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八話 二人の写真と家族

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 今までだって何枚も二人で写真を撮ってきた。
 だから、初めてじゃないのに、どうして毎回初めてみたいな嬉しさが胸に募るんだろう。

 ぎゅうっと締め付けられた心臓を押さえれば、旅人は心配そうに顔を覗き込む。

「どうしたの?」

 スマホの待ち受けにした、ツーショット写真を見つめる。
 そして、首を横に振って「なんでもない」と伝えた。
 旅人の右手に、ほっぺたをむにっと摘まれる。

「嬉しかった?」
「嬉しかったよ、すごく」
「へへーん、そんなに俺のことが好き、なんだ?」

 当たり前のことをわざとらしく口にするから、笑ってうなずく。
 この時間が永遠に続けばいい。
 旅人との時間は、あまりにも幸せが溢れすぎていた。

 口元が勝手に緩むのを、止められない。
 自分自身で頬を抑えようとしたら、摘んでいた旅人の手が優しく包み込むように変化した。
 温かい温度につい、目を細めてしまう。

「いいってことな」

 訳のわからない言葉に、「なにが」と言い返そうとすれば旅人の顔が目前まで迫っていた。
 そこまで来たら、さすがの私だって言わなくてもわかるよ。

 目をつむって受け入れれば、柔らかい唇の感触がした。

「マシュマロみたい」
「なにそれ! ファーストキス、マシュマロって!」

 言い返してから、悪くないかも知れないと思った。
 甘いし、美味しいし。
 柔らかいし。
 旅人はイタズラっぽく笑って、私から離れてブランコに座る。

「夢香の今の気持ちが、全部わかるとは言わないけど」
「なに、急に?」
「俺もわかるから。置いていかれる悲しみとか、寂しさとか」

 私の前世、何個前かわからないけども、旅人を置いて命を落としているらしい。
 私が何回も繰り返してることを、旅人は転生しながら何回も経験してきた。

 そんなことに、話を聞いてるだけでは気づけなかった。
 旅人も私も同じ気持ちを何度も経験してる……
 その事実に、体中が沸騰しそうなくらい、悲しくなった。
 
 ブランコから立ち上がって、旅人をぎゅっと抱きしめる。

「もしかしたら、旅人が私を失った数だけ、繰り返されるのかな」

 軽い予想を呟いてみれば、旅人は「絶対にさせない」と返した。
 今の私以上に、深い悲しみの底にいたことがわかってしまって、瞳が潤んできてしまう。
 耐えきれず、頬を涙が伝っていく。

「ごめんね」
「誰が悪いわけでもないだろ」
「そうだけど」

 そうなんだけど、謝らずにはいられなかった。
 何も言わずに、旅人が嗚咽を漏らす音だけ聞く。
 ぎゅっと抱きしめた制服の裾が、濡れていく気がした。

 ひぐっともう一度喉を鳴らしたかと思えば、旅人の顔が動いた気配がしてそっと離れる。

「俺は絶対二人で幸せになるよ」
「今の旅人に言うことじゃないかもしれないけど、旅人ってすごい自信家だよね」
「ちげーよ」
「えぇー?」

 泣いていた空気を紛らわすように、わざとらしくふざけてみれば旅人の顔は真剣な顔だった。
 私の右手を崩れ落ちそうに握りながら、私を見上げている。

「自信なんてなくたって、願わないと願い事なんて正確に叶わないんだから」
「どういうこと?」
「願い事を叶えるのは自分自身だけどさ。これくらいでいいや、って願ったらそれ以下しか叶わないんだよ」

 旅人の言葉にあいづちを打ちながら、なんとなく理解した。
 最大級の本当に叶えたい願いを口にして、旅人はそれを現実にするために今までやってきたのだろう。

「だから、絶対叶えるって思いながら口にしてるだけ。自信なんて、一ミリもないよ。今だってすげー怖い。また夢香を置いていって、悲しませちゃうんじゃないかって」

 旅人の震えが私の右手にも伝わって、喉の奥がきゅうっと締め付けられた。
 自分が死ぬ恐怖より、私を悲しませることの方がこの人は怖いのか。
 そう思ったら、ますます愛おしくなった。

「俺は絶対夢香と幸せに生きる。死ぬ間際には、夢香と手を繋ぎながら眠るように旅立つんだ」

 旅人が口にするのは、当たり前の幸せな結末だった。

「たくさんの孫に囲まれて旅人と手を繋いで、シワシワになっちゃいましたねって言いながら眠りにつきたい」
「夢香のウェディングドレス姿は見てみたいな、すごい綺麗だと思う」
「ウェディングドレスかぁ、私も着たい。旅人は、じゃあタキシードだね」

 旅人が死ななかったら、の妄想がどんどん膨らんでいく。
 二人で顔を見合わせて、幸せに笑い合って。
 永遠に続くような錯覚すら起こってる。

「旅行とかは行った?」
「ううん」

 旅行に行ってみたい気持ちはある。
 遠くの街に行ったことは、私にはなかった。
 この街から出たとしても、せいぜい車で三十分のおばあちゃんの家くらいだ。

 旅人と付き合ってる日々の中でも、どこか遠くへ行ったことはなかった。
 公園、秘密の空き教室、映画館、あのショッピングモール。
 たくさんの思い出の場所はあるけど。

「どこがいいかな、海とか?」
「海かぁ、いいね」
「夢香は海、好き?」
「行ったことない。危ないからダメってお母さんが」

 素直に答えてるはずなのに、お母さんの影は気を抜けばすぐ私の目の前に現れる。
 そして、怒るんだ、私のことを。

「そんなとこ危ないからダメ! 私が小さい頃は……普通だったら……」

 脳内のお母さんがひとしきり私を怒った後で、旅人の方を見れば困ったように八の字の眉毛になってる。
 またやっちゃった。

「お母さん、そんなに厳しいの?」

 言いづらいことのように小さく口を動かして言うから、首を横に振る。
 知られたくない、と思うのはずるいだろうか。

「優しいよ」
「そっか」

 わざと誤魔化したことに気づいてるんだろうな。旅人は私のことなんでもわかってしまうから。
 お父さんに相談したら、良いと言うだろうか。
 今のお父さんなら、私の話を聞いてくれる気がした。

「旅行は、いつか一緒に行こうね」
「そうだね、じゃあさ、俺が死なないように頑張るのもそうだけど。二人のやりたいことリストも作ろう! 一つずつ叶えてく、どう?」
「うん、いいね!」
「じゃあ、まずだな。夢香、死んだ俺とやったこと、思い出せるだけ思い出して」

 急に旅人がそんなこと言い出すから、びっくりする
 それらを全部避けるということだろうか?

 一人で考えていたことがわかったのか、旅人が追加で説明し始める。

「それもやるけど、やりたいことリストは別に作りたいな、って思って」
「どうして? 一緒でも良いんじゃない?」
「少しでも、死んだ時の思い出と違う思い出を重ねたい」

 旅人の言葉がわからなくて、困ってしまう。
 旅人は恥ずかしそうに目を伏せて、はにかむ。

「かっこわるいけど、俺の知らない夢香を知ってる俺に嫉妬してる」
「なにそれ」
「俺だけど、俺は知らないじゃん。それまで夢香のこと。だから教えて?」
「うん、もしかしたらそれがバタフライエフェクトになって変わるかもしれないもんね!」
「バタフライエフェクト、か」

 説明しながら浮かんだのは、お父さんとの関係性だった。
 今までの悪夢の中で変わったことは、小さくてもあまりない。
 お母さんからの叱られ方が変わった、とか。

「旅人とお祭りに行ったでしょう?」
「あぁ、お父さんのケガで帰ったね」
「いつもだったら、旅人と長い時間遊んでたの。最初はりんご飴で、スマホも見ずに」
「いつもだったら、ってことは今回だけ早く帰ったってこと?」

 旅人の言葉にうなずいて、続ける。
 今回だってそれを選べたけど、しなかった。
 もう旅人と関わらないつもりだったから。
 今は、こんなことになってるけど。

「そしたら、お父さんとの関係がちょっと変わって、前より話しやすくなった」
「そっか」
「あと、カエデや双見くんを紹介されたのが時期がズレた、かな」
「やっぱ俺いつもあの二人連れてくるんだ」

 はははと笑いながら、切ない顔をする。
 どうしたんだろう、と顔を覗き込めば、涙がこぼれ落ちそうになってた。

「多分だけどさ、俺は夢香に今までかっこいいところしか見せてないと思う」
「うん、かっこよかったよ、ずっと」
「そう言う意味じゃないけど、多分弱さとか見せてないと思うんだよね」

 言われてみれば、私は旅人がこうやって泣いてるところも、辛そうな顔をしてるところも見たことない。
 悲しそうな顔で私に話しかけてくることはあれど、泣いてる姿なんて初めてだ。

「本当はすごい弱虫なんだ」
「旅人が?」
「今だって怖くてしょうがないし、夢香に話しかける時も足とか震えてて」

 ぽつり、ぽつりと思い返しながら呟く旅人が愛おしく思えて、ますます抱きしめたくなった。
 いっぱい勇気を振り絞って、私に手を差し伸べてくれてたんだね。

「でも、さ、俺の中で一つだけ決めてたことがあって」

 黙ってうなずいて次の言葉を待つ。
 わざとらしく、人差し指を突き立てて私を見つめる。

「自分勝手だろうと、絶対に手に入れるって決めてたんだよ」
「私のことを?」
「うん、ずっと探してた人だからなんだけど、今までの夢香と今の夢香が違ったとしても、俺は夢香が好きだよ」

 私じゃない私。
 旅人が知ってる私と違うかもしれない、なんていう心の中のざらつきは簡単に溶かされていく。

「だから、夢香と幸せな思い出をいっぱい作っていきたい」

 旅人が言うから、本当になりそうな気がする。
 幸せな夢でいっぱいにしてくれるって、強く言ってるから。
 信じていい気がした。

「私も二人の幸せな思い出をこれからも作っていくよ、覚悟は決めたから」

 うん、っとうなずいてから、旅人の小指に小指を絡める。
 約束をするように、二人で手を揺らして微笑み合う。
 一生、こんな時間が続けばいい。
 ううん、続かせる。

*   *   *

 旅人はやけに心配して、「家まで送る」と何度も口にした。
 私は全部、首を横に振って断る。
 お母さんとのやりとりを、旅人には見られたくなかった。

 それに、私は家族ともきちんと向き合わなきゃいけない。
 私自身が。
 お父さんとの関係性も変化したように、お母さんともうまくやっていけるかもしれないし。

 旅人の背中を見送った目で、玄関の扉を見つめる。
 遅くなってしまったから、怒られるかもしれない。
 でも、怖いよりも、それでも大事なことだったと思う胸の方が強い。

「ただいま」

 小声であいさつをしながら、扉を開く。
 ちょうど足を引きずったお父さんが、ダイニングから出てきたところだった。

「おう、おかえり」
「歩いて大丈夫なの?」
「リハビリもかねて、な。友だちと一緒だったのか?」
「うん」

 お父さんは家にいるようになってから、私にやけに「友だちか?」「友だちは?」と聞いてくる。
 お父さんなりの、心配なのかもしれない。
 こくん、っとうなずけばため息のような、感嘆のような声が漏れて聞こえた。

「そうか、楽しかったならよかった。母さんはお風呂入ってるから静かにな」

 しーっと人差し指を口に当てて、お父さんが手招きをする。
 そおっと扉を閉めれば、かちゃんと小さい音だけが鳴った。

 嬉しそうに見えるのは、私に友だちがいることに対してだろうか。

「心配してたんだ、今まで、ちゃんと見ていなかったから」

 素直な言葉に、驚きを隠せない。
 お父さんがそんなことを言うとは思ってもみなかった。
 お父さんの心の中は、全部お母さんが占めてると思ってたから。

「お父さんは……私のこと嫌いじゃないの?」
「嫌いだったら、遊びに連れて行ったり、プレゼントを買ってきたりなんかしないよ」
「かなり昔の話じゃん」
「それは……仕事にかまけていて悪かった」

 謝られて、私の方が悪い事をしてる気分になってくる。
 結局私が気づいていないだけで、お父さんなりに思い遣ってくれていた、ってこと?
 最近のお父さんを見れば、それが真実な気もしてくる。
 いつだって、私を気にかけて、困ったように話しかけてきてた。

 お風呂から上がってきたお母さんと鉢合わせるまでは、完璧だったのに。
 お父さんと話していた私を見つけた、お母さんは目を吊り上げる。

「またこんな時間まで遊んで! お母さんは色々我慢してるのに!」

 結局、お母さんは、私が楽しそうなのが我慢ならないんだろう。
 今まで、私のために捨ててきたものか、心の奥で闇になってるんだ。
 今になってやっと、お母さんのことを見れたのに。

 ムッとして余計な事を、口にしてしまう。
 
「普通って何?」
「どうして、そうやって、嫌な言い方しかできないの! そんなにお母さんが嫌い? これ以上私から何を奪いたいの!」

 嫌いじゃない。
 嫌いじゃないから、こんなに私はずっと我慢してきた。

 でも、結局火に油を注いだだけだ。
 こんなこと言いたいんじゃない。
 私だって、お母さんと普通のやりとりをしたい。
 でも、お母さんの普通は、私にとっては窮屈で普通じゃない。

 言い返そうと息を吸い込めば、それよりも早くお父さんが口を開く。
 
「まぁまぁ母さん、友だちと遊んでたらそう言うこともあるだろうから、今日だけはね」
「お父さん……」
「ほらほら、夢香は部屋に戻りなさい。お風呂はちゃんと入るんだよ」

 急かすように私の背中をトントンっと押すから、うんっと大きくうなずいて階段を駆け上る。

 お母さんは、お父さんに言い返されると思っていなかったらしく、口をぱくぱくと開けていた。
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