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四季人

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 ベタつく肌を重ねて、貪るように被さって。
 ほんのりと赤くなった尻に、後ろから杭を打つ。
 彼女は息もできないほどの快楽に溺れていて、このまま本当に狂ってしまうのでは…という不安がよぎる。


 それでも……

〝愛してる〟

 ……その、たった一言を聞くことが叶わない。

〝そこ、気持ちイイ…〟
〝もっと…もっと…‼︎〟

 まるで餌を欲しがる雛鳥みたいに、口をぱくつかせながら、彼女は蕩けた声で叫ぶ。
 僕を満足させる一言は言わないクセに、僕を捻って搾り上げるのは止めない。
 …本当に、憎らしい。
 このまま果てるのは、彼女に負けを宣言するような気がして、不愉快だった。
 狭い穴の向こうにある彼女の弱点を突きながら、僕は自分の弱点を庇うように角度を変える。
 壁を向いていた彼女が、トロンとした目でこちらを見たので、僕はドキリとした。
〝なにしてるの〟と、その目が言っている。
 伸るか反るかの綱引きに、ズルは厳禁だと釘を刺してくる。

 くそっ!

 逃げ場のない僕は、がむしゃらに腰を突き出した。
 深く深く彼女を抉って、先に根を上げた方が負けという闘いへ、もつれ込ませる。
 理性が壊れたような嬌声を上げ、彼女の腰が跳ねた時、僕は同時に達した。

 *****

 ベッドにうつ伏せたまま、指一つ動かせない疲労に酔いながら、僕は彼女の後ろ姿を目で追った。
 形の良い尻が、歩くたびに左右に揺れている。
 僕の残留物を流すために、シャワーに向かったのだろう。
 …対して僕は、彼女が残した赤い下着と長い髪の毛、そして、ワインと煙草と薔薇の匂いに包まれて、生きる屍をやっていた。
 とりわけ、彼女がいつも纏っている薔薇の香りが、僕を大いに狂わせる。
 高貴で、甘過ぎず、ツンと青臭い、クセのある薔薇の香り…。
 それは、彼女のイメージそのもので、彼女が姿を消した後も、僕の鼻腔と心に棘を刺すのだ。


 ヒトは薔薇を愛するが、
 薔薇はヒトを愛さない。


 そんな事実が、彼女自身にも当て嵌まるような気がしてしまう。
 僕の些細なプライドは、彼女の悦楽に満ちた動きと声と体温で、辛うじてカタチを保っていたが、いつまでも保つとは思えない。


「まだそんなところで死んでるの」
 湯気を上げながら、シャワーから帰ってきた彼女が言って、僕は眼球をそちらに向けた。
「…キレイな身体ね」
 彼女は、うっとりとした目で、僕の背中と尻を眺めている。
「全部あげるよ。君が僕のものになるならね」
「いらないわ」
 勝ち誇ったように言う彼女を見て、僕は苦笑いした。
「あなたも私も、ガムと一緒。味がする間だけ口の中に入れて味わって、…無くなったら棄てるの」
 そうでしょ? と言わんばかりに、綺麗な唇を三日月のように吊り上げ、彼女は笑う。
「僕は君みたいに薄情じゃないよ」
「いいのよ」
 僕の本音は、冗談にされた。
 彼女は僕の隣に腰を下ろし、ブラジャーとショーツを手繰り寄せると、流れるような美しい動作で身につけていった。
「あなたが私を好きな内は、抱かせてあげる。私があなたを抱くのも、同じ理由よ」
 非道い事を言いながら、聖女のような笑みを向けてくる彼女に、鳥肌が立った。
「あなたとのセックスはとても好きだけど、あなたの事は好きじゃないの」
「好きじゃないのに、僕に抱かれるのか」
「あら、理解できない?」
「…できないな」
「ふふ、そういうところよ」
 彼女は出来の悪い子どもを見るような目で一瞥すると、ソファの前に落ちているスーツを拾いに行った。
 シャツとジャケットを羽織ったあたりで、僕はヨロヨロと立ち上がって彼女に近づき、背後から抱きしめた。
 彼女は抵抗しないし、僕も彼女のスーツが崩れるようなヘマはしない。
 その暗黙の了解が心地良い反面、僕の望む方向へは進展しない実感を湧かせて、不安を掻き立てられた。
「またするの? 平気?」
 彼女は動じることなく、微笑みながら僕の身体を案じる。
 スーツに染みついた薔薇の香りが、僕を挑発する。
「するよ。好きなんだろ」
 赤いショーツが食い込む腰を抱き寄せる。
「好き」
 僕の欲情の証拠を、ショーツ越しの尻で撫で上げながら、彼女は答えた。
 ゾクリと背中に痺れるような快感が走って、僕は身震いした。
 それを誤魔化すように、僕は彼女のショーツの中に……そして、その更に奥へと、指を滑り込ませた。
「ん……っ」
 身体のベタつきはシャワーで流し切られていても、この一箇所だけは違う。
 さっきまでの態度が嘘みたいに、彼女は喘いで身悶えする。
 水がしたたるような音と、甘ったるい声が部屋に響く。
 ………………。

「…ねぇ、お願い…」
 懇願する彼女の指が、僕の股間をまさぐる。

「…おねがい?」
 聞き返す。

「挿れて……」
 切ない目。

「これを…?」
 僕のを撫でる、彼女の手に触れて。

「そう。私に、ちょうだい」
 きゅ、と彼女の指が、僕を刺激する。

「いいよ」
 僕は微笑みながら、
「…だから、せめて──」
 彼女の眼を覗き込む。




「──愛してるって言え」



 彼女の目が、時間を止めたみたいに動かなくなった。
 その黒い瞳の奥で、肉欲と理性が闘っているのかも知れない。
「──────」
 僕の目を、じっと見つめたまま、彼女は唇だけを震わせている。

 ………………。




 …僕は、無言で彼女を貫いた。
 歯を食いしばり、敗北感を拭い去るように、最奥ばかりを攻め立てる。
 さらさらの涎を垂らしながらも、彼女は僕から目を逸らさない。
 それがとても悔しくて、僕は……。

「く、ぅ………っ‼︎」

 彼女の一番深い場所に、僕の痕跡を刻み付けた。

 *****

 目が覚めると、僕はまたベッドの上だった。
 彼女の姿は無い。
 帰る前にエアコンを入れてくれたのか、部屋は暖かかった。
 身体を起こすと、テーブルの上に、僕が吸ってる銘柄の未開封の煙草が置いてあるのが見えた。
 ふと、昨晩彼女に何本かあげた事を思い出し、その冷たく丁寧な感じが、僕を更に惨めな気分にさせた。
「………」
 右手の指にざらつきを覚える。
 彼女の内側を掻き回した所為だ。
 僕はウエットティッシュに手を伸ばしかけ……、
「………」
 何となく、そのまま指を鼻先に近づけた。

〝甘酸っぱい〟とは程遠い。

 どろりと淫靡で生臭い、甘い匂い。

 その奥で、微かに薔薇が香っていた。

                           了
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