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家出Ωと追跡者

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(誰か……つけてる……?)

 ヘタクソな尾行だった。
 街灯が等間隔に立った夜道。アスファルトに響く足音は、わざとかと思うほどだ。

(いい度胸してるじゃないか)

 先程、コンビニで買ったハサミをポケットの中で遊ばせて息をついた。
 本当なら護身用としてカッターが欲しかったのだが、最近では取り扱っていないらしい。防犯上の理由だろうか。

(でもハサミならあるんだな)

 刃物として、そうそう期待は出来ない文具用のピンクの柄のものだ。
 しかし薄暗い中なら、一瞬だけでも威嚇になるかもしれない。
 Ωで、しかもこれから一人で生きていかなきゃいけない身としては贅沢なんて言っていられなかった。

 ――彼は、家出をする。
 未成年で高校生。本来なら養育を受けなければならない少年だが、もうこの家では――この親とは暮らしていけないと悟った。
 このままでは、本当に‪α‬と番にされるだろう。
 奴らの気まぐれで辱めを受ける、地獄の日々を想像すると逃げるしかなかった。
 ろくな用意も出来ない。お年玉などが入った財布と通帳とカード。
 あとは抑制剤。

(それももう、あと少ししかないんだけど)

 病院に行くことは可能だが、保険証はどうするのか。自費は高くつくだろうし、通院そのものがバレてしまっては元も子もない。
 だがそんなこと考えていては、家出なんて出来やしない。先のことはおいおい考えるとして、まずは今夜どうすべきかだ。

(とりあえずは友達の家に……)

 そこまで考えて、ため息をつく。
 露美の所は多分無理だろう。恋人が家に来てるのだ。
 とはいえ彼女に‪α‬の恋人ができるなんて、陸斗にはショックだった。   
 別に自分が‪α‬嫌いだからと言って、友人である彼女に強要したいわけでもない。むしろ考え方や恋愛は自由だと思っているし、そうあるべきだ。
 それもあくまで本音でなく、建前でしかないことを彼は自覚していない。

(幸介、は)

 ここから少し遠い。なんせ彼は電車通学だ。まだ終電を逃す時間帯ではないが、これから何があるか分からないから手持ちの金は残しておきたい。
 そう思って、角を曲がった。

「う……」

 ひたひたひた。
 やはり足音がついてくる。故意に足をとめれば、慌てたようにバタついた。
 間違いない、やはり追跡者がいるようだ。

(ナメやがって)

 変質者かなにかか。
 見た目ではΩなんて分からないが、性別はともかく乱暴したい奴かもしれない。はたまた、単なる通り魔か。
 悪い予想はどんどん大きくなっていく。
 唇をキュッと噛んで、陸斗は走り出した。

「あっ!」

 後ろから声がしてまた足音。今度はなりふり構わず、後を追ってくるようだ。

「っ……ぁはっ、ぁ」

(やばい、速い!)

 こちらは全速力というのに、どんどん近くなっていく気配に焦りがつのる。

「いっ、や……だっ……ぁ」

 捕まったら負けだ。何をされるか分からない。
 そう思うだけで、苦しい心臓がさらに痛くなる。

(たすけて)

 みじめさが込み上げてきた。逃げ出してきたくせに、もう後悔しているなんて。
 悔しくて腹立たしくて、何より自分が憎くなる。懸命に前に出そうとする足も、酸素を取り込もうとする呼吸器も。ヒリヒリと感覚がなくなっていく気がした。
 でも、このまま消えてしまえたらとも思う。

「――危ないッ!!!」
「っえ」

 まるでフラッシュを焚かれたような光が、視界を白く潰す。
 次の瞬間、けたたましいクラクションと。甲高いブレーキ音。
 誰かの叫び声。
 そして勢いよく、後ろから引き倒されたのは同時だった。

「いっ、ててて……だ、大丈夫?」

 陸斗は痛みを感じない。
 適度に温かく柔らかいモノに守られているような。

「ねぇ! 大丈夫!? ちょ、生きてる!?」
「……」
 
(なにがあったんだ)

 必死で走っていたら、T字路の右から大型トラックが突っ込んできた――というより、彼の方が飛び出してきたと行った方が正しい。
 死を覚悟した時には、首の後ろを引っ掴まれて後ろに転げていた。
 しかしアスファルトに身体を打ち付けなかったのは、まるで後ろから抱きすくめられていたから。

「急に飛び出すなんて、何考えてんの!? 」
「……た、たろ?」
 
 口を尖らせてお小言をこぼしているのは、太郎だった。

「なんで、お前が」
「そ、そんなことより! ケガない? 大丈夫? 頭とか打ってない?」

 一瞬だけ目が泳いだけれど、彼はすぐに心配そうに眉をひそめてぺたぺたと身体に触れてくる。

「っ、き、気安く触るな」
「ああ。元気そうだ、よかったぁ」

 キツく睨めつけられても、ニコニコとして安堵のため息なんぞつくのだから脱力ものだ。
 陸斗は毒気を抜かれ、目を逸らし舌打ちする。

「うるさいな。大したことない」
かれかけたんだから、大したことだよ」
「別にケガなんて……痛っ」
「ああもう!」

 痛みに顔をしかめれば、目ざとく見つけられて呆れ顔だ。
 よくよく見れば、右手に小さなかすり傷。太郎の目が大きく見開かれた。

「ケガしてる」
「そんなもの」
「ダメだ、ちゃんと消毒しなきゃ!」
「え゙」

 ふわりとした浮遊感に呆気に取られる。
 小脇に抱えられたことを知ったのが、すでに彼が走り出してからで。

「お、おいっ」
「治療するよ!」
「治療!? たかが擦りキズだぞっ、なれなれしくさわるんじゃないッ!」
「怒るなら後にして。今は黙ってて、舌噛むよ」
「ちょ――」

 恐ろしいスピードだ。
 まるで、軽い荷物みたいに持ち運びされるのがとても腹が立つ。しかし、それ以上に未知の感覚に思わず目を閉じた。

(なんなんだよ、コイツ)

 いきなり現れたと思ったら、小さな傷で大騒ぎして。挙句にこの状況。

「陸斗」

 息ひとつ乱さず走りながら、太郎がつぶやく。

「君は俺の事どう思ってるか知らないけど、俺は君のことすごく大切に思ってるから」
「……」
「お願いだから。傷ついたままでいるのは、やめて」
「……」
「憎んでもいい。嫌ってもいいから」
「……」

(勝手なこと、言いやがって)

 そういう真っ直ぐな言葉も嫌いだった。
 まぶしくて、みじめになる。性のせいにはしたくないが、やはりこういう所も‪α‬だからなのか。
 
(じゅうぶん、傷ついているさ)

 心ならすでに。
 痛みと苦しみに、のたうち回った夜もあった。
 Ωであることが分かって、自らの未来が閉ざされた瞬間はもう忘れたくても忘れられない。
 今も屈辱感と苛立ちでいっぱい――。

(の、はずなのに)

 何故かふと、髪をなでられた感触に胸が跳ねた。
 妙な安らぎと高揚感。矛盾する二つの感情が、ぶつかり合って困惑する。

(やっぱり嫌いだ)

 陸斗はこれみよがしに、舌打ちした。
 

 
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