【完結】いつだって二人きりがよかった

ひなごとり

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高校生の二人

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 夏休みが終わるとついに柊明が転校生として学校に通い始めた。誰もの目を惹く容姿から彼は多くのクラスメイトに話しかけられ、それにニコリと微笑むだけでたちまち彼らは柊明の虜になっていく。柊明の口から出てくる言葉は全て在り来りで何となく壁を感じるものであったが、日が経つにつれ柊明はその類まれなる才能を周囲に見せつけていき、クラスメイトに限らず学校全体を魅了していった。その眉目秀麗な見た目に加えて、毎回のテストは高得点、体育の時間になるとなんでもこなすという完璧ぶりだったのである。当然こんな人間を周りは放っておくはずもない。学年関係なく生徒は度々柊明の元へ行き、我先にと彼と知り合いになろうとした。
 柊明本人はというと、相変わらず笑顔で、愛想良く誰とも程よい距離感で話をしていた。よく言えば誰とでも分け隔てなく親しくしているが、人によっては意図的に壁を作られていると感じるような態度だ。そのため多くの生徒からは賞賛の声で囁かれる一方、一部の生徒からは反感を買っていた。それすら柊明はどうでもよさそうに微笑みを崩さない。全く意に介していないその姿は、目の前の有象無象を映していないようにさえ見えた。

 隣のクラスから顔を覗かせた未雲は、そんな柊明と周りの生徒を見て、やはりこうなるのかと内心荒んでいた。こんな愛想の悪い自分にすら人懐っこく話しかけてきてくれた彼が新しい環境に馴染むのは当たり前だと知っていたはずなのに。
 担任に柊明の「お世話係」を任命されたものの人数の都合上クラスは同じにならず、慌ただしい学期始めでほとんど話せていなかった二人は、柊明の「そろそろ会いたいよ」と泣いた絵文字付きで送られてきたメッセージで久しぶりに顔を合わせることになっていた。
 そこで未雲は初めて学校の柊明を見ることになる。周りに人を集めながら静かに微笑んで受け答えをする彼は、自分が介入しなくても十分学校生活に馴染めているようだった。正直、柊明からの連絡がなければ未雲はこうして他クラスに来ることもなかっただろう。分かりきっていることをわざわざ確認しにいく度胸もなければ、心の安寧を崩巣ような行動を取るほど馬鹿でもない。しかし本人から連絡が来たのであれば無視など出来るはずもなかった。
 そうして来た結果がこの現状だ。誰かの大きな声が響く。柊明の周りに笑いが起き、彼もそれに合わせて目を細めているのが見えた。すっかり打ち解けている雰囲気に、未雲はさらに萎縮する。
 俺は必要ないんじゃないか。そもそも柊明も俺の存在なんか忘れているのでは?
 すぐに引き返すのは気が引けて、どうすることも出来ずに教室の前で右往左往していると、輪の中心にいた柊明がふと目線を教室の外へ移した――瞬間、仄暗い瞳がバチリとこちらを捉える。
「未雲!」
 途端、先ほどの端正で微笑した顔の仮面が剥がれて、柊明は変わらず綺麗な――むしろ今までより一層輝いて見えた――笑顔で未雲を呼んだ。周りの人に雑な断りを入れると押し除けるようにして未雲のところまで歩いてくる。その姿はさながらモーセだ。
「未雲、久しぶり! もっと早くこうしてればよかった」
「え」
「ね、学校案内してくれない? おれまだしてもらってないんだ」
「いいけど……」
 柊明の後ろから痛いほど視線を感じる。さっきの状況を見る限り、クラスメイトが柊明と仲良くなろうとあの手この手で会話をしていたのは明白だった。
「ほら、行こ」
 腕を掴んで柊明は前を歩き出す。クラスの異質な空気にも、気まずそうに顔を俯かせる未雲にも全く気にしていなかった。
「すぐ気付けなくてごめんね。そっちホームルーム終わるの遅かったから、教室で待ってたら捕まっちゃってさ」
「別にいいよ、俺が何となく話しかけづらかっただけだし……それで、どこから案内すればいいの」
「いや、実はもう殆どされてんだよね。なんか授業中なのに先生から許可もらってさ」
 確かに授業中なのに騒がしいクラスがあるな、とは思っていたが、どうやら柊明のためにクラスで校内案内をしていたらしい。
「はあ? じゃあ案内なんてもう必要ないじゃん」
 先程やたら睨んできたクラスメイトはそういうことだったのか、と未雲は思わず同情してしまう。そして何となくだが、柊明はもしかしたら案外周りを見ていないのかもしれない……と欠点などなさそうな彼のそれを見つけてしまったことに変な高揚感を感じた。
「そんなこと言わないでよ。本当は未雲と約束してたんだし、校舎周りつつ今からおれの一番気に入ったところ紹介するから」
 柊明は未雲の手を掴んで意気揚々と歩き出す。全く迷いがない歩みと先の台詞に、未雲は心臓の辺りがギュッと締め付けられたような感覚がした。苦しいような、はたまた真反対の感情が渦巻くような。先の高揚感もそうだが、彼と関わってから自身の感情を上手く表現できないことが増えた。そのもどかしさに困惑しながらも未雲は手を引かれるままに長い廊下を歩いていく。
 未雲が連れて来られたのは学校の奥にある小さな中庭だった。とっくのとうに散ってしまった桜の木には青葉が生い茂って、その緑すらすでに散りかかっている。校舎から離れている図書室へと続く廊下からしか出入りできないそこは、移動が面倒というのもあって生徒が来ることはほとんどない。
 よく知っていたな、と言えば柊明は嬉しそうにはにかんだ。
「案内された時、図書室にも行ったんだ。その時見つけた」
 目の前にいるのはやはりあの人好きする顔の柊明で、未雲がよく知るその人だった。だからこそ、柊明の一連の行動が僅かばかりに信じられなかった。周囲に馴染んで安泰した学校生活を手に入れておきながら未雲のために安寧を放り投げる人は初めてだったし、不可思議な存在である柊明は未雲の好奇心を大いにくすぐった。
「なあ、俺のことは気にしなくてもいいからな」
 柊明は首を傾げる。
「何の話?」
「だから、こうやってわざわざ俺と一緒にいなくてもいいってこと」
 勢いのまま、未雲は自身の中でぐるぐると渦巻いていた疑念を吐露する。
 ここで初めて出来た友人だから義理立てでもしているのではないか。未雲は教室でクラスメイトに囲まれる柊明を見てからずっとそんなことを考えていた。だとしたら自分があまりにもみじめで、彼自身も可哀想だ。
 自分が今どんな表情になっているか分からないので、未雲は柊明から顔が見えないように俯く。一体どんな返答を求めてこんなことを口走ってしまったのか、今更後悔するも後の祭りだ。しかし、肝心の返事がいくら待っても来ない。
 間に流れる沈黙に思わず顔を上げると、目の前には表情が抜け落ちた柊明の顔があった。
「あ……」
 その無表情がゾッとするほど綺麗で、思わず見惚れて今度はこちらが何も言えなくなってしまう。それを察したのか、柊明は未雲を見つめながら静かに口を開いた。
「おれはさ、初めて友だちができて嬉しくてもっと仲良くなりたかったんだけど……未雲はそうでもないの」
 凛とした声がやけにはっきりと響く。傷付いたのを分かりやすいほど示した声色の中に侮蔑が混じっているのが未雲にはまざまざと感じられて、さらに声を上げることができなくなってしまう。
「ねえ、どうなの」
 返事を問われて、やっと未雲は口を開ける。
「そんなつもりで言ったわけではなくて、だって」
「だって?」
 続きを言おうとした未雲だが、自分が今まさに言わんとしていることに羞恥を覚える。これは小馬鹿にしてきたものでありながら、紛れもなく自分の隠してきた本音だった。口に出すことで今までの自分が崩れてしまうのではないか、と言いようのない恐怖が襲いかかって自身を怯ませる。
 言い淀む姿に柊明は気付いたのだろう。制服の裾を掴んでいた未雲の手をゆっくりとそこから離してそのまま両手で包み込むと、目線を自分自身へと誘導させた。
「ねえ、言ってくれないとおれも分かんないよ……絶対、笑わないって約束するから」
 未雲。再度名前を呼ばれてびくりと肩を震わせた。
 はくはくと動く口、忙しなく動く眼球、汗をかいているのに冷えた手、それら全てが目の前の男に集中する。
 色素が薄いのか、茶色がかった髪と瞳が日光を浴びてやけに綺麗に輝いていて、その瞳を縁取る睫毛の長さは自分とは比べ物にもならなくて、少し日焼けした肌と口から覗く白い歯に眩暈がした。熱が出たかのように頭は上手く機能せず、未雲自身を制御していた理性なんてとうに焼け落ちていた。
「――仲良くなったのに、それから嫌われるのが怖い。一緒にいてもし嫌な部分があったら、気分を害したら、それで嫌われるなら知らない方がマシだ」
 隠していたものがポツリと口から零れ落ちていく。
「未雲がさっきおれを突き放すようなこと言ったのはそのせい?」
「そうだよ、いちいちそんなこと考えるのも面倒くさい。こんなこと考えてる自分が一番面倒くさい。……ほら、満足した?」
 もうどうでもいいや――未雲は半ば自暴自棄になっていた。
「何が?」
「誰にも言いたくなかったことを聞き出せて満足したかって聞いてんだよ。初めて出来たお友達がこんなんで笑えただろ」
「まさか」
 繋がれていた手で前に引き寄せられてさらに距離が近くなる。同性から見ても満場一致で整っていると言われるであろう綺麗な顔に、否応もなく自分の顔が赤くなるのを感じた。
「嬉しい。未雲がこうして話してくれて」
「え?」
 至近距離と予想外の答えに、未雲はさっきまでの勢いを完全に失った。
「実はね、おれもさっきの未雲の言葉で嫌われたかもって不安だった。だから本当のことを知れて安心した」
「あ……ごめん」
「おれこそさっきはごめんね。それより、今度はもうあんなこと言わないでね」
「――分かった」
「約束だからね!」
 柊明は繋いでいた手を今度は未雲の背中に回して勢いよく抱きついた。胸に痛みが走るほどの衝撃に驚いて元凶である人物を横目で見上げる。自分より背の高い男に抱き締められる体験などそれこそ初めてで、どう反応すればいいのか分からず見上げることしか出来なかった。
 柊明は顔を綻ばせていた。クラスメイトたちに見せていた笑顔は作っていたのだと錯覚してしまうほど今の笑顔は別物で、まるで自分が特別なのだと錯覚してしまいそうだった。
 後ろの方で風が舞う。海のにおいと季節外れの甘い花の香りがする。
 吹いた風に肌寒いとも感じなかったことがやけに嬉しくて、その事実をもう一度確認したくて未雲は少しだけ意地悪を思い付く。普段なら絶対に言わないようなことを聞いてみた。
「どうせ、他のやつにも同じようなこと言うんだろ」
 言った後に、やはりやめておけば良かったかなと後悔したのも束の間。聞かれた柊明はすぐに答えた。
「未雲だけだよ」
 心臓に悪い、と未雲は顔を柊明の肩に沈ませた。文武両道で、みんなから羨ましがられていて、好かれようと努力させておいて、本人は自分だけが必要だと言う。
「お前って、結構馬鹿だよな」
 上がる口角を誤魔化すように未雲はぽつりと呟く。そうかなと笑う柊明は自身の肩に押し付けて見えなくなった顔を上げさせて、その真っ赤に熟れた顔を見て満足そうに目を細めるのだった。

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