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ボクの"エラブヒト"
観覧車のチョウジョウデ。
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「敦!」
こっち,と手を挙げる。
敦は僕を見つけて,綺麗なフォームで僕に駆け寄った。
待ち合わせは現地の入り口になったアーチ前。
少し古いそのアーチには,この施設のオリジナルキャラクターがくっついていて子供受けもするだろうと思う。
うさぎと……コアラ,だっただろうか。
ぱっと見では判断の付かないキャラクターだ。
そんなここは,高校からそう距離のない位置にある遊園地。
僕から誘った初めてのデートだ。
敦の家でゆっくり過ごしたり,少し遠出することはあっても一日中外で遊ぶのは初めてで,僕は少しどきどきしていた。
敦は僕といて,楽しいだろうか。
「じゃあ,行くか。遊園地なんていつぶりだっけ」
「僕も。実は,小さいころに一回だけ。小学校だったか中学校だったか,遠足の日は確か熱を出して参加しなかった」
その一回はまだ,僕が問題を起こしてS・Pだと発覚する前。
両親との数少ない思い出だ。
もう,一緒に連れられてきたのだという事実しか覚えていない。
ただ,こんなに古びてはいなかったはずだ。
「何から乗る? ……絶叫とか,乗れるのか?」
僕の話を聞いて,驚いた敦は気を遣うように首を傾げた。
「さあ? でも,そうだな……。」
僕はそう狭くない園内を見渡して,ひとつ選んで指をさす。
「僕はあれに乗りたい」
僕の指に沿って顔を向けた敦は,それを見てぎょっとした。
「なんで乗れるかも分からないのに一番ハードなのに乗りたがるんだ」
呆れたような言葉に,僕はむっとして敦を覗き込む。
僕がさしたアトラクションは,テレビでしかみたことのないようなジェットコースター。
一番目立っていて,人もたくさんのっているという理由だったが,反対されるとかえって乗りたくなってしまう。
「敦,乗れないの?」
そんな風に揺さぶってみても
「乗れるけど。そうじゃないだろ,伊織。一度乗ったら終わるまで下りられないんだぞ。それに気持ち悪くなったら」
敦は一切煽られることなく,冷静に言葉を返してきた。
そんなことわかってるってば。
三太だったらもっと簡単だったのに,と頬を膨らます。
「もっと優しいやつ……あの辺とか」
空中ブランコ・メリーゴーランド……
「やだ。子供が楽しめばそれでいい奴じゃないか。ほら,敦は乗れるんだろ? 行くぞ」
ぐいと右腕を引っ張る。
僕なんかの力で引けるはずもないが,優しい敦は無抵抗で体をゆだねた。
「知らないからな」
耳に届いたその言葉に,僕は口角あげた。
「…おり,いい加減休憩にしないか? まだ乗りたいならまた後で付き合うから」
「え?」
気づけば日も高い。
敦が僕をそんな風に止めたのは,4回目のジェットコースターを乗り終えた時だった。
なおもトライしようとする僕に,敦が待ったをかけたのだ。
1回目はさすがに胃が揺れたが,何故かハマってしまいずっとそればかり乗っていた。
怖さもあるけれど,風が気持ちよくて……
1回目で敦の腕をつかんだのがウソのように,僕は楽しんでいた。
何故,あの遠足の日,熱など出してしまったのか。
けれど敦の言うことも一理ある。
僕らはまだ,ジェットコースターにしか乗っていないのだか。
それもそうだなと頷くと,敦はほっとしたように息を吐いた。
そんな顔しなくても……
そうして移ったレストランは,思ったよりも空いていて。
僕らは簡単に昼食にありついた。
「にしてもびっくりした。まさかあんなに何度も乗って平気な人間がいるなんて」
「晴れてよかったよね」
雨だったら僕は二度とあんな体験をすることは無かった事だろう。
「あ。伊織,それ一口ちょうだい」
僕らが昼食のメニューに選んだのはどちらもカレーのセット。
敦はノーマルの一番人気なカレーセットで,僕はチキンカレー。
「いいよ」
当たり前のように,敦が使っているスプーンでまだ一切手を付けていないところを掬う。
それを返さず真っ直ぐ突き出せば,敦は大人しく大口を開けてそれを受け入れた。
無防備かつ大胆なその光景に,僕はほんの少し頬を膨らませる。
「僕も貰っていい?」
「ああ」
食洗係の人に悪いと思いながらも,カチャッと新しいスプーンを取り出し,差し出されたお皿にさっくりとさした。
スプーンを変えるほどの潔癖のくせに他人が口をつけた場所には平気でスプーンをいれるという少々歪な行動に,少しドキドキする。
さらにはその手をきゅっと包むように掴まれて,僕は思わずわっと声を上げた。
そっとスプーンを取られ,僕はしぶしぶ口を開ける。
敦は僕の口に僕がすくったカレーを含ませて,幸せそうに笑った。
もちろん,すぐにスプーンは取り返したけれど。
僕は照れ隠しのような不機嫌な顔で,もぐもぐとそれを咀嚼する。
どうしてか,一口しか食べていないそれは,僕のよりずっと美味しい気がした。
「じゃあ,順番に他も回るか」
そういって連れていかれた先は,最初に僕がノーと言った乗り物たち。
散々ジェットコースターに付き合ってもらった後だからとおとなしく空中ブランコのシートベルトを締める。
お姉さんの合図とゆかいなメロディーに合わせて,ふわりと足元が浮いた。
「う,わぁ?! 敦!」
「?」
「どうしよう,怖い!」
「は?」
「う……うわぁぁぁぁぁ」「「「「きゃぁぁあぁぁぁあ!!!!」
上下に揺れる。
ふわりふわり,うをぉんと揺れる。
ぎゅっとバーを握って,僕は悲鳴を上げながら瞳を閉じた。
「大丈夫か?」
「うん,なんとかね」
「ジェットコースターに比べればこんなのへでもないだろ」
敦の言葉に僕はむっと口を尖らせる。
「振り回されるのは平気なんだ。足元がないまま浮かされるのが嫌……でもそこまで悪くなかったよ。もう乗らないけど」
そんな調子で,敦の指すアトラクションに次々と臨んでいった。
いかにも子供しかならんでいないようなアトラクションに並ぶのは恥ずかしかったけれど,乗ってみるとどれも悪くないと思えるものだった。
最後の最後に,敦は渋る僕を連れてメリーゴーランドに乗せた。
「敦」
スタッフのお姉さんの声がする。
動き出すようだ。
僕は敦を向かないで,反応した敦に言葉を投げた。
「ありがとう。朝はああいったけど,本当は少し,乗ってみたかった」
隣に並んだ馬じゃ,僕の顔は背けていったって見えているだろう。
僕は少しも敦を見ていなかったけど,敦が僕の言葉に笑ったのが分かった。
「やっぱり一度くらいは経験しておかなきゃな」
やっぱり……
敦は,遊園地の記憶がないといった僕のために,自分も付き合って色んなアトラクションを回ってくれたんだ。
回るメリーゴーランドはゆるく上下して,僕に知らない目線を教えてくれた。
……?
夕日がなにかのアトラクションに隠れるのを見た時,僕の視界なのか脳内なのか,わからない世界がちかちかと光る。
思わず目を細めると,僕の頭にある少しの記憶が呼び起こされた。
『やだよ,あれは女の子が乗るやつでしょ! ままが乗りなよ,僕ぱぱと待ってるから』
『なんでぇ? ふふ。いいから。一緒に乗りましょう。……ほら,ままというお姫様を守る騎士様が必要だわ。それにかっこいい騎士には真っ白なお馬さんが必要でしょう?』
『う,ぅん……? それなら……』
『ぱぱ! ちゃんと撮っておいてね!!』
そして僕は,カメラが向く度顔を背けて……母親に,おかあさんに。
そうだ,怒られたんだ。
もう一度乗せられそうになるところを逃げ回って,お父さんはカメラを下ろして笑っていたっけ。
「り,伊織!」
いつの間に終わったんだろう。
ピクリとも動かず,降りようともしない僕を見て,いつからだろう。
敦は不思議そうに僕を待っていた。
「降りれないのか? ほら」
そんなはずもなかったが,僕は無防備に両手を広げる敦の胸に飛び込んだ。
「う”ん……」
僕より太い首に抱き着きながら,思わず涙ぐんだ瞳を拭う。
そうだ,僕は……あの人たちに,愛されていた。
それなのに,お腹を痛めて産んで,愛してくれたのに。
何も返せないまま,そうまでしてくれた僕という”息子”を,あんなひどい形で奪ってしまった。
あの人たちはもっと普通に,自分たちとの息子と幸せになる権利が確かにあったはずなのに。
……あの後,2人はどうしたのだろう。
僕に,妹か弟がいたりするんだろうか。
僕ももっと,愛されたかった。
「どうする? もう帰るか? 一度乗ったやつでもいいけど」
「まだ,乗ってないやつ,あるだろ」
立ち止まった僕を,敦は振り返った。
「あれ,乗りたい」
僕を見て,敦は困惑しながら頷いた。
扉が閉まる。
観覧車のゴンドラは,乗り込むまでも動き続けていて驚いた。
無言が流れる中,次のゴンドラに乗り込むほかの客を眺めながら,僕はようやく口を開いた。
「敦,君に話がある。僕らの今後に関わる重要な話だ。いつか話すと約束した」
ちらりと視線を向ける。
敦は何かを悟ったような顔をして,静かにうなずいた。
そうだ,君が感じている通り,これは。
僕らが別れる話だ。
ハッピーエンドなんて最初から存在しない,ラブストーリーの終わりを僕から今告げるだけの話だ。
ゆらゆらと揺れるゴンドラに頭を預けて,どくどくと全身をめぐる音をかき消すように目を閉じる。
そして,世界が無音になったように感じた時。
僕はゆっくりと話し始めた。
今まで僕に起こったこと。
僕が何者であるのか。
敦は困惑していた。
だけど,僕が至って真剣だと悟ると,さらに瞳を困惑に染めた。
そして,僕のマスクに目をとめる。
僕は苦笑して,外してみせた。
S・ Pを抜きにしても,こんなに口元を注視されたことはなく,若干の抵抗があったけれど。
僕はそれでも構わないと思った。
「和寧はそれを知って……?」
そうだ,それもあった。
「そうだよ。ちょっと,事情があって」
その事情が知りたいと知りながら,口にして。
敦はぎゅっと眉を顰め,今度は首を傾げた。
「でも,そういえばリューと」
「それも,事情があって」
ごめんね,敦。
ここまで来ても言えないことばかり。
僕のことならば何でも話そうと腹をくくってはいるけれど,2人の事は別。
これは性別とか,性癖とか……そういうプライベートな話だ。
許可も貰っていないうちに,勝手に話してしまうなど出来るはずもない。
許可を取っておくべきだったかと考えているうちに敦はもう次の一言を決めていた。
「それを聞いたら,俺が伊織を拒否すると?離れていくと思って……?」
僕は,その言葉に息を止めた。
敦のその瞳は,さながら迷子の子供のようで。
だからこそ,敦はもう分かってるんだ。
「違う」
敦が僕を置いていくんじゃない。
「離れたいのは,僕の方だ」
敦がグッと奥歯を噛むのが分かった。
わがままだと自覚している僕は,何も言うことができない。
「頂上だな」
ふと敦がそんな事を言う。
この観覧車は20分で回り切ると,そう書いてあった。
あと10分か,とぼんやり考えて,僕はまさかと目を見張る。
S・Pの強烈な効果は10分以内にふっと消えると,そんな話をしてしまった。
肩に手を置かれ,膨らみのある唇が迫ってくる。
僕ははっとして,それを両手で拒んだ。
「待て敦,待って! 本気で言ってるの?」
羞恥と困惑と,僕を思う喜びで泣きそうだ。
僕は正直構わない。
今この密室で敦に襲われ,例えぐちゃぐちゃにされてそれを誰かに目撃されても。
僕はひとつも構わない。
僕はもう,死んだってかまわないんだ。
でも敦はそうじゃない。
体裁も将来もある。
そんな危ないこと
「賭けをしよう。伊織。疑ってるわけじゃない。ただこんな風に別れるのは嫌だ。もし,俺が耐えられたら……もう逃げないでくれ。いくつ隠し事があってもいいだから」
吐息が両手にかかる。
僕は本気なのだと分かって,本気で狼狽えた。
だめだ,僕は。
敦にこんな瞳を向けられて,これ以上拒む事なんて出来ない。
もう一度,今度は右手で僕の手首を掴んで。
簡単に抗えるほどの力だと感じながらも,僕は。
促されるまま,その手を外して受け入れた。
あぁ,神が存在するなら。
あなたは本当に最低だ。
こんなにも幸せな悪夢を,僕に突きつける。
二人の混ざった吐息が,空に溶ける。
僕は,敦を見つめて,たった一言問いかけた。
「ねぇ。どう? 敦。ー僕の事,まだ好き……?」
「……ああ,好きだ」
幸福で,幸福で。
その頬を流れる涙に微笑みを向ける。
顔が歪むのは止められなかったけれど,だけど。
ありがとう。
苦しいよね,ごめんね。
うん,うん……~っ。
ごめん。
君のことが,僕は世界で一番大好きだ。
ー結局,敦は僕の毒に抗えなかった。
それは僕にしてみれば思った通りで,敦を責められるはずもない。
寧ろ今,こうして耐えて座っているだけ奇跡に近い。
全部このどうしよもない僕のため。
溢れる僕への好きの感情を止められなくて,だからこそ敦は僕のために涙を流したのだ。
何が自分の気持ちなのか分からない。
そんな本物と判断のつかない残酷を,初めて体験して,僕のために悲しんだ。
それで,充分だろう?
地球があと何回回ったら,なんて僕らの間にそんな長い猶予はない。
言いたいことは,今言わなくちゃ。
この観覧車が,あと半周したら。
それが僕らのサヨナラのとき。
じわりと何かが心に染み渡る。
不安定な足場で,僕は立ち上がった。
ありがとうと,そう敦の耳に囁いて,無かったことにするようにその頭を抱き締める。
……ドキドキするね。
今,僕の心音が君の耳に届いていることだろう。
だけどきっと,敦,君もだね。
それが"どっち"の意味なのか,あるいはどちらもなのか。
そんなことが,今だけはどうでもいいように思えた。
君は僕を,本当に好きでいてくれたのだろう。
そっと腕を外す。
敦はサヨナラの空気を徐々に感じ取り,不安と焦りで一杯の瞳を,僕に向けた。
嬉しい。
僕は初恋の敦の大切な人になれて,大切にされて,嬉しかったよ。
それが僕のわがままの結果で,君を不幸にするのだとしても。
敦は何も言わない。
僕はそっと,外していたマスクを耳に掛けた。
途端,敦が苦しそうな顔をする。
その敦に,僕はにこりと笑顔を向けた。
ばいばい,敦。
敦がうつ向く。
僕らの間に,もう言葉は必要ない。
その眉間は狭くなり,歯は痛みそうなほど食い縛られて。
強く震える拳に僕は困り笑い,そっと,目線を外した。
中途半端に,恋を持ち込んでごめんなさい。
次はどうか,まともな恋が出来ますように。
その震える拳が,優しさが,どうか無駄になりませんように。
ずっとずっと失われませんように。
僕は動けない敦の代わりに,敦だけもう一周と頼んで1人で帰った。
来た時は2人だったのに。
だけどこれは,今日が来る前から決まっていたこと。
覚悟していたこと。
なのに,痛い。
胸が痛くて仕方ない。
泣くな、泣くな。
お願いだから,止まってくれ。
僕の恋の終わりを,僕に知らしめないでくれ。
今だけは,あの人生最後のキスを。
幸せだったと思わせてほしい。
僕は,また,敦に出会う前の空っぽな感情を抱きしめて。
長い夜に眠った。
こっち,と手を挙げる。
敦は僕を見つけて,綺麗なフォームで僕に駆け寄った。
待ち合わせは現地の入り口になったアーチ前。
少し古いそのアーチには,この施設のオリジナルキャラクターがくっついていて子供受けもするだろうと思う。
うさぎと……コアラ,だっただろうか。
ぱっと見では判断の付かないキャラクターだ。
そんなここは,高校からそう距離のない位置にある遊園地。
僕から誘った初めてのデートだ。
敦の家でゆっくり過ごしたり,少し遠出することはあっても一日中外で遊ぶのは初めてで,僕は少しどきどきしていた。
敦は僕といて,楽しいだろうか。
「じゃあ,行くか。遊園地なんていつぶりだっけ」
「僕も。実は,小さいころに一回だけ。小学校だったか中学校だったか,遠足の日は確か熱を出して参加しなかった」
その一回はまだ,僕が問題を起こしてS・Pだと発覚する前。
両親との数少ない思い出だ。
もう,一緒に連れられてきたのだという事実しか覚えていない。
ただ,こんなに古びてはいなかったはずだ。
「何から乗る? ……絶叫とか,乗れるのか?」
僕の話を聞いて,驚いた敦は気を遣うように首を傾げた。
「さあ? でも,そうだな……。」
僕はそう狭くない園内を見渡して,ひとつ選んで指をさす。
「僕はあれに乗りたい」
僕の指に沿って顔を向けた敦は,それを見てぎょっとした。
「なんで乗れるかも分からないのに一番ハードなのに乗りたがるんだ」
呆れたような言葉に,僕はむっとして敦を覗き込む。
僕がさしたアトラクションは,テレビでしかみたことのないようなジェットコースター。
一番目立っていて,人もたくさんのっているという理由だったが,反対されるとかえって乗りたくなってしまう。
「敦,乗れないの?」
そんな風に揺さぶってみても
「乗れるけど。そうじゃないだろ,伊織。一度乗ったら終わるまで下りられないんだぞ。それに気持ち悪くなったら」
敦は一切煽られることなく,冷静に言葉を返してきた。
そんなことわかってるってば。
三太だったらもっと簡単だったのに,と頬を膨らます。
「もっと優しいやつ……あの辺とか」
空中ブランコ・メリーゴーランド……
「やだ。子供が楽しめばそれでいい奴じゃないか。ほら,敦は乗れるんだろ? 行くぞ」
ぐいと右腕を引っ張る。
僕なんかの力で引けるはずもないが,優しい敦は無抵抗で体をゆだねた。
「知らないからな」
耳に届いたその言葉に,僕は口角あげた。
「…おり,いい加減休憩にしないか? まだ乗りたいならまた後で付き合うから」
「え?」
気づけば日も高い。
敦が僕をそんな風に止めたのは,4回目のジェットコースターを乗り終えた時だった。
なおもトライしようとする僕に,敦が待ったをかけたのだ。
1回目はさすがに胃が揺れたが,何故かハマってしまいずっとそればかり乗っていた。
怖さもあるけれど,風が気持ちよくて……
1回目で敦の腕をつかんだのがウソのように,僕は楽しんでいた。
何故,あの遠足の日,熱など出してしまったのか。
けれど敦の言うことも一理ある。
僕らはまだ,ジェットコースターにしか乗っていないのだか。
それもそうだなと頷くと,敦はほっとしたように息を吐いた。
そんな顔しなくても……
そうして移ったレストランは,思ったよりも空いていて。
僕らは簡単に昼食にありついた。
「にしてもびっくりした。まさかあんなに何度も乗って平気な人間がいるなんて」
「晴れてよかったよね」
雨だったら僕は二度とあんな体験をすることは無かった事だろう。
「あ。伊織,それ一口ちょうだい」
僕らが昼食のメニューに選んだのはどちらもカレーのセット。
敦はノーマルの一番人気なカレーセットで,僕はチキンカレー。
「いいよ」
当たり前のように,敦が使っているスプーンでまだ一切手を付けていないところを掬う。
それを返さず真っ直ぐ突き出せば,敦は大人しく大口を開けてそれを受け入れた。
無防備かつ大胆なその光景に,僕はほんの少し頬を膨らませる。
「僕も貰っていい?」
「ああ」
食洗係の人に悪いと思いながらも,カチャッと新しいスプーンを取り出し,差し出されたお皿にさっくりとさした。
スプーンを変えるほどの潔癖のくせに他人が口をつけた場所には平気でスプーンをいれるという少々歪な行動に,少しドキドキする。
さらにはその手をきゅっと包むように掴まれて,僕は思わずわっと声を上げた。
そっとスプーンを取られ,僕はしぶしぶ口を開ける。
敦は僕の口に僕がすくったカレーを含ませて,幸せそうに笑った。
もちろん,すぐにスプーンは取り返したけれど。
僕は照れ隠しのような不機嫌な顔で,もぐもぐとそれを咀嚼する。
どうしてか,一口しか食べていないそれは,僕のよりずっと美味しい気がした。
「じゃあ,順番に他も回るか」
そういって連れていかれた先は,最初に僕がノーと言った乗り物たち。
散々ジェットコースターに付き合ってもらった後だからとおとなしく空中ブランコのシートベルトを締める。
お姉さんの合図とゆかいなメロディーに合わせて,ふわりと足元が浮いた。
「う,わぁ?! 敦!」
「?」
「どうしよう,怖い!」
「は?」
「う……うわぁぁぁぁぁ」「「「「きゃぁぁあぁぁぁあ!!!!」
上下に揺れる。
ふわりふわり,うをぉんと揺れる。
ぎゅっとバーを握って,僕は悲鳴を上げながら瞳を閉じた。
「大丈夫か?」
「うん,なんとかね」
「ジェットコースターに比べればこんなのへでもないだろ」
敦の言葉に僕はむっと口を尖らせる。
「振り回されるのは平気なんだ。足元がないまま浮かされるのが嫌……でもそこまで悪くなかったよ。もう乗らないけど」
そんな調子で,敦の指すアトラクションに次々と臨んでいった。
いかにも子供しかならんでいないようなアトラクションに並ぶのは恥ずかしかったけれど,乗ってみるとどれも悪くないと思えるものだった。
最後の最後に,敦は渋る僕を連れてメリーゴーランドに乗せた。
「敦」
スタッフのお姉さんの声がする。
動き出すようだ。
僕は敦を向かないで,反応した敦に言葉を投げた。
「ありがとう。朝はああいったけど,本当は少し,乗ってみたかった」
隣に並んだ馬じゃ,僕の顔は背けていったって見えているだろう。
僕は少しも敦を見ていなかったけど,敦が僕の言葉に笑ったのが分かった。
「やっぱり一度くらいは経験しておかなきゃな」
やっぱり……
敦は,遊園地の記憶がないといった僕のために,自分も付き合って色んなアトラクションを回ってくれたんだ。
回るメリーゴーランドはゆるく上下して,僕に知らない目線を教えてくれた。
……?
夕日がなにかのアトラクションに隠れるのを見た時,僕の視界なのか脳内なのか,わからない世界がちかちかと光る。
思わず目を細めると,僕の頭にある少しの記憶が呼び起こされた。
『やだよ,あれは女の子が乗るやつでしょ! ままが乗りなよ,僕ぱぱと待ってるから』
『なんでぇ? ふふ。いいから。一緒に乗りましょう。……ほら,ままというお姫様を守る騎士様が必要だわ。それにかっこいい騎士には真っ白なお馬さんが必要でしょう?』
『う,ぅん……? それなら……』
『ぱぱ! ちゃんと撮っておいてね!!』
そして僕は,カメラが向く度顔を背けて……母親に,おかあさんに。
そうだ,怒られたんだ。
もう一度乗せられそうになるところを逃げ回って,お父さんはカメラを下ろして笑っていたっけ。
「り,伊織!」
いつの間に終わったんだろう。
ピクリとも動かず,降りようともしない僕を見て,いつからだろう。
敦は不思議そうに僕を待っていた。
「降りれないのか? ほら」
そんなはずもなかったが,僕は無防備に両手を広げる敦の胸に飛び込んだ。
「う”ん……」
僕より太い首に抱き着きながら,思わず涙ぐんだ瞳を拭う。
そうだ,僕は……あの人たちに,愛されていた。
それなのに,お腹を痛めて産んで,愛してくれたのに。
何も返せないまま,そうまでしてくれた僕という”息子”を,あんなひどい形で奪ってしまった。
あの人たちはもっと普通に,自分たちとの息子と幸せになる権利が確かにあったはずなのに。
……あの後,2人はどうしたのだろう。
僕に,妹か弟がいたりするんだろうか。
僕ももっと,愛されたかった。
「どうする? もう帰るか? 一度乗ったやつでもいいけど」
「まだ,乗ってないやつ,あるだろ」
立ち止まった僕を,敦は振り返った。
「あれ,乗りたい」
僕を見て,敦は困惑しながら頷いた。
扉が閉まる。
観覧車のゴンドラは,乗り込むまでも動き続けていて驚いた。
無言が流れる中,次のゴンドラに乗り込むほかの客を眺めながら,僕はようやく口を開いた。
「敦,君に話がある。僕らの今後に関わる重要な話だ。いつか話すと約束した」
ちらりと視線を向ける。
敦は何かを悟ったような顔をして,静かにうなずいた。
そうだ,君が感じている通り,これは。
僕らが別れる話だ。
ハッピーエンドなんて最初から存在しない,ラブストーリーの終わりを僕から今告げるだけの話だ。
ゆらゆらと揺れるゴンドラに頭を預けて,どくどくと全身をめぐる音をかき消すように目を閉じる。
そして,世界が無音になったように感じた時。
僕はゆっくりと話し始めた。
今まで僕に起こったこと。
僕が何者であるのか。
敦は困惑していた。
だけど,僕が至って真剣だと悟ると,さらに瞳を困惑に染めた。
そして,僕のマスクに目をとめる。
僕は苦笑して,外してみせた。
S・ Pを抜きにしても,こんなに口元を注視されたことはなく,若干の抵抗があったけれど。
僕はそれでも構わないと思った。
「和寧はそれを知って……?」
そうだ,それもあった。
「そうだよ。ちょっと,事情があって」
その事情が知りたいと知りながら,口にして。
敦はぎゅっと眉を顰め,今度は首を傾げた。
「でも,そういえばリューと」
「それも,事情があって」
ごめんね,敦。
ここまで来ても言えないことばかり。
僕のことならば何でも話そうと腹をくくってはいるけれど,2人の事は別。
これは性別とか,性癖とか……そういうプライベートな話だ。
許可も貰っていないうちに,勝手に話してしまうなど出来るはずもない。
許可を取っておくべきだったかと考えているうちに敦はもう次の一言を決めていた。
「それを聞いたら,俺が伊織を拒否すると?離れていくと思って……?」
僕は,その言葉に息を止めた。
敦のその瞳は,さながら迷子の子供のようで。
だからこそ,敦はもう分かってるんだ。
「違う」
敦が僕を置いていくんじゃない。
「離れたいのは,僕の方だ」
敦がグッと奥歯を噛むのが分かった。
わがままだと自覚している僕は,何も言うことができない。
「頂上だな」
ふと敦がそんな事を言う。
この観覧車は20分で回り切ると,そう書いてあった。
あと10分か,とぼんやり考えて,僕はまさかと目を見張る。
S・Pの強烈な効果は10分以内にふっと消えると,そんな話をしてしまった。
肩に手を置かれ,膨らみのある唇が迫ってくる。
僕ははっとして,それを両手で拒んだ。
「待て敦,待って! 本気で言ってるの?」
羞恥と困惑と,僕を思う喜びで泣きそうだ。
僕は正直構わない。
今この密室で敦に襲われ,例えぐちゃぐちゃにされてそれを誰かに目撃されても。
僕はひとつも構わない。
僕はもう,死んだってかまわないんだ。
でも敦はそうじゃない。
体裁も将来もある。
そんな危ないこと
「賭けをしよう。伊織。疑ってるわけじゃない。ただこんな風に別れるのは嫌だ。もし,俺が耐えられたら……もう逃げないでくれ。いくつ隠し事があってもいいだから」
吐息が両手にかかる。
僕は本気なのだと分かって,本気で狼狽えた。
だめだ,僕は。
敦にこんな瞳を向けられて,これ以上拒む事なんて出来ない。
もう一度,今度は右手で僕の手首を掴んで。
簡単に抗えるほどの力だと感じながらも,僕は。
促されるまま,その手を外して受け入れた。
あぁ,神が存在するなら。
あなたは本当に最低だ。
こんなにも幸せな悪夢を,僕に突きつける。
二人の混ざった吐息が,空に溶ける。
僕は,敦を見つめて,たった一言問いかけた。
「ねぇ。どう? 敦。ー僕の事,まだ好き……?」
「……ああ,好きだ」
幸福で,幸福で。
その頬を流れる涙に微笑みを向ける。
顔が歪むのは止められなかったけれど,だけど。
ありがとう。
苦しいよね,ごめんね。
うん,うん……~っ。
ごめん。
君のことが,僕は世界で一番大好きだ。
ー結局,敦は僕の毒に抗えなかった。
それは僕にしてみれば思った通りで,敦を責められるはずもない。
寧ろ今,こうして耐えて座っているだけ奇跡に近い。
全部このどうしよもない僕のため。
溢れる僕への好きの感情を止められなくて,だからこそ敦は僕のために涙を流したのだ。
何が自分の気持ちなのか分からない。
そんな本物と判断のつかない残酷を,初めて体験して,僕のために悲しんだ。
それで,充分だろう?
地球があと何回回ったら,なんて僕らの間にそんな長い猶予はない。
言いたいことは,今言わなくちゃ。
この観覧車が,あと半周したら。
それが僕らのサヨナラのとき。
じわりと何かが心に染み渡る。
不安定な足場で,僕は立ち上がった。
ありがとうと,そう敦の耳に囁いて,無かったことにするようにその頭を抱き締める。
……ドキドキするね。
今,僕の心音が君の耳に届いていることだろう。
だけどきっと,敦,君もだね。
それが"どっち"の意味なのか,あるいはどちらもなのか。
そんなことが,今だけはどうでもいいように思えた。
君は僕を,本当に好きでいてくれたのだろう。
そっと腕を外す。
敦はサヨナラの空気を徐々に感じ取り,不安と焦りで一杯の瞳を,僕に向けた。
嬉しい。
僕は初恋の敦の大切な人になれて,大切にされて,嬉しかったよ。
それが僕のわがままの結果で,君を不幸にするのだとしても。
敦は何も言わない。
僕はそっと,外していたマスクを耳に掛けた。
途端,敦が苦しそうな顔をする。
その敦に,僕はにこりと笑顔を向けた。
ばいばい,敦。
敦がうつ向く。
僕らの間に,もう言葉は必要ない。
その眉間は狭くなり,歯は痛みそうなほど食い縛られて。
強く震える拳に僕は困り笑い,そっと,目線を外した。
中途半端に,恋を持ち込んでごめんなさい。
次はどうか,まともな恋が出来ますように。
その震える拳が,優しさが,どうか無駄になりませんように。
ずっとずっと失われませんように。
僕は動けない敦の代わりに,敦だけもう一周と頼んで1人で帰った。
来た時は2人だったのに。
だけどこれは,今日が来る前から決まっていたこと。
覚悟していたこと。
なのに,痛い。
胸が痛くて仕方ない。
泣くな、泣くな。
お願いだから,止まってくれ。
僕の恋の終わりを,僕に知らしめないでくれ。
今だけは,あの人生最後のキスを。
幸せだったと思わせてほしい。
僕は,また,敦に出会う前の空っぽな感情を抱きしめて。
長い夜に眠った。
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