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(2) 2070年、東京
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忍の父親がどういういきさつで、ミロを預かることになったのか、今でも詳しいことは、わからない。忍の父が藤永博士からの連絡を受け、ミロを自宅で引き取ることになったのは記憶している。
「女の子を引き取ることになった」
と父から言われたとき、忍はまだ士官学校の学生で、妹の葵は中学生だった。
学校の帰りに、ミロを迎えに行くように言われ、待ち合わせ場所である新宿駅の西口で、士官学校の制服を着たままその少女を待った。士官学校の制服はエリートの証拠だ。その上に長身で、顔立ちの整った忍は嫌でも目立った。
暑い夏の日の午後だった。
汗が噴き出す。忍は、暑さと他人の視線を受け続けることにイライラし始めていた。
事前に写真を見せられてはいたが、赤いランドセルを背負った少女が、無表情のまま西口の人混みにもみくちゃにされて出てきたとき、なぜかそれがミロであると忍にはすぐにわかった。まさかこんな小さな子供が一人で来るとは思わなかったが、ミロが一人であることも忍にはわかった。
忍は、吸っていたタバコをもみ消して、ミロに歩み寄った。ミロにも彼が忍であるとすぐにわかったらしく、まっすぐに忍を見つめた。忍は、ミロの手を取ると、黙って歩き出した。ミロも無言で忍についていく。忍は地下駐車場にとめてあった父親のメルセデスの助手席のドアを開けてやると、ミロは素直に中に入った。
「そのランドセル」
と忍が初めて声をかけた。ミロは、表情のまったくない瞳で忍を見た。
「今日、学校に行ってたの?」
と尋ねる。
ミロは首を振った。
「赤いランドセルを背負っていれば、見つけてもらいやすいって。博士が言うから。」
忍は、そのままメルセデスを運転してミロを自宅へ連れて行った。二人とも無言だった。
その日、ミロは食事もとらずただひたすら泥のように眠った。
翌週から、ミロは特別研修生という身分で、忍と共に士官学校に通うことになった。実質的には、他の士官学校の生徒と共に授業を受け肉体的な訓練を受けた。最初は「8歳の子供がなぜ」という怒りに近い疑問をほぼ全員が抱いた。しかし、それはすぐに驚嘆と脅威の感情をもって解決した。ミロの知能と体力は、子供のそれではなかった。ミロの肉体も頭脳も、バイオテクノロジーによる操作を受けていることを、誰もがすぐに察知した。しかし口に出すものは一人もいなかった。士官学校は、国家を含む巨大軍産複合体の一部であり、沈黙は暗黙の了解だ。
ミロは、二階堂儀一の精子提供を受け人工授精で誕生した娘であると、のちに父親から知らされた。ミロは、二階堂家の白い肌と淡い体毛を見事に受け継いでいた。しかし間もなく、忍は、ミロの性格は二階堂家のそれとはまったく異なっていることに気づく。ミロは、野良犬や野良猫を常に家に連れてくるような娘だった。以降、忍が二階堂家とミロを感情的に結び付けることは最後までなかった。
ミロに卵子を提供し代理出産を請け負ったのは、二階堂儀一が世界中の卵子バンク登録者から探し出してきた女性で、民族的な混血の激しいパレスチナ地方出身だというのは、藤永博士から聞いた話だ。その女性は、ミロを出産し二階堂家から莫大な報酬を受けると、すぐに中東の自国へ帰国したという。
坂本家、実質的には忍が、ミロの面倒を見るようになってからおよそ1年後、渋谷駅東口の爆発テロに巻き込まれ、忍の両親が亡くなった。犠牲者は57名に及んだ。テロ組織の背後には、二階堂家が存在しているのではないかという憶測と噂が、軍と政府の間をかけめぐった。
忍は、士官学校に入るまで知らなかったが、父と母は正式な夫婦関係ではなく、母は父の愛人だった。美しく優しかった母親は、日本人ではない。明るいブルネットの髪の毛を揺らしながらよくピアノを弾いていた。少し悲しそうな顔で空を見つめていることがよくあった。父は毎日必ず、松濤の自宅に帰宅してふつうに生活をしていたから、忍は二人の婚姻が正式なものだと疑わなかった。しかし、父には日本人の本妻がいた。本妻との間には子供がなく、軍と産業界の結びつきを強めることを目的とした政略結婚だった。
忍の父が、サンフランシスコの米軍基地に派遣されていたときに、忍の母を見初めた。ミシシッピ州の貧困地区出身で、サンフランシスコ州立大学の奨学生をしていた母は、生活費を稼ぐために、テンダーロイン地区のバーでピアノを弾き、歌を歌っていた。父は母を一目見て気に入り、毎晩のようにバーに通い詰めてすぐに深い仲になった。忍の父も、忍のように身長が高く、がっしりとした体躯の好男子だった。赴任期間が終わると、そのまま母を日本へ連れて戻ってきた。そしてそのまま、忍の父は本宅へは一度も戻らず、忍の母と家庭を築いた。
父親の残した莫大な財産の半分、そして東京と京都に複数ある不動産は、日本人の本妻が相続した。忍と葵には、財産の半分と、広大な松濤の自宅が残された。絶対に離婚に応じなかった本妻が、半分の相続を認めた理由は、忍が軍人になることが約束されていたからだ。そもそも、本妻は、父の遺産の数十倍もの資産を持つ富豪一家の出身だった。妹の葵は16歳になっていたから、忍は住み込みの家政婦と執事を手配し、自分とミロは市ヶ谷にある士官学校の寄宿舎へ移った。
忍が、その後ミロを手離さざるを得なくなったのは、ミロが11歳のときだ。
ミロとは、7年ぶりの再会だった。
「女の子を引き取ることになった」
と父から言われたとき、忍はまだ士官学校の学生で、妹の葵は中学生だった。
学校の帰りに、ミロを迎えに行くように言われ、待ち合わせ場所である新宿駅の西口で、士官学校の制服を着たままその少女を待った。士官学校の制服はエリートの証拠だ。その上に長身で、顔立ちの整った忍は嫌でも目立った。
暑い夏の日の午後だった。
汗が噴き出す。忍は、暑さと他人の視線を受け続けることにイライラし始めていた。
事前に写真を見せられてはいたが、赤いランドセルを背負った少女が、無表情のまま西口の人混みにもみくちゃにされて出てきたとき、なぜかそれがミロであると忍にはすぐにわかった。まさかこんな小さな子供が一人で来るとは思わなかったが、ミロが一人であることも忍にはわかった。
忍は、吸っていたタバコをもみ消して、ミロに歩み寄った。ミロにも彼が忍であるとすぐにわかったらしく、まっすぐに忍を見つめた。忍は、ミロの手を取ると、黙って歩き出した。ミロも無言で忍についていく。忍は地下駐車場にとめてあった父親のメルセデスの助手席のドアを開けてやると、ミロは素直に中に入った。
「そのランドセル」
と忍が初めて声をかけた。ミロは、表情のまったくない瞳で忍を見た。
「今日、学校に行ってたの?」
と尋ねる。
ミロは首を振った。
「赤いランドセルを背負っていれば、見つけてもらいやすいって。博士が言うから。」
忍は、そのままメルセデスを運転してミロを自宅へ連れて行った。二人とも無言だった。
その日、ミロは食事もとらずただひたすら泥のように眠った。
翌週から、ミロは特別研修生という身分で、忍と共に士官学校に通うことになった。実質的には、他の士官学校の生徒と共に授業を受け肉体的な訓練を受けた。最初は「8歳の子供がなぜ」という怒りに近い疑問をほぼ全員が抱いた。しかし、それはすぐに驚嘆と脅威の感情をもって解決した。ミロの知能と体力は、子供のそれではなかった。ミロの肉体も頭脳も、バイオテクノロジーによる操作を受けていることを、誰もがすぐに察知した。しかし口に出すものは一人もいなかった。士官学校は、国家を含む巨大軍産複合体の一部であり、沈黙は暗黙の了解だ。
ミロは、二階堂儀一の精子提供を受け人工授精で誕生した娘であると、のちに父親から知らされた。ミロは、二階堂家の白い肌と淡い体毛を見事に受け継いでいた。しかし間もなく、忍は、ミロの性格は二階堂家のそれとはまったく異なっていることに気づく。ミロは、野良犬や野良猫を常に家に連れてくるような娘だった。以降、忍が二階堂家とミロを感情的に結び付けることは最後までなかった。
ミロに卵子を提供し代理出産を請け負ったのは、二階堂儀一が世界中の卵子バンク登録者から探し出してきた女性で、民族的な混血の激しいパレスチナ地方出身だというのは、藤永博士から聞いた話だ。その女性は、ミロを出産し二階堂家から莫大な報酬を受けると、すぐに中東の自国へ帰国したという。
坂本家、実質的には忍が、ミロの面倒を見るようになってからおよそ1年後、渋谷駅東口の爆発テロに巻き込まれ、忍の両親が亡くなった。犠牲者は57名に及んだ。テロ組織の背後には、二階堂家が存在しているのではないかという憶測と噂が、軍と政府の間をかけめぐった。
忍は、士官学校に入るまで知らなかったが、父と母は正式な夫婦関係ではなく、母は父の愛人だった。美しく優しかった母親は、日本人ではない。明るいブルネットの髪の毛を揺らしながらよくピアノを弾いていた。少し悲しそうな顔で空を見つめていることがよくあった。父は毎日必ず、松濤の自宅に帰宅してふつうに生活をしていたから、忍は二人の婚姻が正式なものだと疑わなかった。しかし、父には日本人の本妻がいた。本妻との間には子供がなく、軍と産業界の結びつきを強めることを目的とした政略結婚だった。
忍の父が、サンフランシスコの米軍基地に派遣されていたときに、忍の母を見初めた。ミシシッピ州の貧困地区出身で、サンフランシスコ州立大学の奨学生をしていた母は、生活費を稼ぐために、テンダーロイン地区のバーでピアノを弾き、歌を歌っていた。父は母を一目見て気に入り、毎晩のようにバーに通い詰めてすぐに深い仲になった。忍の父も、忍のように身長が高く、がっしりとした体躯の好男子だった。赴任期間が終わると、そのまま母を日本へ連れて戻ってきた。そしてそのまま、忍の父は本宅へは一度も戻らず、忍の母と家庭を築いた。
父親の残した莫大な財産の半分、そして東京と京都に複数ある不動産は、日本人の本妻が相続した。忍と葵には、財産の半分と、広大な松濤の自宅が残された。絶対に離婚に応じなかった本妻が、半分の相続を認めた理由は、忍が軍人になることが約束されていたからだ。そもそも、本妻は、父の遺産の数十倍もの資産を持つ富豪一家の出身だった。妹の葵は16歳になっていたから、忍は住み込みの家政婦と執事を手配し、自分とミロは市ヶ谷にある士官学校の寄宿舎へ移った。
忍が、その後ミロを手離さざるを得なくなったのは、ミロが11歳のときだ。
ミロとは、7年ぶりの再会だった。
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