変異型Ωは鉄壁の貞操

田中 乃那加

文字の大きさ
14 / 34

デートde危機一髪①

しおりを挟む
 ――些細な違和感。

「おい、どうした」

 ふと鼻先をくすぐる匂いに、危うく柱にぶつかりそうになる。

「い、いや」

 声をかけた龍也に答えてから、小さく身を震わせた。

 なにか先程から感じている視線と気配。じっとりとした、気味の悪いなにかに見つめられているような気がしたのだ。

「大丈夫?」

 明良が心配そうに眉を下げる。
 奏汰は二人の視線に慌てて首を振った。

「ほんと平気だから」

 週末で人の多いショッピングモール。本当に少しばかり疲れただけかもしれない。
 自分にも言い訳しつつ、奏汰は再び歩き出す。

「ええっと他に買うものなんだっけ?」

 そこでまたふわりとただよう香りに、顔をしかめた。

 さっきから何度も覚えがある。通り過ぎざまだったり、遠くからの残り香だったり。
 香水だろうか。ほんのり甘いようで、だがどこかケミカル臭が鼻につく。
 こんなに特徴的な匂いなのに、なぜか思い出せないのである。
 だれの、どこで嗅いだことがある香りなのか。

「あのさ」

 明良の声で立ち止まる。
 
「ちょっとお手洗い行ってきてもいいかな」
「あ、いいよ。待ってるから」

 すると彼は少し笑ってから。

「ごめんね、すぐ戻るね」

 と小走りで行った。

「……」

 とりあえずわかりやすいところで待つことにして、二人で壁に持たれながら何の気なしに行き交う人々を眺める。

 家族連れからカップル、友達同士。様々な集団をが通り過ぎていく。

「あのさ」

 しばしの沈黙のあと。龍也が口を開いた。

「楽しみだよな」
「なにが」
「赤ちゃんだよ、きっとめちゃくちゃ可愛いんだろうなって」

 さっきもそんなことを言っていたなと妙に冷めた胸中で聞き流す。

「それにしても明良さんはすげぇよ」
「あ?」
「シングルで産んで育てるなんて、並の覚悟じゃねぇもん」

 確かにその通りで、奏汰も同じ想いではあるが。奏汰は無言だった。
 また龍也がかさねて言う。

「でもきっと愛してたんだろな。相手のこと」
「……」
「許せねぇよ。男として、同じαとしても。あの人を捨てたヤツはろくでもないクズ野郎だ」

 そう憤る龍也となぜか視線を合わせることすら出来ない。
 奏汰は適当な生返事をしながら、やはりせわしなく行き交う人々の靴をじっと見つめる。

「好きなヤツにそんな想いさせない、俺なら」

 その一言に胸の奥にサッと冷たいものが差し込む。
 
「大事にするし、ずっと一緒に寄り添ってやりたい」
「――じゃあ、お前がなってやればいいんじゃないの」
「え?」
「αだろ。つがいってのにもなってやれるじゃないか」

 自分でも驚くくらい冷たい声がでた。
 それと同時にしまった、と後悔で胸がまた重苦しくなる。

「番って……」
「僕なんかよりよっぽどいい夫婦になる。なんせαとΩだからな」
「なんだよそれ」

 龍也は少し絶句したがすぐに語気を強めた。

「αとかΩとか、別に関係ないじゃん」
「へぇ? さすがα様だな、寛大なことで。だが持たざる者の気持ちは分からないってわけだ」
「どういう意味だよ」
「別に? そのまんまの意味さ」

 口の端をあげた笑みを浮かべて嘲る。

「でも明良さんがお前を選ぶかどうか分からないけどな」
「奏汰」
「だって僕の方が――」
「なんなんだよ」
「!」

 龍也の低い声と共に手首を強く捕まれた。
 痛みより衝撃の方が勝って、思わず言葉を失う。

「あんたって、ほんとつまんないことにとらわれてるよな」
「お前になにが分かるんだよ。クソガキ」
「うん、分かんねぇわ」
「痛っ!」

 強く手に力を込められたらしく、骨の軋む痛みに顔をしかめる。

「奏汰」
「た、龍也」

 ここでようやく
 垣間見える怒りの表情に気づいてたじろいだ。

「お前なに怒ってんだよ」
「んー、なんだろ。俺もよく分かんねぇ」

 口調は飄々としてるのに目は怖い。

「でも一つ言えるのはあんたがあの人と結婚しちゃダメだってこと、かな」
「!」

 言われた瞬間、顔がカッと熱くなった。
 自分の浅はかで自己満足な下心が見透かされたと思ったからだ。
 恥ずかしくて惨めで。激しい苛立ちが湧き上がる。
 
「っ、離せよ」

 衝動のまま手を振り払う。あっさり離されたことにまた胸を苦しくさせながら、大きく息を吐いた。

「ごめん」

 龍也が小さな声で謝るがそれすら腹立たしい。
 拳をギュッとにぎり、可能な限り感情を押し殺しながらようやく絞り出した言葉。

「……僕もトイレ行ってくる」

 だけだった。

「ああ」

 短い返事に顔も見ずに背を向け、足早に歩き出す。
 
 うつむいて人の流れのまま足を動かす。
 ただその場にいられなっただけ。あのままヒートアップして、見るに堪えない喧嘩をする方が恥ずかしいだろう。
 逃げたように見えるが、奏汰の行動は賢明だったといえる。

「くそっ」

 何も知らないくせに、と内心で叫ぶ。
 知らないのが当たり前なのだ、言っていないのだから。
 でも批判されれば怒りも湧いてくるのが身勝手だが人間である。
 
 あと見事に図星をつかれたのも悔しかった。
 
 明良のことを家族として受け入れたい言いつつ、結局都合よく考えていた己に気づいたのだ。
 なんたる詭弁、指摘が胸に痛かった。だがそれ以上に。

「あんなに怒ることないだろ……」

 ぽつりとした呟きが雑踏に消える。

 冷たい目と声。身動きすらはばかられるほどの怒りを感じて、思わずみがすくんでしまった。
 
 いつも大型犬のように人懐こいはずの少年から、突如むけられたキツい視線に動揺した自分が悔しくて。

「龍也のクセに」

 勝手なのもワガママなのもわかっている。それでもなんだから突き放された気分だったのだ。
 
「――あの」

 暗い考えを巡らせていると、後ろから声をかけられ振り返った。

「すいません。これ、落としましたよね」
「え?」

 立っていたのは二十代とみられる男。
 センターパート分けの前髪でふんわりとパーマのかかったショートが今風の、整った顔立ちだ。
 
 そして手には黒い二つ折り財布。男が差し出したそれを奏汰は目を丸くしながら見つめる。

「えっと、僕……」
「さっき落としましたよ、中身確認してみてください」
「あ、はぁ」

 うながされるまま手に取る。確かに自分のものとそっくりだし、手触りも覚えのあるものだ。

 誕生日に幼なじみの響子からプレゼントされたのだ。
 ちなみに彼女とはなんと誕生日が同じで、毎年プレゼントを贈り合う習慣があったする。

「あ」

 中を見ると本当に彼自身のものだった。保険証も免許証も、ほとんど使わないポイントカードですら見覚えがあって驚く。

「まったく気づかなかった……すいません、ありがとうございました」
「いえ、よかったです」

 ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべてた男は何度もうなずいた。

「ナンパかと間違われたらどうしようって思ってたんで」
「いやいやそんな」
「あと実はね。初めましてじゃないんだよね、オレと貴方は」
「へ?」

 つまり顔見知りということだろうか。しかし奏汰には全然覚えがない。さすがにはっきり否定するのは失礼だろうと、必死に思い出そうと頭を悩ませる。

「バイト先、駅前の居酒屋でしょ」
「え? なんでそれを……」
「客として行ったことありますから」
「そうなんですか!?」

 まさか客だったとは。しかも。

「この前、客に連絡先わたされたでしょう?」
「ま、まあ」
「その時のヤツがオレの連れでね。いやぁ、困らせてごめんね」
「ああ、そういえば」

 先週だか先々週だか。常連の客に連絡先の書いた紙をわたされて告白までされたのだ。
 何とか丁重に断ったが、酒も入っていた事もあり少し泣かれたのを思い出して苦笑いする。

「大丈夫ですよ」

 しかし実際は面倒だった。逆ギレこそされるならまだしも、泣かれるのが一番気まずい。

「でも偶然ってすごい」

 まさか店の客に財布を拾われるとは。

「それにわざわざ届けてくれて。あ、お返ししなきゃ」

 落とした財布を拾って貰った場合、相応の割合の謝礼を支払う必要が出てくる。しかし男は首を横に振る。

「いいよ、気にしないで。別にそれが目的とかじゃないから」
「でもそんなわけにはいきませんよ」
「じゃあ一つだけ。自己紹介だけさせて」
「え?」

 思いもよらない返答にたじろいだ。しかし男の表情は相変わらず穏やかで。

「オレの名前、覚えておいてよ」

 そのあとに彼は、竹垣 愈史郎たけがき ゆしろと名乗った。

「また店に来た時、笑顔の接客を期待してるよ」
「でもそれだけじゃ……」
「大丈夫大丈夫。じゃあ、またね」

 爽やかにそれだけ言って去っていく。残されたのは財布を胸に抱いて、ポカンとしてる奏汰。

「なんだそれ」

 謝礼がいらず、名前だけ告げて言ってしまうなんて。
 しかし悪い人物ではないだろう、と納得することにした。

「さてと」

 トイレに行くと言って出てきたからやはりすませておくかと角を曲がった時のこと。

「――なんでっ」

 ひときわ大きな声にハッとする。
 視線のすぐ先に、数人の男女がもめているのが見てとれた。
 しかもそこにいたのが。

「明良さん!?」

 取り囲まれるようにいる青年の名前を呼ぶ。すると彼らがいっせいにこちらを振り向いた。

「奏汰君!」
「っ、こっちへ」
 
 脊椎反射で駆け出していた。まっすぐそちらへ突っ込むと、彼の手をつかんでまた別方向に走り出す。

「……待て!!」

 相手としても思いもよらない行動だったのか、一瞬ひるんでからの怒声で追いかけてくる。
 
「待つわけないだろッ!」

 そう怒鳴り返しながら、いつかの光景のデジャブだと内心ぼやいた。
 
 
 
 

 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

サクラメント300

朝顔
BL
アルファの佐倉は、過去に恋人を傷つけたことで、贖罪のための人生を送ってきた。 ある日不運な偶然が重なって、勤務先のビルのエレベーターに閉じ込められてしまった。 そこで一緒に閉じ込められたアルファの男と仲良くなる。 お互い複雑なバース性であったため、事故のように体を重ねてしまう。 ただの偶然の出会いのように見えたが、それぞれが赦しを求めて生きてきた。 贖罪の人生を選んだ佐倉が、その先に見つける幸せとは…… 春らしく桜が思い浮かぶようなお話を目指して、赦しをテーマに書いてみました。 全28話 完結済み ⭐︎規格外フェロモンα×元攻めα ⭐︎主人公受けですが、攻め視点もあり。 ※オメガバースの設定をお借りして、オリジナル要素を入れています。

すべてはてのひらで踊る、きみと

おしゃべりマドレーヌ
BL
この国一番の美人の母のもとに産まれたリネーは、父親に言われた通り、婚約者アルベルトを誘惑して自分の思い通りに動かそうと画策する。すべては父の命令で、従わなければ生きていけないと思っていたのに、アルベルトと過ごすうちにリネーは自分の本当に望むことに気が付いてしまう。 「……実は、恥ずかしながら、一目惚れで。リネー……は覚えてないと思いますが、一度俺に声を掛けてくれたことがあるんです」 「え」 「随分と昔の事なので……王家の主催ダンスパーティーで一緒に踊らないかと声を掛けてくれて、それですっかり」 純朴で気高く、清々しい青年を前にして、リネーは自身の策略にアルベルトを巻き込んでしまうことに日に日に罪悪感を覚えるようになる。 けれど実はアルベルトにはある思惑がありーーーーー。

うそつきΩのとりかえ話譚

沖弉 えぬ
BL
療養を終えた王子が都に帰還するのに合わせて開催される「番候補戦」。王子は国の将来を担うのに相応しいアルファであり番といえば当然オメガであるが、貧乏一家の財政難を救うべく、18歳のトキはアルファでありながらオメガのフリをして王子の「番候補戦」に参加する事を決める。一方王子にはとある秘密があって……。雪の積もった日に出会った紅梅色の髪の青年と都で再会を果たしたトキは、彼の助けもあってオメガたちによる候補戦に身を投じる。 舞台は和風×中華風の国セイシンで織りなす、同い年の青年たちによる旅と恋の話です。

箱入りオメガの受難

おもちDX
BL
社会人の瑠璃は突然の発情期を知らないアルファの男と過ごしてしまう。記憶にないが瑠璃は大学生の地味系男子、琥珀と致してしまったらしい。 元の生活に戻ろうとするも、琥珀はストーカーのように付きまといだし、なぜか瑠璃はだんだん絆されていってしまう。 ある日瑠璃は、発情期を見知らぬイケメンと過ごす夢を見て混乱に陥る。これはあの日の記憶?知らない相手は誰? 不器用なアルファとオメガのドタバタ勘違いラブストーリー。 現代オメガバース ※R要素は限りなく薄いです。 この作品は『KADOKAWA×pixiv ノベル大賞2024』の「BL部門」お題イラストから着想し、創作したものです。ありがたいことに、グローバルコミック賞をいただきました。 https://www.pixiv.net/novel/contest/kadokawapixivnovel24

処理中です...