1 / 2
第一話 もにゃもにゃ
しおりを挟む
幼い頃から特撮ヒーローに憧れていた。弱きを助け強気を挫く。曲がったことは絶対にしない。たとえ過酷でも、孤独でも、人を助けるという自分たちの決めた道を歩こうとするあの力強さに心打たれていた。
僕もあんなふうになりたい。そうやって気持ちだけはずっと思っていた。
けれど実際の僕は、臆病で人に声をかけることもできない。他人の目ばかり気にして、自分の考えを持っていない。ヒーローのように振り切った強さは持っていなかった。
こう生きたいという理想だけ肥大化して、僕は人一倍自意識過剰でいつもビクビクしながら生きていた。
やつと出会ったのは、そんなつまらない日々の途中だった。
…
丸井はオフィスでデータ入力の仕事をするフリーターだった。毎日、渡された資料をひたすらパソコンに打ち込んでいく作業をしていた。同僚と喋るのも挨拶と仕事に必要な最低限な会話だけ。給料は生活費でほとんど消えていく。28歳。貯金はない。恋人もいない、友達もいない、夢も無かった。
定時の17時になって、ちらほら人が消えていく。丸井もパソコンの電源を切り、それに倣ってリュックに筆記用具や水筒を詰め込んだ。荷物を背負った瞬間、声をかけられる。
「ここの内容間違ってるわよ。」
「あ、あっ…す、すみません…。」
「よく見て。」
「すみません……。」
丸井が注意を受けた仲沢は所謂お局だった。ショートカットで黒縁眼鏡をかけ、怜悧な雰囲気を纏ういかにもキャリアウーマンといった感じのひとだ。社長にも物怖じせず意見を口にして、キビキビと働く彼女は内向的な丸井とは対照的で、彼は彼女のことが苦手だった。顔を合わせるたびに何か指摘されるんじゃないかと思って怖かったのだ。
丸井が慌ててパソコンの電源をつけようとして「明日でいいわ。」と立ち去る仲沢。明日でいいなら明日言えよという気持ちが湧いてきたけれど、丸井に口にする度胸はなかった。気まずくなって、逃げるようにオフィスを飛び出した。
丸井が住んでいるのは築40年の家賃6万ほどのワンルーム。駅近で便利なのだけが救いのボロアパートだった。スーパーに寄って割引シールのついた弁当を買い、家に帰って寝る。なんとなくつまらない日々だなと思いながらも変える気力もなかった。生活費以外に使える金もないので何かをしようという気にもならない。唯一の余暇といえば子供の時から見ている週末にある特撮ヒーロー番組を見ることぐらいだった。盗み聞きした会話で、同世代の同僚は「推し活でアイドルを追いかけている」「友達と旅行に行っている」と話していたが、どれも丸井の心が湧くことはなかった。それよりも周りが楽しめることを楽しめないこんな自分はおかしいのだろうかという気持ちの方が優っていた。
家に着いて鍵を開ける。ため息を吐きながらドアノブを回して、玄関に入って……。そこでいつもと違う、異変に気づいた。
「もにゃ~。」
猫…にしては随分とずんぐりむっくりした黒い毛玉の塊のような奴が玄関で鳴いていた。思わず二度見する。鍵はしっかりかけていたはずなのに一体、どこから入ってきたのだろうか。
声も出せずに丸井はその場で暫く硬直しながら、その黒猫らしき毛玉と向き合っていた。(近づいたら引っ掻かれそうだし…野良猫なら噛まれたらヤバそうだし…。)などと不安が駆け巡って、動くに動けなかった。
そのうちにその毛玉がもにゃ、もにゃ、と奇妙な鳴き声を上げながら、丸井の足に擦り寄ってきた。見知らぬ生命体にじゃれつかれ、彼はヒッ!と悲鳴を上げそうになる。近隣のことを考え食いしばって堪えた。アパートは壁が薄いし、ここはペット不可の物件だ。変な疑いをかけられて追い出される羽目になるのはごめんだった。
とにかくこいつ外に追い出さなければ、と思った矢先、うん?と丸井は目を疑った。黒い毛玉が一回り大きくなっているように見えたからだ。そんな馬鹿なことがあってたまるかと思うが、また瞬きをしたら毛玉が大きくなっていた。
(どうしよ……。)
特撮で出来た脳みその直感が、こいつは宇宙生命体だ!と危機を察知する。家の屋根を突き抜けるほど肥大化し、やがて、街を喰らう化け物になるんだと妄想が浮かんだ。それは困る。とにかくベランダに出そうと決意して、火事場の馬鹿力でやつを持ち上げた。毛玉は見た目に反してずっしりとしていて、10kgの米を持っている気持ちになった。
丸井が不安に駆られてこれ以上でかくなるなと願えば願うほど毛玉はでかくなった。こいつはあまのじゃくなのか。自分に対する嫌がらせなのか、今日はありとあらゆることが最悪な日だ。心の中でもやもやするたび、恨みを募らせるたび、呼応するようにそいつはまたでかくなる。
ベランダの前まできて、あまりの重さに丸井はとうとう毛玉を動かせなくなった。枕ぐらいの大きさだったのに、もう彼の腰あたりまで肥大化している。
「なんて日だ……。」
絶望的な物語の中でしか聞いたことがないセリフを吐いた。なす術なく途方に暮れる。宇宙生命体を飼うノウハウも金銭的な余裕もないし、否、そもそもどうして自分が面倒を見なければならないのだという気持ちが沸き起こってくる。ただ家に帰ってきたらこいつが勝手にいただけなのに。あんまりにも理不尽で、悲観的な気持ちになった。
苛ついて、どうしようもなくなった丸井は衝動的に毛玉を蹴った。お前のせいで僕は今こんなに不幸な気持ちになってるんだと、思いの丈をぶつけてしまった。
「もにゃ!」
毛玉は大きく鳴いて、吹っ飛んだ。重さからびくともしないと思ったのに、毛玉はボールのように跳ねて壁にぶつかった。大きな黒い瞳がじっとこちらをみつめて、もにゃ、もにゃと何度も鳴いていたが、やがて静かになった。煩わしく耳に纏わりついていた声が途端に聞こえなくなった。
僕もあんなふうになりたい。そうやって気持ちだけはずっと思っていた。
けれど実際の僕は、臆病で人に声をかけることもできない。他人の目ばかり気にして、自分の考えを持っていない。ヒーローのように振り切った強さは持っていなかった。
こう生きたいという理想だけ肥大化して、僕は人一倍自意識過剰でいつもビクビクしながら生きていた。
やつと出会ったのは、そんなつまらない日々の途中だった。
…
丸井はオフィスでデータ入力の仕事をするフリーターだった。毎日、渡された資料をひたすらパソコンに打ち込んでいく作業をしていた。同僚と喋るのも挨拶と仕事に必要な最低限な会話だけ。給料は生活費でほとんど消えていく。28歳。貯金はない。恋人もいない、友達もいない、夢も無かった。
定時の17時になって、ちらほら人が消えていく。丸井もパソコンの電源を切り、それに倣ってリュックに筆記用具や水筒を詰め込んだ。荷物を背負った瞬間、声をかけられる。
「ここの内容間違ってるわよ。」
「あ、あっ…す、すみません…。」
「よく見て。」
「すみません……。」
丸井が注意を受けた仲沢は所謂お局だった。ショートカットで黒縁眼鏡をかけ、怜悧な雰囲気を纏ういかにもキャリアウーマンといった感じのひとだ。社長にも物怖じせず意見を口にして、キビキビと働く彼女は内向的な丸井とは対照的で、彼は彼女のことが苦手だった。顔を合わせるたびに何か指摘されるんじゃないかと思って怖かったのだ。
丸井が慌ててパソコンの電源をつけようとして「明日でいいわ。」と立ち去る仲沢。明日でいいなら明日言えよという気持ちが湧いてきたけれど、丸井に口にする度胸はなかった。気まずくなって、逃げるようにオフィスを飛び出した。
丸井が住んでいるのは築40年の家賃6万ほどのワンルーム。駅近で便利なのだけが救いのボロアパートだった。スーパーに寄って割引シールのついた弁当を買い、家に帰って寝る。なんとなくつまらない日々だなと思いながらも変える気力もなかった。生活費以外に使える金もないので何かをしようという気にもならない。唯一の余暇といえば子供の時から見ている週末にある特撮ヒーロー番組を見ることぐらいだった。盗み聞きした会話で、同世代の同僚は「推し活でアイドルを追いかけている」「友達と旅行に行っている」と話していたが、どれも丸井の心が湧くことはなかった。それよりも周りが楽しめることを楽しめないこんな自分はおかしいのだろうかという気持ちの方が優っていた。
家に着いて鍵を開ける。ため息を吐きながらドアノブを回して、玄関に入って……。そこでいつもと違う、異変に気づいた。
「もにゃ~。」
猫…にしては随分とずんぐりむっくりした黒い毛玉の塊のような奴が玄関で鳴いていた。思わず二度見する。鍵はしっかりかけていたはずなのに一体、どこから入ってきたのだろうか。
声も出せずに丸井はその場で暫く硬直しながら、その黒猫らしき毛玉と向き合っていた。(近づいたら引っ掻かれそうだし…野良猫なら噛まれたらヤバそうだし…。)などと不安が駆け巡って、動くに動けなかった。
そのうちにその毛玉がもにゃ、もにゃ、と奇妙な鳴き声を上げながら、丸井の足に擦り寄ってきた。見知らぬ生命体にじゃれつかれ、彼はヒッ!と悲鳴を上げそうになる。近隣のことを考え食いしばって堪えた。アパートは壁が薄いし、ここはペット不可の物件だ。変な疑いをかけられて追い出される羽目になるのはごめんだった。
とにかくこいつ外に追い出さなければ、と思った矢先、うん?と丸井は目を疑った。黒い毛玉が一回り大きくなっているように見えたからだ。そんな馬鹿なことがあってたまるかと思うが、また瞬きをしたら毛玉が大きくなっていた。
(どうしよ……。)
特撮で出来た脳みその直感が、こいつは宇宙生命体だ!と危機を察知する。家の屋根を突き抜けるほど肥大化し、やがて、街を喰らう化け物になるんだと妄想が浮かんだ。それは困る。とにかくベランダに出そうと決意して、火事場の馬鹿力でやつを持ち上げた。毛玉は見た目に反してずっしりとしていて、10kgの米を持っている気持ちになった。
丸井が不安に駆られてこれ以上でかくなるなと願えば願うほど毛玉はでかくなった。こいつはあまのじゃくなのか。自分に対する嫌がらせなのか、今日はありとあらゆることが最悪な日だ。心の中でもやもやするたび、恨みを募らせるたび、呼応するようにそいつはまたでかくなる。
ベランダの前まできて、あまりの重さに丸井はとうとう毛玉を動かせなくなった。枕ぐらいの大きさだったのに、もう彼の腰あたりまで肥大化している。
「なんて日だ……。」
絶望的な物語の中でしか聞いたことがないセリフを吐いた。なす術なく途方に暮れる。宇宙生命体を飼うノウハウも金銭的な余裕もないし、否、そもそもどうして自分が面倒を見なければならないのだという気持ちが沸き起こってくる。ただ家に帰ってきたらこいつが勝手にいただけなのに。あんまりにも理不尽で、悲観的な気持ちになった。
苛ついて、どうしようもなくなった丸井は衝動的に毛玉を蹴った。お前のせいで僕は今こんなに不幸な気持ちになってるんだと、思いの丈をぶつけてしまった。
「もにゃ!」
毛玉は大きく鳴いて、吹っ飛んだ。重さからびくともしないと思ったのに、毛玉はボールのように跳ねて壁にぶつかった。大きな黒い瞳がじっとこちらをみつめて、もにゃ、もにゃと何度も鳴いていたが、やがて静かになった。煩わしく耳に纏わりついていた声が途端に聞こえなくなった。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる