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2話
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レイカは、普通の家で生まれた。両親ともに平民の平凡な家。レイカがなんの力も持たない子供であれば何も問題は起こらなかった。母と同じようにしかるべき年齢になれば村の年の近い青年に嫁がされ平和な家庭を築いたころだろう。
けれど、レイカが普通の子供ではないことは、赤子だったときからはっきりしていた。
気付いたのは家族だった。正確には母である。
産褥の床にあった母は、レイカの泣き声を聞くと己の体調がよくなっていくことに気付いた。
もしやこれは。
母の脳裏を国の古い伝説がよぎる。
――ある王のもとに、天から巫女が送られた。
巫女は、歌で病を治す力をもっていた。巫女の澄んだ歌声を聞くと、どんな重症でもたちまちに癒えてしまうのだ。伏せっていた病人も、その床から身体を起こせるようになる。
王は、天に感謝をし、巫女を妃とし、子をもうけ仲睦まじくくらした。けれども、月日が経つうちに巫女への愛はうすれ、妃以外の女性と床をともにしあまつさえその女性を側妃にしようとした。
巫女はこれを悲しみ、王宮近くの湖から身を投げその命をたった。
愚かな王のせいで、歌巫女は儚くなってしまったのである。
巫女が遺した子は、王子1人、姫1人だったが、どちらも、巫女のような力はなく、その子孫にもその力はあらわれることはなかった。――
古事記に残る伝承。
まさか、この子が歌巫女なのか。
母は、かぶりをふった。まさか、私たちのような平凡な夫婦に生まれた子が歌巫女なわけがない。
そもそも、歌巫女は、歌で病やけがを癒したのだ。この子は、まだなくことしかできない赤子。歌巫女なわけがない。
しかし、レイカと名付けた子が成長していくにつれ、その疑惑は確信へと変わっていく。
幼い子特有のつたない歌であっても、その歌を聞くと、病やけがが癒えるのだ。
樵の父が、斧で大けがをおったとき、母はレイカにいった。
「歌いなさい。」
父を案じるレイカにはこのような場で歌う気になどなれなかった。
けれど、母は言ったのだ。
「お父さんを助けるために歌いなさい。」
震えた声でレイカは歌った。
なぜか、その歌は子守唄だった。赤子のころから母に歌ってもらっていた曲。
レイカの澄んだ声があたりに響く。
すると…
土気色の顔で、さきほどまでけがの痛みにうめいていた父が…みるみるうちによくなったのだ。
けがした個所の血を洗うと、その傷口はふさがっていた。まるでけがなどしていなかったかのように。
顔色も、さきほどまでの失血と傷の痛みによる青ざめた状態から、いつもどおりになっていた。
「レイカはやはり…。」
父と母は顔を見合わせた。
これほどまでにはっきりと癒しの力があるとは思っていなかったのだ。
赤子のころは、わが子の声を聞くとよくなるのは、親の欲目だと思っていた。親だからこそ、我が子の声をきくと体調不良だってよくなるのだ。レオのときはそう思わなかったけれど、無理にそう己自身に言い聞かせた。けれど、母の子守唄を真似しはじめたころからそれは違うのではないかと考えるようになった。
父の怪我もそうだが、レイカの5つ上の兄の病気も回復したからである。
医者もさじをなげるほどの難病で、そもそも貧乏なこの家には医療費を払うこともできない。
鎮痛剤で日を送っていた兄の容体が一気によくなったのである。死は間近に迫っていたレオ。けれど、その死は一気に遠ざかった。
――レイカが歌を歌うようになってから。
ほんのワンフレーズ、レイカがくちずさんだだけでもその歌声を耳にすると気分がよくなる。
そして、丸々一曲、聞くと……病は回復し、けがは癒える。
父母は最初、レイカの能力を隠そうとしていた。
平凡な家に生まれた娘にそのような力があるとなれば、当然、王宮につれていかれることとなってしまう。
大事な子供をとられてしまう。
子供は、子だくさんな家庭が多い中、兄とレイカだけだったから、余計に子はいとおしかったのだ。
兄の病気の回復を周囲にごまかすのはなんとかできた。薬が効いたとか、医者がよかったといくらでも言い訳はできた。
けれど、レイカは、歌巫女としての宿命からは逃れられなかったのだ。
彼女を包むのは歌いたいという欲求でどれほど両親から禁じられようとその欲求を我慢するのは難しかったのだ。
母に禁じられてからというもの、レイカは外で歌うことはできなくなった。
けれど、歌いたいという欲求は抑えることができなかった。
自室で小声で歌っていても、いつのまにか大きな声で歌ってしまい、母に気付かれて怒られてしまう。
母は言うのだ。
「あなたが歌巫女だと世間に知られてしまうと王宮につれていかれてしまう。大事なあなたをとられたくないの。だからお願い。歌わないで。」と。
涙ながらに言われてしまうと、反抗することなどできはしない。
それでも歌いたい。
歌は好きだったのだ。
母から聞いた子守唄。
兄から教わった歌。
外に出かけたときに聞こえてきた歌。
歌いたい。けれど、歌うことはできない。
大好きな母を悲しませることなどできない。
でも、どうしても抗えぬ衝動がある。
家で家事を手伝ったりして過ごす。掃除、洗濯、料理。けれど、母と2人でしてしまうため、どうしても暇な時間ができてしまう。
忙しいときや、何かやることがあるうちは何も思わないが、どうしても、空白の時間を得てしまうと歌いたいという欲求がこみあげる。
母にばれてしまうと歌えなくなる。
歌いたいが、歌えない…
学校に行けない言い訳は「病弱だから。」とした。兄が病気だったため、その言い訳を疑うものはいなかった。
そして、病弱という設定上、レイカはあまり外にでることがなかった。たまに母の買い物についていく程度。一日のほとんどを家で過ごしていた。
救いの手は意外なところからあらわれた。
「レイカ、僕の部屋で歌えばいいよ。…僕の部屋なら、母さんたちの部屋から遠いし、外からも離れているから外にも歌は聞こえない。」
レイカは兄の提案にすぐさまとびついた。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
それからというもの、レイカは2階の兄の部屋で過ごすことが多くなった。レイカの部屋は1階で両親の部屋の隣にある。だからどうしても自室で歌うとその声は両親の耳に届いてしまう。だからそれを避けて兄の部屋に入り浸るようになった。
兄は、病気が治ってからというもの、学校に通っている。
学校にいない間、許可を得て兄の部屋に入り、学校においてあるのをコピーしてくれた楽譜をみたり、今まで覚えてきた歌を歌ったりする。
すごく楽しい。時の経つのを忘れてしまうほどの楽しさ。
レイカは、学校には通っていない。
女の子でも、学校に通うことは珍しくはないのだが、音楽の授業だけをやすむことはできない。それだけではない。子ども同士の関わりでレイカの力が露見してしまっては困る。両親は、泣く泣く行かせないことにしたのだ。勉強は、自分たち2人と兄が教えればよいと思ったからだ。
「気にしないで歌っていいよ。」
兄が学校から帰ってきて、宿題をやっているとき、レイカは自分の部屋に戻る。けれど、レイカはほんとうはまだ歌いたいのだ。それを理解した兄はいう。
「歌があるほうが集中できていいんだ。」
「いいの?うるさくないの?」
「レイカがいないほうが集中できないよ。」
「いいの?…お兄ちゃん、ありがとう。」
こうして、ますますレイカは兄の部屋で過ごすこととなった。
食事と睡眠以外はほとんど。
兄と2人でいてもほとんど会話はかわさない。
兄は、宿題や読書、レイカは歌っているからだ。
けれど、ふと兄のほうをみると兄はレイカをみてほほえむ。
そしてたまにリクエストをする。
「これを歌って。」
兄のためにミニリサイタルを開き、歌が終わると兄は拍手をしてくれる。
「僕だけの歌姫だね。」などと言いながら。
こうして2人で過ごす時間がレイカは好きだった。
兄が学校でいない間、一人で思いっきり歌えるはずなのにも関わらず兄がいないのをさみしく思ってしまうことが多々あった。
いざ、兄が帰ってくると、すぐさま出迎えた。
「お兄ちゃんお帰り!!」
「ただいま、レイカ。いい子にしていたかい?」
「うんっっ」
その光景をみた父は拗ねる。
「レイカは父さんが帰ってきても出迎えてくれないじゃないか。…そんなに、レオがいいのか…」
「まあまあ、あなた。妬かないの。私が出迎えてるじゃない。」
「レイカにも出迎えられたいんだ…」
そんな幸せな家族の時間。
けれど、崩壊の時は迫ってきていた。
レイカが兄であるレオの部屋で過ごすようになって5年。レイカは10歳、そしてレオは15歳になっていた。
あまりにも仲の良すぎる兄妹に、両親はいい顔をしなくなってきていた。
そんなある日。
「レイカ、レオの部屋にいすぎじゃない?レオの勉強の邪魔になるわよ。いい加減になさい。」
家族4人でのいつもの食卓で母はいった。
「ごめんなさい…。」
レイカ本人も薄々きづいてはいた。
レオがなんといおうと、実際に勉強に集中できようとできていまいと、両親が兄妹の仲が近すぎることを嫌がっているということに。
そして、実際に、自分の存在がレオの邪魔になっているのではないかと思っていたのだ。
何度となくレオに「私のこと邪魔じゃない?」と聞いても、レオは「かわいい妹が邪魔になるわけないだろう。それに、レイカがいてくれたほうが集中できるんだよ。だから気にしないで。」と笑顔で答えてくれる。
その言葉にずるずると甘えているとは自覚してはいた。
けれど、居心地のいい兄の部屋。大好きな兄のそば。なによりも、母にとがめられずに歌をうたえること。
兄の部屋に入り浸ることをやめることなどできはしなかった。
けれど、やはり、よくないのではないか。
レオは、春から都の学校へ進学することが決まっていた。
成績優秀者しか認められていない都の学校への進学。
たしかに、レオは、村でいちばんの成績だった。
村ができて以来の秀才だともてはやされるようにすらなっていた。
そんなレオも、都の学校へ進学し勉強についていくためにはここで予習をしておかなくてはならないのだ。そのため、レオは、朝早くから学校へいき、学校から帰ってきても夜遅くまで勉強をしていた。
レイカはそんなレオの後ろで歌ったり、自分の部屋からもってきたおもちゃで遊んだり、本を読んだりしていた。
レオに遊び相手をされなくても同じ空間にいたかったから。
そして、レイカなりにレオをきづかって、なるべく静かにしていた。
歌を歌うときは、レオがいないときにした。レオから自分がいないときに部屋に入ってもよいといわれていたから。
レオも、いじらしいレイカの気遣いに気付いているようだった。
時には、気分転換だといってレイカの遊び相手をしてくれることだってあった。
また、学校の日には人目をさけて、ピクニックにも連れていってくれた。
家の近くの山にある花畑へ。
「うわああっっ綺麗っっ」とおおはしゃぎし、大喜びするレイカの横で、レオは花をつみ、レイカの耳にかけた。
「やっぱり、よく似合うよ。まるでお姫様みたいだ。」
レイカは、童話が好きだった。とりわけ、お姫様や王子様がでてくる童話が好きでそう言われると嬉しかった。
何事にも起用なレオは、レイカが摘んだ花で花の輪をつくってくれた。それをレイカの頭にのせ、「お姫様にティアラだよ。よく似合ってる。」と誉めてくれた。
レイカはうれしいというよりもお姫様のような扱いをされているということで照れて赤くなった。
赤くなったほほをレオはつつき、「まるでリンゴみたいだね。」といった。
「りんごじゃないっっ」と言い返すも、レオの瞳の中の自分のほほは真っ赤で、レイカはなにも言い返せなくなった。
けれど、レオが都へいってしまうとなるとそんなことなどできなくなる。
そもそも、帰省すら1年に1回だ。
手紙で連絡をとることくらいしかできなくなる。
徐々にきづきはじめた現実をレイカは認めざるをえなかった。
――そろそろ兄離れをしなくてはならない。
「ごめんなさい。私、お兄ちゃんの邪魔ばかりしていたわ。気をつけるね。」
素直に謝ったレイカ。しかし、レオは…。
――ダン。食卓をたたく音がした。コップにいれた水が震えている。
食卓をこぶしでたたいたのはレオだった。
「レイカは邪魔なんかじゃないよ、母さん。僕はレイカがいてくれるからこそ勉強がはかどるんだ。…ほんとうは都にだってつれていきたいくらいだよ。」
「そうなの?」
母は怪訝そうな視線をレオに向けた。
「そうだよ。それに、集中できるかできないかは僕にしかわからないことなんだ。もしも、レイカが邪魔だっていうんならいうよ。だから、母さんは口をださないでくれないか?」
「わかったわ。余計なことをいってごめんなさいね。」
母はレオの剣幕に押されていた。
そして、それから数日後。
家に王宮からの使いだと名乗る人々が訪れた。
村では到底みないような上質な服を身にまとった彼らは、レイカの家を探し回った。
「ここにいるレイカという娘のことで話がある。」
状況を把握した両親は血の気を失った。
娘が失われてしまうときが来てしまった。
王宮につれていかれたレイカには、なぜか、父母ではなくレオが同行した。父母の同行はなぜか許されなかったのだ。
王宮にて大勢の人の前に連れていかれた。そして、命ぜられた。
「歌え。」と。
レイカは不安げに傍らの兄をみた。
「大丈夫。いつもどおりに歌ってごらん。そうだな、『私は恋を知らない』が聞きたいな。」
レオはささやいた。
兄からのリクエストなら。と安心して歌った。
伴奏などない状況でレイカは歌い始めた。最初は緊張でややかすれたものの、隣に兄がいることで、王宮でしかも見知らぬ人々の前で歌わされていることなど忘れていつものように歌いだした。
歌巫女の存在など眉唾のものでしかないと思っていた人々は驚いた。学校に通ったことなどないという少女の歌はすばらしかったのだ。伴奏などなくても充分にその声は響いていた。
曲を知らなくとも、その歌が至高のものであることは確かだった。
すっかり聞き惚れていた聴衆は、歌い終わったことに気付き、あわてて拍手をする。そして気付く。
やや風邪気味だった者はその症状が癒えていることに。
けがを負っていた者はけがが治っていることに。
レイカが歌巫女であることは明白であった。
けれど、レイカが普通の子供ではないことは、赤子だったときからはっきりしていた。
気付いたのは家族だった。正確には母である。
産褥の床にあった母は、レイカの泣き声を聞くと己の体調がよくなっていくことに気付いた。
もしやこれは。
母の脳裏を国の古い伝説がよぎる。
――ある王のもとに、天から巫女が送られた。
巫女は、歌で病を治す力をもっていた。巫女の澄んだ歌声を聞くと、どんな重症でもたちまちに癒えてしまうのだ。伏せっていた病人も、その床から身体を起こせるようになる。
王は、天に感謝をし、巫女を妃とし、子をもうけ仲睦まじくくらした。けれども、月日が経つうちに巫女への愛はうすれ、妃以外の女性と床をともにしあまつさえその女性を側妃にしようとした。
巫女はこれを悲しみ、王宮近くの湖から身を投げその命をたった。
愚かな王のせいで、歌巫女は儚くなってしまったのである。
巫女が遺した子は、王子1人、姫1人だったが、どちらも、巫女のような力はなく、その子孫にもその力はあらわれることはなかった。――
古事記に残る伝承。
まさか、この子が歌巫女なのか。
母は、かぶりをふった。まさか、私たちのような平凡な夫婦に生まれた子が歌巫女なわけがない。
そもそも、歌巫女は、歌で病やけがを癒したのだ。この子は、まだなくことしかできない赤子。歌巫女なわけがない。
しかし、レイカと名付けた子が成長していくにつれ、その疑惑は確信へと変わっていく。
幼い子特有のつたない歌であっても、その歌を聞くと、病やけがが癒えるのだ。
樵の父が、斧で大けがをおったとき、母はレイカにいった。
「歌いなさい。」
父を案じるレイカにはこのような場で歌う気になどなれなかった。
けれど、母は言ったのだ。
「お父さんを助けるために歌いなさい。」
震えた声でレイカは歌った。
なぜか、その歌は子守唄だった。赤子のころから母に歌ってもらっていた曲。
レイカの澄んだ声があたりに響く。
すると…
土気色の顔で、さきほどまでけがの痛みにうめいていた父が…みるみるうちによくなったのだ。
けがした個所の血を洗うと、その傷口はふさがっていた。まるでけがなどしていなかったかのように。
顔色も、さきほどまでの失血と傷の痛みによる青ざめた状態から、いつもどおりになっていた。
「レイカはやはり…。」
父と母は顔を見合わせた。
これほどまでにはっきりと癒しの力があるとは思っていなかったのだ。
赤子のころは、わが子の声を聞くとよくなるのは、親の欲目だと思っていた。親だからこそ、我が子の声をきくと体調不良だってよくなるのだ。レオのときはそう思わなかったけれど、無理にそう己自身に言い聞かせた。けれど、母の子守唄を真似しはじめたころからそれは違うのではないかと考えるようになった。
父の怪我もそうだが、レイカの5つ上の兄の病気も回復したからである。
医者もさじをなげるほどの難病で、そもそも貧乏なこの家には医療費を払うこともできない。
鎮痛剤で日を送っていた兄の容体が一気によくなったのである。死は間近に迫っていたレオ。けれど、その死は一気に遠ざかった。
――レイカが歌を歌うようになってから。
ほんのワンフレーズ、レイカがくちずさんだだけでもその歌声を耳にすると気分がよくなる。
そして、丸々一曲、聞くと……病は回復し、けがは癒える。
父母は最初、レイカの能力を隠そうとしていた。
平凡な家に生まれた娘にそのような力があるとなれば、当然、王宮につれていかれることとなってしまう。
大事な子供をとられてしまう。
子供は、子だくさんな家庭が多い中、兄とレイカだけだったから、余計に子はいとおしかったのだ。
兄の病気の回復を周囲にごまかすのはなんとかできた。薬が効いたとか、医者がよかったといくらでも言い訳はできた。
けれど、レイカは、歌巫女としての宿命からは逃れられなかったのだ。
彼女を包むのは歌いたいという欲求でどれほど両親から禁じられようとその欲求を我慢するのは難しかったのだ。
母に禁じられてからというもの、レイカは外で歌うことはできなくなった。
けれど、歌いたいという欲求は抑えることができなかった。
自室で小声で歌っていても、いつのまにか大きな声で歌ってしまい、母に気付かれて怒られてしまう。
母は言うのだ。
「あなたが歌巫女だと世間に知られてしまうと王宮につれていかれてしまう。大事なあなたをとられたくないの。だからお願い。歌わないで。」と。
涙ながらに言われてしまうと、反抗することなどできはしない。
それでも歌いたい。
歌は好きだったのだ。
母から聞いた子守唄。
兄から教わった歌。
外に出かけたときに聞こえてきた歌。
歌いたい。けれど、歌うことはできない。
大好きな母を悲しませることなどできない。
でも、どうしても抗えぬ衝動がある。
家で家事を手伝ったりして過ごす。掃除、洗濯、料理。けれど、母と2人でしてしまうため、どうしても暇な時間ができてしまう。
忙しいときや、何かやることがあるうちは何も思わないが、どうしても、空白の時間を得てしまうと歌いたいという欲求がこみあげる。
母にばれてしまうと歌えなくなる。
歌いたいが、歌えない…
学校に行けない言い訳は「病弱だから。」とした。兄が病気だったため、その言い訳を疑うものはいなかった。
そして、病弱という設定上、レイカはあまり外にでることがなかった。たまに母の買い物についていく程度。一日のほとんどを家で過ごしていた。
救いの手は意外なところからあらわれた。
「レイカ、僕の部屋で歌えばいいよ。…僕の部屋なら、母さんたちの部屋から遠いし、外からも離れているから外にも歌は聞こえない。」
レイカは兄の提案にすぐさまとびついた。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
それからというもの、レイカは2階の兄の部屋で過ごすことが多くなった。レイカの部屋は1階で両親の部屋の隣にある。だからどうしても自室で歌うとその声は両親の耳に届いてしまう。だからそれを避けて兄の部屋に入り浸るようになった。
兄は、病気が治ってからというもの、学校に通っている。
学校にいない間、許可を得て兄の部屋に入り、学校においてあるのをコピーしてくれた楽譜をみたり、今まで覚えてきた歌を歌ったりする。
すごく楽しい。時の経つのを忘れてしまうほどの楽しさ。
レイカは、学校には通っていない。
女の子でも、学校に通うことは珍しくはないのだが、音楽の授業だけをやすむことはできない。それだけではない。子ども同士の関わりでレイカの力が露見してしまっては困る。両親は、泣く泣く行かせないことにしたのだ。勉強は、自分たち2人と兄が教えればよいと思ったからだ。
「気にしないで歌っていいよ。」
兄が学校から帰ってきて、宿題をやっているとき、レイカは自分の部屋に戻る。けれど、レイカはほんとうはまだ歌いたいのだ。それを理解した兄はいう。
「歌があるほうが集中できていいんだ。」
「いいの?うるさくないの?」
「レイカがいないほうが集中できないよ。」
「いいの?…お兄ちゃん、ありがとう。」
こうして、ますますレイカは兄の部屋で過ごすこととなった。
食事と睡眠以外はほとんど。
兄と2人でいてもほとんど会話はかわさない。
兄は、宿題や読書、レイカは歌っているからだ。
けれど、ふと兄のほうをみると兄はレイカをみてほほえむ。
そしてたまにリクエストをする。
「これを歌って。」
兄のためにミニリサイタルを開き、歌が終わると兄は拍手をしてくれる。
「僕だけの歌姫だね。」などと言いながら。
こうして2人で過ごす時間がレイカは好きだった。
兄が学校でいない間、一人で思いっきり歌えるはずなのにも関わらず兄がいないのをさみしく思ってしまうことが多々あった。
いざ、兄が帰ってくると、すぐさま出迎えた。
「お兄ちゃんお帰り!!」
「ただいま、レイカ。いい子にしていたかい?」
「うんっっ」
その光景をみた父は拗ねる。
「レイカは父さんが帰ってきても出迎えてくれないじゃないか。…そんなに、レオがいいのか…」
「まあまあ、あなた。妬かないの。私が出迎えてるじゃない。」
「レイカにも出迎えられたいんだ…」
そんな幸せな家族の時間。
けれど、崩壊の時は迫ってきていた。
レイカが兄であるレオの部屋で過ごすようになって5年。レイカは10歳、そしてレオは15歳になっていた。
あまりにも仲の良すぎる兄妹に、両親はいい顔をしなくなってきていた。
そんなある日。
「レイカ、レオの部屋にいすぎじゃない?レオの勉強の邪魔になるわよ。いい加減になさい。」
家族4人でのいつもの食卓で母はいった。
「ごめんなさい…。」
レイカ本人も薄々きづいてはいた。
レオがなんといおうと、実際に勉強に集中できようとできていまいと、両親が兄妹の仲が近すぎることを嫌がっているということに。
そして、実際に、自分の存在がレオの邪魔になっているのではないかと思っていたのだ。
何度となくレオに「私のこと邪魔じゃない?」と聞いても、レオは「かわいい妹が邪魔になるわけないだろう。それに、レイカがいてくれたほうが集中できるんだよ。だから気にしないで。」と笑顔で答えてくれる。
その言葉にずるずると甘えているとは自覚してはいた。
けれど、居心地のいい兄の部屋。大好きな兄のそば。なによりも、母にとがめられずに歌をうたえること。
兄の部屋に入り浸ることをやめることなどできはしなかった。
けれど、やはり、よくないのではないか。
レオは、春から都の学校へ進学することが決まっていた。
成績優秀者しか認められていない都の学校への進学。
たしかに、レオは、村でいちばんの成績だった。
村ができて以来の秀才だともてはやされるようにすらなっていた。
そんなレオも、都の学校へ進学し勉強についていくためにはここで予習をしておかなくてはならないのだ。そのため、レオは、朝早くから学校へいき、学校から帰ってきても夜遅くまで勉強をしていた。
レイカはそんなレオの後ろで歌ったり、自分の部屋からもってきたおもちゃで遊んだり、本を読んだりしていた。
レオに遊び相手をされなくても同じ空間にいたかったから。
そして、レイカなりにレオをきづかって、なるべく静かにしていた。
歌を歌うときは、レオがいないときにした。レオから自分がいないときに部屋に入ってもよいといわれていたから。
レオも、いじらしいレイカの気遣いに気付いているようだった。
時には、気分転換だといってレイカの遊び相手をしてくれることだってあった。
また、学校の日には人目をさけて、ピクニックにも連れていってくれた。
家の近くの山にある花畑へ。
「うわああっっ綺麗っっ」とおおはしゃぎし、大喜びするレイカの横で、レオは花をつみ、レイカの耳にかけた。
「やっぱり、よく似合うよ。まるでお姫様みたいだ。」
レイカは、童話が好きだった。とりわけ、お姫様や王子様がでてくる童話が好きでそう言われると嬉しかった。
何事にも起用なレオは、レイカが摘んだ花で花の輪をつくってくれた。それをレイカの頭にのせ、「お姫様にティアラだよ。よく似合ってる。」と誉めてくれた。
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赤くなったほほをレオはつつき、「まるでリンゴみたいだね。」といった。
「りんごじゃないっっ」と言い返すも、レオの瞳の中の自分のほほは真っ赤で、レイカはなにも言い返せなくなった。
けれど、レオが都へいってしまうとなるとそんなことなどできなくなる。
そもそも、帰省すら1年に1回だ。
手紙で連絡をとることくらいしかできなくなる。
徐々にきづきはじめた現実をレイカは認めざるをえなかった。
――そろそろ兄離れをしなくてはならない。
「ごめんなさい。私、お兄ちゃんの邪魔ばかりしていたわ。気をつけるね。」
素直に謝ったレイカ。しかし、レオは…。
――ダン。食卓をたたく音がした。コップにいれた水が震えている。
食卓をこぶしでたたいたのはレオだった。
「レイカは邪魔なんかじゃないよ、母さん。僕はレイカがいてくれるからこそ勉強がはかどるんだ。…ほんとうは都にだってつれていきたいくらいだよ。」
「そうなの?」
母は怪訝そうな視線をレオに向けた。
「そうだよ。それに、集中できるかできないかは僕にしかわからないことなんだ。もしも、レイカが邪魔だっていうんならいうよ。だから、母さんは口をださないでくれないか?」
「わかったわ。余計なことをいってごめんなさいね。」
母はレオの剣幕に押されていた。
そして、それから数日後。
家に王宮からの使いだと名乗る人々が訪れた。
村では到底みないような上質な服を身にまとった彼らは、レイカの家を探し回った。
「ここにいるレイカという娘のことで話がある。」
状況を把握した両親は血の気を失った。
娘が失われてしまうときが来てしまった。
王宮につれていかれたレイカには、なぜか、父母ではなくレオが同行した。父母の同行はなぜか許されなかったのだ。
王宮にて大勢の人の前に連れていかれた。そして、命ぜられた。
「歌え。」と。
レイカは不安げに傍らの兄をみた。
「大丈夫。いつもどおりに歌ってごらん。そうだな、『私は恋を知らない』が聞きたいな。」
レオはささやいた。
兄からのリクエストなら。と安心して歌った。
伴奏などない状況でレイカは歌い始めた。最初は緊張でややかすれたものの、隣に兄がいることで、王宮でしかも見知らぬ人々の前で歌わされていることなど忘れていつものように歌いだした。
歌巫女の存在など眉唾のものでしかないと思っていた人々は驚いた。学校に通ったことなどないという少女の歌はすばらしかったのだ。伴奏などなくても充分にその声は響いていた。
曲を知らなくとも、その歌が至高のものであることは確かだった。
すっかり聞き惚れていた聴衆は、歌い終わったことに気付き、あわてて拍手をする。そして気付く。
やや風邪気味だった者はその症状が癒えていることに。
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レイカが歌巫女であることは明白であった。
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