結ぶのでは、とも思っていた。あと二年もなかったのだ。問題だらけの王女でも、もしかしたら気に入ってくれているのかもしれないと静観し続けた年月は、決して短くない。だから、備えてもいた。ドゥマがこの婚姻を望まないのであれば、すぐにドゥマの意向に添えるようにと。

 この婚姻に異を唱えると言うことは、ドゥマが人形ではなくなったということだから。

 「あいわかった。貴殿の望むとおりにしよう」
 重く口を開いた国王に、ヒンディルは信じられないものを見るような目で父である国王を見た。国王は、諦めろと言うように、緩く首を振った。
 諦めるなんて、そんなこと、出来るわけがない。漆黒の髪と目を持つ美しい婚約者が自慢だった。自分に見合った最高のステータスを持つ男だ。自分の価値を周囲に知らしめることの出来る、この上なく気分を良くさせてくれる婚約者なのだ。
 黒を纏う者に惚れられている、と皆が羨むのだ。黒を纏う者に求められた存在だ、と皆が悔しがるのだ。黒を纏う者に、黒を纏う者が、黒を纏う者と。
 「わ、わたくしは、王女よ、王族、この国で、一番偉いのよ」
 震える声で、自分には価値があると示す。
 しかし。

 「で?」

 ドゥマは一言、いや、たった一文字で、その価値を一蹴した。
 「あ、あ、わ、わたくしなら、何でも与えられる、贅沢できるのよっ?嬉しいでしょう?!」
 悔しくて、何とか自分の価値をわからせようと言葉を重ねるのだが。
 「さあ?ちっとも心が動かないな」

 価値のあるものは、もうすでにこの腕の中にいる。

 そう言外に伝えるように、いつの間にかノノの腰に回していた腕を、その体を抱き締める形に変えた。



*つづく*
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