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一章
25.ノアの思い
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暗い場所は、嫌いだった。
冷たくて、寒くて、無機質な石畳の床が、大嫌いだった。
「お前は本来産まれる筈が無かったんだ。それなのに、お前の母親は……!!」
僕、ノア・ウェナード・エルドラルの人生は自分の父親であるエルドラル子爵のその言葉、そして無機質で冷たい暗闇から始まっていた。
気がついた頃には自分の母親は既にいなかった。
子爵邸の地下にある檻の中で、僕はずっと一人だった。
毎日浴びせられる罵声と、暴力。初めのうちはとても怖くて、辛くて、苦しかった。
けれども、その感情は日が経つにつれて薄れていってくれたのは、もしかしたらその頃の僕にとっては幸いなことだったのかもしれない。
「不義の子の分際で、良くここにいようと思うわよね?」
それを義母が言うのか。出られないようにしているのはあなた達の方なのに。
でも、僕は全てがどうでもよかった。このまま死んでしまっても構わないとさえ思っていた。
だって、この時の僕には自分が生きている意味を見いだせなかったから。
けれども心の奥底では拭えない感情があったのも確かだった。人目を盗んで泣いて、喚いて、けれどもその感情が報われることは一生無いのだと理解していたのもまた事実。
子爵邸では、奴隷のように扱われていた。従者の立場にいる彼ら彼女らにも、侮蔑するような視線を投げかけられた。
それでも僕は何も感じない。何も感じないと、湧き上がる感情を押し殺していた。
なんて無意味で、録でない人生なのだろう。
僕はその時まで、確かにそう思って暮らしてきていたのだ。
「おいで、今日から君はスターライト家の一員となるんだよ」
スターライト。それは、隣国の有力貴族の名前。子爵が口にしているのをよく聞いていた僕は、何故ここに国の違う公爵家当主がいるのかが分からなかった。
そして、その言葉の意味も理解出来なかった。
優しそうな人だと、その人を一目見た時に僕はそう思った。
公爵は、とても優しそうに僕に笑いかけてくれたから。
そして、僕の名前はいつの間にかノア・ウェナード・エルドラルから、ノア・アラザン・スターライトへ変わることとなっていた。
けれども。ああ、でもきっと僕はまた奴隷のように扱われることになるんだろうな、と冷めた眼差しで笑顔を浮かべる公爵を眺めつつ考える。
でも、それでも別に構わない。僕はそういう人生しか辿ることは出来ないのだろう。
そう扱われるのかと思って覚悟をして、全てを諦めていたのに。
「よろしくお願いしますね、ノア」
青みがかった金髪に藍緑色の瞳を馳せ持った少女——リリーローズ様……否、お姉様は、初めて会った僕に親しみを込めて、無邪気に、好意すら滲ませてそう告げた。
ノア。と初めて名前を呼ばれた。
侮蔑の感情を一切向けてこなかったお姉様を見て、僕は正直言って驚いた。
どうして彼女は僕に対してもそんな風に笑ったのだろうか。
僕にはそれが、どうしても解らなかった。
それからというもの、僕は前のように暗闇に閉じ込められるのではなく立派な一人部屋を分け与えられ、公爵には他の子供たちと何ら変わらずに僕を息子として見てくれた。
どうしてだろう。どうしてこの人達は、この家にいる人達はこんな僕にも普通に接してくれるのだろう。
解らない。解るはずがない。
初めてのことに、僕は何から何まで戸惑ってしまっていた。
温かな食事にお風呂、清潔な寝室に、質の良い服。
なによりも、優しい〝家族〟達。
どうしてこの人達は、こんなにも僕に良くしてくれるのだろうか。所詮は赤の他人の子供であるのに。本当の親にさえ見捨てられた子供であるのに。
それでも心の中に芽生えた暖かな感情は、すくすくと大きく膨らんでいった。
けれども、僕は怖かった。いつかまた、僕は前のような扱いを受けるのではないのか、と。
温かなものを知ってしまったから、それは余計に辛くて悲しくなってしまうだろう。
僕は温かなものなんて、知りたくなかった。解りたく、なかった。
けれども、いくら時間が経とうとも僕の扱いは変わることなど無かった。
そして決定的に僕を、僕の心の冷えきっていた部分を溶かしてくれたのはお姉様だった。
「もう、大丈夫。この家の人達は、……少なくとも私だけはずっとノアくんの味方だからね」
その言葉が、そして、その表情がどれだけ嬉しいもので、どれだけ僕の心を救ったのかをきっと、多分お姉様は知らないだろうけれど。
けれども確かに僕はお姉様に救われたのだ。
嬉しかったのだ。自分の心を解ってくれる人がいることに。
僕は、きっとこの瞬間に止まっていた時間が動き始めたのだと思う。この瞬間に、『ノア』は産まれたのだと思う。
だから。
今はまだ恥ずかしくてきちんと話すことは出来ないけれど。
僕を救ってくれてありがとうございます、お姉様。
いつか必ず恩返ししますからね。
冷たくて、寒くて、無機質な石畳の床が、大嫌いだった。
「お前は本来産まれる筈が無かったんだ。それなのに、お前の母親は……!!」
僕、ノア・ウェナード・エルドラルの人生は自分の父親であるエルドラル子爵のその言葉、そして無機質で冷たい暗闇から始まっていた。
気がついた頃には自分の母親は既にいなかった。
子爵邸の地下にある檻の中で、僕はずっと一人だった。
毎日浴びせられる罵声と、暴力。初めのうちはとても怖くて、辛くて、苦しかった。
けれども、その感情は日が経つにつれて薄れていってくれたのは、もしかしたらその頃の僕にとっては幸いなことだったのかもしれない。
「不義の子の分際で、良くここにいようと思うわよね?」
それを義母が言うのか。出られないようにしているのはあなた達の方なのに。
でも、僕は全てがどうでもよかった。このまま死んでしまっても構わないとさえ思っていた。
だって、この時の僕には自分が生きている意味を見いだせなかったから。
けれども心の奥底では拭えない感情があったのも確かだった。人目を盗んで泣いて、喚いて、けれどもその感情が報われることは一生無いのだと理解していたのもまた事実。
子爵邸では、奴隷のように扱われていた。従者の立場にいる彼ら彼女らにも、侮蔑するような視線を投げかけられた。
それでも僕は何も感じない。何も感じないと、湧き上がる感情を押し殺していた。
なんて無意味で、録でない人生なのだろう。
僕はその時まで、確かにそう思って暮らしてきていたのだ。
「おいで、今日から君はスターライト家の一員となるんだよ」
スターライト。それは、隣国の有力貴族の名前。子爵が口にしているのをよく聞いていた僕は、何故ここに国の違う公爵家当主がいるのかが分からなかった。
そして、その言葉の意味も理解出来なかった。
優しそうな人だと、その人を一目見た時に僕はそう思った。
公爵は、とても優しそうに僕に笑いかけてくれたから。
そして、僕の名前はいつの間にかノア・ウェナード・エルドラルから、ノア・アラザン・スターライトへ変わることとなっていた。
けれども。ああ、でもきっと僕はまた奴隷のように扱われることになるんだろうな、と冷めた眼差しで笑顔を浮かべる公爵を眺めつつ考える。
でも、それでも別に構わない。僕はそういう人生しか辿ることは出来ないのだろう。
そう扱われるのかと思って覚悟をして、全てを諦めていたのに。
「よろしくお願いしますね、ノア」
青みがかった金髪に藍緑色の瞳を馳せ持った少女——リリーローズ様……否、お姉様は、初めて会った僕に親しみを込めて、無邪気に、好意すら滲ませてそう告げた。
ノア。と初めて名前を呼ばれた。
侮蔑の感情を一切向けてこなかったお姉様を見て、僕は正直言って驚いた。
どうして彼女は僕に対してもそんな風に笑ったのだろうか。
僕にはそれが、どうしても解らなかった。
それからというもの、僕は前のように暗闇に閉じ込められるのではなく立派な一人部屋を分け与えられ、公爵には他の子供たちと何ら変わらずに僕を息子として見てくれた。
どうしてだろう。どうしてこの人達は、この家にいる人達はこんな僕にも普通に接してくれるのだろう。
解らない。解るはずがない。
初めてのことに、僕は何から何まで戸惑ってしまっていた。
温かな食事にお風呂、清潔な寝室に、質の良い服。
なによりも、優しい〝家族〟達。
どうしてこの人達は、こんなにも僕に良くしてくれるのだろうか。所詮は赤の他人の子供であるのに。本当の親にさえ見捨てられた子供であるのに。
それでも心の中に芽生えた暖かな感情は、すくすくと大きく膨らんでいった。
けれども、僕は怖かった。いつかまた、僕は前のような扱いを受けるのではないのか、と。
温かなものを知ってしまったから、それは余計に辛くて悲しくなってしまうだろう。
僕は温かなものなんて、知りたくなかった。解りたく、なかった。
けれども、いくら時間が経とうとも僕の扱いは変わることなど無かった。
そして決定的に僕を、僕の心の冷えきっていた部分を溶かしてくれたのはお姉様だった。
「もう、大丈夫。この家の人達は、……少なくとも私だけはずっとノアくんの味方だからね」
その言葉が、そして、その表情がどれだけ嬉しいもので、どれだけ僕の心を救ったのかをきっと、多分お姉様は知らないだろうけれど。
けれども確かに僕はお姉様に救われたのだ。
嬉しかったのだ。自分の心を解ってくれる人がいることに。
僕は、きっとこの瞬間に止まっていた時間が動き始めたのだと思う。この瞬間に、『ノア』は産まれたのだと思う。
だから。
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僕を救ってくれてありがとうございます、お姉様。
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