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1.命令するものされるもの
1-1.恥じ入る気持ちばかり
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会員制マッサージ店『プロタゴニスタ』。イタリア語で主役を意味する名がつけられた女性専用のマッサージ店こそ、雪生が務める職場だ。
穏やかなジャズが流れる店内は、それこそ社長である広宮美土里の生まれ故郷、イタリアで発注されたソファや机で統一されており、ポップな印象と高級さを同時に感じさせる。
壁紙は白、絨毯は緑。洒落たディフューザーからは毎日、緊張を解きほぐすためのアロマを流すことになっていて、洗浄を行うのは事務員兼雑務係である雪生の役目だった。
店の電灯をつけ、数個のディフューザーを持って給湯室に向かうと、さっそく中性洗剤で丁寧に中を洗っていく。ベージュのスーツに水がかからないよう、簡易なエプロンを着けて。時刻は現在午前八時、十時からの開店に十分間に合う。
ふと顔を上げると、鏡に自分の顔が映っている。切り揃えたストレートロングの黒髪に、薄茶色の瞳。昨夜も人には言えないあの夢を見たけれど、睡眠はたっぷり取ったおかげか隈はない。
几帳面そうだ、と人に揶揄される生真面目な顔つきはどこか不機嫌そうで、思わず小さく微笑んでみる。似合わないような気がしてすぐにやめた。
あの夢を思い出すたび、頬が赤らむのがわかる。思わずため息をついたそのときだ。
「おはよー、雪生ちゃん。今日も早いねー」
「あ……原さん、おはようございます」
給湯室に現れたのは、マッサージ師の一人である原だった。彼女はコンビニの袋を持ったまま、眠たそうにあくびをした。
「原さんも早いんですね。予約があるんでしたっけ」
「うん、そう。いつもの常連さん。……洗うの手伝おうか?」
「いえ、私の仕事ですから。ついでですし、お茶、入れますね」
ありがと、と気さくに原は笑い、近くにあった折りたたみの椅子に腰かけた。まだ睡魔に囚われているのだろう、彼女の目は少し腫れぼったかった。
雪生はマッサージ師ではない。アロマオイルを用いるマッサージ師を名乗るのに国家資格はいらないが、雇われているマッサージ師の女性陣は、それぞれリンパドレナージュといった資格を持っているものが大半だ。中にはバリで本格的な施術を学んだものもいる。
原もその一人で、雪生の憧れの女性だった。マグカップに緑茶を入れ、彼女へ手渡す。
「はい、どうぞ。熱いですから気をつけて下さいね」
「お、茶柱。社長が来る日に縁起いいね。臨時ボーナス出るかな?」
「さ、さあ、どうでしょう」
思わずうわずった声を上げそうになり、慌てて苦笑を浮かべた。そう、今日は社長――広宮が来店する日だ。そんな日の前日に、あの夢を見たことが悔やまれる。
「また調合したアロマ持ってきてくれるかな、社長。雪生ちゃんも使ってる?」
「ええ、ディフューザーも買いましたし。使ってますよ」
「凄いよね、社長って。ラベンダー苦手なの克服できちゃった。あ、そういやティトゥリーとジャスミン少なくなってきてるけど、在庫ある?」
「確かまだあったと思います。他の備品と一緒にチェックしておきますね」
「よろしくー」
コンビニの袋からパンを取り出し、食べはじめる原にうなずいて、雪生は作業に戻った。内心の疼きを堪えるように、淫らな夢を振り切るようにして。
穏やかなジャズが流れる店内は、それこそ社長である広宮美土里の生まれ故郷、イタリアで発注されたソファや机で統一されており、ポップな印象と高級さを同時に感じさせる。
壁紙は白、絨毯は緑。洒落たディフューザーからは毎日、緊張を解きほぐすためのアロマを流すことになっていて、洗浄を行うのは事務員兼雑務係である雪生の役目だった。
店の電灯をつけ、数個のディフューザーを持って給湯室に向かうと、さっそく中性洗剤で丁寧に中を洗っていく。ベージュのスーツに水がかからないよう、簡易なエプロンを着けて。時刻は現在午前八時、十時からの開店に十分間に合う。
ふと顔を上げると、鏡に自分の顔が映っている。切り揃えたストレートロングの黒髪に、薄茶色の瞳。昨夜も人には言えないあの夢を見たけれど、睡眠はたっぷり取ったおかげか隈はない。
几帳面そうだ、と人に揶揄される生真面目な顔つきはどこか不機嫌そうで、思わず小さく微笑んでみる。似合わないような気がしてすぐにやめた。
あの夢を思い出すたび、頬が赤らむのがわかる。思わずため息をついたそのときだ。
「おはよー、雪生ちゃん。今日も早いねー」
「あ……原さん、おはようございます」
給湯室に現れたのは、マッサージ師の一人である原だった。彼女はコンビニの袋を持ったまま、眠たそうにあくびをした。
「原さんも早いんですね。予約があるんでしたっけ」
「うん、そう。いつもの常連さん。……洗うの手伝おうか?」
「いえ、私の仕事ですから。ついでですし、お茶、入れますね」
ありがと、と気さくに原は笑い、近くにあった折りたたみの椅子に腰かけた。まだ睡魔に囚われているのだろう、彼女の目は少し腫れぼったかった。
雪生はマッサージ師ではない。アロマオイルを用いるマッサージ師を名乗るのに国家資格はいらないが、雇われているマッサージ師の女性陣は、それぞれリンパドレナージュといった資格を持っているものが大半だ。中にはバリで本格的な施術を学んだものもいる。
原もその一人で、雪生の憧れの女性だった。マグカップに緑茶を入れ、彼女へ手渡す。
「はい、どうぞ。熱いですから気をつけて下さいね」
「お、茶柱。社長が来る日に縁起いいね。臨時ボーナス出るかな?」
「さ、さあ、どうでしょう」
思わずうわずった声を上げそうになり、慌てて苦笑を浮かべた。そう、今日は社長――広宮が来店する日だ。そんな日の前日に、あの夢を見たことが悔やまれる。
「また調合したアロマ持ってきてくれるかな、社長。雪生ちゃんも使ってる?」
「ええ、ディフューザーも買いましたし。使ってますよ」
「凄いよね、社長って。ラベンダー苦手なの克服できちゃった。あ、そういやティトゥリーとジャスミン少なくなってきてるけど、在庫ある?」
「確かまだあったと思います。他の備品と一緒にチェックしておきますね」
「よろしくー」
コンビニの袋からパンを取り出し、食べはじめる原にうなずいて、雪生は作業に戻った。内心の疼きを堪えるように、淫らな夢を振り切るようにして。
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