元アラフィフ男の異世界転生記 〜新しい家族とともに異世界を謳歌する〜

あかいとまと

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第11話:痘そう病(天然痘)

第11話:痘そう病(天然痘)

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   ある日、エリュシアの空は異様な静けさに包まれていた。  
    風が森の木々を揺らす音さえ、どこか不穏な予感を運んでいるように感じられた。  
    ログハウスの軒先に干された薬草が、微かに揺れる。
    その匂いが、いつもの安らぎを運ぶはずの香りとは違う――どこか、不安を呼び覚ますような、鋭い匂いに思えた。

    俺、シュウ・タチバナは、16歳の肉体に宿された元・地球の55歳のおっさん。
    黒髪、茶色の瞳。
    見た目は少年だが、心は人生を一度終えた男そのものだ。
    かつては甥っ子を育て上げ、仕事に追われ、病と死を何度も目の当たりにしてきた。
    そして今、異世界エリュシアで、新たな人生を歩んでいる。  

    だが、その平和な日々は、ある朝、突如として崩れ去った。

「兄ちゃん! 村の人が⋯⋯倒れてる!」

    ネロが、息を切らせてログハウスに駆け込んできた。
    11歳の茶髪の少年。
    翡翠色の瞳は、未来を見通す「予知眼」を持つ。
    その瞳が、今、赤く充血し、震えていた。

「顔が⋯⋯真っ赤で、水ぶくれみたいになってる⋯⋯熱で意識がない⋯⋯村の人が次々と⋯⋯」

    俺は立ち上がった。心臓が、どく、どく、どく、と重く脈打つ。  
    ――これは、もしかして⋯⋯。

「リオ! ウォルフ! 出発だ!」

    黒髪茶眼の12歳、リオが即座に応えた。
    黒狼族の末裔。
    星の守護者の血を引く獣人。    
    耳がぴくりと動く。
    鼻をひくつかせ、空気を嗅ぎ取る。

「⋯⋯臭い。腐った肉と、熱の匂い。村の方向からだ」

「兄さん、やばい⋯⋯これは、疫病だ」

    俺は重く頷いた。  
    ――疫病。
    そして、その症状。
    発熱、発疹、水疱、全身の倦怠感。  
    ――これは、天然痘。
    痘そう病。

「種痘法が必要だ⋯⋯」

    俺の声は、静かだったが、全員の耳に雷のように響いた。



    天然痘は、バリオラウイルスによって引き起こされる、極めて致死率の高い伝染病。  
    エリュシアでは、これまで記録のない未知の病。
    ポーションも、回復魔法も、浄化魔法も、一切効かない。
    なぜなら、この病は「生物の免疫システム」そのものを攻撃し、体の自然治癒力を無力化するからだ。

    感染経路は、主に飛沫感染と接触感染。  
    患者の咳やくしゃみによる飛沫、あるいは病変部の膿や皮膚の剥がれた部分に触れることで感染する。  
    さらに、汚染された布団、衣服、食器なども感染源となる。     
    潜伏期間は7~17日。
    初期症状は突然の高熱(39℃以上)、頭痛、腰痛、悪寒、嘔吐、全身の倦怠感。
    その後、顔、手、足に発疹が現れ、それが水疱→膿疱→痂皮(かひ)へと変化する。
    重症例では、膿疱が融合し、全身が爛れ、敗血症や脳炎を引き起こし、死亡する。
    致死率は30%以上。
    子供や老人では50%を超えることもある。

    そして、この病の恐ろしさは、一度感染すれば、生涯免疫が残るという点にある。
    つまり、治った者は二度と罹患しない。  
    ――この事実が、種痘法の根拠となる。



    俺はネロ、リオ、フェイと共に、最寄りの街にある冒険者ギルドへ急行した。  
    銀髪の騎士団長、フェイは鎧を着けたまま、剣を腰に差し、俺の横を歩く。
    彼は常に「シュウ様」と呼ぶが、今はその声に緊張が滲んでいた。

「シュウ様、この病、本当に魔法では治せないのですか?」

「ああ。回復魔法は細胞の再生を促すが、ウイルスが体内で暴れている状態では、逆にウイルスの増殖を助ける可能性すらある。浄化魔法も、精神や邪悪な気配に効くが、微生物には反応しない。この病は、生物の自然免疫のメカニズムに干渉している。だから、科学的なアプローチが必要だ」

    ギルド長は、眉をひそめた。

「科学? それは何だ? 魔法でも神術でもないというのか?」

「そうだ。地球では、300年以上前から、病気の原因が『目に見えない微生物』だと分かっていた。そして、その微生物に対抗する方法も見出している。その1つが――種痘法(しゅとうほう)だ」

    俺は、全員を見渡して言った。

「牛に存在する『牛痘ウイルス』は、人間にも感染するが、症状は非常に軽い。そして、その軽い感染によって、人間の体は『痘そうウイルス』に対しても免疫を獲得する。つまり――弱毒化したウイルスを接種することで、重篤な病から守る方法だ」

    ギルド長は目を丸くした。

「⋯⋯牛の病を、人間に? それは危険ではないか!」

「リスクはある。だが、天然痘の致死率30%以上に比べれば、牛痘の致死率は0.001%以下。接種後は軽い発熱と腕の腫れ、数日間の倦怠感があるが、命に関わることはない。そして、接種した者は、天然痘にかかっても軽症で済む、あるいは発症しない」

「だが⋯⋯誰も試したことがない。失敗すれば、ギルドの信用が⋯⋯」

「信用よりも、命だ」

    俺の声が、静かに、しかし力強く響いた。

「今、村ではすでに17人が発症し、3人が死亡している。このまま放置すれば、1ヶ月以内に街全域、そして王都エレスティアにまで広がる。そうなれば、死者は数千、いや、数万に達するかもしれない。俺は、この方法を知っている。そして、実行できる。だから――協力してくれ」

    ギルド長は、長い沈黙の後、重く頷いた。

「⋯⋯分かった。だが、責任はすべてお前が持つ。もし失敗すれば、ギルドはお前を追放する。それでも、やるのか?」

「ああ。責任は俺が持つ。だが、成功すれば――この世界の歴史が変わる」



    ギルドの許可を得た俺は、即座に王都へ向かうことを決めた。  
 なぜなら、この種痘法を広めるには、王の承認が不可欠だったからだ。

「シュウ、待ってくれ」

    声がした。
    振り返ると、アレンが馬に乗って駆けつけてきた。
    21歳、エレスティア王国の第1王子。
    黒髪茶眼。
    かつては王位継承権を持っていたが、ある事件をきっかけに「自分には王の資質がない」と判断し、弟に譲位。
 今では、自由な身として、俺たちの仲間として行動している。

「アレン⋯⋯どうした?」

「その病の話、聞いた。俺も行く。王父上に直接話す。王室の医師団にも協力を頼む」

「⋯⋯ありがとう。頼りになる」

    アレンは微笑んだ。

「お前が教えてくれたんだ。『正義』は力じゃない。『思いやり』と『知識』だ。俺も、その一端を担いたい」

    俺は、胸が熱くなった。



    王都エレスティア。
    白亜の城壁が空を切り、金色の旗が風に翻る。  
    俺たちは、アレンの導きで、王の謁見の間へと通された。

    王、グレゴール13世は、60歳近い老いながらも、鋭い眼光を持つ男だった。
    銀髪に金の冠。
    王座に座るその姿は、まさに「王」そのもの。

「シュウ・タチバナ。お前が、この疫病の解決策を持っていると?」

「はい。陛下。その方法は、種痘法と呼ばれます。牛痘の膿を、健康な人間に接種することで、天然痘に対する免疫を獲得させる方法です」

「⋯⋯牛の病を、人間に? それは愚か者の戯言に聞こえる」

「ですが陛下。地球では、この方法により、天然痘が完全に根絶されました。18世紀後半、イギリスの医師エドワード・ジェンナーが発見した方法です。そして20世紀末、WHOにより、天然痘は人類史上初めて完全に撲滅された病となったのです」

    王は眉をひそめた。

「根絶? 魔法も神術も効かない病を、本当に?」

「はい。なぜなら、これは『予防』の力だからです。治療ではない。発病する前に、体に備えを作る。それが種痘法の本質です」

    王はしばらく沈黙し、やがて言った。

「⋯⋯では、お前自身が、まず接種してみせろ。そして、その効果を証明せよ。もし本当に安全であれば、朕が、最初に接種する」

    全員が息を吞んだ。

「陛下! それは危険です!」

    アレンが叫んだが、王は手を挙げて制した。

「朕は王だ。民の命を守るのが、朕の務め。もし本当にこの方法が有効なら、朕が先に受けることで、民の不安を払拭できる。シュウ・タチバナ。そなたを信じる。お前が言うなら、朕も信じよう」

    俺は、深く頭を下げた。

「⋯⋯ありがとうございます。陛下。では、即座に準備を始めます」



    王室御用達の医師団と共に、俺は接種の準備を進めた。  
    まず、牛痘に感染した牛の膿を採取。
    無菌のガラス管に保存。
    それを希釈し、健康な人間の腕に小さな傷をつけ、そこに接種する。

    最初の被験者は――俺自身だった。

「兄ちゃん! 危ない!」

    ネロが叫ぶ。
    リオも「兄さん、待ってくれ!」と手を伸ばす。  
    だが、俺は微笑んだ。

「大丈夫だ。俺は知ってる。この痛みは、数日で治る。そして、その先に、何万人もの命が救われる」

    針が肌に刺さる。  
    わずかな痛み。それだけ。

    三日後。  
    俺の接種部位は赤く腫れ、小さな水疱ができた。
    軽い発熱(37.8℃)、倦怠感。だが、それ以上は悪化しない。  
    ――これは、想定通りの反応。

「シュウ様⋯⋯本当に、大丈夫ですか?」

    フェイの声が震える。

「ああ。これで、俺は天然痘にかかっても、軽症ですむ。そして、接種した者たちも、同じだ」

    次に接種したのは、王。  
    全員が固唾を飲んで見守る中、王は静かに腕を差し出した。

「朕は、民を信じてきた。今、朕は、お前たちを信じる」

    接種後、王も同様の軽い反応。
    発熱は38.2℃まで上昇したが、三日で解熱。
    水疱も自然に乾燥し、かさぶたに。

「⋯⋯面白い。朕の体が、何かと戦っているようだな」

「はい。陛下。それは、免疫が作られている証です」



    王の承認を得て、種痘法は王都全域に拡大された。  
    ギルドと協力し、村々へ巡回接種隊を派遣。
    王室の資金で接種キットを大量生産。
    ラム――九尾の銀狐の大精霊は、生命樹の力で「無菌環境」を維持する結界を張り、接種の安全性を確保。
    ウォルフは森の動物たちから牛痘ウイルスを安全に採取する方法を教えてくれた。

    三ヶ月。  
    その間、俺たちは休む間もなく奔走した。  
     接種を受けた者は、12万人を超えた。

    そして、その効果は歴然だった。  
    新規感染者は、一ヶ月で90%減少。
    二ヶ月でほぼゼロ。
    三ヶ月後、最後の患者も回復。  
    ――天然痘は、エリュシアから消えた。



    王都の広場で、祝賀の儀が行われた。  
    人々が集い、音楽が鳴り響く中、王が壇上に立った。

「今日、我らの国は、未知の病魔から解放された。その功績は、シュウ・タチバナにあらずんば、何ぞや!」

    群衆が歓声を上げる。

「ここに、シュウ・タチバナを、エリュシア公爵に任ずる!     王都に邸宅を与え、王の側近として、国政に参画せよ!」

    だが、俺は静かに頭を下げた。

「陛下。爵位はありがたく頂戴します。ですが、王都での生活は⋯⋯辞退させてください」

    王は驚いた。

「なぜだ? 朕の側にいれば、何でも叶えると約束しよう」

「⋯⋯俺には、もう家族がいるんです」

    俺は、背後にいる仲間たちを見た。

    ネロがにっこり笑う。  
    リオが「兄さん、帰ろ」とうなずく。  
    フェイが「シュウ様、いつでもお供いたします」と微笑む。  
    アレンが「俺も、あっちのほうが楽しいしな」と肩をすくめる。  
    森の奥では、ウォルフが尻尾を振っている。  
    空の上では、ラムが九つの尾を輝かせ、静かに見守っていた。

「俺たちの家は、森のログハウス。そこに、俺たちの日常がある。それが、俺の幸せです」

    王は、長い間、俺を見つめた。
    そして、静かに笑った。

「⋯⋯分かった。シュウ・タチバナ。お前の選択を、朕は尊重しよう。だが、いつでも、この城はお前のために開いている。そして、お前の名は、歴史に刻まれるだろう」



    森に戻ると、夕焼けが空を染めていた。  
    ログハウスの煙突から、薪の香りが漂う。  
    テーブルには、ネロの作ったハーブティー。
    リオが狩ってきた兎のスープ。 
    フェイが焼いたパン。
    アレンが持ってきた王都のワイン。

「兄ちゃん、今日も疲れたね」

「ああ。でも、やっと平和になったな」

    リオが火に薪をくべる。  
    フェイがワインを注ぐ。  
    アレンが「次はどんな冒険だ?」と笑う。  
    ネロが「兄ちゃん、また未来を見せて? 楽しい未来だよ」と言う。  
    外では、ウォルフが月に向かって遠吠え。  
    空では、ラムが星を瞬かせ、静かに微笑む。

    俺は、テーブルを見渡した。  
    7人の、家族のような仲間たち。  
    戦いも、病も、騒ぎも、すべてが過ぎ去り、ここに――日常がある。

「⋯⋯幸せだな」

    俺は、そうつぶやいた。

    誰もが、笑った。

    そして、誰もが、その笑顔を、この瞬間のために生きてきたのだと、俺は思った。

    ――そして、また明日も、この平和が続きますように。


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