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中先代の乱
第十一章 星辰の岐路 3.
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3.
直義は手を堅く握り締め、気迫を籠めて叫ぶ。
「やめろっ!」
声と同時に直義は飛び出したが、突然、親王の背後から強い風が吹き、直義の体をその場に押し留めた。
「そうだ。やりすぎだな」
聞き取りづらく不明瞭だったが、どこかで聞いたような声がした。
それと同時に、遠くで鳴る鐘楼の音が聞こえて来た。
ヒュゥーイィー……っという甲高い鳥の声も次々、辺りに響き出す。
(そうか……)
いつかこれと似たようなことがあったと、直義は思い出した。
(この場所に着いた当初から、天狗の張った『幕』の中に捕えられていたのか)
以前にも同じ手妻で、天狗に闇へ閉じ込められた。
(若宮大路だった。得宗館へ急いだ道で、夢窓禅師に救われて……)
ほんの2、3年前なのに、もう何十年も前のことのように思えた。
直義が述懐に囚われかけた時だった。
誰もいない、何もなかったはずの護良親王の背後から、もう一人、天狗の面を付けた男が現れた
男は、口を開け呆然と己を見上げている親王の手から、易々と千寿王を奪い取った。
新たな天狗は、やはり呆然としていた直義に向かってぼやいた。
「……全く、鎌倉が明日をも知れぬというから急いで来たのに、主人はいない。総領の御曹司もいない……で、館は大騒ぎだ」
面の中から聞えて来る声はくぐもり、今一つはっきりとしない。
だがその背格好に、直義は覚えがあった。
直義は眉を寄せ、唇を舐め、新たに現れた天狗に向かって半信半疑で名を呼んだ。
「正季……?」
声に応じるように、男はくいっと指で天狗の面を持ち上げた。
「久しぶりだな、直義殿」
外された面の下では楠木正季が、最後に会った日と変わらぬ、愛嬌のある顔で笑っていた。
「貴様っ……その面はどうした!?」
結界が解かれてから、根が生えたようにその場を動かなかった天狗が、強い声で正季を詰問する。
「この上の山ン中にいた奴からもらったよ。お師匠さんに伝言を頼んだから、もういないがな」
軽く返した正季は、手の中で、天狗の面をくるくる回した。
天狗は、仮面の下の表情が察せるほどに、重苦しく恨み深い声を上げた。
「……夢窓の犬が。貴様だとて、もともと異形の民であろう!」
「だから? なんだ?」
正季はあざ笑うように、口の端を引き上げた。
「今の世、異形なんてどこにでもいる。京の帝や、ここにいる皇子すら、前例のない行動を繰り出す異形の民だ。受け入れられぬと世をすねて、山に篭れば偉いとでも思っているのか?」
直義が思わず、ぞくりっとしたほど冷たい声だったが、天狗は意に介さず再び吠えた。
「異形の帝であればこそ、我らが力添えをしたのだ! そうだ、流人を帝に就けたのは我らぞ!」
護良親王の顔が不快げに歪む。
「あの帝が、天狗に恩など感じるものかよ!」
正季は豪快に笑い飛ばした。
「使うだけ使われて、忘れられた腹いせか? こんな場所へまで来て、御子相手に憂さ晴らしとは、天狗もかわいらしいものだな」
「貴様!」
怒りで弾かれたように、天狗が正季に向かっていった。
正季は慌てず、軽々と左腕に千寿王を抱きかかえ、素早く右の手首を振った。
「ぐっ……!」
投げられた飛礫は足に当たったようで、天狗は膝から崩れ落ちた。
次は肩に。
容赦なく飛礫が喰いこんだのが、直義にも見えた。
うぎゃあぁ、という悲鳴が山の空気を割いて響いた。
「面は取らないでやろう。さっさと鎌倉から出るんだな。童を弄んだ件では、太郎坊も怒っているぞ」
太郎坊という名を聞いた途端、天狗の様子が変わった。
のろのろと立ち上がり、足を引き摺りながらも後退する。
「……これで、終ると思うなよ。そこにいる足利の弟は元より、貴様も、貴様の兄も、後醍醐の息子にも先はないのだからな!」
最後の最後まで、怨嗟に満ちた呻きを撒き散らした天狗の姿は、やがて木々に紛れて消えた。
「余計なお世話だ」
直義は不吉な言葉の余韻を掻き消すように、毅然と断じた。
一呼吸置いて、正季が楽しげに、謡うようにつぶやいた。
「だから俺はあんたが好きなんだよ、直義殿」
正季の能面のようになっていた顔は、ゆるりと解けていたが、束の間、顔を哀しげに歪めたのが見えた。
以前正季が、星を読む姉がいると言っていたのを、直義は思い出した。
正季の知る定めは、直義が考えるよりずっと、重いものなのかもしれない。
だが……
「先に何があるにしても、俺には今だけで手一杯だ」
直義が、誰にともなしに告げた。
うん、と頷き、顔を上げた正季の口元には、もう常のような笑みが浮かんでいた。
その顔からは、天狗に向けた冷たい表情も、先程の泣きそうな表情も伺い知れない。
(取り外しが出来るのは、何もあの天狗の面だけじゃない)
誰もみな様々な面を持ち、使い分けているのだろうと、直義は不意に思う。
例えば、登子や廉子――花のような女達が背後に飼う、謀略の陰。
本気で感謝を告げた心を、次の瞬間、あっさり地に投げ捨て去る後醍醐帝。
(親王の殺害を、最後まで俺に下知できなかった兄上にも、弟に見せたくない面があるのだろう)
見せたくない面は大抵、よくない話につながっている。
人の隠す部分を、直義はなるべく見ないようにしていたし、叶うことならこれからも見たくない。
(知ろうとしない罰は、いずれ受けるのだろうよ)
……それはそれでよい、と思ってしまう自分は案外、尊氏以上に壊れた存在なのかもしれない。
こんな時だというのに、何かおかしかった。
直義は手を堅く握り締め、気迫を籠めて叫ぶ。
「やめろっ!」
声と同時に直義は飛び出したが、突然、親王の背後から強い風が吹き、直義の体をその場に押し留めた。
「そうだ。やりすぎだな」
聞き取りづらく不明瞭だったが、どこかで聞いたような声がした。
それと同時に、遠くで鳴る鐘楼の音が聞こえて来た。
ヒュゥーイィー……っという甲高い鳥の声も次々、辺りに響き出す。
(そうか……)
いつかこれと似たようなことがあったと、直義は思い出した。
(この場所に着いた当初から、天狗の張った『幕』の中に捕えられていたのか)
以前にも同じ手妻で、天狗に闇へ閉じ込められた。
(若宮大路だった。得宗館へ急いだ道で、夢窓禅師に救われて……)
ほんの2、3年前なのに、もう何十年も前のことのように思えた。
直義が述懐に囚われかけた時だった。
誰もいない、何もなかったはずの護良親王の背後から、もう一人、天狗の面を付けた男が現れた
男は、口を開け呆然と己を見上げている親王の手から、易々と千寿王を奪い取った。
新たな天狗は、やはり呆然としていた直義に向かってぼやいた。
「……全く、鎌倉が明日をも知れぬというから急いで来たのに、主人はいない。総領の御曹司もいない……で、館は大騒ぎだ」
面の中から聞えて来る声はくぐもり、今一つはっきりとしない。
だがその背格好に、直義は覚えがあった。
直義は眉を寄せ、唇を舐め、新たに現れた天狗に向かって半信半疑で名を呼んだ。
「正季……?」
声に応じるように、男はくいっと指で天狗の面を持ち上げた。
「久しぶりだな、直義殿」
外された面の下では楠木正季が、最後に会った日と変わらぬ、愛嬌のある顔で笑っていた。
「貴様っ……その面はどうした!?」
結界が解かれてから、根が生えたようにその場を動かなかった天狗が、強い声で正季を詰問する。
「この上の山ン中にいた奴からもらったよ。お師匠さんに伝言を頼んだから、もういないがな」
軽く返した正季は、手の中で、天狗の面をくるくる回した。
天狗は、仮面の下の表情が察せるほどに、重苦しく恨み深い声を上げた。
「……夢窓の犬が。貴様だとて、もともと異形の民であろう!」
「だから? なんだ?」
正季はあざ笑うように、口の端を引き上げた。
「今の世、異形なんてどこにでもいる。京の帝や、ここにいる皇子すら、前例のない行動を繰り出す異形の民だ。受け入れられぬと世をすねて、山に篭れば偉いとでも思っているのか?」
直義が思わず、ぞくりっとしたほど冷たい声だったが、天狗は意に介さず再び吠えた。
「異形の帝であればこそ、我らが力添えをしたのだ! そうだ、流人を帝に就けたのは我らぞ!」
護良親王の顔が不快げに歪む。
「あの帝が、天狗に恩など感じるものかよ!」
正季は豪快に笑い飛ばした。
「使うだけ使われて、忘れられた腹いせか? こんな場所へまで来て、御子相手に憂さ晴らしとは、天狗もかわいらしいものだな」
「貴様!」
怒りで弾かれたように、天狗が正季に向かっていった。
正季は慌てず、軽々と左腕に千寿王を抱きかかえ、素早く右の手首を振った。
「ぐっ……!」
投げられた飛礫は足に当たったようで、天狗は膝から崩れ落ちた。
次は肩に。
容赦なく飛礫が喰いこんだのが、直義にも見えた。
うぎゃあぁ、という悲鳴が山の空気を割いて響いた。
「面は取らないでやろう。さっさと鎌倉から出るんだな。童を弄んだ件では、太郎坊も怒っているぞ」
太郎坊という名を聞いた途端、天狗の様子が変わった。
のろのろと立ち上がり、足を引き摺りながらも後退する。
「……これで、終ると思うなよ。そこにいる足利の弟は元より、貴様も、貴様の兄も、後醍醐の息子にも先はないのだからな!」
最後の最後まで、怨嗟に満ちた呻きを撒き散らした天狗の姿は、やがて木々に紛れて消えた。
「余計なお世話だ」
直義は不吉な言葉の余韻を掻き消すように、毅然と断じた。
一呼吸置いて、正季が楽しげに、謡うようにつぶやいた。
「だから俺はあんたが好きなんだよ、直義殿」
正季の能面のようになっていた顔は、ゆるりと解けていたが、束の間、顔を哀しげに歪めたのが見えた。
以前正季が、星を読む姉がいると言っていたのを、直義は思い出した。
正季の知る定めは、直義が考えるよりずっと、重いものなのかもしれない。
だが……
「先に何があるにしても、俺には今だけで手一杯だ」
直義が、誰にともなしに告げた。
うん、と頷き、顔を上げた正季の口元には、もう常のような笑みが浮かんでいた。
その顔からは、天狗に向けた冷たい表情も、先程の泣きそうな表情も伺い知れない。
(取り外しが出来るのは、何もあの天狗の面だけじゃない)
誰もみな様々な面を持ち、使い分けているのだろうと、直義は不意に思う。
例えば、登子や廉子――花のような女達が背後に飼う、謀略の陰。
本気で感謝を告げた心を、次の瞬間、あっさり地に投げ捨て去る後醍醐帝。
(親王の殺害を、最後まで俺に下知できなかった兄上にも、弟に見せたくない面があるのだろう)
見せたくない面は大抵、よくない話につながっている。
人の隠す部分を、直義はなるべく見ないようにしていたし、叶うことならこれからも見たくない。
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