◯ときどき×

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第一話 もにゃもにゃ

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 幼い頃から特撮ヒーローに憧れていた。弱きを助け強気を挫く。曲がったことは絶対にしない。たとえ過酷でも、孤独でも、人を助けるという自分たちの決めた道を歩こうとするあの力強さに心打たれていた。
 僕もあんなふうになりたい。そうやって気持ちだけはずっと思っていた。
 けれど実際の僕は、臆病で人に声をかけることもできない。他人の目ばかり気にして、自分の考えを持っていない。ヒーローのように振り切った強さは持っていなかった。
 こう生きたいという理想だけ肥大化して、僕は人一倍自意識過剰でいつもビクビクしながら生きていた。
 やつと出会ったのは、そんなつまらない日々の途中だった。



 丸井はオフィスでデータ入力の仕事をするフリーターだった。毎日、渡された資料をひたすらパソコンに打ち込んでいく作業をしていた。同僚と喋るのも挨拶と仕事に必要な最低限な会話だけ。給料は生活費でほとんど消えていく。28歳。貯金はない。恋人もいない、友達もいない、夢も無かった。
 定時の17時になって、ちらほら人が消えていく。丸井もパソコンの電源を切り、それに倣ってリュックに筆記用具や水筒を詰め込んだ。荷物を背負った瞬間、声をかけられる。
「ここの内容間違ってるわよ。」
「あ、あっ…す、すみません…。」
「よく見て。」
「すみません……。」
 丸井が注意を受けた仲沢は所謂お局だった。ショートカットで黒縁眼鏡をかけ、怜悧な雰囲気を纏ういかにもキャリアウーマンといった感じのひとだ。社長にも物怖じせず意見を口にして、キビキビと働く彼女は内向的な丸井とは対照的で、彼は彼女のことが苦手だった。顔を合わせるたびに何か指摘されるんじゃないかと思って怖かったのだ。
 丸井が慌ててパソコンの電源をつけようとして「明日でいいわ。」と立ち去る仲沢。明日でいいなら明日言えよという気持ちが湧いてきたけれど、丸井に口にする度胸はなかった。気まずくなって、逃げるようにオフィスを飛び出した。

 丸井が住んでいるのは築40年の家賃6万ほどのワンルーム。駅近で便利なのだけが救いのボロアパートだった。スーパーに寄って割引シールのついた弁当を買い、家に帰って寝る。なんとなくつまらない日々だなと思いながらも変える気力もなかった。生活費以外に使える金もないので何かをしようという気にもならない。唯一の余暇といえば子供の時から見ている週末にある特撮ヒーロー番組を見ることぐらいだった。盗み聞きした会話で、同世代の同僚は「推し活でアイドルを追いかけている」「友達と旅行に行っている」と話していたが、どれも丸井の心が湧くことはなかった。それよりも周りが楽しめることを楽しめないこんな自分はおかしいのだろうかという気持ちの方が優っていた。

 家に着いて鍵を開ける。ため息を吐きながらドアノブを回して、玄関に入って……。そこでいつもと違う、異変に気づいた。
「もにゃ~。」
 猫…にしては随分とずんぐりむっくりした黒い毛玉の塊のような奴が玄関で鳴いていた。思わず二度見する。鍵はしっかりかけていたはずなのに一体、どこから入ってきたのだろうか。
 声も出せずに丸井はその場で暫く硬直しながら、その黒猫らしき毛玉と向き合っていた。(近づいたら引っ掻かれそうだし…野良猫なら噛まれたらヤバそうだし…。)などと不安が駆け巡って、動くに動けなかった。
 そのうちにその毛玉がもにゃ、もにゃ、と奇妙な鳴き声を上げながら、丸井の足に擦り寄ってきた。見知らぬ生命体にじゃれつかれ、彼はヒッ!と悲鳴を上げそうになる。近隣のことを考え食いしばって堪えた。アパートは壁が薄いし、ここはペット不可の物件だ。変な疑いをかけられて追い出される羽目になるのはごめんだった。
 とにかくこいつ外に追い出さなければ、と思った矢先、うん?と丸井は目を疑った。黒い毛玉が一回り大きくなっているように見えたからだ。そんな馬鹿なことがあってたまるかと思うが、また瞬きをしたら毛玉が大きくなっていた。
(どうしよ……。)
 特撮で出来た脳みその直感が、こいつは宇宙生命体だ!と危機を察知する。家の屋根を突き抜けるほど肥大化し、やがて、街を喰らう化け物になるんだと妄想が浮かんだ。それは困る。とにかくベランダに出そうと決意して、火事場の馬鹿力でやつを持ち上げた。毛玉は見た目に反してずっしりとしていて、10kgの米を持っている気持ちになった。

 丸井が不安に駆られてこれ以上でかくなるなと願えば願うほど毛玉はでかくなった。こいつはあまのじゃくなのか。自分に対する嫌がらせなのか、今日はありとあらゆることが最悪な日だ。心の中でもやもやするたび、恨みを募らせるたび、呼応するようにそいつはまたでかくなる。
 ベランダの前まできて、あまりの重さに丸井はとうとう毛玉を動かせなくなった。枕ぐらいの大きさだったのに、もう彼の腰あたりまで肥大化している。
「なんて日だ……。」
 絶望的な物語の中でしか聞いたことがないセリフを吐いた。なす術なく途方に暮れる。宇宙生命体を飼うノウハウも金銭的な余裕もないし、否、そもそもどうして自分が面倒を見なければならないのだという気持ちが沸き起こってくる。ただ家に帰ってきたらこいつが勝手にいただけなのに。あんまりにも理不尽で、悲観的な気持ちになった。
 苛ついて、どうしようもなくなった丸井は衝動的に毛玉を蹴った。お前のせいで僕は今こんなに不幸な気持ちになってるんだと、思いの丈をぶつけてしまった。
「もにゃ!」
 毛玉は大きく鳴いて、吹っ飛んだ。重さからびくともしないと思ったのに、毛玉はボールのように跳ねて壁にぶつかった。大きな黒い瞳がじっとこちらをみつめて、もにゃ、もにゃと何度も鳴いていたが、やがて静かになった。煩わしく耳に纏わりついていた声が途端に聞こえなくなった。
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