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第三回 抜け忍狩り
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村が燃えていた。
煙。長閑な炊煙ではない。禍々しく破壊の色を含むものが、空へと立ち上がっている。
猟師の恰好をした柏原三無は、見晴らしのよい巨樹の上から、燃える村を眺めていた。
筑前早良郡、鴬平。
山間の僅かな平地に拓かれたその村は、探題方に与する御家人の領地で、宮方に攻められ略奪を受けているのだ。
白馬に跨がった武者が、逃げ遅れた子どもを射倒しては殺戮を愉しみ、付き従う雑兵達といえば、女や金品を奪う事に躍起になっている。
村と領民を守るべき武士と郎党の姿は無い。恐らく先日の大戦で、一族郎党の殆どが討死しているのだろう。それ程の敗戦だったと、噂で伝え聞いていた。
「おうおう、やっておるわ」
と、三無は独り言ちに呟いただけで、目の前の惨状に対し、驚きも怒りもない。略奪と殺戮は、見慣れた光景であり、故郷の元風景でもある。
(しかし、飽きんのかのう、毎日毎日)
その一方で、日々繰り返される侍共の狂宴に、些か呆れる思いもするが、三無はそれを否定しない。
この国は今、北都帝と南都帝が並び立ち、二分されていた。それぞれが崇高な志を唱えて鎬を削っているが、根は同じ。所詮は、己が欲を満たす為だけに戦っているのだ。欲しいものは、力で奪う。それが、この国が始まって以来の真理であり、南北の朝廷はそれに従っているに過ぎない。
そして、自分もその狂宴に陰ながら加わる事で、生き永らえてきた。だが、五十路を越えた今、それがふと虚しく感じる事もある。
母の股座から、この地獄に生まれ落ちて五十余年。多くの戦を見てきた。朝廷が挙兵し、戦に戦を重ねて鎌倉の幕府は滅んだが、また新しい幕府が生まれただけで、泰平の世が訪れる気配は微塵もない。
(いかん、いかん)
と、三無は邪念と呼ぶべき感傷を、頭から拭い去った。
三無は、忍びである。それも九州では〔魍魎が如き輩〕と忌み嫌われる、浮羽忍。乱れた世でしか生きられない、哀れな性を持つ、非ず人。畜生なのだ。世が乱れているからこそ、忍びの働き処があり、銭を得る事が出来る。人が互いに憎み、疑い、殺し合わねば、忍びとしての活計が成り立たない。
「さて、働くかの」
五十を過ぎて多くなった独り言で自らに気合を入れると、三無は木から木へと跳び移り、街道に降り立った。
「……」
人通りはない。しかし、三無はおもむろに地面に伏せると、片耳を地にあてた。
音。馬蹄である事は間違いない。まだ遠いが、十騎はいる。
三無は伏せたまま、四肢を以て軽やかに跳躍し、再び木の上に戻った。
暫くして、騎馬武者の一団が姿を現した。旗指し物を見るに、筑前国の御家人・原田党である。探題方であったが、昨今宮方に寝返ったという話を耳にした。生き残る為の裏切りだろう。それは武士の美徳でもある。
(おう、来た来た)
と、三無は足下を通過する騎馬武者を数えだした。
(ひぃ、ふぅ、みぃ……)
ななつで数えるのを止め、三無は舌打ちをした。騎馬武者は八騎だった。
街道を進むのを諦め、三無は森の中を駆ける事にした。音も立てず、息も切らさずに駆ける。所謂〔忍び走りの術〕というものだ。
(ふむ。まだ足腰は確かだ)
駆ける足は、老いてはいない。読みは外れる事もあるが、そうなった時にどう対処するか、そこまで想定しているので、狼狽える事は無い。老いと引き換えに得た、経験というものだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
足を止めたのは、半刻ほど後の事である。多少拓けた場所だった。
微妙な氣の流れを感じた三無は、木に登ると、足早に進む若い武士の姿を認めた。
「来たか、卯平……」
今は栖原権兵衛と名乗っているらしいが、紛れもなく草野組の下忍、卯平である。
卯平は、抜け忍である。愚かしい事に、武士になりたいと、草野組を無断で抜けたのだ。
草野組を含む浮羽忍の掟では、組抜けは重罪である。身内にも類が及ぶほどであるが、幸いにも卯平の身内は死に絶えたので、何の迷いも無く抜けたのだろう。
卯平は今年で二十歳になる若者で、今は亡き卯平の父親と三無は、友と呼べる間柄だった。卯平には忍術を教導した事もある。
言わば弟子とも呼べる関係だが、敵になれば殺し合う事に、三無は何の迷いもない。それが浮羽忍の性なのだ。
三無は木から降り、降り積もった枯葉の中に身を隠した。土遁の一種、〔木の葉隠れの術〕である。そして、内心で九字を切り、精神を集中した。
自らの存在を、完全に消す為だ。無息、無音、無臭。無息とは氣、即ち気配の事である。
氣を消し、音を立てず、身体の臭いも発しない。この三つを併せて〔三無の術〕とし、自ら編み出したこの忍術を名乗りにもしている。
この術の為に、三無は鍛錬の他に、酒や獣肉・大蒜も断っている。口にすると、臭いを発するからだ。また、臭いを消す為に薬草を配合した軟膏を作り、お役目の際には脇や陰部に塗りもしている。
卯平が近づいてきた。息を呑む。肌が粟立つ。この瞬間だけは、慣れない。慣れてはいけない、とも思う。
卯平が真横に迫る。三無は、なおも枯葉の下で息を潜めた。どうだ。気付くか。卯平よ。老境に足を踏み入れた、我が術を見破れるか。
だが、卯平は傍にいながら、そのまま通り過ぎた。
三無は、ほくそ笑んでいた。どうやら卯平は、武士になるが為に、忍びの勘すら捨てたようである。
(いや、違うのう)
忍びの勘を捨てずとも、この術を破る事は出来ない。それは自分が、先代の草野右京亮より〔名人〕の異名を与えられるほどの術達者だからだ。
卯平が完全に背を向けた。一歩。そして二歩目の足を出したその瞬間、三無は跳ね起き、宙で小太刀を抜き払った。
刃を立て、背後から組み付く。卯平が振り向いた。目が合う。卯平が生まれた日の事が、ふと脳裏を過ぎった。友であった父親は、卯平の誕生を喜び、近所に自慢して周っていた。それを儂は笑って眺めていた。小遣いをやった事もあれば、悪さをして叱った事もある。懐かしい。そう思ったのは一瞬で、小太刀を首筋に打ち込んだ。
「馬鹿な奴じゃ、お前は」
死んだ卯平を前にして、三無は言った。勿論、返事はない。生の色を失った目を見開いている。
「武士になろうなど考えるから死ぬのじゃ。我ら浮羽忍は魍魎が如し輩。非ず人の畜生じゃ。どうして人になれようか」
三無は、髷掴むと首を手早く落とした。これを持ち帰ると、多少の銭と交換する事が出来る。
「だが、お前が抜けてくれたお陰で、銭が貰えるのじゃ。儂としてはありがたいがの」
そう言うと、三無は喉を鳴らすように低く笑った。
煙。長閑な炊煙ではない。禍々しく破壊の色を含むものが、空へと立ち上がっている。
猟師の恰好をした柏原三無は、見晴らしのよい巨樹の上から、燃える村を眺めていた。
筑前早良郡、鴬平。
山間の僅かな平地に拓かれたその村は、探題方に与する御家人の領地で、宮方に攻められ略奪を受けているのだ。
白馬に跨がった武者が、逃げ遅れた子どもを射倒しては殺戮を愉しみ、付き従う雑兵達といえば、女や金品を奪う事に躍起になっている。
村と領民を守るべき武士と郎党の姿は無い。恐らく先日の大戦で、一族郎党の殆どが討死しているのだろう。それ程の敗戦だったと、噂で伝え聞いていた。
「おうおう、やっておるわ」
と、三無は独り言ちに呟いただけで、目の前の惨状に対し、驚きも怒りもない。略奪と殺戮は、見慣れた光景であり、故郷の元風景でもある。
(しかし、飽きんのかのう、毎日毎日)
その一方で、日々繰り返される侍共の狂宴に、些か呆れる思いもするが、三無はそれを否定しない。
この国は今、北都帝と南都帝が並び立ち、二分されていた。それぞれが崇高な志を唱えて鎬を削っているが、根は同じ。所詮は、己が欲を満たす為だけに戦っているのだ。欲しいものは、力で奪う。それが、この国が始まって以来の真理であり、南北の朝廷はそれに従っているに過ぎない。
そして、自分もその狂宴に陰ながら加わる事で、生き永らえてきた。だが、五十路を越えた今、それがふと虚しく感じる事もある。
母の股座から、この地獄に生まれ落ちて五十余年。多くの戦を見てきた。朝廷が挙兵し、戦に戦を重ねて鎌倉の幕府は滅んだが、また新しい幕府が生まれただけで、泰平の世が訪れる気配は微塵もない。
(いかん、いかん)
と、三無は邪念と呼ぶべき感傷を、頭から拭い去った。
三無は、忍びである。それも九州では〔魍魎が如き輩〕と忌み嫌われる、浮羽忍。乱れた世でしか生きられない、哀れな性を持つ、非ず人。畜生なのだ。世が乱れているからこそ、忍びの働き処があり、銭を得る事が出来る。人が互いに憎み、疑い、殺し合わねば、忍びとしての活計が成り立たない。
「さて、働くかの」
五十を過ぎて多くなった独り言で自らに気合を入れると、三無は木から木へと跳び移り、街道に降り立った。
「……」
人通りはない。しかし、三無はおもむろに地面に伏せると、片耳を地にあてた。
音。馬蹄である事は間違いない。まだ遠いが、十騎はいる。
三無は伏せたまま、四肢を以て軽やかに跳躍し、再び木の上に戻った。
暫くして、騎馬武者の一団が姿を現した。旗指し物を見るに、筑前国の御家人・原田党である。探題方であったが、昨今宮方に寝返ったという話を耳にした。生き残る為の裏切りだろう。それは武士の美徳でもある。
(おう、来た来た)
と、三無は足下を通過する騎馬武者を数えだした。
(ひぃ、ふぅ、みぃ……)
ななつで数えるのを止め、三無は舌打ちをした。騎馬武者は八騎だった。
街道を進むのを諦め、三無は森の中を駆ける事にした。音も立てず、息も切らさずに駆ける。所謂〔忍び走りの術〕というものだ。
(ふむ。まだ足腰は確かだ)
駆ける足は、老いてはいない。読みは外れる事もあるが、そうなった時にどう対処するか、そこまで想定しているので、狼狽える事は無い。老いと引き換えに得た、経験というものだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
足を止めたのは、半刻ほど後の事である。多少拓けた場所だった。
微妙な氣の流れを感じた三無は、木に登ると、足早に進む若い武士の姿を認めた。
「来たか、卯平……」
今は栖原権兵衛と名乗っているらしいが、紛れもなく草野組の下忍、卯平である。
卯平は、抜け忍である。愚かしい事に、武士になりたいと、草野組を無断で抜けたのだ。
草野組を含む浮羽忍の掟では、組抜けは重罪である。身内にも類が及ぶほどであるが、幸いにも卯平の身内は死に絶えたので、何の迷いも無く抜けたのだろう。
卯平は今年で二十歳になる若者で、今は亡き卯平の父親と三無は、友と呼べる間柄だった。卯平には忍術を教導した事もある。
言わば弟子とも呼べる関係だが、敵になれば殺し合う事に、三無は何の迷いもない。それが浮羽忍の性なのだ。
三無は木から降り、降り積もった枯葉の中に身を隠した。土遁の一種、〔木の葉隠れの術〕である。そして、内心で九字を切り、精神を集中した。
自らの存在を、完全に消す為だ。無息、無音、無臭。無息とは氣、即ち気配の事である。
氣を消し、音を立てず、身体の臭いも発しない。この三つを併せて〔三無の術〕とし、自ら編み出したこの忍術を名乗りにもしている。
この術の為に、三無は鍛錬の他に、酒や獣肉・大蒜も断っている。口にすると、臭いを発するからだ。また、臭いを消す為に薬草を配合した軟膏を作り、お役目の際には脇や陰部に塗りもしている。
卯平が近づいてきた。息を呑む。肌が粟立つ。この瞬間だけは、慣れない。慣れてはいけない、とも思う。
卯平が真横に迫る。三無は、なおも枯葉の下で息を潜めた。どうだ。気付くか。卯平よ。老境に足を踏み入れた、我が術を見破れるか。
だが、卯平は傍にいながら、そのまま通り過ぎた。
三無は、ほくそ笑んでいた。どうやら卯平は、武士になるが為に、忍びの勘すら捨てたようである。
(いや、違うのう)
忍びの勘を捨てずとも、この術を破る事は出来ない。それは自分が、先代の草野右京亮より〔名人〕の異名を与えられるほどの術達者だからだ。
卯平が完全に背を向けた。一歩。そして二歩目の足を出したその瞬間、三無は跳ね起き、宙で小太刀を抜き払った。
刃を立て、背後から組み付く。卯平が振り向いた。目が合う。卯平が生まれた日の事が、ふと脳裏を過ぎった。友であった父親は、卯平の誕生を喜び、近所に自慢して周っていた。それを儂は笑って眺めていた。小遣いをやった事もあれば、悪さをして叱った事もある。懐かしい。そう思ったのは一瞬で、小太刀を首筋に打ち込んだ。
「馬鹿な奴じゃ、お前は」
死んだ卯平を前にして、三無は言った。勿論、返事はない。生の色を失った目を見開いている。
「武士になろうなど考えるから死ぬのじゃ。我ら浮羽忍は魍魎が如し輩。非ず人の畜生じゃ。どうして人になれようか」
三無は、髷掴むと首を手早く落とした。これを持ち帰ると、多少の銭と交換する事が出来る。
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