お飾り婚約者は青春を望まない

田中 乃那加

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発情期の無いオメガ

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 叶井かない 雪翔ゆきとはいわゆるお飾りの婚約者である。

「おはよ
「あー、はいはい。おはようさん」

 親友であり幼なじみの同級生、宝原たからはら亜梨華ありかの声に振り向く少年。

「ユキちゃんってば、寝癖ついてるよ」
「はいはい、でもユキちゃんはやめろ」

 彼女の笑みのこもった呆れ声に首をかしげで頭に手をやる。

「今朝、寝坊しちゃったからなぁ」

 そうして肩をすくめて笑った。

「まったくもう」

 幼なじみの盛大なため息。そして次に出てくる言葉を雪翔はわかっていた。

「金持ちのお家のクセに」

 ああまたか、と思う。
 でも仕方ないとも思った。

「金持ちにも色々あんの」

 そう言ってわざとらしく肩をすくめてみせる。

 確かに叶井家は中流家庭以上、しかしいわゆる成金だが。
 だから家には家政婦もいるし下の弟たちはバカ高い私立に送迎付きで通っていたりする。

 公立高校にノコノコと歩いて通う庶民派なのは三人兄弟の長男である雪翔だけ。

「どうせゲームのやりすぎでしょ。ダメだよ、ウチらもう受験生なんだから」
「受験生ねぇ」

 軽く手櫛で寝癖を直しながら雪翔は小さくため息をつく。

「僕にそういうのがあったらいいんだけど」

 というのも別に彼が恐ろしく学力が低いために受験可能な進学先がないとか、素行が悪いとかそういうことではない。

 もちろん金銭的な問題もない。なにせ上級国民とまではいかなくとも上流家庭の仲間入りくらいはできる程度の育ちなのだから。

 では何故か。

「僕は残念ながら高校卒業したらすぐに花嫁修業だってさ」
「へぇ! そりゃおめでたいわね。でも学生の身で妊娠とは大変なことしでかしたわね」
「誰がデキ婚だ。お見合いだよ、お見合い」

 真っ直ぐ勘違いされたのですかさず訂正に入る。

「でもユキちゃん、オメガじゃん」

 あっけらかんとした亜梨華の言葉に彼は小さく鼻を鳴らした。

「そりゃそうだけどさ」

 この世には男女とは別に三つの性別がある。

 ベータとオメガ、そしてアルファで構成される世界。
 ベータは言わずもがなの男女それぞれの特性による性別で、残りのふたつはまったく相反する性質をもつものである。

 産む性と産ませる性。

 ちなみにオメガはアルファとしか子を成せないし逆もしかりでアルファが子孫を残すにはオメガがいなければいけないのだ。

 そしてその二つの性が持つものとしてあげられるのは、彼らが非常に優秀だということである。

 容姿は言わずもがなで知能も高く運動神経も抜群。

 それがアルファとオメガなのだ、が――。

「こんな冴えない僕がオメガだっていうのがね」

 そうなのだ。
 成績も運動神経も普通中の普通、間違っても優秀でもなければ最悪というわけでもない。

 救いようがあるのは容姿だけはそれなりに褒められるがそれも帳消しになっている。

「ユキちゃんは自己肯定感低すぎでは?」
「低くない。むしろちゃんと己を理解してると言って欲しいね」

 そんなことで胸を張るなと言われそうだが本当にそうなのだから仕方ない。
 
「そもそも発情期さえないのにオメガだって言われても自覚できないよ」

 そうなのだ。
 オメガと言えば定期的にくる発情期。甘い匂いを振りまいてアルファだけでなくベータも惑わせるという魔性の性質――だが彼は例外だそうで。

「それでも不思議と血液検査を何度もしてもオメガだって結果が出ちゃうんだよなぁ」
「ふーん」

 発情期もなければ自覚もへったくれもない。
 最初こそ我が子が希少種オメガだと両親も浮き足立ったわけだが、次第に鼻も引っ掛けないどころか以前にも増して冷遇されていった。

「ちゃんとしたオメガだったら玉の輿に乗れるんだろうけどさ」

 発情期がないとなると子さえ産めるかどうか分からない。しかも顔以外のスペックが並以下であるならば尚更、と雪翔は諦めと達観に似た気持ちであった。

「ま、親としたら適当な結婚相手あてがってやるんだから感謝しろってことらしい」

 昔から優秀な他の兄弟と比較されてきたが極めつけの発情期なしの不妊 (の可能性濃厚)なオメガなんて誰が欲しがるのだ、単なる穀潰しだろうがと散々なじられていては親に対する感謝とか尊敬なんて無になるもので。

「あーあ、ウチが小金持ちで良かったなァ」

 一般的には裕福だが大富豪だとか由緒正しい家系などとは程遠い。だからこそぬか喜びさせやがってというなのだろう。

「どんな人と結婚すんの」
「さぁね」

 もうすでに相手は決まっているらしい。なんと向こうからすぐにでもと言われているが。

「どうせモノ好きな変態ジジイだろ」

 こんなを嫁にしたい男なんて――と自嘲気味に口にした時だった。

「まさかユキちゃん、オレ以外と結婚すんの」

 そんな聞き捨てならない言葉とともに頭を軽く叩かれる。

「痛っ、なにすんだよ響也きょうや

 そこにいたのは亜梨華の二つ下の弟、響也だった。

「爽やかな朝の下駄箱でする話じゃねぇのよ、二人とも」
「大人の会話を盗み聞きしないの」
「大人ってな……ほら姉ちゃん。弁当忘れてんぞ」

 呆れた様子で彼は亜梨華にランチバッグを渡す。
 なかなかずっしりしているようで、その重みに彼女はニンマリ笑った。

「ありがと、さすが出来た弟だわ」
「相変わらず食うのな、その分量」

 見た目こそ細身だが健啖家けんたんか、つまり食欲旺盛の健康優良児なのである。
 
「あたしに言わせればアンタらが食べなさすぎなのよ、もっと肉を食いなさい」
「聞くだけで胃がもたれるわ、なぁユキちゃん」

 話を振られてゆるく頷く。

「これだけ食べても太らないのは女性を、いやダイエットに悩む全人類を敵に回してるのは間違いないね」
「違いねぇや。で、さっきの話だけどよ」

 響也はヘラヘラ笑っていた表情を少し引き締めて。

「ユキちゃん結婚すんの?」

 眉間にシワを寄せて聞くものだから雪翔は少しおかしくなった。
 そっと彼の方に手を伸ばす。

「すぐじゃない。卒業したら花嫁修業と見合いが待ってるってだけ」
「……つーか、キズモノじゃねぇし」
「ん?」
「ユキちゃんはキズモノじゃねぇって言ってんの」
「響也」
 
 真剣な眼差しに見つめられ、むずがゆいような気分になる。

「背中の火傷だろ、これはオレたちを守ったから」
「そうだったかなァ。忘れちゃったよ」

 雪翔の背中には酷い火傷の痕がケロイドとして残っている。
 十年以上前、響也を含む当時小学生たちが冒険と称して入り込んだ廃屋で火事があった。

 帰宅時間となっても帰ってこず、探しに出た姉の亜梨華と雪翔が目にしたのは赤い火の手があがった建物。

 どうやら秘密基地として入り込んでいた子供たちが火遊びをしたのが原因らしい。
 幸い死者も出ず、子供たちも全員かすり傷程度で無事。近隣は他に家屋などはなく燃え広がることは無かったが。

「オレたちを助けるためにわざわざ飛び込んでくれただろ」

 中に取り残されていたのは響也と、友人の妹でまだ保育園児だった子。
 炎に囲まれ逃げることさえ出来ず泣きながらへたりこんだ二人の前に現れたのは雪翔だった。

「結婚するならオレが――」
「あ! 遅刻するよ、ほら!!」

 素っ頓狂な声をあげて会話を打ち切ったのは亜梨華。

「やばいやばい、走れ!」

 二人のケツを思い切り引っ叩きながら叫ぶ。

「おい姉ちゃん」
「走れぇぇぇッ!」

 響也は抗議しようとしたのか何か言いかけたが、どうやら彼女に聞く耳はないらしい。
 雪翔は思わず吹き出した。

「行くよ、響也」
「ユキちゃんまで……」
 
 この可愛いプロポーズは今がはじめてではない。
 好意を向けてくれているのも痛いほどわかっているのだ。しかしあくまでそれは雪翔が彼にとって兄のような存在っていうのと。

 自分のせいで幼なじみに痕が残るほどの怪我を負わせてしまった罪悪感なのだろうと彼は解釈している。
 そのいじらしさは可愛らしいが、その反面申し訳なさもあった。

「……もういいのに」

 恨んだことも嘆いたこともない。
 むしろ肉親より大切な存在を守れた満足感さえ覚えていたのに。

「ユキちゃん?」
「なんでもない、ほら行こう」

 ――結婚したら響也も安心してくれるかな。

 嫌で嫌でたまらない縁談だがそれだけが救いであった。
 とはいえ相手の顔くらい見ておきたいなと思いながら、雪翔は響也の手をとって走りだした。

 隣で真っ赤になってアワアワしながら足をもつれかけさせている年下の幼なじみの様子なんて知らずに。



 
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