変異型Ωは鉄壁の貞操

田中 乃那加

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案ずるより産むが易いわけがない

 あまりにも痛いと泣きわめく体力すらないらしい。

「っ、あ゙……はぁ、っ」

 数分感覚でくる痛みに身体を丸めて耐える姿を、奏汰はただその背中や腰を擦りながら見守るしか出来ない。

 妊娠出産とは命がけだ、と思う。
 人が、新しい命を肉体ともに生み出し世に送り出す行為だ。容易たやすいはずがない。

 しかし目の前で見る壮絶さに手助けすらおぼつかないのが歯がゆかった。

「か、奏汰くん……」
「明良さん、お茶飲む? あ、少しは糖分とった方がいいよな。ジュースもあるから」

 やはり初産とあって、なかなかすすまない。
 先ほどから助産師が時折心拍モニターで胎児の心拍数を測りにきたり、医師の診察もあるが。

『まだもう少しだねえ』

 と眉を下げるのだ。

 そのたびに絶望的な気分になるのは本人だろう。
 何も言わないが、その度にため息をついていた。

「いつになったら……終わるんだろう」
「え?」

 ようやくひいた痛みの波。その間にほんのわずかな休息をとるのだ。
 ぽつりとこぼした一言に、奏汰は動きを止める。

「こんなに痛いなんて」
「明良さん」
「もう切ってくれないのかな」
「え?」
「お腹、切って欲しい……」

 何時間経っただろう。それどころか、ほぼ丸一日。ずっと陣痛にのたうち回っているのだ。

 それなのに、なかなか開かない子宮口。触診のたびに期待はするのだが、いまだに全開の兆候はない。

「これ以上耐えられないよ。ぼくも、この子も」

 腹に手を当てながらつぶやく声の何ともか細いことか。
 思わず彼の手に自分のそれを重ねる。

「先生も助産師さんたちも大丈夫だって、赤ちゃんは元気だっていうけど。それもどうだか分からないじゃないか……」

 たしかに計測器で測ればいたって健康的な心拍を刻んでいるのだ。

 なので腹を切って産む、つまり帝王切開の判断にはならないのは分かっていたが。

「奏汰さん、きっともうすぐだから」
「いつまでこうしてれば…………あっ、い゙、い゙だぃ゙っ、あ゙ぁ」
「明良さん!」

 また陣痛がきたのだろう。髪を振り乱し、悶えるように痛みをこらえる身体に寄り添う。

 手をにぎり腰をさすり、時に水分補給をうながしながらの苦しい時間は過ぎていった。



「――交代するわね」

 そう言った母、夏菜子の言葉に顔をあげる。

「大丈夫よ。あんたも少し家で休んで来なさい。」
「あ、うん」

 苦しんでいる彼に付き添うことしか出来なかった。
 ここまで壮絶だとは。

「ハァ」

 病院を出て、大きく息を吸う。
 なんだか来た時と太陽の位置が変わっているだけでまるで時間に取り残されたような、浦島太郎的な気分になる。

 ……出産を甘く考えていた。
 こんなに進まないものだとも、苦しむものだとも思っていなかったのだ。

「一旦、帰るか」

 病院が家から近いことが幸いだった。
 風呂と食事くらいはすませる時間はあるだろうか。
 そんなことを考えながら、家路についた時。

「お前」

 自宅の前で立ちすくみ少し声が震えたのは、知った姿を見たからだ。

「ども」

 ぺこりと頭を下げ、ドアの前に座り込んでいたのを立ち上がったのは龍也だった。

「なんかあった?」

 誰もいなかったからと続ける彼の方を努めて見ないようにしつつ、奏汰はうなずく。

「ああ、病院にね」
「どこか具合悪いの」

 何故か龍也の声が低くなる。

「僕じゃない。明良さんの付き添いで行ってたんだ。陣痛、だって」

 少し気恥しさを感じたのは、から久しく顔を見ていなかったから。あと彼は奏汰がΩに近いものになったことを知らない。
 それに対して彼は。

「産まれた?」

 と軽々しく聞くもんで拍子抜けた。

「んなわけないだろ。まだかかるから交代してきた」
「へぇマジか。大変なんだな」

 この先、この少年には一生縁がないだろう出産の痛み。
 自分はこれほど身につまされているというのに。

「それより。なんでいるんだよ」
「俺? あんたに会いに来ただけ」
「あっそ」

 これ外で喋っていてもラチがあかないと鍵を開けようとする、が。

「うわ」

 鍵を閉め忘れている。母子ともども気が動転していたらしい。

「泥棒入られてたらどうすんだよ」
「ま、大丈夫っしょ」

 懸念を口にすると軽い返事がかえってくる。
 何度目かになるため息をつきつつ、玄関ドアを開けた。

「入んないの」

 てっきり一緒に入ってくると思っていたが、彼はゆっくり首を横にふる。

「今日はいいや。大変そうだし」
「ふーん。珍しいな」

 いつもは図々しいくらい居座るのに。

「なあ」

 龍也の声に振り返る。

「奏汰って、子供欲しいの」
「あ?」

 突然の問いかけ。表情は外から差した夕陽で逆光になって見えない。

「僕は」

 どうだろう。自分の遺伝子を継いだ子供がいれば愛しいと思えるような気もするが、だとしても産むのも自分だ。

「でも痛そうだしなぁ」

 震えのたうち回って、痛みに耐える明良の姿を思い出す。
 きっと相当痛いのだろう。それが数分おきに、何時間も味あわされるなんて地獄でしかない。

「俺はいなくていい」
「え?」
「もちろん既にいるなら丸ごと愛せるかもしれないけど、そうじゃなきゃいいや」
「た、龍也……?」

 感情の読めない声に、戸惑って彼を見上げた。
 しかしやはりうまく顔が見えない。どうしてこんなに暗いのだろう。

「そんなことより――」

 次の言葉が吐き出される直前。

「あ」

 スマホの着信を知らせる振動。奏汰は慌ててポケットから取り出した。

「もしもし……えぇっ!?」

 かけてきたのは夏菜子で、開口一番の言葉に驚愕する。

「ちょ、待って! さっきまでまだまだって…………うそ。分娩室って…………もしかして、今のって…………ぅえぇ!?」

 聞こえてきた言葉と産声に、奏汰はがっくり肩を落とす。

「どうした」
「どうしたもこうしたも。産まれたって、さっき」

 めでたいはずなのに。いや、めでたいのだがそれにしても。

「僕が立ち会いたかったのに……」

 せっかく特例で身内以外の立ち会い出産の許可を病院から得たというのに、自分が休憩に出たところで産まれるなんて。

「仕方ないか」

 計画通りにいかないのも出産だ。
 どうやら母子ともに健康らしいのは喜ばしいこと、そう切りかえた。

「立ち会いたかったって、あんた父親かよ」
「うるさいな」

 なぜかすっかりいつもの空気に戻った龍也は苦笑いしている。

「可愛い甥っ子くらいには思っていいだろ」

 やはり生まれた子は男児だった。さぞ母親似の可愛い子になるだろうな、と今から頬が緩む。

「甥っ子ねぇ」
「なんだよ」
「めちゃくちゃ貢ぎそうだな、この叔母さんは」
「叔母さんとはなんだ。どっちかというと叔父さんだろ」
「あ、貢ぐ方は否定しないのか」
「まあね」

 元々は単なるバイト先の先輩。それが複雑な事情から匿うことになり、しまいには家族として想うようになるとは。

「……確かに、僕が明良さんと結婚したらおかしいよなぁ」

 フられたがむしろ良かったのかもしれない、とあらためて思う。

「でも本当に無事に産まれてきてくれてよかった」

 あれだけ時間がかかり、痛そうに苦しそうにしていたというのに。
 素人からみると大変なことだが、医者や助産師からすればよくあること。むしろ通常のお産の範囲内だったのかもしれない。

 しかし専門家としては数あるうちの一例であるが、当事者としては唯一なのだ。
 
「顔見に行くのは明日かな」

 すぐにでも病院に駆け込みたいのが本音だが、そこはグッと耐えた。

「まず風呂か、って。お前は帰るんだよな。じゃあ――」
「風呂沸かしてくる」
「おい」

 さっきの空気はどこへやら。さっさと靴を脱いで上がった彼は。

「一緒に入ろうぜ」

 と満面の笑みを浮かべた。

「は? お前、帰るんじゃないのかよ」
「そんなこと言ったっけ」
「嘘つくな、このクソガキ!!」
「え~、幻聴じゃねぇの」
「人のせいにするな、アホ!」

 そんな小競り合いもいつもの感じで、奏汰は内心でホッと胸なで下ろしていた。
 最初こそ嫌な奴で今も嘘つきで癪に障る年下ではあれど、ギクシャクしていい相手ではない。

 ただそれだけでなく。

「あんたの方は大丈夫なのか」

 ふと腕を掴まれて顔を覗き込まれる。

「身体の調子、とか」
「……なにが言いたい」

 もしやΩ体質になったことがバレたのだろうか。
 思わず身体を引くと、案外あっさり離れた。

「顔色は悪くねぇな、安心した」
「へ?」
「これでも心配してたから」
「あ、ありがとう」

 素直な言葉にぎこちなく礼を口にする。
 意識しているのが自分だけだと言われているようで、なんとも腑に落ちないが。

「とりあえず風呂入ろうな、一緒に」
「入るわけないだろ」
「えー、なんで」
「黙れエロクソガキ」

 調子に乗るなと軽く足蹴にしながら、ほんの少しだけモヤモヤとしたものを胸に抱えていた。

『子どもはいらない』

 とばかりの発言。
 産む側でなく、いわゆる孕ませる側の龍也に言われたことに腹が立ったのかと思えばそうではない。
 だが実際のところ奏汰自身もよく分かっていなかった。

「……」

 別に彼の子を産むわけでもあるまいし、とそっとため息をつきながら風呂を沸かしに行った。
 

 


 
 

 
 


 

 

 


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