魔王様は静かに暮らしたい

田中 乃那加

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魔王様は静かに暮らしたい

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※※※

 上司と部下、もとい魔王とその秘書は互いに無言。
 ピンと貼り埋めた空気と緊張感は職場としてはあまり健康的じゃない。どこぞの横暴ワンマン経営者のブラック企業じゃあるまいし。
 でもそんなこと構うものか。

「あの、シド様」
「……」
「シド様」
「……」
「ショタ偽装上司」
「あ゙!? いまなんつった!」
「聞こえていらっしゃるのですね。てっきり聴覚に異常をきたしたのかと」
「やかましいわッ、このギャンブル狂秘書!」

 何だかここのところエルヴァが辛辣すぎる。魔王に向かって酷すぎやしないか。
 咎めても多分無表情な頬を少し歪めたせせら笑いを浮かべるだけ。
 あーもうっ、どいつもこいつも!!

「今朝ご報告した件の書類が、たった今あがりました」
「ああ、んじゃそっち置いといて」

 今日も今日とてデスクワーク。外はこんなに晴れ渡っているのに、だ。
 勘違いされることが多いが、魔界はいつもどんより曇っていたり恐ろしげに雷が鳴っていたりするわけじゃない。
 むしろ人間界より安定した周期の気候で、雨季もあれば乾季も多少。昨晩のように雨が降った次の日の、からりと晴れた空の清々しさよ。
 これはもう机にかじりついている僕へ、ケンカを売ってるようにしか見えないわけで。

「シド様はご機嫌麗しいことで」
「お前まで僕にケンカ売ろうというのか」
「軽いジョークですよ」

 ふん、冗談下手かよ。でも分かってる。彼女だって不器用なりに場を和ませようとしている……そうだよ、な?

「逃亡した全裸男の件ですが」
「それは聞きたくない」

 むしろ聞かなくてもいい。わかってるから。
 でも上司である僕の指示もあっさり無視し、彼女は口を開いた。

「五日前の魔界外れでの目撃証言以降、情報がありません」
「あっそ」

 分かってるよ、ンなこと。ちなみにその目撃も偽情報ガセだ。流したのは僕。仕方ないじゃないか、そうするしかないのだもの。

「お身体はもうよろしいのですか」
「君は心配してくれるのか。それとも仕事の心配か?」

 詳細をひかえた、あんど魔王権限の強力魔法発動で目撃者どもの記憶改ざんのおかげで僕の悲惨な状態を知るのは彼女だけになった。
 あ。あとあのクソ変態絶倫男。

「いえ。そろそろ身体が疼くころかと。性的処理に特化したサービスを呼びましょうか? もちろん男娼で」
「……」

 いけしゃあしゃあと言いやがるじゃないか。人が瀕死を晒してたっていうのに。
 しかし僕の怒りオーラが分かったようで。

「ジョークです」

 と彼女は悪びれもなく口元だけで笑う。

「ったく、減俸してやる」
「パワハラは感心しませんね」
「僕がセクハラ受けてるっつーの」

 あの日、抱きつぶされてただイきまくるだけの存在になった僕は数名の臣下や兵士どもに発見された。
 気絶してもおかまいなしで揺さぶり続けるあの全裸男は捕獲され、ようやくあの悪夢は終わったのだ。

 その時のことはあまり覚えていないが、何となく珍しく鬼の形相をしたエルヴァとざわめき恐れおののく者達。
 そして彼女に負けじ劣らず、リミッターぶっ壊れたオーガみたいな表情の男と。

 そこからまる二日ほど、僕は眠り続けたらしい。
 目を覚ますといつもの無表情の秘書が言った。

『あの時の目撃者は、あれからずっと軟禁して魔法で眠らせております』

 そして淡々と禁断である記憶改竄の魔法を使うよう進言されたんだ。
 思えば、僕が傷つくのを防いでくれたのだろう。

 人の口にとは立てられない、なんて人間界でいうらしいが魔界でも同じだろう。
 知能がある者は噂話が好きなのだ。しかも魔王が人間の変態にぐちゃぐちゃに犯されて、泣きわめいてたってスキャンダル。下手したら後世まで残っちまう。

「エルヴァ」
「はい。シド様」

 僕は数秒視線を机に落とし、意を決して彼女を見上げる。
 蒼く澄んだ瞳は、ダークエルフにしては珍しい色だ。

「ありがと」

 礼くらい言わなくては。だっていい歳した大人だし、魔王だからな。
 ムカつく時もあるが基本は有能で不器用だが優しい……

「勿体ないお言葉、光栄です。しかしながら、貴方様の性的嗜好およびあんな尊いお姿を他の者達の記憶に欠片ほど残したくなかったものですから。しかし不覚なことに、あの時は録音録画をしておりませんでして。もし叶うのであれば、もう一度――」
「ストップ! こわいっ、あと長い!!」

 なになになにッ、秘書がすごく怖い。え? 尊いってなに。あんなひどい格好してたのに!?
 てか映像として残したいんかい! 
 相手は上司、しかも魔王にそんな感情抱いて口に出せるなんてイカれてるぞ。
 
 恐れおののきドン引きしつつ、まだなにか言っている彼女から視線を外した。

「あー……」

 つかれた。ドッとつかれた。仕事した方がいいかも。でも、書類仕事は目がかすんでくるんだよなぁ。
 やっぱり歳か。

「おつかれですか」
「誰かさんのおかげで、な」
「あら。心当たりがありませんね」
「言っとけ、サイコパス秘書」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
「褒めてねぇよ」

 もうヤダ、仕事もしたくなくなってきた。
 相変わらず進まないこれは、別に急ぎではない。なんなら僕じゃなくてもいいんだけれども。

「シド様、あとの書類は私が目を通して報告書を」
「いや。大丈夫さ」

 前言撤回。
 これらは民たちからの意見書だ。この魔界をどう良くして欲しいか、どんなことに対して困っているのかの要望など。
 一つ一つの想いが詰まっている。

「これが魔王の仕事だからね」

 ペンを持つことすらおぼつかぬ獣人が書いた意見書。一字一字、訴えかけるような言葉をないがしろにしてはいけない。
 
 ……魔王とは大変な仕事だ。
 辞めようと何度も思った。胃痛と吐き気で眠れない夜もあったよ。
 でも僕には民がいる。
 荒れた魔界を建て直したという誇りも、そんな僕を支えてくれる者達も。
 あと数百年くらいは、貢献したってバチは当たるまい。

「しまった」

 ひらりと、一枚の書面が机から床へ落ちた。
 慌てて拾い上げる。そしてなんの気なしに読む。

「なっ……!?」

 そこに字こそ丁寧だが、どこか狂気じみた文章の羅列が。

【魔界に咲く大輪の薔薇、それが魔王シドだ。清楚かつ、凛としたたたずまいに反して夜の姿は淫らで艶やか。なお今の美少年の姿より、大人の色気が満載の美中年姿の方が俺としては好きだ。もちろんどんなアンタでも、俺は心から愛し尽くすと約束する。ところで結婚指輪の習慣は魔界においてないらしいが、指輪ならぬ首輪をプレゼントしたいのだが。真っ赤なそれはアンタの白い肌にとても映えるだろうよ。もちろん俺のもお揃いにしよう。イニシャルを裏に彫るのはどうだ。もちろん愛の言葉もな。俺たちの愛をこんな物で表現するなんて、とアンタなら怒るだろうか。でも分かってくれ。俺は証が欲しいのだ。決してアンタを信用していないわけじゃない。愛している。ずっと前から、何度も生まれ変わる前から。アンタに裏切られても、絶対に諦めなかったのは愛しているから。覚悟しろよ。そうだ、子供は何人にする? 実を言うと、俺は子供に対して嫉妬しちまうかもしれない。そうしたら厳しく、そして優しく叱ってくれねぇか。大丈夫だ。愛さえあれば、すべて乗り越えられる。ずっと愛している、我が妻よ (ry】

「怖っ」

 何この長文。よくよく見れば裏にもびっしりだ。
 僕の周りには頭おかしいヤツしかいないのか。てか、ところどころ電波なのはなんだ。 
 
「熱烈な恋文ですね」
「いや、言うことかいてその感想かよ」

 涼しい顔の秘書もたいがいだろ。
 青ざめる僕をよそに、彼女はその禍々しい一枚にサッと目を通して。

「所々、綴り間違いスペルミスがありますね。添削しときます?」
「いやいや……」

 ズレてる、圧倒的にズレてるよ。
 頭を抱えたくなった。

「その時間は無さそうですね」
「え?」

 彼女が部屋の入口に視線を向ける。
 すると。

「ただいまッ、我が妻よ!」
「うわっ!?」

 ノックもなしに飛び込んできた巨体。それが真っ直ぐ部屋を突っ切って、僕に椅子ごとタックルかまして来たのだ。

「なにしやがるっ、このケダモノ!!」
「ケダモノで結構だ。ああ、この香りがたまらん……」
「くっつくな! 匂いを嗅ぐな!!」

 まるで大型犬みたく飛びついてきて抱きしめてくる男に、僕は精一杯声を上げる。
 でもそれは無駄なようで。

「おいっ。当たってんだよ、バカ!」
「大丈夫だ、当てている」
「大丈夫じゃないぃぃッ!!!」

 ほらもう発情した狼みたいだ。耳元で荒らげた息が耳にあたってゾクゾクする。

「や、やめ」
「ずっと我慢して仕事してたんだぜ。ご褒美くれ」
「っ……い、嫌なら、辞めてもいいんだぞ」

 この変態男。アレスは結局、魔界にに居ついてしまった。
 とりあえず僕の権力でコイツを、部下という立場に落ち着かせた。とは言っても主に雑用やら傭兵扱いではあるが。
 だってめちゃくちゃ強いし、人間のくせになぜか魔界の民には受けがいいんだ。
 
 もちろん以前トラブルがあったオーガどもとは和解させた。
 そのおかげ彼らとも、なんとか上手くやっているらしい。
 今回は、災害で大きな被害を受けた村の再興を手伝わせている。

「辞めるわけないだろう。俺はこの生活が気に入っているんだ」
「あっそ……」
 
 あと魔力を受けると腕力と性欲が高まるらしいコイツには、人間界から直輸入した魔力を極限まで遮断する装備を与えた。
 これだけでは恐らく充分でないだろうが。
 不思議なことに、僕を散々レイプした日からコイツの性欲が爆発することはない。
 腕力のみが上がるという非常に便利な状態になっている。

「なぁいいだろ」
「っ、こら!」

 このケダモノ、待てもできないのか。
 耳をべろり舐められて身をよじるが、余計キツく抱きつかれた。

「アンタが相手してくれなきゃまた性欲爆発する、か・も」
「くっ……」

 僕を脅すつもりか、この野郎。
 でも悔しいが僕も多少になってきてしまっている。
 だがまだ日は高いし、仕事もある。
 眉間に皺を寄せて彼を睨みつけた。

「そう言えば貴様、意見書に頭おかしい事書くのやめろ」
「ん? あれは俺の心からの気持ちだぜ」
「だからやめろって、あれが多くの目に触れるだぞ!!」
「……なるほどな」
「?」

 アレスは神妙な様子でうなずく。

「恥じらうなんざ、可愛いじゃねぇか」
「ちっがぁぁうぅぅぅぅッ!!!」

 やっぱりイカれてんのか。いや、そうだ最初からこういうやつだった。

「たっぷりと満たしてやるからな」
「ナニを満たすつもりだッ、このド変態!!!」
「褒めるなよ」
「褒めてない!」

 ギャイギャイ騒いでいた僕はまだ気づかなかったし、知らなかった。
 いつの間にか秘書が消えてるとか。寝室の準備は万端で、なんならベッドサイドテーブルにはローションの大ボトルが鎮座してるとか。

 そんなこんなで僕は今日も、民の貞操と平和の為に服を脱ぐ。







 ――こんな平穏とは言えぬ日々が更にかき乱されていく運命を、この時の僕はやっぱり知らなかった。
 
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