彼が愛した王女はもういない

黒猫子猫

文字の大きさ
8 / 11

昔のままではいられない

しおりを挟む
 恐怖すら覚えさせる激怒を身体でビリビリと感じて、シュリは一気に目が覚めた。昔はとても優しくて、何をしても甘やかしてくれた男だったので、彼女が受けた衝撃たるや凄まじいものがある。

『それは、い、いやっ!』

 シュリはもう無我夢中である。色々思い悩んだ事など頭から吹っ飛んで、ただただ必死で翼を広げる。
 飛ばなければいけないけれど、怖い。飛ばなくたって、カイゼルの傍にはいられるんだから良い。そんな子供の頃の甘えは、もう許されない。
 今、飛ばなければ、カイゼルが死ぬ。自分が弱かったから、彼を守れなかったことを思い知っている。

 彼は自分に多くの事を求めていない。

 ただ、飛べと言う。「お前もいつか飛べる」と、カイゼルだけは昔も今も信じてくれていた。

 ――カイゼルが言うなら。

 シュリは翼に力を込めた。

 ぐんっと風を手で掴むような感覚がして、落下する一方だった体が止まる。その感覚を覚えた瞬間、シュリは自信を持てた。更に力を込めて翼を動かして、空を舞い上がると、落ちてきた彼の身体を背で受け止める。

 彼の体重が背にかかり、少しばかり高度が下がったが、すぐに上空を目指した。

 崖の上には、地竜がいる。突如舞い戻って来た飛竜を見て、怒り狂ったように吠えた。地竜は、空に逃げられてしまうと手出しができない。飛び去って行く姿を、虚しく見送るしかないのだ。

 そんな地竜を見上げ、カイゼルはシュリに伝えた。

「⋯⋯⋯。シュリ――」

 シュリは一気に崖上まで飛び出すと、己を見上げ空しく咆える地竜を見下ろす。カイゼルもまた、彼女の背の上に座し、剣を握り締め、宿敵ともいえる地竜を冷然と見据える。

 そして、カイゼルは優しくシュリの身体を撫でた。

「大きくなったな」

 カイゼルがシュリを見つけた時、彼女はまだ子供だった。両腕に抱きしめられるくらいの痩せた小さな竜は、親に捨てられたせいで、初めは全く心を開いてくれなかった。でも、本当は寂しがり屋で、可愛がっていたら懐いてくれた。
 竜は子供でもあっという間に大きくなる。五年も経つと、シュリはあっという間にカイゼルの背を越すくらいの大きさになったが、やはり同じ年の竜に比べて一回りも二回りも小さかった。

 カイゼルはそれでもシュリが可愛くて仕方が無かったし、彼女もいつも擦り寄ってくれた。
 一緒に軍に入った後も言葉は交わせなかったが、背に乗れと言いたげな時もあった。その想いは嬉しかったし、ありがたかったのだが、「大きくなったらな」と、はぐらかした。

 ただでさえ空を飛べずにいるシュリに、武装した男は重いだろうと思ったのだ。
 僅かなことでも、彼女を落ち込ませたくない。

 そもそも、飛竜はプライドが高い生き物だった。軍属の竜は一緒に戦ってはくれはしたが、人を乗せるものなどいなかった。だから、飛べないシュリがそんな事をしたら、また仲間内でいじめられかねないと危惧した。

 傍にいてくれるだけで十分だと、カイゼルは当時思っていた。

 だが、今や祖国が滅亡し、飛竜が住む地を失った。
 ならば――もう、昔のままではいられない。

 
『逃げる気か!』
 罵倒するしかない地竜を見据え、シュリは一気に急降下した。カイゼルは何も言わない。竜の言葉は彼には分からないからだ。だが、彼の意図は先ほど十分聞いていた。

 誘い出されたと思ったのか、地竜が嘲笑した。鋭い牙が覗き、シュリは怯えた。自分よりも遥かに大きな相手で、怖くて仕方がない。

 それでも、無我夢中で牙を剥く。噛みつかれる直前で身を翻し、思いっきり足で鼻先を蹴りつける。噛みつかれたら引きずり倒される恐怖はあったが、今はただカイゼルを信じた。

 地竜は飛竜へと全ての注意を向けていた。

 だから、その背から小さな人間が飛び降りて、鋭い剣の切っ先を己の首に向けていたことに、気付かなかった。無防備にあいた地竜の急所くびを、カイゼルは容赦なく突いた。
 地竜は短い悲鳴を上げてよろけ、大きく体勢を崩した。崖に身が傾いたが、そのまま立て直すことはできず、巨躯の身体は奈落の底へと落ちて行った。

 カイゼルは既に地竜の背から飛びのいて、易々と着地している。硬い皮を破った剣を鞘に納めながら、冷然と呟いた。

「――てめえごときが、シュリに挑めると思うな。俺で十分だ」

 溺愛する飛竜を殺そうとした地竜に、一切の情けをかけるはずはなかった。



 カイゼルの凄まじい殺気は、シュリが地に降り立って竜から人へと変わった事で消えたが、その眼は今度は違う意味で鋭くなった。
 服が全て破けてしまったので、シュリは全裸のままだ。なんとも気まずげに身体を手で隠す彼女の元に歩み寄り、カイゼルは上着を脱ぐと、身体にかけてやった。

「俺に言うことは?」

 冷ややかに尋ねられ、シュリはうつむいた。

 たくさんあったが、言えない。代わりに涙が出てきて、止まらない。

 百回くらい、ごめんなさいと言いたい。

 シュリはぼろぼろと大粒の涙を流し嗚咽の声を必死で堪えていたが、カイゼルは一切慰めようとしなかった。

 本当は、ものすごく抱きしめたいし、泣かなくていいと言ってやりたい。
 昔、まだ小さな竜だった時のように、よしよしと頭を撫でてやりたい。

 しょうがねえな、の一言で済ませたくなるほど、竜でも人でもシュリはいじらしくて可愛い。
 落ち込んだ様子を見ただけで、怒りなんてどこかに吹っ飛んでしまった。

 だが、黙って勝手にいなくなったから、少し反省させなければと心を鬼にする。

 シュリが口を開くまでの時間はそう長くはなかったが、カイゼルには実は地獄でしかない。

 挙句に、彼女は相変わらず頑固だった。

「⋯⋯ないわ」
「あぁ?」
「なにも⋯⋯ない⋯⋯」

 彼への思慕も、醜い嫉妬も、行き場のない番への執着も。
 言ったところで、お互い苦しいだけだ。人化の力を手に入れた時、カイゼルと結ばれる身体になれたと喜んだが、とんだ思い違いだった。自分は醜い生き物になっただけだ。

 悲しみがこみ上げてきて、シュリはまた竜になった。そんな彼女を見て、カイゼルはなんとも苦々しくなった。

「⋯⋯おい。それは、反則だ」

 カイゼルには竜の言葉が分からないから、姿を変えられると会話が出来ない。彼女は一声哀し気に鳴いただけで、うつむいてしまう。

「シュリ。人の姿に戻れ、な? こっちも可愛いが、あっちも可愛いぞ?」

 ――――俺は何を言っている。これじゃ説得にならねえ。

 焦るカイゼルだが、彼女は答える代わりにくるりと背を向けて、とぼとぼと森に向かって歩き出した。

「待てよ! あぁくそ⋯⋯っ」

 カイゼルは慌てて後を追った。

 彼女がとんでもなく落ち込んでいるのは分かるし、怒ったのは自分だ。でも、また一緒にいると誓ってくれたのに、いつの間にかいなくなって、挙句に地竜に殺されそうになっていた。

 ――――俺は寿命が縮んだぞ、どうしてくれる。お前と少しでも長く生きていたいのに。

 だが。

 悔しい事に、揺れる尻尾が、相変わらずどうしようもなく可愛い。

 久々に竜の姿を見たが、思った以上に首が太くなっていた。は、尻尾につけたほうがいいだろうか。痕がつかないと宥めれば、可愛い物が大好きだった彼女はつけてくれるかもしれない。
 理由をつけて彼女に服や髪飾りを選ばせたから、シュリの好みは全て把握済みである。
 そして、可愛い竜にはリボンをつける。これは竜の国の新常識だ。
 異論は認めない。

 ティナ王女ともシュリがいかに愛らしい飛竜かで意気投合したから、生きていたら間違いなく同意するはずだ。

 ――――いや、そんなことを本気で考えている場合じゃねえ。だめだ、気が散る。

 カイゼルは盛大なため息をつき、なんとか邪念を振り払うと、シュリに声をかけた。

「なぁ、シュリ⋯⋯一人で行こうとするな」
「⋯⋯⋯⋯」
「お前は飛竜の中では弱い方かもしれない。でも、お前には俺がいる。俺と一緒に戦えばいい」
「⋯⋯⋯⋯」
「俺はお前の番なんだろう?」

 シュリがようやく足を止めてくれたので、カイゼルはほっと胸を撫で下ろす。そのまま彼女の前に回って、顔を見つめ、目を和らげる。

 泣き虫な飛竜の瞳から、ぼろぼろと涙が落ちていた。その雫を、カイゼルは竜紋が刻まれた手で優しく拭った。

「これを見て、俺がどれだけ嬉しかったか分かるか? お前が傍にいてくれたから、死ぬ時も怖くはなかった。生まれ変わっても孤独じゃなかった」

 王都が陥ち、王女がルーフス軍に囚われたのは百年も昔だ。

 騎士だったカイゼルもまた、激しい戦闘の末に、ルーフス兵の手によって殺された。四方を敵兵に囲まれ、多勢に無勢だった。仲間の騎士達も倒れ、飛竜も空から落とされていた。

 カイゼルの傍に最後までいたのが、シュリだった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

さよなら私の愛しい人

ペン子
恋愛
由緒正しき大店の一人娘ミラは、結婚して3年となる夫エドモンに毛嫌いされている。二人は親によって決められた政略結婚だったが、ミラは彼を愛してしまったのだ。邪険に扱われる事に慣れてしまったある日、エドモンの口にした一言によって、崩壊寸前の心はいとも簡単に砕け散った。「お前のような役立たずは、死んでしまえ」そしてミラは、自らの最期に向けて動き出していく。 ※5月30日無事完結しました。応援ありがとうございます! ※小説家になろう様にも別名義で掲載してます。

その結婚は、白紙にしましょう

香月まと
恋愛
リュミエール王国が姫、ミレナシア。 彼女はずっとずっと、王国騎士団の若き団長、カインのことを想っていた。 念願叶って結婚の話が決定した、その夕方のこと。 浮かれる姫を前にして、カインの口から出た言葉は「白い結婚にとさせて頂きたい」 身分とか立場とか何とか話しているが、姫は急速にその声が遠くなっていくのを感じる。 けれど、他でもない憧れの人からの嘆願だ。姫はにっこりと笑った。 「分かりました。その提案を、受け入れ──」 全然受け入れられませんけど!? 形だけの結婚を了承しつつも、心で号泣してる姫。 武骨で不器用な王国騎士団長。 二人を中心に巻き起こった、割と短い期間のお話。

おしどり夫婦の茶番

Rj
恋愛
夫がまた口紅をつけて帰ってきた。お互い初恋の相手でおしどり夫婦として知られるナタリアとブライアン。 おしどり夫婦にも人にはいえない事情がある。 一話完結。『一番でなくとも』に登場したナタリアの話です。未読でも問題なく読んでいただけます。

《完結》金貨5000枚で売られた王太子妃

ぜらちん黒糖
恋愛
​「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」 ​甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。 旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。 「それは本当に私の子供なのか?」

【完結】貴方の望み通りに・・・

kana
恋愛
どんなに貴方を望んでも どんなに貴方を見つめても どんなに貴方を思っても だから、 もう貴方を望まない もう貴方を見つめない もう貴方のことは忘れる さようなら

(完結)私が貴方から卒業する時

青空一夏
恋愛
私はペシオ公爵家のソレンヌ。ランディ・ヴァレリアン第2王子は私の婚約者だ。彼に幼い頃慰めてもらった思い出がある私はずっと恋をしていたわ。 だから、ランディ様に相応しくなれるよう努力してきたの。でもね、彼は・・・・・・ ※なんちゃって西洋風異世界。現代的な表現や機器、お料理などでてくる可能性あり。史実には全く基づいておりません。

婚約者に愛する人が出来たので、身を引く事にしました

Blue
恋愛
 幼い頃から家族ぐるみで仲が良かったサーラとトンマーゾ。彼が学園に通うようになってしばらくして、彼から告白されて婚約者になった。サーラも彼を好きだと自覚してからは、穏やかに付き合いを続けていたのだが、そんな幸せは壊れてしまう事になる。

処理中です...