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第五章 寂滅の秋(とき)

第二回 懸念(後編)

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 珍しい男が訊ねて来た。
 栄生帯刀。栄生家一門衆筆頭とされる男である。
 三郎助が、代官所棟に駆け込んでそれを知らせに来た。余程驚いたのか、息を弾ませている。
 三郎助にとって、帯刀は雲の上の存在だ。慌てるのも無理はない。

(いや三郎助だけではないな)

 この夜須藩の九割以上の人間にとって、仰ぎ見るのも憚られる存在だろう。しかも、今は、かつてのような飼い殺しにされた部屋住みではない。強大な影響力を持つ藩主の後見役なのだ。
 清記は読みかけの報告書を仕舞い、すぐに行くと伝えた。

(しかし、何用だろうか……)

 帯刀は利景の叔父で、若宮庄九千石の邑主である。夜須藩の中では無役だが一門衆筆頭という立場にあり、平山家が持つ裏の役目も当然知っている。何かお役目についての話かもしれない。この男からお役目を言い渡された事は、一度や二度ではないのだ。
 帯刀は、決して嫌いな男ではなかった。付き合いも長く、無頼を気取っているが切れ者である。ただ、この男に関わると何かが起きるのだ。弟もその中で、命を落とす羽目になってしまった。故に、帯刀の来訪に眉を潜めてしまう。
 帯刀は、客間で待っていた。
 茶を啜り、三郎助が出した草餅を頬張っている。余程旨いのだろう、目尻から顎先にかけて深い刃傷がある強面だが、それが少年のように微笑んでいる。そうした所は、昔から変わらない。

「よう、平山の」
「これは帯刀様、元気そうで」

 会うのは、いつ振りだろうか。すぐに思い出せないほど、久し振りだった。

「お前さんは、ちと顔色悪いな」
「色々と問題がありまして、ここ数日忙しかったのですよ」
山人やまうどの事か」
「よくご存じで」

 そうは言っても、清記は驚かなかった。帯刀は飄々としながら抜け目ない男である。藩の各地に密偵を潜ませているぐらいの事は簡単にする。

若宮うちでも、たまにある。百姓に足蹴にされる山人には同情するが、かと言って肩入れは出来ん。百姓は武士の生命線だからなぁ」

 清記は頷いた。百姓に迎合する事はないが、機嫌を損なうと大変な事になる。必要な事は公平性だった。

「で、上手く収まったのか?」
「ええ、勿論」

 喧嘩の一件が、磯田によって見事に収められた。双方の言い分に根気よく耳を傾け、落としどころを見事に見つけ手打ちに導いたという。堅苦しい文官だけではないとは思っていたが、想像以上の成果だった。これからも同様の摩擦は起きるだろうが、今回はこれでいい。

「それは結構。して、相変わらず男やもめか?」

 帯刀が、出されていた茶に手を伸ばした。

「妻がいなくても気が利く者がおりますので」
「あの執事か。お前にゃ過ぎ足るもんだな」
「そのような事を言いにわざわざ訪ねたのですか?」
「だとしたら?」
「若宮様らしい」

 帯刀は鼻を鳴らした。この男は、〔若宮様〕と呼ばれる事を嫌う。その理由は判らないが、同じ渾名でも〔御別家〕と呼ばれる兵部はそれを嫌ってはいない。

「遠乗りの帰りさ。最近は小忙しく旅も行けてねぇからな」

 帯刀は、放浪癖がある。領地の経営を家臣に任せ、ふらっと数日間の旅に出る風来坊なのだ。それを利景は呆れ顔で咎めるが、当の本人は改める事はない。旅か領地か、そう迫れば迷わず旅、と答える。それが帯刀という男だ。

「しかし、家中の方々は大変でしょう。主がふらっと居なくなるのですから」
「ふん。それがそうでもねぇんだよ、平山。慣れちまってんだ、俺がいない事に。意外と伸び伸びしてやがる」
「なるほど。しかし、羨ましい」

 そうは言ったものの、旅が好きかどうか判らない。平山家にとって、旅は闘争への道程なのだ。待っているのは、剣と流血である。雷蔵は旅が好きだと言うが、自分は楽しいと思った事は一度もない。

「そういえば、雷蔵は元気かい?」
「雷蔵ですか」

 帯刀が、不敵に笑んで頷く。それは、何か意図を持った質問である事に間違いない。

「さて、今は武者修行に出ておりまして」
「修行ねぇ。どんな修行をしているのだか」

 帯刀は、もう一つ草餅に手を伸ばした。歯応えのある餅で、くちゃくちゃと咀嚼音も盛大だ。

「俺の領地なわばりに、雷蔵に似た若造がいてねぇ」
「……」
「酒を飲み、賭場に出入りし、安い女郎と遊んでやがる。一度な、喧嘩をしているのを見掛けた。相手を散々痛めつけていたな。それで逆上した相手が刀を抜くと、その若造は容赦なく斬り捨てやがった。浪人同士の喧嘩だからと捨て置いたが、中々凄い使い手だったぜ」
「浪人は取り締まるべきですよ、帯刀様。領内の勝手仕置きが許されていてもです」
「ほう、俺に説教か」
「助言です」

 すると、帯刀は鼻を鳴らし横を向いた。別に気を悪くしたわけではない。それほど懐が狭い男ではないし、見ても判る。帯刀が視線を逸らしたのは、それが〔的を射た助言〕だったからであろう。
 帯刀の勝手気儘な行動。或いは若宮庄の領有。それは、彼の父である利貞、兄の利永、甥の利景という三代の藩主に、その人柄を愛されたからだ。しかし、次の藩主がそうであるとは限らない。利景の子、常寿丸以外の藩主が立った場合は特に。

「平山よ、最近の兵部をどう思う?」

 帯刀が視線を戻して言った。声色は低い。それは世間話ではなく、本気の問いだった。

「御別家様を?」
「そうだ」

 これか。清記は、そう思った。帯刀が訪ねて来た理由。新たに持ち込んだ、波乱の種。

「どうも俺は気になるんだよ、あいつが」
「山筒隊ですか」

 帯刀が頷く。

「中々の精鋭でした」

 清記が山筒隊を見たのは、雷蔵と堂島丑之助の立ち合いでだった。堂島の所在を掴んだ兵部は、山筒隊を城下から長駆させ、立ち合いに横入りして堂島を射殺したのだ。新式銃を装備した兵の練度は高く、尽く堂島の身体に命中していた。

「堂島の時か」
「ええ。正直、横槍を入れられるとは思いませんでした。こうした例は、今までに無かった事ですし」
「そうさ。異母兄とは言え、一介の家臣が精鋭の私兵を堂々と率いる事もな」
「時勢を考えれば、仕方ないのかもしれません」
「そうかい? 最近では、腕っこきの浪人を集めているぜ」
「浪人を?」

 清記は眉を顰めた。それは初耳だったのだ。そもそも浪人の入国は、藩法で禁じられている。

「中でも厳選して召し抱えているそうだ。本人は『浪人対策』だの『浪人で浪人を取り締まる』だの『斬るより味方にする方が合理的』だの言っているがな」
「お殿様は何と?」

 そう訊くと、帯刀は首を振った。

「最近はお加減が悪くてね。その件については、何も聞いておらぬ」
「そうですか」
「銭の出どころも気になる。いくら犬山家が富豪だとしてもだ」
「確かに」

 清記は腕を組み、大きく息を吐いた。
 それに、あの銃を得た過程も気になる。恐らく、長崎経由であろうが、それにしても何者かの口利きがあるはずだ。

(もしかしたら……)

 蝦夷地。ロシア。或いは、江戸の田沼。
 いや、考え過ぎだ。そのようなはずはない。と、かぶりを振った。

「犬山兵部から、目を離すなよ。口ではお殿様に忠誠を誓っているが、本当の所は判らねぇ。不気味だ」
「帯刀様。もう平山家を藩内の政争に巻き込まないでくだされ」
「……弟の事か」

 それに清記は返事をしなかった。何も言わなくても、帯刀は判っているのだ。政争が絡んだ家督相続問題が原因で、この手で弟を斬る事になってしまった事を。

「お前も、兵部の噂について知っているだろう?」
「……」
「ふふ。遠慮は無用だ。どうせ、兄貴も兵部のお袋も死んでんだ」

 兵部の噂。それは、その生まれだった。兵部の母・タキは側室にもなれぬ卑しい身分で、兵部が生まれると梅岳に引き取られ養育されたという事になっている。それは事実だが、その種は利永ではなく梅岳ではないか? 噂されているのだ。
 タキは犬山家で働いていた下女で、利永が屋敷を訪れた際にタキを見染てお手付きになったと表向きにはされている。しかし実際は、梅岳が妾同然だったタキを利永に献上し、その時には既に子を宿していたという。
 くだらない噂のように聞こえるが、火のない所に煙は立たぬと言うし、梅岳ならばありえると、この噂は一部の間では実しやかに囁かれている。

「万が一、あいつが藩主になってみろ」

 清記は、帯刀の話を聞きながらかぶりを振った。
 判っている。しかし、兵部が藩主になる事などありはしないだろう。利景には、常寿丸という後継ぎがいるのだ。
 それよりも、帯刀と兵部の対立の方が気になる。

(お殿様が亡きあとは、どうなるのだ)

 栄生家が、二つに分かれる。帯刀と兵部が原因で、そうなるかもしれない。不吉な予感が清記の脳裏に過った。
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