玉の輿になるまで待てない!

田中 乃那加

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悪夢とそれを吹き飛ばすトラブル

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 ※※※


 荒々しい吐息が顔にかかってひたすら気持ち悪い。

『っ、やめろ! やだ……ッ』

 熱い熱い熱い。身体が燃えるように、目の奥から溶け出してしまいそう。

『くそっ……やめ……、だれ……っゔ!?』
 
 必死で叫ぼうとするがその瞬間口を塞がる。
 いくつもの腕がこっちに向かって伸びていく様は、もう恐怖でしかなくて。

 ――なんでオレがこんな目に!

 身をよじって逃げ出そうともがけば襟元を掴まれた。糸が切れてボタンが弾け、布が裂かれる音。
 肌に空気に触れて冷えたのは一瞬、また燃えるように熱くなる。

『ん゙んッ、んぅ゙ぅぅっ!!!』

 ――たすけて。だれか、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!

 酸欠で薄くなっていく意識の中、ふと遠くで大きな怒鳴り声と破壊音を聞いた。





  ※※※

「お、お兄ちゃん。生きてる……?」

 リビングでコーヒー飲んでたら美紅がギョッとした顔をする。
 それでこの一言。

「ああ」

 鏡なんて見なくても分かる。今のオレは顔色最悪だ。
 しかもそれだけじゃない、気分だって。

「大丈夫?」
「ちょっと寝つきが悪かっただけだから」

 別にどこか痛むとか熱がある訳じゃない。
 ただひたすらイヤな夢をみた、それだけ。

 ……思い出したくもない。

 初めて発情期をむかえた時のこと。
 まだ高校に入ったばかりで、バース検査を受けた日。ヒートについてどころか、自分がΩだって知る前だった。

 最初はただの風邪だって思ってた。放課後だったし、さっさと帰って寝たら治るって。
 
 部活は小中としてたサッカー部にしようかな、なんて考えながら校舎を歩いてたら。

『おい』

 そう声をかけられて振り向いたら数人の男子生徒に囲まれてた。

『お前、一年だよね』
『あ、やっぱりΩだよ。さっきからめっちゃフェロモン垂れ流しじゃん』
『もしかしてヤリマン?』
『あははー、顔真っ赤でかわいー』

 矢継ぎ早に言われた言葉はもっとあったと思う。
 でもあっという間に近くの空き教室に引きずり込まれてからが最悪だった。

 ……これ以上は思い出すのも吐き気がする。

 他の生徒が偶然目撃して教師に知らせてくれたおかげで、一応暴行未遂ってことで助け出された。

 間一髪だったらしいし、あまりのショックで当時は記憶も断片的で。
 加害者はαばかりで普段から他のバース、特にΩに対しての差別的な発言の多い連中だったらしい。
 しかし校内でのレイプ未遂ってのは学校としても問題になったのと、元々の素行もあまり良くなかった生徒に対する処分で停学とかになったらしい。

 一方でオレの方も、野犬に噛まれたと思って諦めろ的な事を言われて病院に連れていかれただけ。
 実際、下手すりゃΩが被害者っていうとそのフェロモンで男を誘ったんだろう、とか言われかねないから不幸中の幸いだったのかもしれない。
 
 まあ、その連れていかれた病院で初めて自分がΩだって知らされたわけだけども。

「顔洗ってくる」

 日曜の朝でいつもと違うテレビ番組を横目で見ながら立ち上がる。

「ハァ……」

 トラウマ級の記憶。あれから発情期ってのがほんと怖くて、だから薬だってバカみたいに気をつけて飲んでたのに。

 ぶっちゃけ、この前のヒートもパニックになったのはこのせい。
 雅健のおかげでなんとかなったけど、あれがバイト先じゃなかったら。タチの悪い奴らの前だったら。

「んー……よし!」

 冷水で顔を勢いよく洗ってから、頬をパンッと叩く。
 ふ抜けてる場合じゃない。

「なあ美紅」

 パジャマ姿の妹に声をかける。

「昨日も言ったけど、バイト帰りに友達と食事してくるから」
「んー」

 間延びした返事が返ってきたから、さっそく先に家事をすましてしまおうとテーブルに置きっぱなしのコーヒーに口をつけた時だった。

「もしかしてさ。お兄ちゃん、恋人出来た?」
「ぶっ!?」

 うわ、吹いちまったじゃねーか。服、着替える前で良かった。
 慌ててテーブルをティッシュで拭く。

「なななっ、なに言ってんだ!」
「へー? やっぱりそうなんだ」
「ちがっ……まだ……」
? ふーん。でもいい感じの人がいるってことよね。お兄ちゃんってわかりやすくて助かるわ」
「い、いやいや」

 なんか動揺してたら、すごい詰められまくってんだけど。
 
 たしかに奏斗さんとは毎日連絡してるし、電話することもある。なんていうか十歳も歳上のはずなのに話題も豊富だし、むしろオレの方が教えてもらうことが多くて楽しかったりする。

「そんな隠さなくてもいいじゃない。むしろあたしとしては、お兄ちゃんに幸せになって欲しいもん」
「美紅……」
「あ、でも付き合ったらちゃんと報告してよね! 恋の相談ならのってあげる」
「まだ付き合うかどうかは――って、お前まさか彼氏とかいるんじゃないだろうな!?」

 年頃だしそりゃ仕方ない、のか? でもやっぱりお兄ちゃんとしてはなんか複雑っつーか、ぶっちゃけ由々しき事態というか。

「あははっ、なんかお兄ちゃんめっちゃ焦ってておもしろーい」
「おい美紅!」
「大丈夫大丈夫。あたしも恋人できたらちゃんと報告するってば。でもお兄ちゃんの方が心配かなぁ。だって、すごくチョロそうだもん」
「チョロそう!? 」
「ほらほら。時間ないよー?」
「美紅!!!」

 まったく、兄貴をからかいやがって。
 でもおかげでかなり気分は晴れた。たかが夢でせっかくの一日を無駄にしたくないもんな。

 なにがおかしいのか。ソファでころころと笑い転げる妹を横目に睨んで、オレはまず洗濯物に取り掛かることにした。

「ねー、お兄ちゃん」
「なんだよ。っていうか早く着替えてこいよ、んで洗濯物カゴに入れとけ」

 まったく、女子高生っていうのにパジャマも。それどころか下着まで兄貴であるオレに洗わせるんだからどうしようもない。
 むしろこっちが気をつかって、自分でしろと言ってるのに。

『お兄ちゃんがした方が服も下着も傷まないんだもん』

 だって。
 なにが悲しくてこの歳で妹の下着を手洗いさせられにゃならんのだ。
 思春期はどこいった。でも️まあ変に反抗期でツンケンされてもそれはそれで困るからな。
 
 むしろ美紅だって色々大変だったり我慢させてる事も多いだろうに。

「お兄ちゃんってば」
「なんだよ」
「お兄ちゃんも、ちゃんと幸せになってよね」
「え?」

 言葉の意味が分からず振り返るけど、背中を向けてテレビをみてるせいか表情がよめない。

「あたしは大丈夫だから。きっとお母さんも同じように思ってるよ」
「美紅……」
「あ、でもロクでもない男連れてきたらダメ出ししていくからね! お兄ちゃん、こう見えてチョロくて可愛いから妹としては心配なのよね」
「こう見えてって。あと褒めてんのか、それ」

 しかも男限定かよ、まあ男なんだけども。
 そして妹に可愛いと言われるオレってなんだよ。

 複雑な気分になりつつ、ソファに近づく。

「ありがとな」

 それだけ言って美紅の頭を撫でる。
 すっかりあの悪夢から覚めた気がした。




  ※※※


 ――と、まあそんな感じだったのに。

「!」

 店長に事務所に呼ばれた時、なぜか少しだけイヤな予感はしてた。
 だってちょっと前から新人バイトの話してたもんな。

「すぐに見つかってほんと助かったわ」

 嬉しそうな彼女の前で、オレは驚きを隠すことで精一杯だった。

「東海 遼太郎君、高校生なのよ。だから土日入ってくれるのよ」

 まあそうだろうな。高校生だしな、こいつ。
 見覚えのあるデカい身体にだけ目を向けて、視線をそらしつつ。

「ど、どうも。オレは――」
「西森 瑠衣さん。よろしく」
「……」

 そう、こいつがなぜかバイト先に新人としてここにいる。

「あら? もしかして二人は知り合いかしら」
「あ、ええっと。ちょっとした知り合――」
「幼なじみで深い仲です」
「おい!?」

 深い仲ってなんだよっ、どさくさに紛れて変なウソつくな!
 慌てて弁解しようと口を開きかけるも。

「ふふ、そうなのね。じゃあ新人教育は西森君に任せようかしら。北嶋君が来るまででいいからね」

 オレは今日早めにバイト上がるから、指導係は店長か雅健にでもなるのかと思ってたのに。

「はい、よろしくお願いします。
「っ……どーも」

 いつもは無愛想でダンマリ野郎のくせに。
 妙に爽やかな笑顔を向けてきやがるもんだから、驚いたし一瞬でもかっこよく見えた自分をどつき回したい。

「まずはロッカールーム教えてあげてね」

 店長の言葉にオレはぎごちなくうなずく。

「えーっと、こっちで」
「はい」

 ああもうっ、ここ最近で見たことないようないい笑顔すんなっつーの!!!



 


 
 
 


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