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第八章
Ⅲ
しおりを挟む龍海さんとの時間は格段に減った。
ほぼ毎日会っていたのが週の半分以下になり、
食事や休日のお誘いは断り、
会話も最小限。
そんな状態が一ヶ月程続いた。
行く予定だった舞台は、もう来週まで迫っていた。
龍海さんはあの女の人を誘っただろうか。
そろそろ迎えに来なくて良いという日を増やすか…
龍海さんと無言の帰り道、次の言い訳を考える。
習い事始めるんです、とか?
いや、もっと予定が読みにくいもの…
「おい」
「…」
「おい」
「あっ、はい。すみません。」
顔を上げるともう自宅の前。
龍海さんに声をかけられたのは久しぶりな気がする。
「今日もありがとうございました。では。」
言い訳は家でゆっくり考えようと思い直し、
家に入ろうとする。
「ちょっと待て」
呼び止められた…
いよいよ、もう迎えに来るのは止める、とか言われる?
願ったり叶ったりではあるが、残念だと思う気持ちもある。
まだ、恋心は死んでいなかった。
「はい。」
「…来週、空いている日はあるか」
「…すみません。ちょっと埋まってて」
「何故だ」
食い下がられた。
「…」
咄嗟に言い訳が出てこない。
「再来週は、その次の週は?」
「…」
「今回の舞台もロングラン公演だ。
一日くらい空いているんじゃないのか」
「え、」
まだ、一緒に行くつもりでいたのか。
「どうなんだ」
「…ありません。」
「何?」
龍海さん、少しイライラしてる。
何故だ。
何故龍海さんが怒っているのか。
でも、怯むわけにはいかない。
「空いている日は、ありません。」
「…っ!そんな、」
「大体!!」
思っていたより大きな声が出た。
龍海さんが少し後ずさりした。
「龍海さん、好きな人いらっしゃるんですよね?
ずっとこんな、私に構ってたら勘違いされるって言ってるじゃないですか!
それともなに?
私のことからかってるんですか?!」
「そんなことはない!」
龍海さんも少し強い言い方になっている。
「何がそんなことない、ですか!
私、見たんです!
あんなに可愛い人が側にいるのに…
バカにするのもいい加減にしてください!」
「何を言っている!
そんな奴はいない!」
「…そこまでして、なんなの…」
「っ、俺は、」
「もう良いです。」
家の扉へ向かって歩きだす。と、
右腕を捕まれ、後ろへ引っ張られた。
龍海さんだ。まだ何かあるのか。
振り返ると、思っているよりも近くに龍海さんの顔があった。
いつかの日のように、龍海さんの目の中に私がいる。
いつかの日のように、龍海さんの空いた右手が私の左頬に触れる。
そして、何かが、唇に、触れた。
何が?龍海さんの、唇、が。
そう気づいた瞬間に龍海さんを突き飛ばした。
「…」
「…」
涙が溢れてくる。
なんなんだ。
よく分からない絶望と、好きな人と触れ合えた喜びで頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「…あ、」
龍海さんの手がこちらへ伸びる。
その手に捕まらないように後ずさる。
「…好きでもない人にこんなことするんですね。」
「ちがっ」
「龍海さんは優しいから、私にこれまでもずっと気を使ってきたんだろうけど」
本人には言ってこなかった本音を伝える。
「もう、いいんです。
なんでこんなことしたのか分からないけど、
こんなことしなくて良いんです。」
「…翠」
初めて、名前を呼ばれた。
最後の最後で、ずるい。
「さようなら、龍海さん。
好きな人だけ、大事にしてあげてください」
今度こそ、逃げるように扉を開け、
玄関の鍵を閉める。
涙が止まらない。
頭がぼーっとする。
唇の感覚だけが、まだ、残っている。
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