【R15】お金で買われてほどかれて~社長と事務員のじれ甘婚約~【完結】

双真満月

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1.命令するものされるもの

1-2.社長の命令は突然で

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 広宮ひろみや美土里みどり。『プロタゴニスタ』全店舗を束ねる社長である彼は、百十数年の歴史を持つお香専門店を営む広宮家の跡取りでもある。

 とはいえ、当主の後妻となったイタリア人の母から産まれた美土里は、長男の地位にはあれど一族の鼻つまみものでもあった。そう公言してはばからないのは本人である。

 美土里はリンパドレナージュだけでなく、日本アロマ環境協会や、国際アロマセラピスト連盟などの資格を持っていた。主にアロマセラピスト、アロマブランドデザイナーとして活躍している。

 そんな彼は、日本でも指折りのマッサージ店経営者となり、『プロタゴニスタ』を立ち上げた。マッサージはもちろん、オーダーメイドのアロマも売っている『プロタゴニスタ』は、今や日本中に支店がある。

 優しく端整な顔立ち、高身長という彼は、黙っていれば一流の俳優にもひけを取らない。黙っていれば、と雪生ゆきなはパソコンのキーボードを叩きながら、店の二階にある事務室で、社長用の机を流し見た。

「メリッサにするか、それともコパイバにするか。ネロリもいいけど、どうしようかなあ」

 金髪のオールバックを撫でつけながら、机の上にアロマの瓶を並べていくのはいい。けれど子供みたいに、座っている椅子をくるくる回すのはどうなのか。三十を過ぎた男性が取る行動にしては幼すぎて、雪生は気づかれないよう小さなため息をついた。

「ねえねえみやこくん」
(ティトゥリーもある、ジャスミンもまだ大丈夫)
「都くーん」
(フランキンセンス、少し足りなくなるかも。発注しておかないと)
「都っくーん」
「……なんですか、社長」

 三度名を呼ばれ、ようやく雪生は手を止めた。真っ正面から明るい笑顔を睨む。美土里があからさまに相好を崩した。

「今日も都くんは可愛いねぇ」
「いらないお世辞と仕事の邪魔、ありがとうございます」
「うん、いつもながら手厳しい。本当のことを言ってるまでなんだけどね。ところで都くんはどれが好き? メリッサとコパイバと、ネロリ」
「昼に流す香りですよね。社長がご自分で決めたらどうでしょう」
「悩んでるから聞いてるの」

 どうしていつも自分に聞くのかわからず、もう一人の事務員である女性、真殿まどのの方を見た。彼女は空気のように存在感を消し、無視を決めこんでいる。助け船はなさそうだ。美土里が来るたびこうなのだから、きっと真殿も呆れているに違いない。

「どれがいいかな?」
「私、アロマの資格を持ってません。そういうのはちょっと」
「感覚でいいんだよ。いい香り、って思ったらそれにするから」
「はあ……」

 軽い口調で言われて、そういうことでいいのかと疑問に思う。

 雪生がこの店に勤めて一年経つが、未だアロマやマッサージに関する資格は取っていない。取りたいと思ってはいるものの、通信教育も高額で迷っているのが本音だった。

 給料のほとんどは、弟の進学費用のために貯金行きだ。カードを持つのも抵抗がある。ローン、借金、金のやり取り。そういった物事は雪生にとってトラウマ、タブーの一つだった。

 キーボードの音が大きく響く室内の中、椅子を軋ませて立ち上がった美土里が瓶を持ち、自分の方へと近づいてくる。

「どれが好き?」
「そ、そうですね……」

 顔を近付けられて、置かれた瓶を確認するよう咄嗟にうつむいた。心臓が脈打ち、意識しないようにしても無駄だった。穏やかなアルトの声がどうしても、あの淫らな夢を想起させる。

 だめ、と理性を働かせ、平常心を保ったまま瓶を取り、手で仰ぐようにして匂いを嗅いでいく。一番左の匂いがなんとなく気に入って、そっと指さした。

「これが好きです、私は」
「メリッサだね。ちょっと疲れているのかい? 精神的な疲労に効くんだよ、この香り」
「人の心、匂いで確認するのやめてもらえますか」
「従業員のケアは大事だからね。よし、レシピ十七番の香りにしよう。受付にメールして」
「……わかりました」

 軽くいなされて、渋々ながらメールを打つ。従業員、そう言われて心が落ち着いた。

 この店で自分と美土里は、単なる社長と事務員という関係だ。原を含め、従業員たちは二人の間で交わされた契約を知らない。もちろん、弟の氷雨ひさめも。もし氷雨が知れば悲しませてしまうだろう。だから絶対に口外できない。

 家族にも、友達にも言えない関係。今のところ、美土里と自分が婚約者だと思っているのは、美土里の両親だけだ。最初は疑われたが、ともかく息子がそれで落ち着くなら、と安堵していたのをよく覚えている。

 美土里の両親曰く、彼は女好きというわけではないものの、女性関係が長続きしたことがないようだ。彼女ができても結婚まで至らず、破局する。大抵は美土里が貢いで終わりらしい。雪生からして見れば、付き合ってきた女性たちにも選んだ美土里にも、問題があると思う。

(そんな人の夢を見るなんて、やっぱり私、どうにかしてる)

 小さく頭を振って、淫らな夢を思考の底から追い出した。匂いの好き嫌いやアレルギーなどが細かく書かれたアンケート用紙を、顧客リストとして登録する仕事へと集中する。

 ここは本店ともあってか客の入りはよく、また雑誌やSNSなどを使い、宣伝を流した効果も合わさってかなり繁盛している。奇妙な夢に翻弄されている場合ではないのだ。

 お茶してきますと真殿が言い、扉を閉めたのをきっかけに無駄に広い事務室の中、しばらくの間沈黙が降りる。パソコンを操る雪生の手を止めたのは、美土里だった。

「そういや都くん。原くんにマッサージ習ってるんだって?」
「はい。でも、ほんの少しですけど……」
「なるほど。事務だけじゃあ物足りないわけか」
「……そういうわけではありません」

 口ではそう言ったが、手に職をつけたいというのが本音だった。どうせ偽りの婚約者なんて立場、美土里が本気で好きな女性を見つけたらなくなってしまうのだ。店からも追い出されるだろう。その前に、事務以外での経験もしておきたかった。

「僕の役に立ちたいから、というわけでもなさそうだね。で、上達の方はどうなのかな?」
「……全然です」

 マグカップに入ったコーヒーを飲んで、情けなく縮こまる。

 原に教えてもらっているというのに、どうにも上手くいかない。多分、自分が不器用だからだろう。手ではなく腕の力を使うということがスムーズに頭に入ってこないし、肌に手を滑らせる、それだけでも緊張してしまう。

 つい出してしまったため息に呼応するかのように、ふむ、と美土里が顎に手を添えた。

「マッサージを受けたことは?」
「手だけですけど、原さんにはあります」
「全身は受けてないのか。全身マッサージが売りだからね、この店は。ハンドマッサージも含めて、足や鎖骨も実際にやってもらった方が、流れを良く感じられるんだけど」
「さすがにそこまでは……原さん、売れっ子ですから。お忙しいでしょうし」

 苦笑を浮かべた自分に、美土里はどこかいたずらっ子のように微笑む。

「じゃあ、僕が教えようか」
「……はい?」

 とんでもないことを言われたような気がして、つい目をまたたかせた。

 アロマオイルを使った全身マッサージは、基本、全裸に近い格好となって施術を受けるのが一般的だ。紙でできたショーツとブラをつけはするが。

 半裸以上の格好を男性に見せたことはない。水着姿を晒したのだって、学生時代の頃くらいだ。男女のつき合いの一つもしたことがない自分にとって、そのことには非常に大きな抵抗があった。

「僕も最近マッサージ、してないからね。腕が鈍るのは嫌だし、丁度よかった」

 気分がよさそうに話を進めていこうとする美土里へ、雪生は眉を寄せる。

「社長、私、まだ了承してません。勝手に決めないで下さい」
「自分の立場、忘れた? 君、僕の婚約者だけど」
「そんなの、ご両親に向けての嘘じゃないですか。私たち、プライベートにまで干渉する関係じゃないでしょう」
「へえ。そういう間柄ならいいんだ。じゃあ命令させてもらおうかな」
「命令って……」

 思わず絶句し、マグカップを落としそうになった。一方の美土里は、笑みを浮かべたままだ。優しい笑顔には違いないが、どこかこの状況を楽しんでいるようでもある。

「そう、命令。僕のマッサージの相手になること。悪い話じゃないと思うけどね。君は仕事を覚えられるし、僕はストレス発散ができる。と、言うより君に拒否権はないよ」
「そんな……卑怯です」
「卑怯で結構。たかがマッサージだろう。それとも何か、期待してた?」

 どこか揶揄するように言われて、一瞬あの夢が頭をよぎった。だが、それより挑発的な言葉を投げかけられたことへの怒りが大きく、雪生はマグカップを置いて美土里を睨みつける。

「するわけないじゃないですか。別に私たちは、恋人でもなんでもないんですから」
「……そうだね。じゃあ、僕の命令を聞いてくれるってことでいいかな?」
「ええ、わかりました。その代わり、仕事になるようちゃんと教えて下さい」
「いいよ。今日の夜は空けておいて。店を閉めたらマッサージするから」

 黙ってうなずく。安っぽい挑発に乗せられた気もするが、命令と言われたら雪生に選択肢などない。肩代わりしてくれた借金は、普通に働いて返せる金額ではないのだから。ただより怖いものはない、とはこのことだとしみじみ思う。

「じゃあ僕、ちょっと皆にアロマ配ってくるから。都くんの分はここに置いておくよ」

 言うが早いか、美土里は遮光瓶に入ったアロマを雪生の机に置き、上機嫌で部屋を出て行く。扉が閉められ、雪生は一人になったときにはじめて、ため息をついた。

 遮光瓶を睨んでいてもどうしようもない。行き場の無い思いをぶつけるように、パソコンに向き直ってキーボードを叩きはじめた。
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