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ノブレスオブリージュ

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「ただし、聖女の力には、必ず代償がございます」

 その宣告に、目を見開き硬直するディアにかまわず、コレットは更に続けた。

「貴女様は団長の傷を癒す事はできますが、貴女の事は全て忘れてしまいます」
「なによ……それ。どうしてそんな事が分かるのよ」

「実際に経験しているからですわ」
「…………」

「私が治癒の力で病を治すと、私の身体は傷を負います。そして、傷を治す私の姉は、忘却という代償を受けるんです」
「そんな……」

 蒼白になったディアの瞳は、動揺と不安に揺れていた。自分が思い描いていたことが、あっさりとひっくり返されてしまった事への衝撃もあるのだろう。

 だが、今にも息絶えそうなライナスを前にして、コレットも必死だった。

「それでも、聖女の力と言う異能を持った者として、救えるものは手を差し伸べるべきです」
「……っいやよ! どうして、私が他人の為にそこまでしなければならないの⁉」

 ディアは王家の姫として大切に育てられた女性だ。
 国王夫妻も彼女を甘やかしていたし、騎士団長から逃れるためにわざと病になろうとしていたが、それも湯を用意する程、苦痛が嫌いだ。

 ライナスに対しても、そこまで強い思いがある訳ではない。まだ淡い初恋である。

 他人の為にどうして自分が不快な思いをしなければならないのかと言うのも、人として当然の感情だとコレットは思う。率直にそれが口にできる彼女の方が、よほど素直だ。

 それでも、コレットは丁寧に言葉を重ねた。

「貴女様が大切に守られて育てられたのは、将来、多くの民が生きる国を守る王になる方だからです。それは、結婚を契約だと言いきり、責務を意識されている貴女様にはよく分かっている事でしょう」
「……えぇ……」

「聖女の力も、きっと同じですわ。神から異能を与えられた者の責務です」

 高貴な者は義務を伴うノブレスオブリージュ

 ごく普通に生きている者には手に出来ない身分や生き方、そして力を手にしている代わりに、なさねばならない事がある。自分が激痛を受けるからといって、コレットは病人を癒さないという選択肢を取ることはできなかった。

 その力を持って産まれたからには、必ず何か意味があるのだと信じたからだ。

「私は……この方に忘れられるだけね?」
「えぇ」

 断言したコレットに、ディアは小さく頷いて、続けて治癒の術の使い方を訊ねた。そして、改めてライナスに視線を落とし、手をかざす。

 周囲に集まっていた人々が息を呑み、コレットが見つめる中――――ディアの《治癒》は発動した。

 みるみるうちにライナスの傷が塞がっていき、血の気を失った顔色が戻ってくる。そして、虚ろだった目が力を取り戻し、ディアとその傍らに立つコレットに視線を向ける。その瞳と目が合った瞬間、コレットの意識はプツリと途絶えた。



 本が閉ざされる音に、コレットは目を覚ました。ゆっくりと視線を向ければ、見慣れた光景が待っていた。
 長姉の私室だ。
 長椅子に横たわっていた身体を起こし、机を挟んだ向かいに座っている女へと視線を向ける。

 胸程で切り揃えられた漆黒の髪は一切の乱れが無い。吊り上がった眉に一重の細い黒い瞳が気の強さを前面に押し出しつつも、整った顔立ちにきめ細かな素肌は美しい。ふくよかな女らしい豊満な身体を持ち、豪奢なドレスもよく似合っていた。

 将来、国を率いる第一王女らしい華やかさと、一筋縄ではいかなそうな狡猾さが滲み出た、圧倒的な女性である。次姉が細身で儚げな印象を与える容貌である分、対極的だ。

「……ロベリア姉様」
「お帰り。異世界への旅は楽しかったかしら?」

「…………」

 唇を噛み、うつむいたコレットに、ロベリアは冷然と笑った。

「貴女ってそう言う所が駄目よね」
「……楽しかったわ」

 何の責任も無く、誰の目も気にすることなく過ごせた。ライナスと二人で出歩いても、気紛れに王都を出ても良かった。ただ、いつまでもあの世界にいる事は許されない。

 そして、長姉が己を甘やかすために堕とした訳では無いことも、コレットはよく分かっていた。

「好きでもない男と夜を共にするのも、楽しいのかしら?」
「……あんな話は無かったわ。姉様の仕業ね」

 姉が創った世界だ。いくらでも加筆できるし、変えられる。それでも、ロベリアは彼が瀕死になる最後を変える事はしなかった。

「えぇ。でも聖隷騎士団長リオンは、ディアの恋の相手よ。貴女が彼に何を想っても無駄。これから、最悪の畜生と噂の男に嫁ぐ貴女には、いい練習になったわよね」
「…………」

「貴女は甘いのよ。嫁ぐ覚悟が足りないとしか思えない」
「……それは十分、思い知ったわ」

 うつむきがちであったコレットは顔をあげて、机の上にある一冊の本を見つめた。

 コレットが扮していた侍女は、この後の話の中から消えていた。名もなき端役に過ぎなかったから、おかしなことではない。
 大聖女の力を手にしたディア王女は初めての恋を終えて、世を導くために動き出す。ディアに命を救われた騎士団長は、ディアに関する記憶が一切消えた。元の冷徹な騎士団長に戻った彼は、ディアの力が本物だと確かめて、当初の約束通り皇国を後にした。

 だが、ディアの記憶が無くても、瀕死の重傷を負ったことは事実である。受けた激痛に対する恐怖感が無意識の中で出てしまうのか、戦いの場においても本領を発揮できなくなった。自分でも何故そうなってしまったのか分からず、騎士団長の務めを果たせなくなった彼は、その任を降りて姿を消す。

 その後、どうなったかまでは語られる事は無い。

 役割に徹する事を求められた世界は、国と父王の指示を受けて嫁ぐ事が定められたコレットにとって、自分の立場を再認識させられる場にもなった。

 それを強いた長姉を、コレットは見返した。
 ディア王女よりも遥かに強い自制心を持つ彼女の前で、甘えは許されない。

「私も、王族としての義務を果たすわ」

 そう告げると、満足そうに頷いたロベリアに、コレットは心を殺して微笑んだ。


 コレットは長姉の部屋を辞して、部屋を後にした。すると部屋の外に控えていた男達が無言ですぐに周囲を固めて来る。王城の最奥で、出入りできる者は限られているにも関わらず、彼らはいつでも誰にでも斬りかかりそうな鋭い視線だ。
 その筆頭とも言えるのが、コレットの真後ろにぴたりとついた、《盾》と呼ばれる彼らを率いる男だった。敵がどれ程泣き叫び慈悲を請う声をあげても、容赦なく殺すという暗殺の玄人である。

 ライナスに刃を突き立てた男と容姿がそっくりで、コレットは非常に居心地が悪い。

 足早に自室の居間に戻り、もう寝ると告げて部屋にいた侍女達もろとも外に追い出して扉を閉めて一人になると、大きく息を吐いた。

 外はすっかり日が落ちて、厚いカーテンが閉まっている。コレットが寝ると告げたために、侍女が室内の灯りを殆ど消していったので、扉の傍に置かれたランプの光だけが仄かに室内を照らしている。重い足取りで窓辺に近付いてカーテンを開けると、月光が室内に入りこみ、少しばかり部屋を明るくしてくれた。

 室内を進み、コレットは机の前のソファーに座ると、手にしていた本を机の上に置いた。

 長姉の力が働いた《本》だ。ただし、長姉が操作しなければ、何の変哲もない小説に過ぎない。それでも、コレットは『自分への戒めとして』と理由をつけて貰い受けてきた。

 真新しい背表紙を見つめ、躊躇い、それでも我慢できずに背表紙に触れる。

「貴方に……もう会えないわね」

 話の終わりには、彼の消息は絶える。騎士団長として栄光の座にあった彼は、破滅したようなものだ。
 たとえ、コレットが何度この世界に堕ちても、何も変えられない。

 ――――お話の中でも、現実世界でも、私は本当に役立たずだわ……。

 心からそう思い、コレットは本から手を離すと、顔を覆って声を殺して泣いた。泣き叫びたい思いに駆られたが、そんな事をしたら誰かがやって来てしまう。

 感情に流され、王女としてあるまじき失態だと咎められる。
 自分に求められるのは、心を殺し、王家の恥とならないよう黙って生きていくことだけだ。決して感情的になってはいけない。心の内を明かしてはいけない。

 たとえ、自分の心に『嘘』をついても。

 声を殺して泣いたせいで、身体の震えが止まらなくなる。身体を丸めて両腕でぎゅっと身体を抱き締めた。やがて涙も枯れ果てて、身体から力が抜ける。ぼんやりと床を見つめ、息を整えた。

 明後日は、結婚相手との対面の日だ。
 それまでに覚悟を決めなければならない。ぎゅっと手を握りしめた時。

「――――やっと会えましたね、王女殿下」

 聞き覚えのある声に、コレットはハッと息を呑んで顔をあげて、声のした扉の方を見て、ようやくおさまった涙がまたあふれ出しそうになった。

 凄惨な傷を負ったことなど微塵も感じさせず、真っ直ぐに背を伸ばして立っていたのはライナスだった。そして、聞き覚えのある言葉は、初めて彼と対面した時の台詞でもある。

 姉の仕業だ。

 ライナスに釘付けになってしまったコレットだったが、机の上の本を確かめるまでもない。

 自分が本を欲しがった時、あっさりと応じたのも、またもう一度同じ経験をさせる気なのだろう。創始者である姉ならば、いつでも本の世界から呼び戻す事が出来る。

 それに、本の中でも月日は同じように流れるから、明後日に迫る対面までに戻さなければならない。だから、コレットが経験するのは、ただ義務感から自分を抱きに来る男と、嫁入り前の作法を繰り返すことだ。

 ――――姉様らしいわ。

 コレットは苦々しい思いを抱えながら、それでも自分を奮い立たせた。

「どう、して……」

 同じ事を繰り返すだけ。演技をするだけ。自分の心を偽るだけ。
 出来るはずだと思ったのに、言葉がでてこない。

 ライナスにまた会えたことが嬉しいが、かなわぬ恋だと思い知っている。
 求められるのは、自分に課せられた役割を果たす事だけだ。

 だから、彼に何を言った所で無駄だ。

 それでも、ライナスを前にして、コレットの感情は溢れた。

「私は確かに王女で、それに対する責務もある。嫁ぎ先も決まっているわ」

「…………」

「でも、子を産むための道具になんてなりたくない。私と同じように奇怪な力をもってしまった姉様達の事が心配で仕方がないし、こんな所であっても故郷を離れるのは寂しい。知らない人ばかりのところで暮らすのだって、不安だわ。夫が今後、囲うであろう大勢の妾も見たくない!」

 一つ告げたら、もう堪えられなかった。縁談が持ち込まれた時も拒否は許されず、黙って頷くだけだった。自制心の強い姉達の前で弱音も吐けず、一人胸の奥にしまっていた思いだ。

 ただ、ライナスに己が王女だと言った時点で、話の筋を乱してしまう。時も止まったままだろう。でも、届かない想いであっても、彼に告げられた事で少しだけ心が落ち着いた。耐えられると思っていたが、そうではなかったようだ。

 泣いて、わめいて、みっともない。

「これは全部……嘘よ」

 零れ落ちそうになった涙を拭い取って微笑んで、話を戻そうと思ったが、彼の台詞は違った。

「ならば今度こそ、私と本当の恋をしないか」
「え……?」

「貴女が私の妻となりたいと思ってくれるように全力で口説く。子が産まれなかったら、後継者となってくれる者を探せばいい。あんなに楽しそうに外を出歩いているんだ、籠の鳥にするつもりもない。故郷や家族が恋しくなったら、いくらでも里帰りさせるし同行する。私の国でも、貴女に寂しい思いをさせないようにできるだけ傍にいるつもりだ。妾など持つ気はない。貴女一筋だと誓うから――――」

 コレットがまくしたてた以上に、ライナスは怒涛の勢いで告げた。コレットが目を白黒させている事に気づき、泣き腫れた彼女の目を見つめて優しく告げる。

「――――私の妻になってくれないか」

 呆気に取られるコレットに、彼は微笑んだ。心から嬉しそうな、あの無邪気な顔だった。

「あぁ、やっと届いたな」
「何を……言って……」

 呆然とするコレットを見つめ、ライナスは『話』の中では決して許されなかった事を告げた。

「私が貴女に恋をして、絶対に妻にしたいと思っているということだ」
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