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第四五話 仇討 その十三 動揺と心の傷

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「人間に裏切られたからさ」
 ノイは忌々しげにつぶやいた。
 公一は申し訳ない気持ちで目を合わせることも声もかけることも出来なかった。

「公一、私の目を見ろ。改めて聞きたいことがある」
 心なしか言葉の最後が震えている。

「お前は、人間が私を裏切ったことをどう思う?」

 公一はノイの質問にたじろいでしまい声が出せない。

「返事はできないか? 今では人間の事を本当は憎んでいると考えた事はないか?」

「……」

「それとも、また人間に裏切られる事を恐れて、心の奥でお前の事を疑っていると思ったことはないのか?」
 ノイは震える声で迫り。公一の両手を掴み上下に激しく揺さぶった。
 しかし、公一の手は握り返すこともなく力なく、ノイのされるがままだった。

 ノイは公一の手を離すと一歩下がり公一を見つめた。
 その目には涙がたまり今にもしずくが零れ落ちんばかりになっていた。

「返事は無しか……」
 目から涙が一滴零れ落ち、頬をつたう。
 ノイは涙を見せまいと両手で顔を覆い、肩を震わせた。

「こんなところかな……」
 ノイは心の中でつぶやいた。
  本当のところ両手で隠したかったのは泣き顔ではなく本心だった。
 
 ノイは公一の動揺をみて、少しからかってみたくなったのだった。

 普段の何事も淡々とした態度で接してくる公一に物足らなさを感じていたから。

 
「こいつの困った顔も見てみたいな」
 これから自分の一族との対面を考えると罪悪感もあったが、好奇心が勝ってしまった。
「悪いのは公一だぞ」

 男は女の涙にからっきし弱いことも承知の上で苦労して涙をも流してみせた。

 ノイは公一が、どんな表情で慌ててくれるだろうか、優しい言葉で慰めてくれるだろうか、それとも自分が満足してくれるまで、きつく抱きしめてくれるだろうか。
 それを考えるだけでも楽しくなってしまった。

 ノイは自分の下手な芝居の結果を知ろうと指の隙間から公一の表情を伺おうとした。

 その時、乾いた音を立てて槍が床を転がる音が聞こえた。

 ノイが見たものは血の気の失せた顔をして力なく立つ公一の姿だった。
 その口からはうめき声に近い言葉がかすかに漏れた。

「人間が…… 裏切った……」

「お、おい…」
 ノイは両手を自分の口のあたりまで下げ公一に声をかけた。

 呆然とした面持ちのままノイを見つめる公一の眼には溢れんばかりの涙が溜まっていた。
「……申し訳ありません…… 人間が……」

 口にしたとたん目からは大粒の涙が堰を切ったようにポロポロとこぼれ、声を上げずに泣き出してしまった。

「人間がノイ様を…… あんな場所に…… 一人で……」

 公一の様子にノイの甘い期待は吹き飛び大いに慌てることになった。
「どうした公一! 大丈夫か?」

「ノイ様、すいません……」
 公一は弱々しく言うと。流れる涙を無理やりにでも、止めようとして手の平を強く目に押し付けた。

 しかし涙は止まることを知らず、隙間から絶え間なく流れ落ちる。

「公一、落ち着け。お前を恨んでいる訳じゃないんだぞ」
 ノイは公一の両肘を持ち前後に揺さぶった。
「おい! しっかりしろ。しっかりしてくれ」

「ごめんなさい、ゴメンナサイ……」

「こりゃ困ったぞ。こいつの心の中の傷に触ったか……」

「独りにしてごめんなさい…… 棄ててはない…… ゴメンナサイ……」
 涙を流して謝るばかりで話にはならなかった。

「仕方ない。ぶん殴って正気に戻すか…… 気絶させる」
 言うや否やノイは公一を殴りつけた。

 公一はノイの一撃をあっさりと躱してみせた。

「厄介だな。こいつの日頃の鍛錬と、私や他の神の加護もあったか……」
 ノイは頭を掻いた。

「殴るのがダメなら命令は聞くかな?」

 ノイはその場に立膝をついて座った。
「おい公一、私にすまぬと思うのなら、そばに来て座れ」

 命令には逆らわずノロノロと近づきノイの横に跪いた。顔は隠したままで表情は伺うことは出来なかった。

「まず、謝りたかったら頭を私のここに乗せろ」
 自分の太ももを軽く叩く。
 実はそんな風習などは無かったが公一を押さえることが先決だった。
 
 公一はノイの太ももに縋りつくようにして頭をつけた。その身体は細かく震えていた。

「公一、許せ。お前の心の中を覗かせてもらうぞ」

 ノイは公一の頭に手を添え目を閉じた。
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