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第54話:九尾の大精霊ラム ― 世界樹の揺らぎを観測する者
第54話:九尾の大精霊ラム ― 世界樹の揺らぎを観測する者
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夜は、沈むのではなく――溶ける。
静けさが押し寄せるのではなく、世界そのものが、自らの輪郭を溶かし始める。
空気は冷たく澄み、月光は銀の刃ではなく、銀の糸――いや、銀の呼吸そのものとなって、森の肌を滑り、木の幹を這い、苔の隙間を縫って、地の奥へと沈んでいく。
風は止まっているのではない。
風が、そもそも「存在する」という前提を、この夜だけは、一時的に忘れているのだ。
虫も、鳥も、獣も、根も、葉も、石も、川も、すべてが、ひとつの巨大な息の間――つまり、世界の肺が膨らむ前の、その一瞬の空白に、身を委ねている。
その沈黙は、音の欠如ではない。
それは、世界の根が、深く、深く、地の底で、何かを待つように、あるいは、何かを思い出すように、ひそやかに、しかし確かに、脈動を止めた瞬間だった。
――世界が、息を呑んだ。
その刹那、遠く、地平の果てにそびえる世界樹の頂で、一枚の葉が、銀から黒へと、淡く、確実に、色を変えて揺れた。
音はなかった。
光は歪まなかった。
空気は震えなかった。
ただ、世界の根が、ひそやかに震えた。
その震えを、誰よりも早く、誰よりも深く、誰よりも静かに感じ取ったのは――九尾の大精霊、ラムであった。
彼女はログハウスのテラスに座っていた。
銀狐――その名に偽りなく、全身を覆う毛並みは、月光を吸い込む銀の絹のようで、微風さえも感じさせぬほどに静かに、空気と同化していた。
九本の尾は、地に広がり、まるで世界樹の根が地を這うように、柔らかく、深く、夜の闇に溶け込んでいた。
その一本一本の尾の先には、微かな光の粒が浮かび、まるで星の断片が落ちたかのようだった。
目は閉じられていた。
だが、彼女の視界は、閉じられてなどいなかった。
彼女の瞳は、閉じたまま、世界の奥底を映していた。
ラムは眠らない。
眠りとは、弱き肉体が世界との境界を保つための術にすぎない。
彼女の肉体は、精霊の形を借りた世界の延長であり、その魂は、世界樹の根が張る地脈そのものと共振している。
彼女の呼吸は、世界の律動とひとつになり、彼女の鼓動は、地の奥で脈打つ世界の鼓動と、完全に同調していた。
だからこそ――世界樹の葉が一枚、銀から黒へと色を変えるだけの、目に見えぬ揺らぎを、彼女は、まるで自らの指先が震えたかのように、瞬時に理解した。
風もないのに、九本の尾がふわりと揺れた。
それは驚きではない。反射でもない。
世界樹の葉が揺れたという事実が、地脈を伝い、根を伝い、尾の先端にまで、静かに、確実に、届いただけのこと。
ラムは、ゆるやかに目を開く。
その瞳は、深い碧から、淡い銀へと、静かに色を変えた。
それは、瞳の色が変わるというより、瞳の奥に、世界そのものが映り込んだ瞬間だった。
その瞳は、夜の闇を映しながら、闇の奥にあるものを、見通す。
星の裏側、時間の隙間、記憶の底、未来の胎動――すべてが、その瞳の奥で、静かに渦を巻いていた。
「⋯⋯世界樹が、ひとつ⋯⋯息を乱したか」
その声は、低く、澄み、揺るぎない。
古の森が語るような、静かな響きがあった。
だが、その静けさの奥には、世界の根が震える音が、確かに混じっていた。
胸が痛むわけではない。
身体が震えるわけでもない。
ただ――世界の奥底で、名も形も持たぬ影が、眠りの底で身じろぎした気配が、水面に落ちた露のように、静かに、しかし確かに、広がっていく。
その気配は、痛みでも、恐怖でも、警告でもない。
それは、世界が、あるべき「理」に応じて、自らの構造を微かに再編し始めた、その最初の兆候だった。
ラムは、九本の尾をわずかに揺らし、その波紋を丁寧に感じ取った。
尾の一本一本が、まるで世界樹の枝葉のように、世界の揺らぎを拾い上げる。
その感覚は、視覚でも聴覚でも触覚でもない。
それは、世界の「律動」を、自らの存在そのもので読み取る、精霊の知覚だった。
世界樹は、世界の中心であり、世界の記憶であり、世界の根である。
その葉が揺れるということは、世界そのものが、何かを感じ取ったということ。
世界樹は、単なる樹ではない。
それは、世界の記録装置であり、世界の神経系であり、世界の魂の地図そのものだ。
葉が銀から黒へと色を変える――それは、世界の記憶が、新たな「光」を記録し始めた瞬間。
そして、光が生まれるとき、影は、必ず、その光の裏側で、最初の胎動を始める。
ラムは静かに息を吸う。
その息は、夜の空気を震わせることなく、ただ世界の深みに沈んでいく。
彼女の肺は、空気を吸うのではなく、世界の律動を吸い込む。
その息は、地脈を伝い、世界樹の根へと流れ、葉へと昇り、そして、再び、銀から黒へと色を変える葉の先端に、静かに届いた。
「⋯⋯光が生まれたのだ。影がざわめくは、理として当然のこと⋯⋯」
その声には、恐れも焦りもない。
ただ、世界の理を知る者の静かな受容だけがあった。
彼女は、光と影の誕生を、まるで季節の移ろいを見るかのように、静かに見守っていた。
ラムは夜空を仰ぐ。
星々は静かに瞬いている。
だが、その中のひとつが――ほんの一瞬だけ、黒く揺らいだ。
星は嘘をつかない。
星は世界の記憶を映し、世界の未来を示す。
その星が黒く揺らぐということは、世界のどこかで、まだ名も形も持たぬ“影”が、光の誕生に応じて、わずかに身を起こしたということ。
「⋯⋯光の誕生に、よく応じたものだ。まだ深き眠りの底にあるはずだが⋯⋯」
九本の尾が、月光を受けて銀の波を描く。
その揺れは、世界樹の葉が風に応えるような、静かで深い律動だった。
だが、その律動は、単なる反応ではない。
それは、ラムが、世界の揺らぎを、自らの存在で「受容」し、「翻訳」し、「記録」しようとしている、精霊の儀式だった。
すると――リオの胸の紋様が、微かに脈打つ気配が、静かに伝わってきた。
それは、星の守護者の末裔としての血が、世界の揺らぎに応じた証。
その肉体の奥に、星の守護者という血が、静かに、しかし確実に、脈打っていた。
彼の血は、世界樹の根と、直接つながっている。
だから、世界樹が息を乱せば、彼の血も、自然と、その律動に応じる。
血は嘘をつかない。
血は記憶を宿し、力を宿し、理を宿す。
リオの血が揺らぎに応じたということは、世界の揺らぎが、彼の存在そのものに触れたということ。
つまり、彼は、単なる「世界の住人」ではなく、「世界の一部」であるという、最も根源的な証明だった。
「⋯⋯リオ。その身が揺らぎに応じたか」
さらに、アレンの魂の奥が震える気配も、静かに届く。
アレンは、かつての星の守護者――その魂は、リオの血よりも古く、リオの記憶よりも深く、リオの肉体よりも、世界と密接に結びついていた。
アレンは今、人間としてこの世界に生きている。
だが、その魂の最も深い層だけは、いまだ星の記憶の海と繋がっていた。
肉体は地上にありながら、魂の根だけが世界の外側に触れている――。
それが、かつて星の守護者であった者の特異性だった。
だが、その魂の奥が震えるということは、世界の根が、彼の魂に、直接、触れたということ。
魂は血より深く、血より古く、血より強い。
アレンの魂が揺らぎに応じたということは、世界の根が、彼の魂に触れたということ。
「⋯⋯アレンもか。星の守護者の魂は⋯⋯やはり敏いな」
ラムは静かに立ち上がる。
九本の尾がゆるやかに広がり、月光を受けて淡く輝く。
その姿は、夜の闇に浮かぶ銀の炎のようであり、世界樹の化身が歩み出したかのような神秘を帯びていた。
彼女の銀色の毛並みは、月光を吸い込み、その光を、まるで世界樹の葉が光を蓄えるかのように、静かに、深く、体内に取り込んでいた。
ラムは世界樹の方角へと、深く一礼する。
その礼は、敬意でも、畏怖でも、祈りでもない。
それは、世界の理を認め、その理に従うという、精霊としての、最も根源的な誓いだった。
「影よ。来るならば来るがよい。この世界には⋯⋯こやつらが在る」
その声は静かでありながら、世界の根にまで届くような深さを持っていた。
声の波動は、空気を震わせることなく、地脈を伝い、世界樹の根へと流れ、葉へと昇り、そして、世界の果てまで、静かに響いた。
「光の子、星の守護者、そして⋯⋯シュウ。この家族が在る限り⋯⋯世界は闇に呑まれはせぬ」
シュウ――その名を口にした瞬間、ラムの九本の尾のうち、一本が、微かに赤く光った。
それは、世界樹の葉が銀から黒へと色を変えるのとは、まったく異なる光。
それは、炎の色ではなく、血の色でもなく、ただ、一つの「誓い」の色だった。
九本の尾が、夜風のない空気の中で、ひとりでに揺れた。
その揺れは、世界樹の葉が応えるように、遠くで微かに響いた。
それは、世界が、ラムの言葉に、静かに応えた証だった。
ラムは再び月を仰ぎ、静かに目を閉じた。
夜は何事もなかったかのように、再び深い静寂を取り戻す。
だが――世界の奥底では、確かに何かが動き始めていた。
それはまだ、名も形も持たぬ影。
ただの揺らぎ、ただの寝返り。
しかし、世界樹が息を乱すほどの存在。
ラムはその気配を、静かに、深く、受け止めていた。
まるで、“世界の夜明け前に立つ唯一の観測者”であるかのように。
――だが、その観測者は、ただの観測者ではなかった。
彼女は、世界の律動を読み取る者であり、世界の揺らぎを受容する者であり、世界の理を記録する者であり、そして、世界の光を守るための、最初の「門」だった。
その門の向こうには、まだ眠るリオの胸の紋様があり、星の記憶の海に浮かぶアレンの魂があり、世界樹の根に刻まれたシュウの誓いがあった。
そして、その門の向こうには、もう一人の存在が、静かに、しかし確実に、動き始めていた。
世界の夜明けは、まだ遠い。
だが、その夜明けを告げる、最初の光は、すでに、世界樹の葉の裏側で、静かに、しかし確実に、生まれていた。
ラムは、再び目を開けた。
その瞳は、銀から、ほんのわずかに、赤みを帯びていた。
それは、世界の闇を知る者の瞳であり、世界の光を守る者の瞳であり、そして、世界の夜明けを、静かに、しかし確実に、待つ者の瞳だった。
「⋯⋯光の子よ。星の守護者よ。そして、シュウの子よ。
お前たちが、この世界に在る限り――私は、この世界の夜明けを、静かに、しかし確実に、見届ける」
その声は、夜の闇に溶け、地脈を伝い、世界樹の根へと流れ、葉へと昇り、そして、世界の果てまで、静かに、しかし確実に、届いた。
世界は、再び静寂を取り戻した。
だが、その静寂は、もはや、ただの沈黙ではなかった。
それは、世界が、静かに、しかし確実に、目覚めようとしている、その一瞬の、息を呑んだ瞬間だった。
――世界の夜明けは、まだ来ない。
だが、その夜明けを告げる、最初の光は、すでに、世界樹の葉の裏側で、静かに、しかし確実に、生まれていた。
そして、その光を、世界の奥底で、ただ一人、静かに、しかし確実に、見守っていたのは――
九尾の大精霊、ラムだった。
銀狐の姿で、碧い眼で、九本の尾を広げ、世界の根を見上げていた、世界の夜明け前に立つ、唯一の観測者。
彼女の銀色の毛並みは、月光を吸い込み、その光を、世界樹の葉が光を蓄えるかのように、静かに、深く、体内に取り込んでいた。
その光は、やがて、リオの胸の紋様を照らし、アレンの魂を呼び覚まし、シュウの誓いを、再び世界樹の葉に刻もうとしていた。
世界の夜明けは、まだ来ない。
だが、その夜明けを告げる、最初の光は、すでに、世界樹の葉の裏側で、静かに、しかし確実に、生まれていた。
ラムは、静かにその揺らぎを受け止めた。
――夜明けはまだ遠い。だが、必ず来る。
その時まで、私は見届けよう。
静けさが押し寄せるのではなく、世界そのものが、自らの輪郭を溶かし始める。
空気は冷たく澄み、月光は銀の刃ではなく、銀の糸――いや、銀の呼吸そのものとなって、森の肌を滑り、木の幹を這い、苔の隙間を縫って、地の奥へと沈んでいく。
風は止まっているのではない。
風が、そもそも「存在する」という前提を、この夜だけは、一時的に忘れているのだ。
虫も、鳥も、獣も、根も、葉も、石も、川も、すべてが、ひとつの巨大な息の間――つまり、世界の肺が膨らむ前の、その一瞬の空白に、身を委ねている。
その沈黙は、音の欠如ではない。
それは、世界の根が、深く、深く、地の底で、何かを待つように、あるいは、何かを思い出すように、ひそやかに、しかし確かに、脈動を止めた瞬間だった。
――世界が、息を呑んだ。
その刹那、遠く、地平の果てにそびえる世界樹の頂で、一枚の葉が、銀から黒へと、淡く、確実に、色を変えて揺れた。
音はなかった。
光は歪まなかった。
空気は震えなかった。
ただ、世界の根が、ひそやかに震えた。
その震えを、誰よりも早く、誰よりも深く、誰よりも静かに感じ取ったのは――九尾の大精霊、ラムであった。
彼女はログハウスのテラスに座っていた。
銀狐――その名に偽りなく、全身を覆う毛並みは、月光を吸い込む銀の絹のようで、微風さえも感じさせぬほどに静かに、空気と同化していた。
九本の尾は、地に広がり、まるで世界樹の根が地を這うように、柔らかく、深く、夜の闇に溶け込んでいた。
その一本一本の尾の先には、微かな光の粒が浮かび、まるで星の断片が落ちたかのようだった。
目は閉じられていた。
だが、彼女の視界は、閉じられてなどいなかった。
彼女の瞳は、閉じたまま、世界の奥底を映していた。
ラムは眠らない。
眠りとは、弱き肉体が世界との境界を保つための術にすぎない。
彼女の肉体は、精霊の形を借りた世界の延長であり、その魂は、世界樹の根が張る地脈そのものと共振している。
彼女の呼吸は、世界の律動とひとつになり、彼女の鼓動は、地の奥で脈打つ世界の鼓動と、完全に同調していた。
だからこそ――世界樹の葉が一枚、銀から黒へと色を変えるだけの、目に見えぬ揺らぎを、彼女は、まるで自らの指先が震えたかのように、瞬時に理解した。
風もないのに、九本の尾がふわりと揺れた。
それは驚きではない。反射でもない。
世界樹の葉が揺れたという事実が、地脈を伝い、根を伝い、尾の先端にまで、静かに、確実に、届いただけのこと。
ラムは、ゆるやかに目を開く。
その瞳は、深い碧から、淡い銀へと、静かに色を変えた。
それは、瞳の色が変わるというより、瞳の奥に、世界そのものが映り込んだ瞬間だった。
その瞳は、夜の闇を映しながら、闇の奥にあるものを、見通す。
星の裏側、時間の隙間、記憶の底、未来の胎動――すべてが、その瞳の奥で、静かに渦を巻いていた。
「⋯⋯世界樹が、ひとつ⋯⋯息を乱したか」
その声は、低く、澄み、揺るぎない。
古の森が語るような、静かな響きがあった。
だが、その静けさの奥には、世界の根が震える音が、確かに混じっていた。
胸が痛むわけではない。
身体が震えるわけでもない。
ただ――世界の奥底で、名も形も持たぬ影が、眠りの底で身じろぎした気配が、水面に落ちた露のように、静かに、しかし確かに、広がっていく。
その気配は、痛みでも、恐怖でも、警告でもない。
それは、世界が、あるべき「理」に応じて、自らの構造を微かに再編し始めた、その最初の兆候だった。
ラムは、九本の尾をわずかに揺らし、その波紋を丁寧に感じ取った。
尾の一本一本が、まるで世界樹の枝葉のように、世界の揺らぎを拾い上げる。
その感覚は、視覚でも聴覚でも触覚でもない。
それは、世界の「律動」を、自らの存在そのもので読み取る、精霊の知覚だった。
世界樹は、世界の中心であり、世界の記憶であり、世界の根である。
その葉が揺れるということは、世界そのものが、何かを感じ取ったということ。
世界樹は、単なる樹ではない。
それは、世界の記録装置であり、世界の神経系であり、世界の魂の地図そのものだ。
葉が銀から黒へと色を変える――それは、世界の記憶が、新たな「光」を記録し始めた瞬間。
そして、光が生まれるとき、影は、必ず、その光の裏側で、最初の胎動を始める。
ラムは静かに息を吸う。
その息は、夜の空気を震わせることなく、ただ世界の深みに沈んでいく。
彼女の肺は、空気を吸うのではなく、世界の律動を吸い込む。
その息は、地脈を伝い、世界樹の根へと流れ、葉へと昇り、そして、再び、銀から黒へと色を変える葉の先端に、静かに届いた。
「⋯⋯光が生まれたのだ。影がざわめくは、理として当然のこと⋯⋯」
その声には、恐れも焦りもない。
ただ、世界の理を知る者の静かな受容だけがあった。
彼女は、光と影の誕生を、まるで季節の移ろいを見るかのように、静かに見守っていた。
ラムは夜空を仰ぐ。
星々は静かに瞬いている。
だが、その中のひとつが――ほんの一瞬だけ、黒く揺らいだ。
星は嘘をつかない。
星は世界の記憶を映し、世界の未来を示す。
その星が黒く揺らぐということは、世界のどこかで、まだ名も形も持たぬ“影”が、光の誕生に応じて、わずかに身を起こしたということ。
「⋯⋯光の誕生に、よく応じたものだ。まだ深き眠りの底にあるはずだが⋯⋯」
九本の尾が、月光を受けて銀の波を描く。
その揺れは、世界樹の葉が風に応えるような、静かで深い律動だった。
だが、その律動は、単なる反応ではない。
それは、ラムが、世界の揺らぎを、自らの存在で「受容」し、「翻訳」し、「記録」しようとしている、精霊の儀式だった。
すると――リオの胸の紋様が、微かに脈打つ気配が、静かに伝わってきた。
それは、星の守護者の末裔としての血が、世界の揺らぎに応じた証。
その肉体の奥に、星の守護者という血が、静かに、しかし確実に、脈打っていた。
彼の血は、世界樹の根と、直接つながっている。
だから、世界樹が息を乱せば、彼の血も、自然と、その律動に応じる。
血は嘘をつかない。
血は記憶を宿し、力を宿し、理を宿す。
リオの血が揺らぎに応じたということは、世界の揺らぎが、彼の存在そのものに触れたということ。
つまり、彼は、単なる「世界の住人」ではなく、「世界の一部」であるという、最も根源的な証明だった。
「⋯⋯リオ。その身が揺らぎに応じたか」
さらに、アレンの魂の奥が震える気配も、静かに届く。
アレンは、かつての星の守護者――その魂は、リオの血よりも古く、リオの記憶よりも深く、リオの肉体よりも、世界と密接に結びついていた。
アレンは今、人間としてこの世界に生きている。
だが、その魂の最も深い層だけは、いまだ星の記憶の海と繋がっていた。
肉体は地上にありながら、魂の根だけが世界の外側に触れている――。
それが、かつて星の守護者であった者の特異性だった。
だが、その魂の奥が震えるということは、世界の根が、彼の魂に、直接、触れたということ。
魂は血より深く、血より古く、血より強い。
アレンの魂が揺らぎに応じたということは、世界の根が、彼の魂に触れたということ。
「⋯⋯アレンもか。星の守護者の魂は⋯⋯やはり敏いな」
ラムは静かに立ち上がる。
九本の尾がゆるやかに広がり、月光を受けて淡く輝く。
その姿は、夜の闇に浮かぶ銀の炎のようであり、世界樹の化身が歩み出したかのような神秘を帯びていた。
彼女の銀色の毛並みは、月光を吸い込み、その光を、まるで世界樹の葉が光を蓄えるかのように、静かに、深く、体内に取り込んでいた。
ラムは世界樹の方角へと、深く一礼する。
その礼は、敬意でも、畏怖でも、祈りでもない。
それは、世界の理を認め、その理に従うという、精霊としての、最も根源的な誓いだった。
「影よ。来るならば来るがよい。この世界には⋯⋯こやつらが在る」
その声は静かでありながら、世界の根にまで届くような深さを持っていた。
声の波動は、空気を震わせることなく、地脈を伝い、世界樹の根へと流れ、葉へと昇り、そして、世界の果てまで、静かに響いた。
「光の子、星の守護者、そして⋯⋯シュウ。この家族が在る限り⋯⋯世界は闇に呑まれはせぬ」
シュウ――その名を口にした瞬間、ラムの九本の尾のうち、一本が、微かに赤く光った。
それは、世界樹の葉が銀から黒へと色を変えるのとは、まったく異なる光。
それは、炎の色ではなく、血の色でもなく、ただ、一つの「誓い」の色だった。
九本の尾が、夜風のない空気の中で、ひとりでに揺れた。
その揺れは、世界樹の葉が応えるように、遠くで微かに響いた。
それは、世界が、ラムの言葉に、静かに応えた証だった。
ラムは再び月を仰ぎ、静かに目を閉じた。
夜は何事もなかったかのように、再び深い静寂を取り戻す。
だが――世界の奥底では、確かに何かが動き始めていた。
それはまだ、名も形も持たぬ影。
ただの揺らぎ、ただの寝返り。
しかし、世界樹が息を乱すほどの存在。
ラムはその気配を、静かに、深く、受け止めていた。
まるで、“世界の夜明け前に立つ唯一の観測者”であるかのように。
――だが、その観測者は、ただの観測者ではなかった。
彼女は、世界の律動を読み取る者であり、世界の揺らぎを受容する者であり、世界の理を記録する者であり、そして、世界の光を守るための、最初の「門」だった。
その門の向こうには、まだ眠るリオの胸の紋様があり、星の記憶の海に浮かぶアレンの魂があり、世界樹の根に刻まれたシュウの誓いがあった。
そして、その門の向こうには、もう一人の存在が、静かに、しかし確実に、動き始めていた。
世界の夜明けは、まだ遠い。
だが、その夜明けを告げる、最初の光は、すでに、世界樹の葉の裏側で、静かに、しかし確実に、生まれていた。
ラムは、再び目を開けた。
その瞳は、銀から、ほんのわずかに、赤みを帯びていた。
それは、世界の闇を知る者の瞳であり、世界の光を守る者の瞳であり、そして、世界の夜明けを、静かに、しかし確実に、待つ者の瞳だった。
「⋯⋯光の子よ。星の守護者よ。そして、シュウの子よ。
お前たちが、この世界に在る限り――私は、この世界の夜明けを、静かに、しかし確実に、見届ける」
その声は、夜の闇に溶け、地脈を伝い、世界樹の根へと流れ、葉へと昇り、そして、世界の果てまで、静かに、しかし確実に、届いた。
世界は、再び静寂を取り戻した。
だが、その静寂は、もはや、ただの沈黙ではなかった。
それは、世界が、静かに、しかし確実に、目覚めようとしている、その一瞬の、息を呑んだ瞬間だった。
――世界の夜明けは、まだ来ない。
だが、その夜明けを告げる、最初の光は、すでに、世界樹の葉の裏側で、静かに、しかし確実に、生まれていた。
そして、その光を、世界の奥底で、ただ一人、静かに、しかし確実に、見守っていたのは――
九尾の大精霊、ラムだった。
銀狐の姿で、碧い眼で、九本の尾を広げ、世界の根を見上げていた、世界の夜明け前に立つ、唯一の観測者。
彼女の銀色の毛並みは、月光を吸い込み、その光を、世界樹の葉が光を蓄えるかのように、静かに、深く、体内に取り込んでいた。
その光は、やがて、リオの胸の紋様を照らし、アレンの魂を呼び覚まし、シュウの誓いを、再び世界樹の葉に刻もうとしていた。
世界の夜明けは、まだ来ない。
だが、その夜明けを告げる、最初の光は、すでに、世界樹の葉の裏側で、静かに、しかし確実に、生まれていた。
ラムは、静かにその揺らぎを受け止めた。
――夜明けはまだ遠い。だが、必ず来る。
その時まで、私は見届けよう。
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空色蜻蛉
ファンタジー
枢は目覚めるとクリスタルの中で魂だけの状態になっていた。どうやらダンジョンのセーブポイントに転生してしまったらしい。身動きできない状態に悲嘆に暮れた枢だが、やがて開き直ってレベルアップ作業に明け暮れることにした。百年経ち、二百年経ち……やがて国の礎である「聖なるクリスタル」として崇められるまでになる。
もう元の世界に戻れないと腹をくくって自分の国を見守る枢だが、千年経った時、衝撃のどんでん返しが待ち受けていて……。
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