玉の輿になるまで待てない!

田中 乃那加

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悪意と選択

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 愛想のない白を基調にした壁を眺める。
 普段、目にしていたカラフルなキャラクターもののカレンダーがかかった小児科診察室とはまるで別物だ。

「どうですか具合は」

 さほど待たされず呼ばれ、椅子に座って開口一番がこれ。
 すこぶる悪いけど、オレは曖昧に。えぇまぁ、とかこたえておいた。

 診察室にはオレを含めて四人。
 初老の男性医師 (見た目は穏やかそうなおじいちゃん先生って感じ)と先生と空気みたいな看護師とあとはもう一人。

「研修医も同席させてもらっていいですか」

 そう聞かれてはじめてその人の顔を見た。

「よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げたのは女性。パッと見、ずいぶんオレより下に見える。でも研修医となると多分、若くても二十四歳くらいだよな。
 色白でショートカットの黒髪と、切れ長の目が特徴的な人。

「じゃあまず内診しましょうか」

 おじいちゃん医師が言って、内診室の方を見る。
 オレは少し躊躇った。

「南川さん?」
「いえ、すいません」

 これ本当に苦手なんだよな。
 下着まで脱いで内診台に上がるのが。でもそうは言っていられない。

「楽にしてくださいね」

 そう言われても緊張しないわけが無いんだけど。
 ぎこちなく返事をするとすぐに、台が上がって姿勢が変えられる。

「はい、ちょっと診るね」

 カーテンの向こうでそう言われた瞬間。

「ゔっ」

 指を入れられて軽く歯を食いしばる。やっぱりそんなところ、他人に触れられて気分のいいとこじゃないな。
 仕方ないとはいえ、さらに。

「ちょっと器具も入れさせてもらうから」
「は、はい」

 冷たいモノが入ってきてもう半分涙目だ。
 くそ、なんで足広げられた格好で。これを妊娠中の検診はしなきゃいけないなんて、最悪すぎる。

「ちょっと研修医の先生にも診てもらっていいかな」
「はぁ……い゙ッ!?」

 なんかすごく遠慮なくやられた。思わず腰が浮いてしまって。

「ああ、大丈夫大丈夫」

 と足をなだめるようにさすられたけど、大丈夫じゃないのはオレだっての!
 
 ――そんなこんなで、ようやく終わって診察室へ戻ってきたわけだけど。

「うん、胎児はちゃんと元気だね。あ、これエコー」
「あ……はい」

 なんかよく分からないエコー写真渡されたけど、正直さっぱりだ。
 まだ豆粒みたいだし、かろうじて人間に見えるか見えないかってレベルのそれを見てもなんの感想もわかない。

 おじいちゃん医師は小さく頷くと言った。

「悪阻はもう少ししたら落ち着くと思うけど」

 だとしたらありがたい。この常に二日酔いか乗り物酔い状態なのは、ほんと限界だったんだ。
 気分だって落ち込むし体力もやばい。それにそろそろ退院だってしたいし。
 あ、でも退院してどうすんだ。家に帰ってきていいのかも分からない。

「あ、あの」

 オレは机に置かれたエコー写真から目を逸らしながら、口を開いた。

「まだ……その……間に合いますか」
「ん?」
「ええっと、堕ろすのは」

 その瞬間。その場の空気がなんとも気まずいものに一変する。

「ええっと、南川さん。堕ろしたいの?」

 メガネを押し上げながら医師が訊ねた。オレは黙ってうなずいた。

「ええっとそれは」
「すいません。オレ、つがいはおろか結婚もしてなくて」
「そうみたいだねぇ」
 
 困った、みたいな空気がいたたまれない。
 まあ確かにそうか。悪阻で入院してる患者がいきなり堕ろしたいなんて驚くよな。
 でも今逃したら、もうこのまま言えなくなってしまう気がする。

 雅健の言葉じゃないけど、なかったことにしてしまいたかったから。

「堕胎しても全部リセットできて元通り、なんて事にはならないわよ」
「!」

 先生が言った。

「精神的にも肉体的にも被るダメージはあるの。もちろん処置は出来るし、そうすれば悪阻もなくなるでしょうけど」
「いや、悪阻とかは別に――」
「関係ないとは言えないでしょう? 特に今の貴方の精神状態では」
「そ、そうですけど……」

 いつもの姿だし、いつもの口調だけどなんか圧がすごい。
 叱られた気分になってうなだれる。すると。

「堕胎すべきだと思います」

 研修医の女性がはじめて口を開いた。

「ちょっと……!」

 眉をひそめて声を荒らげるのにも、彼女は動揺することなく。

「患者本人の意思ですからね。まだ充分間に合いますから」
「だとしてもそんな軽率に」
「別に軽卒だとは思いませんが」

 そして今度はオレに向き直った。

「ですよね。西森さん」
「えっ、あ、はい」

 感情の読めない視線に思わず怖気付いたが、慌ててうなずく。
 
 確かにこれでリセットしてしまいたい気持ちもある。だって望んでも覚悟もなにもしてないのに、いきなりお腹に赤ちゃんがいますなんて言われても戸惑うだけだ。
 
 しかも自分を騙した男の、子どもだなんて。愛せるかどうかも分からない。
 それに。

「シングルでの子育てになりますもんね」

 彼女の言う通りだ。
 ロクな職もないフリーターだったオレが、どうやって乳飲み子抱えて生活できるんだ。
 家族だってこんなの転がり込んできたら迷惑だし、最悪受け入れてもらえるとは限らない。
 
 どう足掻いたって最悪な末路辿るのは目に見えてるじゃないか。
 それならいっそ――。

「とにかく、ね。もう少し考えてみてもいいんじゃないかな。まだ時間もあるし」

 とりなすように言ったのはおじいちゃん医師の方だった。

「でも覚えておいてね。その間にも赤ちゃんは刻一刻と成長してるってことを」
「……」
「あと南川さんの身体の負担もある。急かすわけじゃないけど。Ω男性の堕胎はβのそれよりかなりリスクがあるからね」

 身体の構造上、仕方ないのかもしれない。昔はバースというものはなくて、単純に男女のうちの女性だけが妊娠出産できてたって聞いた事ある。

 言ってみれば進化ってやつ。女性Ωならすぐに対応できることも、男性だと難しいんだと。

 ――オレは微妙な空気の診察室を後にした。

「お部屋までついて行きましょうか」

 空気だった看護師の言葉にすぐ反応したのは、研修医だった。

「いえ、私が行きます」

 一瞬だけ怪訝そうな顔をするのに、彼女はずっと変わらず真顔で。

「木嶋先生から指示頂いてますから」
「そ、そうですか……?」

 この人も妙に迫力がある。

「行きましょう、

 やっぱり偽名は慣れない。




 ※※※

「お相手とは連絡とられないんですか」
「え?」

 病棟へ上がるエレベーター前の通路は、しんと静まり返っている。
 普段なら面会やらでそこそこ人もいるんだけど時間帯のせいか、不気味なほど誰もいない。

「堕胎するにあたって書類も必要ですから」
「あぁ、そうでしたよね」

 たしかに相手の合意のサインもいるんだっけ。
 でもオレみたいな場合は多分、緊急措置として大丈夫だった気がする。その事を言うと。

「じゃあその方とは連絡とられない、と」

 なんだこの人、やけにこだわるな。
 しかもこっちを見る目が少し怖い。ギラギラしてるというか、なんか悪意みたいなのが。

「ええっと」
「連絡とらないんですよね、その方とは」

 もうほとんど詰め寄られる形でさすがに違和感を覚える。

「なんでそんな事を――」
「約束してください。
「えっ」
「あの方は。奏斗様は貴方みたいなのと関係を結ぶような立場じゃないの」

 気づけば、彼女はまるで鬼のような形相だった。
 思わず壁伝いに逃げようかと思うくらいに鬼気迫るっていうか。

「あ、あの。もしかしてあの施設の……」
「私はβだからあの方の子は産めない。でも医学の道からあの方の力になれるはず。あんたみたいな卑しいΩとは違うの」

 声を荒らげて怒鳴る訳でもない、淡々と。でもその目は悪意なんて通り越して殺意を感じるほど。
 
 でも寄りにもよって、関係者だったなんて。
 確かにあの施設でオレを監禁した奴らも彼のことを『奏斗様』って呼んで、まるで教祖みたいな目で見てた気がする。

 もはや宗教。特に彼女は彼の子を妊娠したオレに堕胎を迫っている。

「西森さん――」
「貴女達、なにしてるの」

 後ろから聞こえた声が、廊下に響く。

「き、木嶋先生」

 彼女の顔色がサッと変わった。

「エレベーター、来てるわよ」

 彼が薄く微笑む。

「はい」

 オレは素早く開いたエレベーターの中に乗ると、ボタンを押す。

「あっ」

 扉が閉まる前、彼女の見開いた目と歪んだ口元が目に焼き付いた。

「どうしろって言うんだよ……」

 オレは頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。

 

 


 








 

 
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