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(3) 2080年夏、東京~香港
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忍の携帯電話が鳴った。
「坂本少佐、俺です、阿川中尉です。今、どちらです?」
「ああ、もうすぐ戻る。藤永ミロを回収した」
「了解です。その件は自分が手配しました。本部にはいつ?」
「今からミロを連れて戻る。」
「お待ちしてます。」
忍は、ミロに
「さあ、古巣へ戻るか」
と言って微笑みかけると、ミロは、ようやく笑顔を返した。
ホテルに戻ってチェックアウトし、ミロが自分のフォード・ピックアップトラックを運転した。忍は助手席に座って、成長したミロの横顔を凝視する。ミロは運転が格段に上手になっていた。
「私の顔に、何かついてる?」
とミロが前を見たまま言う。
「いい女になったな、と思ってな」
と忍が思ったままを口にすると、ミロは急ブレーキ踏んで目を丸くして忍を見る。他の車のクラクションが、あちこちから聞こえてきた。外は、アスファルトから火炎が登るのではないかというほどの暑さだ。
本部に到着して制服に着替える。ミロは、まだ浮浪者のような恰好のままうろうろしているので、
「おい、制服に着替えろよ」
と言うと、ミロは笑って
「あなたにそれを言われるとは思わなかったよ!」
と言い返し、フォードに再び飛び乗るとそのまま運転して、兵器庫に入っていった。
ジープが一台止まり、呂と阿川が降りてくる。
「少佐!」
と阿川が呼んだ。忍は軽く片手をあげて返事をする。三人が今後の予定を話し合っていると、ようやくミロが制服に着替えて戻ってきた。ミロが身ぎれいになって歩いてくるのを見ると、阿川と呂は目を見張って息を呑んだ。鼻水を垂らしながら忍にしがみついて大泣きしていた少女の、成長した姿がそこにあった。
短い挨拶が済むと、忍は当初の予定どおり、九州での要件を済ませるために先に出発した。忍とミロがつかの間の別れを惜しむ様子を見れば、二人の関係がどう変わったのかは一目瞭然だった。
「あんなになってるとは思わなかったな。多分、坂本少佐は一晩中お楽しみだったんだろうなあ」
と呂がヒュゥと口笛を吹いてそう言うと、阿川は、思わず顔をゆがめる。それを見て呂は怪訝そうな顔をした。
「おいおい、少佐の女好きは今に始まったことじゃないだろ? せいぜい村瀬少尉には、ばれないようにやってほしいもんだ」
「俺は、あの娘には幸せになってほしいんだ」
と阿川はつぶやいた。「あの娘」が村瀬少尉を指すのか、ミロを指すのか、呂にはよくわからなかったが、質問を重ねるほどの興味はなかった。
阿川は、以前、暇つぶしにこっそり兵舎で野良猫に餌付けしていたことがある。陽だまりの中でその猫と楽しそうに遊ぶミロの姿を何度も見かけたことがあった。それは、テストパイロットとしてのミロを知る者には想像もできないような、穏やで優しい普通の少女の姿だった。
呂が
「それではミロ少尉、我々は岩手基地へ出発します」
と声をかけると、ミロは
「また北のほうへ戻るの?…今度は、あんまり頭が痛くなるような実験は嫌だな」
とつぶやいた。
「岩手基地では、少尉は何もしなくていいはずです」
と阿川が返事をし、
「今着ている制服の階級章は、念のために外しておいてください」
と付け加えた。
「ホームでの実験が失敗したようです。」
という、大倉博士の静かな声がスピーカーフォン越しに聞こえてくる。忍は自分のSUVを運転しながら、質問した。「阿蘇まで52分」とナビが告げている。
「7年間もミロをホームに滞在させて、実験が失敗だった、で済むのか?」
「すべて失敗したわけではありません。ここ半年間、精神状態が極めて不安定になっていると報告されています。戻したほうが良いと判断しました」
「ふむ。それで7年間の『成果』とやらは?」
「人間の大脳と兵器を繋ぐ、という当初の目標には大きく貢献しました。ミロはもう大人ですから、今後の開発は軍内部で行っても差支えはないだろう、という判断です。」
「ミロを精神的に安定させ成長させることも、今回の目的の一つだったはずだ。逆の結果になったのはなぜだ」
と忍は大倉にさらに尋ねる。
「導師との信頼関係が崩れたようですな。」
大倉はしれっと答えた。
その導師とやらが、トオルという人物であろうことは容易に想像できた。
「そのクソ野郎は、ミロに随分と余計なことをしてくれたものだな」という言葉を忍はぐっと飲みこんだ。
大倉研究所は、香港にある。忍は、自分が阿蘇の研究所へ向かっていることを告げ、場合によってはそのまま香港まで飛べるかもしれないことを伝えて、電話を切った。
香港国際空港に着陸すると、管制塔からの指示に従い忍はゲートに軍用機を着艦させた。軍の他のお偉方が香港での会議に出席するというので、忍がパイロットを請け負った。到着ゲートをくぐると、むっとした熱気が襲ってくるが、香港空港は中華料理のスパイスの香りがする。そして香港の夏は、東京と同じぐらい暑い。
空港エントランスを出たところで、忍は直属上司である山本大佐に敬礼して言った。
「自分は、この後、大倉研究所に行く予定です。」
山本は、忍をギョロリと見て言った。
「よろしく頼む。004号は、軍が長期的に投資をしている重要案件だ。君の父上が関与していたのは承知しているだろう?」
忍は黙って頷いた。山本大佐は、忍の肩をポンと叩いた。
「くれぐれも極秘で。004号の件は絶対に公式にはできない。君が父上から引き継いだものと思ってくれ」
「坂本少佐、俺です、阿川中尉です。今、どちらです?」
「ああ、もうすぐ戻る。藤永ミロを回収した」
「了解です。その件は自分が手配しました。本部にはいつ?」
「今からミロを連れて戻る。」
「お待ちしてます。」
忍は、ミロに
「さあ、古巣へ戻るか」
と言って微笑みかけると、ミロは、ようやく笑顔を返した。
ホテルに戻ってチェックアウトし、ミロが自分のフォード・ピックアップトラックを運転した。忍は助手席に座って、成長したミロの横顔を凝視する。ミロは運転が格段に上手になっていた。
「私の顔に、何かついてる?」
とミロが前を見たまま言う。
「いい女になったな、と思ってな」
と忍が思ったままを口にすると、ミロは急ブレーキ踏んで目を丸くして忍を見る。他の車のクラクションが、あちこちから聞こえてきた。外は、アスファルトから火炎が登るのではないかというほどの暑さだ。
本部に到着して制服に着替える。ミロは、まだ浮浪者のような恰好のままうろうろしているので、
「おい、制服に着替えろよ」
と言うと、ミロは笑って
「あなたにそれを言われるとは思わなかったよ!」
と言い返し、フォードに再び飛び乗るとそのまま運転して、兵器庫に入っていった。
ジープが一台止まり、呂と阿川が降りてくる。
「少佐!」
と阿川が呼んだ。忍は軽く片手をあげて返事をする。三人が今後の予定を話し合っていると、ようやくミロが制服に着替えて戻ってきた。ミロが身ぎれいになって歩いてくるのを見ると、阿川と呂は目を見張って息を呑んだ。鼻水を垂らしながら忍にしがみついて大泣きしていた少女の、成長した姿がそこにあった。
短い挨拶が済むと、忍は当初の予定どおり、九州での要件を済ませるために先に出発した。忍とミロがつかの間の別れを惜しむ様子を見れば、二人の関係がどう変わったのかは一目瞭然だった。
「あんなになってるとは思わなかったな。多分、坂本少佐は一晩中お楽しみだったんだろうなあ」
と呂がヒュゥと口笛を吹いてそう言うと、阿川は、思わず顔をゆがめる。それを見て呂は怪訝そうな顔をした。
「おいおい、少佐の女好きは今に始まったことじゃないだろ? せいぜい村瀬少尉には、ばれないようにやってほしいもんだ」
「俺は、あの娘には幸せになってほしいんだ」
と阿川はつぶやいた。「あの娘」が村瀬少尉を指すのか、ミロを指すのか、呂にはよくわからなかったが、質問を重ねるほどの興味はなかった。
阿川は、以前、暇つぶしにこっそり兵舎で野良猫に餌付けしていたことがある。陽だまりの中でその猫と楽しそうに遊ぶミロの姿を何度も見かけたことがあった。それは、テストパイロットとしてのミロを知る者には想像もできないような、穏やで優しい普通の少女の姿だった。
呂が
「それではミロ少尉、我々は岩手基地へ出発します」
と声をかけると、ミロは
「また北のほうへ戻るの?…今度は、あんまり頭が痛くなるような実験は嫌だな」
とつぶやいた。
「岩手基地では、少尉は何もしなくていいはずです」
と阿川が返事をし、
「今着ている制服の階級章は、念のために外しておいてください」
と付け加えた。
「ホームでの実験が失敗したようです。」
という、大倉博士の静かな声がスピーカーフォン越しに聞こえてくる。忍は自分のSUVを運転しながら、質問した。「阿蘇まで52分」とナビが告げている。
「7年間もミロをホームに滞在させて、実験が失敗だった、で済むのか?」
「すべて失敗したわけではありません。ここ半年間、精神状態が極めて不安定になっていると報告されています。戻したほうが良いと判断しました」
「ふむ。それで7年間の『成果』とやらは?」
「人間の大脳と兵器を繋ぐ、という当初の目標には大きく貢献しました。ミロはもう大人ですから、今後の開発は軍内部で行っても差支えはないだろう、という判断です。」
「ミロを精神的に安定させ成長させることも、今回の目的の一つだったはずだ。逆の結果になったのはなぜだ」
と忍は大倉にさらに尋ねる。
「導師との信頼関係が崩れたようですな。」
大倉はしれっと答えた。
その導師とやらが、トオルという人物であろうことは容易に想像できた。
「そのクソ野郎は、ミロに随分と余計なことをしてくれたものだな」という言葉を忍はぐっと飲みこんだ。
大倉研究所は、香港にある。忍は、自分が阿蘇の研究所へ向かっていることを告げ、場合によってはそのまま香港まで飛べるかもしれないことを伝えて、電話を切った。
香港国際空港に着陸すると、管制塔からの指示に従い忍はゲートに軍用機を着艦させた。軍の他のお偉方が香港での会議に出席するというので、忍がパイロットを請け負った。到着ゲートをくぐると、むっとした熱気が襲ってくるが、香港空港は中華料理のスパイスの香りがする。そして香港の夏は、東京と同じぐらい暑い。
空港エントランスを出たところで、忍は直属上司である山本大佐に敬礼して言った。
「自分は、この後、大倉研究所に行く予定です。」
山本は、忍をギョロリと見て言った。
「よろしく頼む。004号は、軍が長期的に投資をしている重要案件だ。君の父上が関与していたのは承知しているだろう?」
忍は黙って頷いた。山本大佐は、忍の肩をポンと叩いた。
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