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最終章 領主夫人、再び王都へ

19.条件

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「…条件が、あります。」

「条件…?」

「はい。…私の出す条件、それを飲んで下さるのであれば、譲歩を…、殿下の命を受け入れることを考えます。」

「…これは、我々からの願いであって、決して、命令という訳では、」

「別に、どちらでも構いません。…私にとってはどちらであろうと同じことですから。」

「…」

黙った王太子に、最初の条件を告げる。

「…子どもを作る相手、ですが…」

告げる相手は王太子、だけど、視界の隅で王太子妃を観察する。この場から逃げ出すカギは彼女だと、狙いを定めて─

「…お相手には、殿下を望みます。」

「…」

表情一つ変えず、黙って私の言葉を受け止めた王太子の向こう、僅かに、王太子妃が身じろいだのが分かった。

「…理由を…、なぜ、私を選ぶのか、理由を聞いてもいいだろうか?」

「理由、ですか?」

王太子自身にも、戸惑いが全くないという訳ではないのだろう。今までの私達の関係、それを考えれば、私が王太子を選ぶ可能性は一番低いと思われていただろうから。

「…理由なんて、そんなものが本当に必要でしょうか?」

「…ああ、いや。…そうだな、必要はないが、」

「あら。私は是非、理由を伺ってみたいと思いますわ?」

「…シルヴィア。」

落ち着き払った調子で、横から口を挟んできた王太子妃。だけど、ここで彼女が口を挟んだこと自体が不自然で、そこに彼女の焦りを感じた。

(…やっぱり…)

口で言うほどには、彼女だって、今回の件に納得はしていないのだろう。物分かりの良い態度は表面的なもの、或いは、そもそも私が王太子を選ぶことなどないと高を括っていたのか─

「…理由を、本当にお知りになりたいと?」

「ええ。…巫女様は、かつて、ガイラス様やサキア様とお心を通わせ合っておられました。それが、この場では殿下をお選びになると仰る。それが、本当に巫女様のお心に沿う選択であるのか…、私、心配しておりますのよ?」

「…」

「…無理を強いていることは重々承知しておりますが、どうか、巫女様がこれ以上、お心を痛めることのないよう、悔いのない選択を…」

(…つまり、王太子のことは好きでも何でもないんだから、手を出すなってこと…?)

自身は、感情を排してでも役目に努めると言いながら、私には自分の心に従えという。

(自分の心に従ったら、誰も選ばないって最初から言ってるのに…)

矛盾している。

(…結局、彼女にとって都合のいい選択肢をとれ、ってことよね…?)

透けて見えた王太子妃の底の浅さ、その傲慢さに嫌気が差す。

これ見よがし、こちらだって渋々なのだと分かるよう、ため息をついて見せ─

「殿下を選んだのは、消去法です。」

「…消去…?」

「はい。…他に選択肢がありませんでしたので。」

「…ですが、ガイラス様やサキア様であれば、」

「もし、仮にですけど…」

王太子妃の言葉を遮り、彼らに突き付けるもう一つの「条件」を口にする。

「もし、仮に、私があなた方のバカげた計画を受け入れるとして…」

「…」

「それでも、私、セルジュと別れるつもりは絶対にありませんから。」

「…ああ、それは、当然だ。」

王太子が頷く。

「その点は安心して欲しい。二人の婚姻関係については、私が保障しよう。」

(…保障って…)

自分の妻が他の男の子を産む、その状況の何を保障するというのか。離婚さえされなければいい、そんなものを望んでいるわけじゃない。

「…まぁ、保障はどうでもいいですが、もう一つの条件として、生まれた子どもは、私とセルジュの子として育てます。」

言っていて反吐が出そうになる。

(…絶対、セルジュにそんな思いさせるわけないじゃない…!)

それでも、ブラフは必要だから。目いっぱいの虚勢で王太子を見据える。

「…子を、辺境で育てるということか。」

「はい。」

「…分かった。同意しよう。だが、」

「ああ、勿論、例え血を分けた子であろうと、殿下に父親と名乗らせるつもりはありません。そんな噂が立つことも認めません。殿下には完全に赤の他人でいてもらいます。」

「…」

「すみません。私、酷いことを言ってますよね?」

「…いや。…当然の主張だろう。…私には…」

「父親と名乗る資格が無いと自覚して頂けているなら結構です。」

言い切って、王太子妃へと視線を向ける。ここまで、王太子がこちらの要求を飲むであろうことは予測できた。

(…本当は、本気で受け入れられたりなんかしたら困るんだけど。)

だから、突き崩すなら、彼女の方。

「…妃殿下、ご理解いただけましたか?」

「…理解?何を理解するというのかしら?」

僅かにではあるけれど、先ほどよりも明らかに不快を滲ませる王太子妃、その反応に手応えを感じる。

「…私、お相手には随分と酷なことを要求しているでしょう?」

「…」

「これが、騎士団長閣下や王太子補佐様相手であれば、流石に私も胸が痛みます。」

「…あなた、何を…」

「その点、相手が殿下であれば、私も、まぁ、そこまで心が痛まないといいますか…」

「あなた…!あなた、まさか、そんな理由で殿下を選ぶというの…?」

「ええ。」

「っ!」

こちらの返事に、王太子妃が明らかな怒気を見せた。直接、言葉にすることはなかったが、私の選択に対する彼女の不満はもう間違いようがない。

だったら─

「理由は、もう一つあります。」

言いながら、笑ってやる。先ほどまでの彼女のように。

「騎士団長閣下を選ばなかったのは、アイシャ様に申し訳なかったからです。…彼女には今まで多くの誤解を与えていますし、これ以上、彼女の心を乱すような真似は慎もうかと。」

「…ですが、彼女も、今回のことには…」

「でも、普通、嫌ですよね?自分の夫が他のひととって。」

「…」

「ああ!ごめんなさい!私の普通では『嫌なこと』なんですけど、妃殿下にとっては『仕方ないこと』なんでしたね。」

一緒にしてすみませんと頭を下げれば、王太子妃の顔から表情が消えた。

「…巫女様はお相手のことをそこまでお考えなのですね…」

「ええ、まぁ…」

口先だけだから、何とでも言える。

「…でしたら、お相手にはサキア様が相応しいのではありませんか?」

「え?」

「今回の件で、サキア様とフィリーネの婚約は解消されることになるでしょう。サキア様ならば、」

「まさか!冗談でしょうっ!?」

王太子妃の言葉に、大袈裟なほどに驚いて見せた。

「それこそ、補佐様の負担にしかならないじゃないですか!」

「…」

「補佐様はこれから新たな婚約、婚姻を結ばれるのですよね?補佐様に非はないかもしれませんが、婚約解消の過去があり、しかも、既によそに子どもが居る。そんな相手を好き好んで選ぶ女性がいます?」

「コーネン家は由緒ある伯爵家です。縁続きになる幸運を望む家はいくらでも…」

「家同士の繋がり、そのために、子どもの存在には目を瞑れと?そこに補佐様自身の心は不要ですか?…そんなの、心が死んでしまう…」

「子の存在は秘匿するのでしょう?であれば、何も問題は無いはずよ。」

「…本気で仰ってます?」

自分の都合でしか考えない。彼女の言葉が持つ傲慢さに本気で腹が立ってきた。

「…サキアを、そんな卑怯者にするつもりですか?」

「卑怯者だなんて。私は、ただ…」

「結婚相手にまで子どもの存在を秘匿する。サキアに、そんな卑怯者になれと言っているのでしょう?…そのことに、彼が苦しまないとでも?」

「…」

黙り込んだ王太子妃、その姿に一応の満足を覚え、再び、王太子と向かい合う。

心配げに王太子妃を見つめていた王太子の視線がこちらを向いた。その顔に、先ほどまでよりもずっと深刻な苦悩が浮かんでいる。

(…良かった。)

どうやら、彼にも伝わっているらしい。王太子妃の本心。王太子相手に、よほど上手く隠していたらしいそれは、ここまでの彼女の発言で、隠しきれるものではなくなってしまった。

あと、一押し─

「…それから…」

最後の条件を口にする。

「私が殿下の子を産むまでの間ですが。」

「…ああ。」

「殿下と妃殿下には寝室を分けて頂きたいと思っています。」

「っ!…いや、だが、それは…」

動揺を見せる王太子に笑う。

「私だって、最大限、譲歩するのですから、殿下方にも出来るだけのことはしていただかないと。」

「…」

こちらの要求に顔を伏せた王太子。背後、王太子妃を振り返ることはしない。彼が、一人で決断を下そうとしている。

その背中を押す─

「…私、誰かと男性を共有するなんて、想像するだけで嫌なんです。」

「…」

「私との子を望む間は、私にだけ誠実であって下さい。でないと、生理的に無理なので、このお話は無かったことに。」

「っ!」

言い切れば、弾かれたように顔を上げた王太子。その、途方に暮れたような顔に、また、笑う。自分の中の、最上級の笑みで。

「それをお約束出来るなら、私、殿下のお子を、」

「そんな条件!飲めるわけがないでしょうっ!?」

こちらの言葉を遮って響いたのは、王太子妃の声。

「…シルヴィア…?」

「っ!?」

(…あーあ…)

言ってしまった─

自分で自分の口を覆う王太子妃。その彼女の真意を知ろうと、彼女を見つめる王太子。

時が止まったかのような空間。誰が次の言葉を口にするのか。王太子妃自身も、自分が何を口にしたのかは理解しているらしく、顔色が悪い。怒りに任せた言葉を「失敗した」と思ってはいるようだが、一度口にした言葉は取り消せない。

「…少し、ご夫婦でお話し合いをされた方がいいみたいですね?」

誰も、何も言おうとしないので、こちらが口を開く。

「お互い、一度、本音でのお話し合いをなされてはいかがですか?」

余計なお節介を口にしながら、図っているのはこの部屋から逃げ出すこと。

「…私の方は、お二人の結論が出た後に、改めてご連絡頂ければ。」

このまま、話し合いの続行なんて不可能だろう。そう、暗に示してみるが、やはり、誰も動こうとはしない。

さて、どうするべきかと考えたところで聞こえて来た部屋の外の喧噪。部屋の扉を叩く音が大きく響いた。







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