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新政建武
第九章 親征と帰還と 4.
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4.
尊氏は盃の中の酒を、じっと見ていた。
直義は、慎重に言葉を掛けた。
「義姉上は、言葉通りの意味でおっしゃられたのでしょうか? つまり、ここまでの我らと朝廷……護良親王との経過を知りたいと?」
「わしもそう思い、『護良親王が将軍への意欲をみせて、帝が承認した』と告げた。すると、今度は……」
やつれた風情の尊氏は、そこで言い淀んだ。
直義が無言で待っていると、やがて尊氏は、ぼそりと言葉を吐いた。
「征夷大将軍になれぬなら、何故北条を滅ぼしたのか、と訊いてきた」
感情を押し殺した声だった。
直義も思わず息を止めた。
(一瞬、小さく冷たい手が胸に触れたような気がした)
分からぬよう息を吐き、直義が尋ねた。
「兄上は何と……?」
「祖父殿の死に様や、ご先祖の置き文の話をした」
「それで、納得されましたか?」
ややあって、尊氏の声が返る。
「わからん」
尊氏は手にした盃から、一気に酒を飲み干した。
「その夜は、それ以上聞いて来なかったゆえ、納得したのかと思った」
だが、また別の夜、そしてまた別の夜と、登子は思い出したように、同じことを尊氏に聞いて来たという。
「初めは、悪い遊びのようなものだと思った。いい加減にしないか、と怒りもした。だがあれは不思議そうに、何を怒っておるのかと聞き返してくる」
尊氏は諦めて、何度も同じ言葉を繰り返したとのことだった。
直義は思わず、ぞくりと背筋を震わせた。
(これは、兄上でなくとも気を病む)
話を聞いただけの直義でさえ、胸苦しさがこみ上げく来るのだ。
直義は、登子の件を放っておいたことを後悔した。
尊氏の話だけを聞くと、狂っているのだと思えるが、昼間の登子はよく笑い、よく動く。
足利の奥方としての差配にも、ぬかりはなく、家中の評判も良い。
直義は、己の取り越し苦労だったかと、思い直していたくらいだ。
(狂っていないとすれば、恨みか)
足利が――夫が、妻の実家を滅ぼした。
よくある話だが、家の浮沈は世の倣いとして、割り切れなかったのだろう。
「気にされないことです」
直義は、殊更何でもない話のように、兄へ告げた。
「義姉上は、北条が滅んだ後の、荒れ果てた鎌倉にいたのです。気丈に振舞っていても、お心が疲れていたのでしょう。ようやく兄上の元へ来て、安心から胸のつかえを降ろしたのだと思います」
そのうち止みますよ――と、口では言ったが、どの程度で晴れる『つかえ』かは、直義にも分からなかった。
(とにかく自分は、明日には京を出ねばならない)
後は師直に、なるべく夜は尊氏を連れ出せ、登子と二人にするなと言い置くしかない。
今は師直の通うどんな悪所でも、この屋敷よりはましだろうと思えた。
(それにしても……)
「女は怖いものですね。義姉上も、廉子殿も……」
付け加えた名に反応し、尊氏がのろのろと顔を上げた。
「……誰かに、聞いたのか?」
「楠木正成殿の縁者と、少し話をする機会がありまして。帝の寵妃の誘いに乗らぬ兄上を、楠木殿は感心してらしたそうですよ」
「そうか、楠木殿が……」
ようやく尊氏の表情が、嬉しげに緩んだ。
この分なら、廉子の誘いに乗ることもないだろうと、直義は二重にほっとした。
(帝の改革はこのまま失敗し、いずれ終る)
公家一統とはいえ、土地や人事は全て帝や一部の側近達の独裁。
不満は民や武士どころか、公家にまで広がっており、この先良い方向に転ずるという、材料が見つからなかった。
(既に腐敗激しく、遠からず崩壊する宮廷と結んでも、ろくなことにはなるまい)
京は、このまま放置すれば自滅、若しくは西の豪族の間で奪い合いになるだろう。
足利が生き残るためには、その戦火が東に飛び火する前に、関東を掌握する必要があった。
(結局、幕府を開くのが最善なんだろうな)
鎌倉に幕府を開くのが、足利の悲願ではないだろうと、直義はずっと思っていた。
だが幕府という形が、一番武士をまとめやすいのは認めていた。
(しかし……このまま進めば、護良親王の危惧が嫌でも実現しそうだ)
直義は、運命の皮肉を強く感じた。
「兄上。都に飽いたら鎌倉にも来て下さいね」
冗談めかして言って、直義は尊氏の盃に酒を注ぐ。
尊氏は、酒の面を見つめながら、うっとりとした口調でつぶやいた。
「あぁ、我らは源氏だ。東国に勝る居場所はあるまいよ」
直義が「はい」と頷くと、尊氏はようやく微笑んだ。
「お先に参ります」
直義が自分の盃を持ち上げると、尊氏も盃を上げ、力強く言い放った。
「おう! 待っておれよ」
二人は同時に盃を飲み干した。
翌日、直義は兵二千と成良親王を連れ、鎌倉へと出立した。
―――――――――――――――――――――
第九章終了です。
…歴史や物語、はたまた現実で、まだ裏切ってない相手を『いずれ裏切る』と言い続けるのは、相手や周囲に悪いプレッシャーを与え続けることだと思います。
…で、結局裏切ったら『俺の言った通りだ!』ってえばるんですよ。
…周囲からすれば『お前のせいだ!』って言いたいこともあったでしょーね(-_-;)
尊氏は盃の中の酒を、じっと見ていた。
直義は、慎重に言葉を掛けた。
「義姉上は、言葉通りの意味でおっしゃられたのでしょうか? つまり、ここまでの我らと朝廷……護良親王との経過を知りたいと?」
「わしもそう思い、『護良親王が将軍への意欲をみせて、帝が承認した』と告げた。すると、今度は……」
やつれた風情の尊氏は、そこで言い淀んだ。
直義が無言で待っていると、やがて尊氏は、ぼそりと言葉を吐いた。
「征夷大将軍になれぬなら、何故北条を滅ぼしたのか、と訊いてきた」
感情を押し殺した声だった。
直義も思わず息を止めた。
(一瞬、小さく冷たい手が胸に触れたような気がした)
分からぬよう息を吐き、直義が尋ねた。
「兄上は何と……?」
「祖父殿の死に様や、ご先祖の置き文の話をした」
「それで、納得されましたか?」
ややあって、尊氏の声が返る。
「わからん」
尊氏は手にした盃から、一気に酒を飲み干した。
「その夜は、それ以上聞いて来なかったゆえ、納得したのかと思った」
だが、また別の夜、そしてまた別の夜と、登子は思い出したように、同じことを尊氏に聞いて来たという。
「初めは、悪い遊びのようなものだと思った。いい加減にしないか、と怒りもした。だがあれは不思議そうに、何を怒っておるのかと聞き返してくる」
尊氏は諦めて、何度も同じ言葉を繰り返したとのことだった。
直義は思わず、ぞくりと背筋を震わせた。
(これは、兄上でなくとも気を病む)
話を聞いただけの直義でさえ、胸苦しさがこみ上げく来るのだ。
直義は、登子の件を放っておいたことを後悔した。
尊氏の話だけを聞くと、狂っているのだと思えるが、昼間の登子はよく笑い、よく動く。
足利の奥方としての差配にも、ぬかりはなく、家中の評判も良い。
直義は、己の取り越し苦労だったかと、思い直していたくらいだ。
(狂っていないとすれば、恨みか)
足利が――夫が、妻の実家を滅ぼした。
よくある話だが、家の浮沈は世の倣いとして、割り切れなかったのだろう。
「気にされないことです」
直義は、殊更何でもない話のように、兄へ告げた。
「義姉上は、北条が滅んだ後の、荒れ果てた鎌倉にいたのです。気丈に振舞っていても、お心が疲れていたのでしょう。ようやく兄上の元へ来て、安心から胸のつかえを降ろしたのだと思います」
そのうち止みますよ――と、口では言ったが、どの程度で晴れる『つかえ』かは、直義にも分からなかった。
(とにかく自分は、明日には京を出ねばならない)
後は師直に、なるべく夜は尊氏を連れ出せ、登子と二人にするなと言い置くしかない。
今は師直の通うどんな悪所でも、この屋敷よりはましだろうと思えた。
(それにしても……)
「女は怖いものですね。義姉上も、廉子殿も……」
付け加えた名に反応し、尊氏がのろのろと顔を上げた。
「……誰かに、聞いたのか?」
「楠木正成殿の縁者と、少し話をする機会がありまして。帝の寵妃の誘いに乗らぬ兄上を、楠木殿は感心してらしたそうですよ」
「そうか、楠木殿が……」
ようやく尊氏の表情が、嬉しげに緩んだ。
この分なら、廉子の誘いに乗ることもないだろうと、直義は二重にほっとした。
(帝の改革はこのまま失敗し、いずれ終る)
公家一統とはいえ、土地や人事は全て帝や一部の側近達の独裁。
不満は民や武士どころか、公家にまで広がっており、この先良い方向に転ずるという、材料が見つからなかった。
(既に腐敗激しく、遠からず崩壊する宮廷と結んでも、ろくなことにはなるまい)
京は、このまま放置すれば自滅、若しくは西の豪族の間で奪い合いになるだろう。
足利が生き残るためには、その戦火が東に飛び火する前に、関東を掌握する必要があった。
(結局、幕府を開くのが最善なんだろうな)
鎌倉に幕府を開くのが、足利の悲願ではないだろうと、直義はずっと思っていた。
だが幕府という形が、一番武士をまとめやすいのは認めていた。
(しかし……このまま進めば、護良親王の危惧が嫌でも実現しそうだ)
直義は、運命の皮肉を強く感じた。
「兄上。都に飽いたら鎌倉にも来て下さいね」
冗談めかして言って、直義は尊氏の盃に酒を注ぐ。
尊氏は、酒の面を見つめながら、うっとりとした口調でつぶやいた。
「あぁ、我らは源氏だ。東国に勝る居場所はあるまいよ」
直義が「はい」と頷くと、尊氏はようやく微笑んだ。
「お先に参ります」
直義が自分の盃を持ち上げると、尊氏も盃を上げ、力強く言い放った。
「おう! 待っておれよ」
二人は同時に盃を飲み干した。
翌日、直義は兵二千と成良親王を連れ、鎌倉へと出立した。
―――――――――――――――――――――
第九章終了です。
…歴史や物語、はたまた現実で、まだ裏切ってない相手を『いずれ裏切る』と言い続けるのは、相手や周囲に悪いプレッシャーを与え続けることだと思います。
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