21 / 49
幕府滅亡
第五章 紅蓮の途 3.
しおりを挟む
3.
足利軍は、四月の終わりに丹波、篠村八幡宮に入った。
まだ未明だったにも関わらず、各地から駆けつけた源氏の兵で、辺りは、はちきれんばかりの熱気に包まれていた。
「壮観ですな……」
感心しているというよりは、どこか呆けているように師直がつぶやいた。
八幡宮の禰宜の先導で、高氏の軍が奥へ入っていくと、方々から歓声が湧いた。
「およそ一万の兵が集まったようです」
各軍からの報告を受けていた憲房が、高氏に告げる。
この先も増えていきましょう――の言葉に、師直が皮肉に付け加えた。
「勝てば、ですな」
小声だったので、直義にしか聴こえなかったろう。
「負けると思ったら戦などせん」
「道理ですな」
集まった兵に向け、今度は高氏もいちいち士気を鼓舞するような言葉はかけなかった。
社殿の前に来ると、高氏は直義に白い布を寄越した。
広げると旗である。白は源氏の旗印だ。
頼朝公の血筋が絶えた後、北条を恐れ、すべての戦場から消えた旗だった。
思わず師直を振り向くと、師直は驚いて首を大きく横に振った。
「これは……? 兄上が用意していたのですか」
「いや」
否定した高氏の口元が歪んで、笑みの形を作る。
「出陣に際し、得宗殿が餞別に寄越したものだ」
直義は、旗を握り締めて絶句する。
思い返せば、鎌倉を出るにあたって幕府へ寄った際、確かに高時が高氏に何か渡していた。
(あの時の品は、これか!)
高時がどんな気持ちで、白の旗布を用意させたのか、考えるだに複雑な感情が頭と腹で渦巻いた。
(仮にも武家が、源氏の旗印を知らぬわけはあるまい……)
側にいた憲房も師直も、顔から血の気が引いていた。
ただの皮肉か、的外れな好意か、それとも挑発か測り兼ね、動きが止まった直義を、高氏は静かな口調で促した。
「直義、源氏の旗を揚げよ。……ただの布だ。噛み付いたりはせん」
噛み付きはしないでも、呪われるかもしれない――この場にいた、高氏以外の者は皆そう思ったに違いない。
(いや、元より呪われるのは覚悟の上だ)
直義は高氏に一礼して、白い旗を竿に通すと、高々と揚げた。
場が徐々に静まっていく。
旗の意味に気づいた者から口を閉じ、食い入る様に白い布を見つめていた。
「南無八幡大菩薩、ご照覧あれ……」
高氏は、地の底から響いてくるような重い声で唱えると、兵達に背を向けたまま、右手を空を指すように真っ直ぐ振り上げた。
「あれにはためくは、我ら源氏の白旗!」
突然、高氏が大きく張り上げた声に、うおぉぉー!と一万の獣のごとき咆哮が呼応し、大地を揺るがした。
「いざ出陣じゃ。敵は六波羅。北条ぞっ!」
殆ど言葉を成さない唸り声の逆巻く中、高氏は素早く馬に乗って駆け出した。
他の者もあわてて騎乗し、高氏の後を追う。
こうして一万余りの兵は、怒涛の勢いで京を目指した。
足利軍は、四月の終わりに丹波、篠村八幡宮に入った。
まだ未明だったにも関わらず、各地から駆けつけた源氏の兵で、辺りは、はちきれんばかりの熱気に包まれていた。
「壮観ですな……」
感心しているというよりは、どこか呆けているように師直がつぶやいた。
八幡宮の禰宜の先導で、高氏の軍が奥へ入っていくと、方々から歓声が湧いた。
「およそ一万の兵が集まったようです」
各軍からの報告を受けていた憲房が、高氏に告げる。
この先も増えていきましょう――の言葉に、師直が皮肉に付け加えた。
「勝てば、ですな」
小声だったので、直義にしか聴こえなかったろう。
「負けると思ったら戦などせん」
「道理ですな」
集まった兵に向け、今度は高氏もいちいち士気を鼓舞するような言葉はかけなかった。
社殿の前に来ると、高氏は直義に白い布を寄越した。
広げると旗である。白は源氏の旗印だ。
頼朝公の血筋が絶えた後、北条を恐れ、すべての戦場から消えた旗だった。
思わず師直を振り向くと、師直は驚いて首を大きく横に振った。
「これは……? 兄上が用意していたのですか」
「いや」
否定した高氏の口元が歪んで、笑みの形を作る。
「出陣に際し、得宗殿が餞別に寄越したものだ」
直義は、旗を握り締めて絶句する。
思い返せば、鎌倉を出るにあたって幕府へ寄った際、確かに高時が高氏に何か渡していた。
(あの時の品は、これか!)
高時がどんな気持ちで、白の旗布を用意させたのか、考えるだに複雑な感情が頭と腹で渦巻いた。
(仮にも武家が、源氏の旗印を知らぬわけはあるまい……)
側にいた憲房も師直も、顔から血の気が引いていた。
ただの皮肉か、的外れな好意か、それとも挑発か測り兼ね、動きが止まった直義を、高氏は静かな口調で促した。
「直義、源氏の旗を揚げよ。……ただの布だ。噛み付いたりはせん」
噛み付きはしないでも、呪われるかもしれない――この場にいた、高氏以外の者は皆そう思ったに違いない。
(いや、元より呪われるのは覚悟の上だ)
直義は高氏に一礼して、白い旗を竿に通すと、高々と揚げた。
場が徐々に静まっていく。
旗の意味に気づいた者から口を閉じ、食い入る様に白い布を見つめていた。
「南無八幡大菩薩、ご照覧あれ……」
高氏は、地の底から響いてくるような重い声で唱えると、兵達に背を向けたまま、右手を空を指すように真っ直ぐ振り上げた。
「あれにはためくは、我ら源氏の白旗!」
突然、高氏が大きく張り上げた声に、うおぉぉー!と一万の獣のごとき咆哮が呼応し、大地を揺るがした。
「いざ出陣じゃ。敵は六波羅。北条ぞっ!」
殆ど言葉を成さない唸り声の逆巻く中、高氏は素早く馬に乗って駆け出した。
他の者もあわてて騎乗し、高氏の後を追う。
こうして一万余りの兵は、怒涛の勢いで京を目指した。
0
あなたにおすすめの小説
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
神典日月神示 真実の物語
蔵屋
歴史・時代
私は二人の方々の神憑りについて、今から25年前にその真実を知りました。
この方たちのお名前は
大本開祖•出口なお(でぐちなお)、
神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)です。
この日月神示(ひつきしんじ)または日尽神示(ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)に「国常立尊(国之常立神)という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物のことです。
昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に8巻の神示が降りたとされています。
その神示を纏めた書類です。
私はこの日月神示(ひつきしんじ)に出会い、研究し始めてもう25年になります。
日月神示が降ろされた場所は麻賀多神社(まかたじんじゃ)です。日月神示の最初の第一帖と第二帖は第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で岡本天明が神憑りに合い自動書記さされたのです。
殆どが漢数字、独特の記号、若干のかな文字が混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」もあります。
本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻あり、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っています。
日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初は、ほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者達の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年〈大正6年〉11月9日 ~2009年〈平成21年〉6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われているます。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的です。
そのために、仮訳という副題を添えての発表もありました。
なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。
縄文人の祝詞に「ひふみ祝詞(のりと)」という祝詞の歌があります。
日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。
この小説は真実の物語です。
「神典日月神示(しんてんひつきしんじ)真実の物語」
どうぞ、お楽しみ下さい。
『神知りて 人の幸せ 願うのみ
神のつたへし 愛善の道』
歌人 蔵屋日唱
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる