刃愛

のどか

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シェードカオン

恋想う籠の鳥

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 わたしはあの人を愛していたのかしら? ──エリシアは何度目になるか分からない自問を繰り返していた。
 冬の日は短く、宵闇があたりを包んでいた。街の中央部にある館だが、広い庭と高い塀で街の様子は分からない。目を楽しませるよう庭師が丹精した庭も、積もった雪のため、立ち木がつくるわずかな陰影があるだけのただ白いだけの空間だ。窓の外を見つめていたエリシアは、室内に視線を移す。
 ベビーベッドには、愛する娘がいる。金の髪に、今は伏せられている瞳は蒼。母親似である娘から、父親の面影を探すのは無理だった。
 ベッドで眠る愛らしいリリアの顔を眺めながら、その父親であり、自分の夫であったギルバートのことを考えていた。
 夫であるギルバート・マドゥが突然姿を消し──最初はいつもの仕事かと思っていたのだが、何ヶ月も何の音沙汰もなく──数日前、いきなりその死を告げられた。
 あまりのことにしばし呆然として──そのことが理解できなかった。
 あまりにも、唐突だった。
 いきなり目の前から消えてしまったことも、何の連絡もないことも。
 エリシアとギルバートの結婚は回りの薦めに従ったものだ。マドゥの姓を持つギルバートと自分が結びつくことでコネクション内部をより安定させようとしてのことだと分かっていた。
 ギルバートはいたってごく普通の夫だった。
 外で荒っぽいことをしているようでも、家族に手をあげたり、声を荒げるようなことはしなかった。
 生活は安定していたし、娘も生まれた。特に問題などなかった。
 それでも、ギルバートにとって自分達はなんだったのだろう。
 ある日いきなり未練もなく捨てられるものだったのだろうか。そう考えると、もうひとつの疑問が芽生える──わたしは、本当にあの人を愛していたのかしら?
 それは、愛といえるものだったの?
 何度目かの溜息をついたとき、端末が呼び出し音を立てた。
 エリシアは内線を操作した。
「なあに?」
『マルトーニさまがいらっしゃいました。お通ししてよろしいでしょうか?』
「お父様が? ええ、いいわ。でもリリアが寝ているから静かにして欲しいと伝えてね」
 エリシアの父親であるマルトーニはコネクション内部でも有数の実力者である。ギルバートとエリシアの結婚も、マドゥ家との絆を求めたマルトーニと、幹部であるマルトーニを取り込むためのマドゥ家の利害の一致によって決められたものだ。
 背も高く細身で、きっちりセットされた金髪には白いものが混じっている。さすがに若くはないが、その分端正な顔立ちは年齢を重ねた渋みが出ている。
「お父様」
「おお、エリシア」
 マルトーニは愛娘を抱擁した。
「可愛い天使ちゃんの顔を見ていいかな? 起こさないように、静かに見るから」
「もちろんよ、お父様」
 エリシアは父親をベビーベッドのそばへ導いた。
 もともと和やかに微笑んでいたマルトーニの顔が、孫娘の寝顔を目にしてさらに緩む。
「わしの可愛い天使ちゃん、お祖父ちゃんだよ」
 マルトーニはリリアを名前で呼ばず『可愛い天使ちゃん』と呼ぶ。確かに愛らしい寝顔は天使のようだ。この孫娘をマルトーニは溺愛している。
 外では虐殺さえ辞さない非情なコネクションの幹部も、孫娘の前では、甘い甘いお祖父ちゃんだ。
 緩みきったマルトーニの顔を見て、エリシアも少し心が和んだ。
 名残惜しそうにリリアから目を離し、エリシアに向き直った。
「すまない、エリシア。おまえをこんな目に合わせるつもりではなかった。わしは、おまえの幸せを考えて、相手を選んだつもりだった──」
「いいのよ、お父様。わたしは、あの人の妻だもの。務めは果たすわ。あの人は、悪い人じゃなかったわ。コネクションの人だもの、いつ襲われても不思議じゃなかったのよ」
 ギルバート・マドゥの死亡が確認されたため、ギルバートの遺産はすべてエリシアとリリアのものになる。エリシアがギルバートの仕事を引き継ぎ、幼いリリアを護らねばならない。
 いくら飾りとはいえ、コネクション幹部ともなれば様々な危険に晒される。マルトーニとしては娘をそんな危険なものにしたくはなかった。
 大ボスの子息の嫁ともなれば、安泰だと思っていたのだ。それが、根底から覆され、エリシアは幹部にならなければならない。
 むろんマルトーニとしても、出来うる限り娘を助けていくつもりだが、荒くれ男の中に放り込まれた娘のことを思うと、心配でならない。
「……お父様、ひとつだけ訊きたいことがあるの」
「なんだね、エリシア」
「クロス・ノーマンという人は、どんな人?」
 マルトーニは息を飲んだ。
 なぜ、ここでクロス・ノーマンの名前が出てくるのか? その名を、なぜ娘が知っているのか、マルトーニには分からなかった。
「おまえ、その名をどこで」
「あの人を……殺した人なのでしょう?」
 そう訊ねるエリシアは軽く唇をかんだ。
「誰が、そんなことを? ギルバートは、対抗組織に拉致されたのだよ」
「義母様が教えてくれたわ……あの人を殺しておいて、何の罰もうけないと──」
 マルトーニはエレオノーラに殺意さえ覚えた。
 確かにギルバートを殺したのは、クロスだが、それはギルバートが私情で同じ組織の一部を襲撃したという醜聞だ。それが公になれば、エリシアやリリアの命すら危ない。
 いっそ、口を塞いでしまったほうがいいか、とまでマルトーニは考えた。
「マドゥコネクションの人なのでしょう? どうして、同じコネクションの人が、あの人を殺したの? いったい、なにがあったの? わたしはそれが知りたい──」
「エリシア」
 マルトーニは娘を抱きしめた。
「おまえはなにも知らなくていい。わしがおまえと可愛い天使ちゃんを護る。おまえ達の髪一筋、傷つけさせはしない」
「……お父様」
 父の深い愛を感じながら、だからこそ、エリシアは自問せずにはいられない。
──わたしは、本当にあの人を愛していたの?──

 アレクサンダーとクロスが隣室で食事をしている間、二人の護衛達も食事をしていた。
 大ボスの子息であるアレクサンダーとことを起こすのはさすがにまずい。クロスの護衛も、アレクサンダーの護衛と衝突するわけにもいかず、ぎこちないながらも差しさわりのない会話をしていた。そこらへんはさすがにアレクサンダーの護衛達は心得ていて、友好的な態度ではある。
 アレクサンダーとの会食へクロスは六人ほどの護衛しか連れてきていない。あまり人数を増やせば、相手を刺激しかねないからだ。
 スワロウは隣室が気になって仕方なかった。
「そんなに気にしなくとも、ボスはなにもしやしないぜ」
 笑いながらアレクサンダーの護衛が声をかけてきた。
「坊や、酒は苦手かい?」
 スワロウは坊やなどと呼べる歳ではないが、酒類に手を出そうとしないスワロウを皮肉ったつもりなのだろう。
「酒は感覚が鈍る」
 スワロウはそう返した。
「感覚? なんの?」
「全てのだ。とくに剣を使うときに、感覚を鈍らせたら致命的だからな」
「このシェードカオンで、マドゥコネクションの人間が襲われることはないぜ」
 この護衛は、詳しい事情を知らないらしい。どちらにしろ、襲撃がないと決め付けるとは、なんともお粗末なことだと、スワロスはわらってしまった。
 コネクションにいる者は、いつ何時襲撃を受けても不思議ではない。それゆえに、スワロウは酒類を口にしない。
 常に襲撃に備える、それが嗜みだ。
「辺境での任務が長かったのでな、気にしないでくれ」
 スワロウはそれで会話を打ち切り、再び隣室へと続く扉に目をやった。

「ああ、そうそう、言っておくことがもうひとつあった」
 いかにも今思い出したという風に、アレクサンダーが付け加えた。
「なんでしょう?」
「ギル兄さんの葬儀の後、幹部会が開かれる。そこで、義姉さんの就任と、君を今後父さんの子供の一人として扱う旨を通達する」
「……」
 さすがにクロスは顔をしかめた。
 ギルバートの妻がギルバートの代わりを務めることは理解できる。お飾りの幹部にしておいて、その下のものが実質組織を率いていくのだろう。
 だが、クロスを実子として認めるというのは、もう何年も前に決着がついたことだ。
(なにを今さら……)
「なにを今さらって、思うかも知れないけどね、必要なことだよ」
 あっさりとクロスの心情を口にして、アレクサンダーが説明を入れる。
「君はこれから組織の盾と矛、両方を率いることになる。だからこそ、組織を裏切らないという証がいる──血の繋がりなんて君にとってはいたしたものじゃないかも知れないけど、大体の者はそれで納得するから」
 武力という大きな力を持つことになるクロスを警戒する者もでてくる。そうした者にこれは大ボスの息子なのだから、特別で当然だと説得するというわけだ。
「まあ、皆知ってることだし、事実を認めるだけさ。昔とは状況が違うよ。今の君を暗殺するのは、かなり大変だと思うけどね」
 正妻が何度もクロスを暗殺しようとしたことは有名だ。だが、強大な力を手に入れたクロスには、もう手を出せないだろうと考えて大ボスが決断したらしい。
「僕は嬉しいけどね。今まで一番下だったから。遠慮なくお兄ちゃんと呼んでよ」
「……それは決定なのですか?」
 死んでも呼ばん! と心の中で思いながらクロスは聞いた。
「そう。こっちで勝手に決めて悪いけど、君が嫌だといっても組織には通達する。それで、いちおう聞いておくけど、マドゥを名乗るかい?」
「いえ……ノーマンのままで」
 少し首をかしげたアレクサンダーは、苦笑した。
「こけおどしはいらないってわけか。確かにクロス・ノーマンの名前はもう知れ渡っているから、今さらマドゥの名前もいらないか。まあ、どっちでもいいけどね」

 アレクサンダーとクロスの会食は何事もなく終わった。
 中ではコネクションの未来に関する話し合いが行われていたということは、とりあえず秘密だ。
 店の外へでたクロスは煙草の箱を取り出し──空だと気づいて握りつぶした。
 すかさずスワロウが歩み寄り、クロスに封も切っていない煙草の箱を渡した。クロスはすぐに封を切り、くわえる。スワロウがライターを差し出して、煙草に火をつける。
 スワロウは煙草を吸わない。そのスワロウがなぜ煙草を所持していたかというと、スモーカーの気がありイラつくととたんに煙草の量が増えるクロスのための予備だった。
 スワロウはライターをポケットに戻し、踵をかえして元の位置に戻る。
 ふと、アレクサンダーが視線でスワロウを追っていることにクロスは気づいた。
「家の護衛がなにか?」
「いやいや、彼は綺麗に動くね。僕は仕事柄、伝統芸能とか、ダンサーなんかの知り合いが多いんだけど、ああいう体の使い方を知っている人は動きがすごく綺麗だ。彼もそんなふうに綺麗に動くよ」
 クロスが努めて顔に出さなかったからアレクサンダーは気づかなかっただろうが、そのときクロスは不機嫌になった。
 確かにスワロウの動きは美しい。
 クロスは初対面のときそれに気がついた。
 スワロウの動きが美しいのは、無駄を徹底的に排除しているからだ。
 無駄な動きは隙となる。幼少からの稽古により、いっさいの無駄をなくしたスワロウの動きはすべるように滑らかだ。それは何気ない動作にも現れ、全ての動きに緊張感があり、研ぎ澄まされた刃のように美しい。
 踵をかえして立ち去るだけの動作が、実に綺麗なのだ。
 だが、それに気づくにはある程度の観察力がいる。
 アレクサンダーは芸能関係で人体の動きにも気を使う人々と接しているからこそ、気づいたのだろうが──クロスは面白くなかった。
 スワロウのそれに気づいた事と、何気なくそれを口にできるということが気に食わない。
 クロスは無意識に吸いかけの煙草を途中からへし折った。
 そのとき車が回され、誰もその動作を不審に思わなかった。
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