変異型Ωは鉄壁の貞操

田中 乃那加

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初恋とストーカーの香り

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「――うん。でもそれって失恋っていうのかな」

 幼なじみの響子の言葉に鼻で笑う。

「しっかりフラれてきたぞ、馬鹿野郎め」

 やけ酒ならぬファミレスのドリンクをあおりながら奏汰はふくれっ面だった。

「相変わらず恋愛に対しての価値観ガバガバで笑う」
「くそっ、うるさいよ」

 本当に容赦ない。
 しかし響子は知っている。彼は上っ面だけの優しげな慰めなんて必要としていない、特に彼女に対しては。

「奏汰って結構エグいねぇ」
「はぁ?」
「下心丸出しでΩを口説くとは、なかなかだよ」
「うっ」

 頬を膨らませながらも奏汰は反論出来ずにいた。
 それこそ図星だったから。

「……わ、悪かった」
「別に悪いことじゃないわ。恋愛や結婚ってそういう側面もあるし」

 彼女もまたΩである。それに今思えば下心と言われても仕方がない。
 
「でも僕は本気だったんだけどな」

 グラスに浮いた氷をストローでつつきながらひとりごちる。
 対して響子の方はメニューに釘付けだ。季節のデザートに手を出すか迷っているらしい。

 幼なじみの失恋においてもマイペースはブレないのだ。
 しかしチラリと視線をあげて彼を見る。

「その明良さんって人は元カレが忘れられない、と」
「それもそうだし、そもそも僕と恋愛は出来ないってさ」
「なるほど」
「あのさ……恋愛ってそんなに必要か?」
「おお、言うねえ」

 笑うわけでもなく心底感心した様子の彼女。

「それこそ価値観じゃないの」
「まあそうだけど」

 決めつけていた節はある。
 シングルマザーとしてαに捨てられ、もう恋愛なんてものより心と生活の安定を必要とするだろうという。そこにつけ込んだと言われたらなにも言い返せないのも分かっていた。

 だからさすがに響子にも言えなかったのだ。
 ただαと最近別れたΩと友達になり、その子に告白したらフラれたとだけ。そうしたらこの返しだ。

「今どき、保育園児でも惚れた腫れたと大変みたいね」
「ガキなのにか」
「んー。ガキだからじゃない?」

 そんなものか、と思う。自分に縁がないだけかもしれない。たしかにマセた子は幼児から、そうでなくても高校の時のクラスメイト達は恋愛のからんだ青春を送っていたような。
 一方、奏汰は小中と続けていたスポーツも特異体質とによってすっかり辞めてしまってからはひたすら筋トレや護身術ばかり。

 危機感を持った母。夏菜子から勧められたとはいえ、それなりに打ち込んできたつもりだった。

 だからこそ、今では自分より体格の良い男数人を返り討ちにすることも出来るのだ。

「奏汰も恋をしなさい」

 そう言って彼女はドリンクバーへ飲み物を取りに席を立つ。

「なんだよそれ」

 年上ぶった物言いに眉間に寄せたシワが深まる。

「恋しろ恋しろって」

 勝手なものだ。過去に言いよってきた男たちのことが脳裏に浮かぶ。

『可愛い』
『好きだ』
『付き合いたい』
『一目惚れした』

 言葉は違えどその本質は一つ。

『ヤりたい』

 それだけ。
 視線が顔と尻、たまに胸や腰周りをいったりきたりするのが不快だったくらいだ。
 
「……ろくなもんじゃない」
「ねえ、見て見て~」

 戻ってきた響子の手にはグラス。しかもとてつもなく奇妙な色をした中身で満たされている。

「うげっ」
「ミックスジュース、色々混ぜたら美味しいかなって」

 それにしてはえげつないような気がするが。
 わくわくした様子の彼女は新しいストローを刺した。

「奏汰、飲んでみて」
「やだね」

 不味そうとわざわざ口に出さすとも、誰しもが断るだろう。
 
「美味しいよ? 知らんけど」
「知らんもんを勧めてくるな」
「どーぞ」
「いらない、ってグイグイくるなよ」
「なんか納豆を腐らせた感じの臭いするよ」
「うわっ、ほんとやめろ。てかなんでこんな変なモノつくってくるんだよ」

 ドリンクバーのジュースブレンドはたまに事故じこる。
 とはいえ、こんなことするのは中高生までだろうと奏汰は顔をしかめた。

「自分で責任もって飲めよ」

 そう言って突っぱねてやると、彼女はそうだねと存外大人しくそれを口にする。

「美味しい、よ?」
「嘘つけ」
「……美味しいものを掛け合わせても美味しくなるとは限らないんだねえ」
「やっぱり不味いんだろうが」

 呆れ返る。
 幼なじみとはいえ、この時に訳のわからない言動は天然なのか。
 いまいち感情の読めない顔で泥色のジュースを飲んでいる彼女を眺めた。

「アイスコーヒーを混ぜちゃうと納豆の風味が出るみたい」
「本当かよ」
「じゃあ飲んでみる?」
「やだね」
「だろうねえ」

 くだらない会話。でもこの距離感や空気は嫌いじゃない。
 常に自然体。男とか女とか、Ωとかβとか関係ない。フラットで居心地が良い関係。
 
「僕……響子のこと好きかも」
「わたしも好きだよ」

 ふと呟くとすかさず返ってくる言葉。でもこの場合の『好き』は友情。お互い分かってる。
 
「恋しなよ」
「またそれか」

 その話題はいいとばかりに首をふる。

「するとしても僕にだって理想はある」
「βの女の子?」
「そう」
「小さくて柔らかくて巨乳のタヌキ顔のカワイイ系?」
「そこまでは言ってないけどな」

 そもそも具体的にあげられるほど解像度は高くない。
 
「理想が高いと嫁の貰い手なくなっちゃうよ?」
「なんで僕が嫁に行く前提なんだ」
「とにかく」
「あ、無視しやがった」
「それは置いといて」

 どうやら彼女には適度にスルースキルが備わっているらしい。
 奏汰のツッコミはお構いなしでテーブルに頬杖ついて口を開く。

「運命の人は近くにいるかもね」
「運命ぇ? んなもんあるワケないだろ」

 ファンタジーじゃあるまいし、と肩をすくめた。
 
「ふうん」
 
 彼女の目がスッと細くなる。

「そういえば最近どうなの、
「ハァァ!? 」
 
 口に飲み物など含んでいれば間違いなく吹き出してしまうほど狼狽して、奏汰は声をあげた。

「なんであいつが出てくるんだよ!」

 脳裏に過ぎる、あの夜の出来事。
 自分より大きな身体に抱きすくめられて唇を奪われて。しかも経験したことのない熱に翻弄されかけたのだ。

 うっかり思い出してしまえば、幼なじみの顔さえまともに見れなくなる。

「あ、あんなガキ! 相手になんてしてやるもんか!!」
「んー? わたし、いつ龍也君の名前言ったかな」
「~~~っ!!!」
「あはは、そんな睨まないで。可愛いのは分かったから」
「うるさい!」

 ニッコリ微笑まれるのもまた腹立たしい。
 しかしなんとか氷が解けて薄くなったジュースを飲み干すことで、なんとか心の安定をはかろうとする。

「僕をからかってるだろ」
「そんなこと……あるかな」
「あるんかい!」
「まーまー。とりあえず奏汰が龍也君に心をかき乱されてることは分かった」

 それは否定できない。
 好きだと告げられた時の眼差し。いいかげんで嘘つきであざとい癪に障るだけのガキだと思っていたのに、ふと覗かせるあの情熱的な。そうかと思えば見せつけられる、子犬のような無邪気さと愛らしさに彼は揺さぶられまくりなのだ。

 しかし果たして本人にどれだけその自覚があるかどうか。

「だいたいアレは反則だろ」
「アレ?」
「フェロモンだよ、あんな甘ったるい匂いさせやがって。しかも初めてだったのに……」
「初めて?」
「っ、あ、あの、ちがっ、そういう意味じゃなくて! 別になんも、変なことなくて!!」
「ふーん」

 αのフェロモンを感じたというのは素質があるということだが、やはり彼は気づいていない。

避妊具ゴムはちゃんとしなよ」
「だからなんで揃いも揃ってお前らはッ!」

 なにもない、なにもなかった。

「今は、ね」
「!」

 彼女の見透かしたような微笑みに、奏汰の顔色は真っ赤になる。

「いいかげんにしろって」
「あ、ほんとに無自覚系?」
「なにがだよ」
「あーあ」

 響子がこれみよがしにため息をつく。

「あざといのは奏汰もだね。やれやれ、可愛い子は何しても可愛い」
「だから可愛いって言うな」
「わたしの幼なじみが尊くて困る」

 もういい、と奏汰が席を立つ。もう会話が堂々巡りだ。
 空になったグラスをもってドリンクバーへ。

「ったく」

 小さく毒づきながら何を飲もうか考える。
 たまには温かいコーヒーか紅茶でもいい。しかしどうも喉が渇く。
 そんなことを考えながらも、グラスに氷を入れていた。

「えっ」

 ふと鼻先をかすめた香りに顔をあげる。
 慌てて辺りを見回すも、そこには自分以外にいない。ただでさえ平日の、しかも昼時を過ぎた時間帯だ。
 客も店員もそんなに多くない。

 しかし確かに感じた、覚えのある匂いが。

「あ、あ」

 甘いがどこか人工的で胸の悪くなるそれに思わず唇を噛んだ。
 ショッピングモールでの香り。ストーカーのものだったはず。

 そこまで考えた瞬間、心臓が大きく跳ねた。

「まさか」

 ここにいるのか。香りの弱さから、これは残り香だろう。しかし店内にはいると思っていい。

 ……ハッとして振り返る。

 もしやすぐそばにいるのだろうか。
 しかしテーブル席事に小さいがついたてがある創りなため、すべての客が見回せるわけではない。

 少ないがゼロではない客数。
 一席一席見にいけばわかるだろうか。しかし彼はそのストーカー男の顔を覚えていない。

「奏汰?」
「!」

 突然かけられた声。また身体をビクつかせて硬直する。

「どうしたの」
「っ、きょ、響子……」
「どうしたの」

 二度目のどうしたの、は心配げだ。それだけ奏汰の様子がおかしかったのだろう。

「いや、なんでもない」

 ストーカーが近くにいるなんて冗談でも言えない。彼女もまたΩで顔も可愛いということで何度かトラブルに遭っているのだ。
 そのたびに奏汰が撃退してきたが、あまり不安にさせるのも違うと思った。

「本当に?」

 薄いメイクの施された、大きな瞳がこちらを見つめている。
 まつ毛が長くどこか感情の読めない眼差しだ。

 くるくる表情の変わる無邪気で不遜で小賢しいあいつとは大違い――と思う。

「あ、ああ……」

 もう香りは消えかけていた。
 


 

 




 

 

 

 

 

 

 

 



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