玉の輿になるまで待てない!

田中 乃那加

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キャベツ畑の真ん中で途方に暮れる

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 ――あれから三ヶ月ほど。
 
「はぁぁ……」

 未だに家に帰れていない。いや正しく言うと一度は帰った。
 でもすぐにとんでもない事が発覚してまた病院に逆戻り。

入りますよ」

 オレがいる部屋のドアのノックと、ほぼ同時に入ってきたのはパソコンを乗せたカート (ナースワゴンとかいうらしい) と看護師さんだ。

 ていうか、こういうの返事を待たないって人によるのかな。
 まあ看護師さん達って忙しいみたいだから。

「検温と血圧測定しときましょうか」
「あ、はい」

 白い部屋は病室、そしてオレは患者。
 大人しく右手を出しながら、左脇で体温計を挟んで。

「血圧低いねえ」
「あ、いつも言われます」

 特にここ最近は。
 仕方ない、食事すらちゃんと取れない状況なんだから。

悪阻つわりひどいですか」
「まぁ……はい」

 オレは妊娠、してるらしい。

 まだまだ出てない腹では実感湧かないけど、この一日中吐き気と眠気とだるさが止まらないのが悪阻ってやつ。
 これで体調不良疑われて病院へ。そのまま入院ってわけだ。

 普通、悪阻だけで入院するなんてそうそうないらしい。でもオレは一時期、それがすごくひどくて脱水症状と情緒不安定で妊娠継続まで危ぶまれたと。

 まあ、妊娠自体が身に覚えほとんどなくてショックだったってのがあったけど。

「本当にオレ、妊娠してるんですね……」

 お腹に手をあててみるけど、やっぱり分からない。
 ここに命がいる、なんて。

「どうすりゃいいのか」
「南川さん」

 看護師さんは偽名で呼ぶ。
 あのイカれた集団とはなんとか縁が切れたと先生は言ってたけど、奏斗さんは今でもオレに執着してるという。
 
『あっちも社会的立場があるから迂闊なこと出来ないでしょうけど』

 面会したとき、先生はそう言いながらも少し険しい顔をしていた。

 彼がいくつも会社経営して高年収なのは本当だったらしい。その一方であんな宗教じみた施設を作って、Ωとαの子を作って人身売買のような事をしている。

『私たちがどんな事をしても、色んなものを隠蔽して生き残るでしょうね。それだけ厄介な相手』

 でも一方で、それが向こうの足枷にもなった。
 だからただの一人のΩのオレは見逃されたわけだ。
 他にいくらでも子を産むΩはいる。特に経済的に困窮してる人たちに福祉の手だと偽って差し出せば。

「うっ」

 考えるだけで悪阻も相まって、吐き気がする。

「大丈夫?」

 さっきもトイレでリバースしちゃったから、もうしばらく吐き出すものなんて胃液以外ロクにない。
 もはや点滴とほんの少しずつの水分で生きてるようなものだ。

「妊娠は病気じゃない、なんて昔は言ったものだけどね」

 ああまただ。オレは布団の中で拳を握る。
 
 妊娠が病気じゃないなんて知ってる。だから甘えるなってことだろ。散々聞いてきたさ。
 主に看護師さんたちにね。この人だって同じだろう。
 分かってるんだよ、でもな。

「は、はぁ……」
「だからなかなか薬が使えなくて辛いよね」
「!」

 そう言ってシーツに放り出された腕をそっと撫でてくれる。
 その瞬間、胸になにかが込み上げるのを感じた。

「っ、す、すみ゙ま、せん」
「大丈夫よ。大丈夫」

 涙が。溢れて止まらない。なんで泣けてくるんだろう。説明できないんだけど、もうどうしようもなかった。

「えぐっ……ぐす……うぅ」
「しんどいね。でも、いつか終わるから。

 赤ちゃんと――。
 
 その言葉に凍りつく。
 オレ、本当にこの子を産まなきゃダメなんだろうか。

「あ、あの」
「ん。どうしたの」

 でもそこから先が言葉がげなかった。

「あ、なんでもないです。すいません」
「そう? なんかあったらナースコールしてね」
「はい」

 言えない。

「また様子見に来るから」

 そう言って、なにかパソコン操作してから出ていった。

「また言えなかった……」

 ろしたいって。
 だってそうだろう。この子の父親が全然分からない。
 いや、心当たりというか予想ならできる。

 奏斗さんなんだろうか。不思議なことにオレにはまったく記憶がないんだけども。
 恐らくだけど、抑制剤を飲まなかったことによる発情は意識と記憶を飛ばしたんだと思う。

 それだけならさっさと堕胎を口にできるんだ。
 でもタチが悪いことに。

「遼太郎……」

 あいつとの事がリアルな思い出みたいに脳に刻まれてた。
 あんなの幻覚幻聴に決まってるのに。

 きっとその時の相手が実際は奏斗さんだった。自分を騙した相手に抱かれる事を脳が現実逃避したんだ。
 そうに違いない。

「あいつとの子だったら、どんなに良かったか」

 もう認めてしまおう。
 そうだよ、オレは遼太郎との子だったら喜んでたかもしれない。

「今さら過ぎる」

 嫌いじゃなかった。むしろ好きだったんだと思う。
 だからバイト先の女の子と付き合ってる、なんて話を聞いた時も。その前に街で見かけた時も良い気分にはならなかった。

 婚活やめろ自分にしとけ、なんて言われて嬉しかった。でもそれすら自分の感情に蓋をして。
 本当は怖かったのかもな。
 年上でフリーターのくせに、将来有望なαあいつを好きになって求めて捨てられるのが。
 
 Ωを理由に言い訳にして現実から逃げ回っていたオレへの罰なんだ、これは。

「でもなんで」

 オレの元になんて来ちまった赤ちゃん。可哀想だな。
 もっと良い母親なんてたくさんいるのに。
 喜ぶどころか堕ろそうなんて考えるひどいヤツの所だぞ。なのに。

「……」

 何度流したか分からない、大粒の涙が白いシーツにシミを作る。
 その時だった。

「西森さん」
 
 ひかえめなノック。
 慌てて顔を手で拭う。

「あ、はい」

 返事を待ってからゆっくり開かれるドア。
 のぞいたのは。

「雅健か」
「どうも」

 彼の手にはコンビニの袋。それをベッドサイドのテーブルに置く。

「飴、持ってきたっス」
「ありがとう」

 中身はレモンキャンディ。これだけは唯一、食べられたのを覚えてくれてたらしい。
 
「でも出来れば食事もとって欲しいけど」
「お前はオレの母親かよ」
「それくらいお節介するって話」
「あ、そ」

 こいつは度々来てくれる。美紅や母さんですら来てくれないのに。
 といってもスマホも取られちゃってるから、オレから連絡しようがないんだ。向こうからないのは、多分そういうことだ。
 
 勝手なことして妊娠した息子や兄なんて、迷惑な存在でしかないだろう。
 幸い、母さんの治療費や美紅の進学費などのまとまった金。他にも心配事は先生が色々と相談に乗ってくれてるらしい。

 彼なら色んなツテがあるから、オレなんかよりよほど頼りになる。
 
「美紅ちゃんもお母さんも元気みたいっスよ。進路も決まって、あとは勉強だって言ってましたから」
「そうか」

 雅健がこうやってマメに知らせてくれるから安心もできる。
 
「いつもありがとな」
「……らしくない」

 なんだよ、お礼くらい言わせろよ。
 雅健は礼を言うといつもこの表情をする。渋い顔というか、それでいて悲しそうな。

「また痩せた」
「そうか?」

 体重はたまに計測されるけどいちいち覚えてない。
 
「痩せた、ほら」

 手首をつかまれた。

「西森さん」
「離せよ」

 悪阻がひどいんだから仕方ないだろ。産みたいんだかそうでないのか分からない子どもの為に、こんなに振り回されるのもしんどい話だけどさ。

「辛いなら吐き気止めの点滴増やしてもらいましょうよ」
「別にいい」

 オレは努めて笑顔をつくった。

「これは罰だから」

 そう、罰だ。馬鹿な事をした自分自身への。
 やっぱり分不相応なことをするもんじゃないよな。
 
「なんてこと言うんですか」
「!」

 突然、抱きしめられた。

「その胎児がアンタを苦しめてるんですか」
「そ、そんなこと――」
「だったら逃げませんか。僕と、全部無かったことにして」
「えっ」

 雅健の顔が見えない。

「僕だって将来有望ですよ。医学生で実家も太い。アンタの好きなハイスペック男子です」
「……」
「βですけど、それでもアンタには充分でしょう。高望みなんてするもんじゃない」
「はは、手厳しいな」

 思わず苦笑すると腰に回された腕に力が入る。

「アンタが望むなら堕胎でも、父親違いの子どもでも受け入れる。どんな選択だって――」
「雅健、やめなさい」

 鋭い声が飛んできて、ハッとなる。慌てて離れようとするけど、彼はオレを抱きしめたままだ。

「お、おい」
「兄貴。なんで止める」

 やっぱり表情は見えない雅健の声は、いつもよりずっと低い。

「何度も言ったでしょう。自分の研究を無に帰すつもり?」
「そんなもの、もうどうでもいい。運命なんてなかった、それを証明するだけだ」
「支離滅裂よ、あなた」

 いつもの女性の格好をした先生が、珍しく苛立ちを隠せない様子でこちらに近づいてくる。

「とにかく彼を離しなさい。怯えているわよ」
「そんなわけない。僕は彼を――」
「……あのな。いい加減にしろよ、テメェはよ」
「!!!」

 ドスの効いた声に力が緩まる。その隙にオレはそっと腕を振りほどいた。

「ガキはガキなりに後先考えろ、馬鹿野郎」
「兄貴」
「もっと冷静になれ」
「兄貴には理解出来ないんだ。僕の気持ちなんて」
「理解する必要もつもりもねぇんだわ。ンなことより、その自己中暴走を止めねぇとぶん殴るぞ」
「っ……」
「なんてね♡ ほらほら、瑠衣君も困ってるわよ」

 サッと声色を変えた先生の表情はいつもの笑顔だった。

「ごめんね瑠衣君。あとで診察に呼ばれると思うけど、私も同席させてねって言いにきただけなのよ」
「え。ああ、はい」

 呆然とするオレを尻目に、先生は雅健の首根っこをひっ捕まえると。

「さ、いくわよ♡」

 と俯く彼を引きずるように出ていった。

「……」

 また取り残されたオレ、と腹の中の赤ちゃん。
 まだ胎動すらない。
 
 

 

 

 

 
 
 

 
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