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本編
囚われの神竜王。
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――シルハーク軍から、取引の申し出があったのは、翌々日だった。
神竜王を捕えた。現在は力を封じて閉じ込めている。だが、殺すには惜しい。ついては、神竜王との召喚契約を破棄させる為に、ラウエンシュタイン家の娘を「一人で」赴かせよ。代わりに、シルハーク軍は撤退する。明日までに回答がなければ、神竜王は天に還るだろう。
そんな内容だった。
「私は行きます」
「姫。我らは既に神竜王陛下を質として取られている。この上、あなたまで」
カインの言葉は私を案じてくれたものだけど、頷けない。私が行かなきゃ、ローランが殺される。
「神竜王たる御方です。一時は魔力を封じられていたとしても……」
脱出できるのではないかと、オリヴィエは言う。ドージェは、落ち着かない様子だ。
アトゥール殿下は、私を見定めるように眺め――頷いた。
「お行きなさい、姫。あなたには、シルハークを退ける王命が与えられている。そして、未だにシルハークは退いていない」
「アトゥール!」
「そして、神竜王陛下は、必ずあなたを無事に戻すと自身に誓約なさった。ならば、あなたは必ず無事にお戻りになるはずです」
「アトゥール殿下。……エルウィージュ様に、そのお言葉、伝えますよ」
この三人は、エージュを巡る恋敵だ。カインが一歩リードしていたけど、先日、エージュはアトゥール殿下と内々に婚約した。そのことを、二人が知らないのは幸いだ。
「構いませんよ。私は、アレクシア姫のお気持ちを優先したい。エルウィージュ姫も、そうなさる」
意外と、アトゥール殿下はエージュのことをよく知っている。軍籍にあるのはカインの人柄に惚れ込んだからで、ヴェルスブルク第二の名家の当主は、身寄りのないカインの後ろ盾になった。
……そんなことは、今はどうでもいい。ローランを助けなきゃ。
「桜華という王太后か、太王太后かはわからないけれど――かつての神竜王の公主が、いるのでしょう。ローランの曾祖父か曾祖母の姉妹にあたる方だわ」
「曾祖父様の姉君にあたられます」
ドージェが説明してくれた。ローランの出撃前にこのことを報告しなかったのが心苦しいらしく、私とは視線を合わせてくれないけど。
「その方が、神竜を人にする秘術を持った方が、シルハークにはいるの。ローランを人にすることも、可能かもしれない」
「神竜王を人にするには、それを上回る魔力が必要です。つまり、姫。あなたの存在が鍵になる」
アトゥール殿下は、的確な言葉しか言わない。女性的な物腰に惑わされないよう、気をつけないと。
「あなたなら、召喚者として、神竜王陛下の魔力を抑えられる。そこで桜華なる者が、秘術を使えばどうにもならない――と、私はお止めすべきなのですが」
婚約者であるエージュの意を汲んで、私の気持ちを尊重してくれると、言外に匂わされた。……エージュ。傍にいなくても、あなたは私を助けてくれてるのね。
「明日、シルハークの陣地にお送りしましょう。捕えられるのは私の美学に反しますから、姫をお送りしたら、すぐに舞い戻りますが」
アトゥール殿下も魔力は高い。転移の魔法くらいなら、簡単に発動できる。
「カイン様。オリヴィエ様。私はもう決めました。……明日、アトゥール殿下が戻られましたら、軍をお退き下さい。シルハーク軍は、必ず退かせますから」
伏して頼み込んだ私に、カインとオリヴィエも折れた。ローランという最強の武力を失っている以上、わずか一万足らずの軍で、十万を超すシルハーク軍を退けるのは現実的に無理だということも、考慮されたと思う。
私は、アトゥール殿下にお礼を言って、部屋に戻った。
――ほんの一昨日。ここに、ローランがいたのに。
召喚してからずっと、離れたことなんてなかったのに。
シルハーク王家の家系図を調べた時に、どうして桜華公主その人が存命の可能性を探らなかったのか、悔やまれる。三代前の王妃だから、もう亡くなっていると思い込んでいた。
目を閉じて、深く息を吸った。
――もう、知識チートはない。ゲームに出てきたのは、シルハークの侵攻と、ローランがそれを撃退したという端的な説明文だけだった。それでも、「ミレイ召喚」の前に、シルハークの侵攻が退けられたということは、一致しているんだから。
――できないことではないはずだ。ローランを取り戻すことも、シルハークを退けることも。
自分にそう言い聞かせ、鼓舞しながら、私は固いベッドにもぐりこんだ。
アトゥール殿下は軽やかに馬を操り、私をシルハークの最前線まで送ってくれた。
武装した兵士達に囲まれた時、別人のような厳しい声で「そちらからの書状に応えて、姫をお送りした。シルハークには、礼を重んじる慣習はないのか」と言い放ち、兵士達の包囲網を解かせた。
そのまま、陣奥に進み――近衛兵らしき男性が、恭しく私達を出迎えた。
「姫はこちらに」
「はい」
ヴェルスブルク語は公用語だから、シルハーク人ともある程度は会話できる。
私が素直に馬から降りると、アトゥール殿下も下馬した。近衛兵から守るように、私を後ろに庇う。
「アトゥール殿下。大丈夫です」
いざとなったら、輝石の魔力で攻撃する。
そう言った私に、アトゥール殿下は「守られるのが、姫君の役目ですよ」と苦笑した。
シルハークの近衛兵が、私に一歩近づく。私も、その方向に進みながら――アトゥール殿下に向けて、魔法を放った。
「転移」
「な」
姫!という声と同時に、アトゥール殿下の姿が消える。ごめんなさい、でも、早く戻ってもらわないと、殿下の身が心配だから。
「……面白い」
一番奥の、一番大きな幕屋から、低い男性の声がした。
重なり合った入口の布を払って現れた、黒い髪と銀の瞳の男性に、その場にいたシルハーク兵が一斉に跪く。――まさか。
「シルハーク国王……リーシュ陛下?」
端麗といっていい美貌の国王は、王らしい尊大さで頷き――後ろを振り返った。
「大婆様。これは、間違いなく神竜王の召喚者か?」
「間違いない。その娘から、神竜王の気配を感じるゆえな」
長身のリーシュ王の影から現れた、大婆様――桜華公主は、その敬称とは裏腹に、凛然とした美しさの、年若い女性だった。
「真名を知りながら、支配せずに敬意を捧げたとか。愚かな。支配しておけば、当代神竜王は、我らに捕えられることもなかったろうに」
口調だけは老婆のようだけど、外見は二十代半ばにしか見えない桜華公主は、呆然としている私を見て笑った。
「妾の姿に驚いたか? 人になったはずだと」
「驚かぬ者はいないだろうよ、大婆様。少なくとも齢百を過ぎたの御身なれば」
リーシュ王の言葉に、更に驚きが増す。百歳を超えていて……人になったはずなのに、どうして……。
「ふむ。父王は、言い遺さなんだか。妾の真名を変えて魔力を減じたはずが、真名が馴染みすぎて、魔力を増したことを」
「え……」
「ゆえにな、父王の秘術は効かなかったのだよ。妾は竜型にはなれぬが、魔力は神竜王姫だった頃のまま。寿命も然り。神竜らしく、あと五百年は生きような」
桜華公主は嫣然とした笑みを刷いて、私の手を取った。
「当代神竜王の前で、そなたを殺してやろう。さすれば、契約は破棄され――妾が、あれを服従契約できる」
悪役令嬢を目指してたけど、婚約破棄されてざまぁ(笑)はまだしも、断罪イベントどころか殺戮展開は予想外よ! それ以前に、ローランを服従契約なんてさせないわよ!
「ローランは、私の神竜王なの! アレなんかじゃない!」
「ほ、この期に及んで、また気の強い娘よな。あの幼い神竜王は、そなたが千々に引き裂かれる様を見たら、どのように哭くであろうな」
「……待て、大婆様」
「リーシュ?」
「その娘、面白い。俺に、少し貸してくれぬか」
リーシュ王の声音は――嫌な艶を含んでいる。ぞっとした私に、桜華公主は笑いを噛み殺している。
「可愛い曾孫の頼みなら、聞かぬわけにはいかぬわ。ただ、リーシュ。嬲るのはよいが、殺すでないぞ。この娘を殺すのは、当代神竜王の眼前じゃ」
心底から楽しげに、悪役としか言いようのない嗤い方で、桜華公主は、私の体をリーシュ王に押しつけた。
――悪役令嬢と、悪役国王と悪役竜王姫では、分が悪すぎる。
私は、リーシュ王に軽々と抱き上げられ、彼の天幕に連れ込まれた。
神竜王を捕えた。現在は力を封じて閉じ込めている。だが、殺すには惜しい。ついては、神竜王との召喚契約を破棄させる為に、ラウエンシュタイン家の娘を「一人で」赴かせよ。代わりに、シルハーク軍は撤退する。明日までに回答がなければ、神竜王は天に還るだろう。
そんな内容だった。
「私は行きます」
「姫。我らは既に神竜王陛下を質として取られている。この上、あなたまで」
カインの言葉は私を案じてくれたものだけど、頷けない。私が行かなきゃ、ローランが殺される。
「神竜王たる御方です。一時は魔力を封じられていたとしても……」
脱出できるのではないかと、オリヴィエは言う。ドージェは、落ち着かない様子だ。
アトゥール殿下は、私を見定めるように眺め――頷いた。
「お行きなさい、姫。あなたには、シルハークを退ける王命が与えられている。そして、未だにシルハークは退いていない」
「アトゥール!」
「そして、神竜王陛下は、必ずあなたを無事に戻すと自身に誓約なさった。ならば、あなたは必ず無事にお戻りになるはずです」
「アトゥール殿下。……エルウィージュ様に、そのお言葉、伝えますよ」
この三人は、エージュを巡る恋敵だ。カインが一歩リードしていたけど、先日、エージュはアトゥール殿下と内々に婚約した。そのことを、二人が知らないのは幸いだ。
「構いませんよ。私は、アレクシア姫のお気持ちを優先したい。エルウィージュ姫も、そうなさる」
意外と、アトゥール殿下はエージュのことをよく知っている。軍籍にあるのはカインの人柄に惚れ込んだからで、ヴェルスブルク第二の名家の当主は、身寄りのないカインの後ろ盾になった。
……そんなことは、今はどうでもいい。ローランを助けなきゃ。
「桜華という王太后か、太王太后かはわからないけれど――かつての神竜王の公主が、いるのでしょう。ローランの曾祖父か曾祖母の姉妹にあたる方だわ」
「曾祖父様の姉君にあたられます」
ドージェが説明してくれた。ローランの出撃前にこのことを報告しなかったのが心苦しいらしく、私とは視線を合わせてくれないけど。
「その方が、神竜を人にする秘術を持った方が、シルハークにはいるの。ローランを人にすることも、可能かもしれない」
「神竜王を人にするには、それを上回る魔力が必要です。つまり、姫。あなたの存在が鍵になる」
アトゥール殿下は、的確な言葉しか言わない。女性的な物腰に惑わされないよう、気をつけないと。
「あなたなら、召喚者として、神竜王陛下の魔力を抑えられる。そこで桜華なる者が、秘術を使えばどうにもならない――と、私はお止めすべきなのですが」
婚約者であるエージュの意を汲んで、私の気持ちを尊重してくれると、言外に匂わされた。……エージュ。傍にいなくても、あなたは私を助けてくれてるのね。
「明日、シルハークの陣地にお送りしましょう。捕えられるのは私の美学に反しますから、姫をお送りしたら、すぐに舞い戻りますが」
アトゥール殿下も魔力は高い。転移の魔法くらいなら、簡単に発動できる。
「カイン様。オリヴィエ様。私はもう決めました。……明日、アトゥール殿下が戻られましたら、軍をお退き下さい。シルハーク軍は、必ず退かせますから」
伏して頼み込んだ私に、カインとオリヴィエも折れた。ローランという最強の武力を失っている以上、わずか一万足らずの軍で、十万を超すシルハーク軍を退けるのは現実的に無理だということも、考慮されたと思う。
私は、アトゥール殿下にお礼を言って、部屋に戻った。
――ほんの一昨日。ここに、ローランがいたのに。
召喚してからずっと、離れたことなんてなかったのに。
シルハーク王家の家系図を調べた時に、どうして桜華公主その人が存命の可能性を探らなかったのか、悔やまれる。三代前の王妃だから、もう亡くなっていると思い込んでいた。
目を閉じて、深く息を吸った。
――もう、知識チートはない。ゲームに出てきたのは、シルハークの侵攻と、ローランがそれを撃退したという端的な説明文だけだった。それでも、「ミレイ召喚」の前に、シルハークの侵攻が退けられたということは、一致しているんだから。
――できないことではないはずだ。ローランを取り戻すことも、シルハークを退けることも。
自分にそう言い聞かせ、鼓舞しながら、私は固いベッドにもぐりこんだ。
アトゥール殿下は軽やかに馬を操り、私をシルハークの最前線まで送ってくれた。
武装した兵士達に囲まれた時、別人のような厳しい声で「そちらからの書状に応えて、姫をお送りした。シルハークには、礼を重んじる慣習はないのか」と言い放ち、兵士達の包囲網を解かせた。
そのまま、陣奥に進み――近衛兵らしき男性が、恭しく私達を出迎えた。
「姫はこちらに」
「はい」
ヴェルスブルク語は公用語だから、シルハーク人ともある程度は会話できる。
私が素直に馬から降りると、アトゥール殿下も下馬した。近衛兵から守るように、私を後ろに庇う。
「アトゥール殿下。大丈夫です」
いざとなったら、輝石の魔力で攻撃する。
そう言った私に、アトゥール殿下は「守られるのが、姫君の役目ですよ」と苦笑した。
シルハークの近衛兵が、私に一歩近づく。私も、その方向に進みながら――アトゥール殿下に向けて、魔法を放った。
「転移」
「な」
姫!という声と同時に、アトゥール殿下の姿が消える。ごめんなさい、でも、早く戻ってもらわないと、殿下の身が心配だから。
「……面白い」
一番奥の、一番大きな幕屋から、低い男性の声がした。
重なり合った入口の布を払って現れた、黒い髪と銀の瞳の男性に、その場にいたシルハーク兵が一斉に跪く。――まさか。
「シルハーク国王……リーシュ陛下?」
端麗といっていい美貌の国王は、王らしい尊大さで頷き――後ろを振り返った。
「大婆様。これは、間違いなく神竜王の召喚者か?」
「間違いない。その娘から、神竜王の気配を感じるゆえな」
長身のリーシュ王の影から現れた、大婆様――桜華公主は、その敬称とは裏腹に、凛然とした美しさの、年若い女性だった。
「真名を知りながら、支配せずに敬意を捧げたとか。愚かな。支配しておけば、当代神竜王は、我らに捕えられることもなかったろうに」
口調だけは老婆のようだけど、外見は二十代半ばにしか見えない桜華公主は、呆然としている私を見て笑った。
「妾の姿に驚いたか? 人になったはずだと」
「驚かぬ者はいないだろうよ、大婆様。少なくとも齢百を過ぎたの御身なれば」
リーシュ王の言葉に、更に驚きが増す。百歳を超えていて……人になったはずなのに、どうして……。
「ふむ。父王は、言い遺さなんだか。妾の真名を変えて魔力を減じたはずが、真名が馴染みすぎて、魔力を増したことを」
「え……」
「ゆえにな、父王の秘術は効かなかったのだよ。妾は竜型にはなれぬが、魔力は神竜王姫だった頃のまま。寿命も然り。神竜らしく、あと五百年は生きような」
桜華公主は嫣然とした笑みを刷いて、私の手を取った。
「当代神竜王の前で、そなたを殺してやろう。さすれば、契約は破棄され――妾が、あれを服従契約できる」
悪役令嬢を目指してたけど、婚約破棄されてざまぁ(笑)はまだしも、断罪イベントどころか殺戮展開は予想外よ! それ以前に、ローランを服従契約なんてさせないわよ!
「ローランは、私の神竜王なの! アレなんかじゃない!」
「ほ、この期に及んで、また気の強い娘よな。あの幼い神竜王は、そなたが千々に引き裂かれる様を見たら、どのように哭くであろうな」
「……待て、大婆様」
「リーシュ?」
「その娘、面白い。俺に、少し貸してくれぬか」
リーシュ王の声音は――嫌な艶を含んでいる。ぞっとした私に、桜華公主は笑いを噛み殺している。
「可愛い曾孫の頼みなら、聞かぬわけにはいかぬわ。ただ、リーシュ。嬲るのはよいが、殺すでないぞ。この娘を殺すのは、当代神竜王の眼前じゃ」
心底から楽しげに、悪役としか言いようのない嗤い方で、桜華公主は、私の体をリーシュ王に押しつけた。
――悪役令嬢と、悪役国王と悪役竜王姫では、分が悪すぎる。
私は、リーシュ王に軽々と抱き上げられ、彼の天幕に連れ込まれた。
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