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転章(二) 野望の男たち

第一回 独眼竜、再び

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 天下が欲しい。
 何としても、天下が。
 それは、藩祖・独眼竜政宗から脈々と受け継がれた、伊達家の呪いにも似た欲求だった。
 黒河城二の丸御殿、奥書院。
 夜である。部屋の四隅には、百目蝋燭。煌々とした光の中、伊達蝦夷守だて えみしのかみ継村つぐむらは関東から東北にかけた地図を広げ、一刻余り眺めていた。
 地図は一畳ほどの広さで、諸侯の名前の他に勤王であるか佐幕であるか、反田沼と言われる清流派であるか、田沼に追従する濁流派であるか、注意すべき豪族・盗賊・侠客・商人・豪農の名前まで、詳細に記されている。
 継村は時折、その地図を指でなぞってみる。そうする事で、見えてくるものもあるのだ。だが今夜は、まだ何も浮かんではいない。

(天下か……)

 それに向かって、歩み出したばかりだ。目指すものは、遠い。それも、果てしなく。
 独眼竜政宗は、遅く生まれたが故に天下を掴めなかった。覇を唱えようとした時には、天下の趨勢は決していたのである。黒河に封じられてからも幾度となく足掻いたか、徳河幕府は揺らぎもしなかった。

(政宗公は、ときに恵まれなかったのだ)

 自分はどうか。最近、それをよく思う。
 諸外国の来冦や不逞浪人の謀叛、田沼の独裁への不満と改革の歪み、その間隙を突いて朝廷の反幕分子が西国の外様大名と結び付き、何やら蠢動しゅんどうしている。
 これは乱世の前兆ではないか。そう思うからこそ、家老・鬼庭右京おににわ うきょうを表向きの指導者として、この乱世がもっと混沌とするように動いてはいる。
 だが、今一つ大きな衝撃が足りない気もする。天下が覆されるかのような衝撃が。

(将軍か田沼の暗殺……)

 確かに、そうなれば一気に乱世となるであろう。そうした謀略を企ててみたいとは思うが、まだ来たるべき乱世を戦い抜くだけの準備が、この黒河藩には足りない。
 四年前、二十一歳の時に家督と蝦夷守えみしのかみの名を継いだ。第一の難関は、無能だった父が散らかした財政問題である。
 継村は、その問題を密貿易という禁忌で解決した。南方で産出される砂糖を、蝦夷地で売り捌くのだ。そこでは〔おろしぁ〕の商人が待っていて、こちらは西洋の文物を購入する。
 密貿易で上がる利は、想像以上に莫大だった。他にも阿芙蓉あふようにも手を出したかった。これは漢土もろこしから入ってくるのだが、密輸入の道が確立されていて、中々手が出せない。二度ほど配下に探らせたが、一人として戻っていない。
 兎も角、財政は好転した。故に、今は人材登用と軍制改革に着手している。少しずつ人材を入れ替え、藩主を頂点にする体制を作り上げているが、まだまだ十分とは言えない。
 継村は、傍に置いていた瓢箪を煽った。中には、下り物の酒である。

(忌々しいな)

 継村の鋭い眼は、東北と関東を遮る壁のように立ちはだかる夜須藩に向いた。
 奇しくも同じ歳である夜須藩主・栄生利景は、継村にとっても黒河藩にとっても、不倶戴天の敵である。
 江戸で会う度に、穏やかな笑みを見せ親しげに話し掛けてくるが、それが偽善のように見えて胸糞悪い。事実、夜須藩の仮想敵国はこの伊達家黒河藩なのだ。
 夜須藩も乱世を睨んでか、早急な改革に励んでいるらしい。利景は元来病弱だが、聡明な君主として天下に知られ、幕府と民衆に対して忠義を掲げている。こうした愚直な男は厄介だ。伊達が挙兵した時、相討ち覚悟で攻めてくる可能性がある。幕府と民衆を守る為に。
 故に継村は、夜須の勤王党を煽り、要人に刺客を差し向けた。だが、その全てに置いて、未だ満足な結果は得られなかった。
 御手先役。
 念真流という幻の流派を使う剣客が、この全てを阻止したのだ。その存在も知られておらず、黒脛巾組くろはばきぐみに命じて調べさせたが、誰一人として帰還しなかった。
 御手先役のようなものが黒河藩にもあれば、謀略の幅も広がるであろう。それは常々考えている事だった。本来は忍びである黒脛巾組では、どうも打撃力に劣るのである。

「殿」

 襖の向こうから声がした。片倉藤四郎かたくら とうしろうである。

「おう、入れ」

 藤四郎は、黒河藩首席家老である片倉備中かたくら びっちゅうの三男で、母は継村の乳母。つまり、藤四郎とは乳兄弟の間柄である。父の小姓として寵愛されていたが、切れ者で剣もよく使う為、その死後は側用人として使っている。

「まだ帰らぬのか」
「色々とございまして。今夜は宿直とのいを予定しております」
「精が出るのう」
「何ほどでもございませぬ」

 藤四郎は顔を上げると、抑揚も無く言った。昔から感情の起伏が無い男で、何があっても涼しい顔をしている。
 幼少の頃、父に寵愛されている事を妬んだ同僚が、藤四郎の茶に山葵を入れるという悪戯をした事がある。その茶を藤四郎は何食わぬ顔で飲み干すと、企てた同僚にお代わりを所望したという。そして、その悪戯を画策した主犯格は、数日後に不審な死を迎えた。野盗に襲われて斬り死にしたらしいが、何とも藤四郎らしいと継村はそれを聞いて笑ったものだった。
 そうした事もあり、藤四郎は周りからは変わり者、或いは不気味だと避けられている。だが継村は、その藤四郎を嫌いではない。慣れたという事もあるが、藤四郎だけが〔天下への野望〕を共有してくれる唯一無二の友なのだ。本人は謙遜して臣下の礼をとっているが、少なくとも継村はそう思っている。

「殿、ご報告がございます」

 藤四郎は、継村の前へと膝行しっこうして告げた。

「申せ」
「念真流を使う者を見付けました」
「何?」

 継村は、思わず聞き返した。

「念真流を使う者を見付けたのです、殿」

 そう言えば、藤四郎に漏らした事がある。御手先役が我が家中におれば、と。藤四郎はそれを密かに実行していたのだ。

「俺の独り言を聞いていたのか。流石だな、お前は」
「その者の腕をお見せしとうございますが、如何いたしますか?」

 考えるよりも先に、継村は頷き立ち上がっていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 深夜。城を出た。
 咎める者はいない。この黒河で、頂点に君臨するこの継村を抑える者など、存在しないのだ。
 供回りは、藤四郎が直率じきそつする近侍隊の十名である。継村には小姓などもいるが、いざと言う時に身を守るのは、藤四郎が厳選したこの護衛達だった。
 夜の城下を馬で疾駆し、藤四郎が馬を止めたのは、虻鍬川あぶくわがわの河川敷だった。
 虻鍬川は、河川舟運かせんしゅうんの主要路として往来が頻繁な河川であるが、この時分には流石に誰もいない。

「ここで見られるのか?」

 鞍上の継村が、下馬し轡を取っている藤四郎を一瞥した。すると藤四郎が頷き、

「では……」

 と、片手を挙げた。
 一斉に、篝火が焚かれた。眩い光が闇を浸食すると、継村は怜悧な両眼を細めた。

「ほう」

 そこに居たのは、三人の武士だった。
 正面に控えるのは、総白髪の老人。身体は細く小さい。その一歩後ろには二人の若い男だった。

「やれ」

 藤四郎が命じると、篝火が届かぬ闇の中から、浪人風の男達が現れた。十名以上はいるであろうか。手には刀。既に抜いている。

「あれは?」

 継村は、藤四郎に耳打ちをした。

「食い詰め浪人でございます。三人の内、一人でも倒せば、全員を召し抱えるという約束をしております」
「面白い趣向だ」

 継村が悪戯顔で笑うと、藤四郎はいつもの無表情で頷いた。

(手が込んでおるわ)

 召し抱えるとなれば、浪人共は目の色を変えて挑んでくるであろう。
 だが、継村が目にしたのは呆気ないものだった。
 三人の武士が、跳躍して着地する。その度に、血飛沫が立つ。それで終わりなのだ。浪人達が刀を振る暇もない。
 ほぼ一息。それで、十六もの骸だけが残った。

「これは、想像以上だ。しかし、呆気ないな」
「ですが、これが念真流なのでしょう」
「ふむ」

 継村は下馬し、三人の前に進み出た。三人は咄嗟に膝を着いて、刀を差し出した。

「俺が伊達蝦夷守だ。名を訊こう」
それがしは、平山幻舟ひらやま げんしゅう。後ろの二人は、息子の平山六郎ひらやま ろくろうと、弟子の平山孫一ひらやま まごいちと申す」

 息子の六郎は、歳を取ってからの子なのか、思いのほか若い。二十歳そこそこだろう。一方、孫一という弟子は三十路は越えていそうだ。この中では、最も立派な体躯をしている。

「見事な腕だった。まるで幻術の類だな」
「有難きお言葉を賜り、かたじけのうございます。我ら九州の香春かわらにおりました所、そこにおられる片倉殿に呼ばれ馳せ参じました。何でも、この力が欲しいと」
「そうだ。おぬしらは念真流を使うのであろう?」
「如何にも」
「その力を、俺の為だけに使って欲しい」
「我々を召し抱えるという事でございますか?」
「そうだ。勿論、それなりの報酬や待遇を約束しよう」
「具体的には?」
「さしあたり、夜須藩の御手先役と同じものを」
「ほう、宗家と」
「その御手先役が如何なる集団なのか我々は掴んでおらぬが、いずれ同じものか、それ以上のものを約束する」
「その代わりに、戦えという事ですな」
「そうだ。夜須の念真流を潰せ」

 すると、幻舟の目が一瞬だけ光り、そして快活に笑った。

「お引き受け申した。我らは、宗家より追放されし一族のすえ。その宗家を潰す事は、長年の悲願であり、野望でございます」
「そうか。お互いに利害が一致したのだな。それとだ、おぬしらが言う宗家とやらについても教えて欲しい。御手先役について、何も知らぬのだ」
「無論。これより我々は蝦夷守様の家臣でございますれば、何なりと御命じ下さい。ただ一つだけ、出来ぬ事がありますが」
「何だ、それは?」
「念真流を伝える事。実戦での戦い方は幾らでも教示しましょう。ですが、念真流だけは、選ばれた者にしか伝えませぬ」
「なるほど。それほど誇り高いものなのか?」
「ええ。念真流を使う者は、平山姓を名乗らせるのが伝統でございます。宗家ではその伝統が蔑ろにされる事もありますが、我々はその矜持を大切にしております」
「頼もしいな。よかろう、詳しくは藤四郎と話すがよい」

 継村は踵を返し、馬に飛び乗った。
 鞭を入れ、駆け出す。すぐに近侍隊が追従してくる。

(これで、戦える)

 俺は、戦える。利景と互角に。その先には、江戸、京都。そして天下がある。
 身体を打つ夜風の心地良さの中で、継村はわらっていた。
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