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君の正体-1
しおりを挟むキリンを見上げて、大きな口をあけるメグルを写真に残す。
あの日以来描き上げたメグルの絵は、スケッチブック一冊分に到達しそうだった。
きっと、今日のこの瞬間も俺は絵に残す。
「ちゃんと見てる?」
「見てるよ、見てる」
メグルのことを、だけど。
見てると答えれば、満足したのかメグルは「ならいいけど」と言った。
そして、俺の右手を当たり前のように繋ぐ。
俺は額に汗をかいているというのに、メグルは涼しげな顔をしてポニーテールを揺らす。
髪の毛を縛っているから、暑さを感じないのだろうか。
「ちょっと暑くなってきたから、涼みに行かない?」
「いいよー、ソフトクリームでも食べる?」
「それは、あり!」
メグルは左手でポシェットから、園内マップを取り出す。
繋いでる手を離せば見やすいはずなのに、離そうとしない。
だから俺も広げるのを手伝う。
「今が、キリンのところだから……」
二人で覗き込めば、大きい紙のはずなのに頬が触れそうになる。
メグルの頬はひんやりとしているような気がした。
「メグルは、暑さに強いよな」
「そう?」
「手を繋いでても、熱いって思ったことないし」
メグルは一瞬俺の顔を見つめて、考え込む。
至近距離すぎて、ドキドキと胸が激しく脈を打つ。
ゆっくりと離れれば、メグルはくすくすと笑った。
「ドキドキした?」
「するだろ、そりゃ」
「ふーん?」
「メグルはしないわけ?」
それもそうか。
俺と、何回も恋人になってるんだ。
俺にとっては初めての恋人でも、メグルにとっては違う。
その事実がなんだか、とても悲しくて、辛い。
「ドキドキはしてるよ。だって、サトルとこんな恋人みたいなことすると思ってなかったし」
掠れていく声に、ますます脈が速くなる。
今までの俺は、どれだけチキンでどれだけ残念なやつだったんだろう。
想像しそうになって情けないから、やめた。
メグルはすぐに園内マップに目を戻して、涼める場所を探し始める。
「ゾウのところを過ぎたところに、カフェあるみたいだよ」
メグルの言葉通り、園内マップを目で追ってみる。
目の前のサル山を通り抜けて、ゾウの檻も通り抜けたところにカフェという表記があった。
「本当だ、そこ行こう」
二人で協力して、マップを折りたたむ。
メグルは、ポシェットに園内マップをしまい込んでから、走り出した。
俺の手を引いて。
最近よく走るなと気づいて、頭がおかしくなりそうだ。
不安が、背中を這い回る。
何かおかしい。
あの下書きのメグルは、いつも走ってると書いてた。
でも、俺の前のメグルはそんなことなくて。
生き急いでるみたいと書かれていた文字を、間に受けていなかった。
それくらいの、差異はあるもんなんだな、と。
違う。
どうして、急に走るようになった?
何が違う?
今回は俺が、メグルのことをなんとなく知っていた。
それを知ったメグルは、普通に歩いていた。
生き急ぐ必要が、ないと思った?
限られた時間を、精一杯走って少しでも短くしようとしてたのか。
じゃあ、今は、また走り出した理由はなんだ。
考えてる間に汗が背中を伝って、ぼたぼたと地面に垂れていく。
メグルはどうして、汗をかかない?
なぁ、どうして、こんなに嫌な予感がするんだよ。
「メグル」
いてもたってもいられず、名前を呼ぶ。
一瞬だけ、立ち止まった。
「どうしたの?」
「名前を呼びたくなった」
ごまかせば、メグルは膨れっ面をして「なにそれ」と笑う。
いつもの表情なのに、嫌な気持ちが晴れてくれない。
どうして、メグルは、生き急いでるんだ?
なぁ、なんで、いつも曖昧に答えを濁すんだよ。
「サトル、行こっ!」
跳ねるポニーテールを見つめながら、追いかける。
いつまでも、俺とメグルの距離は縮まらないような気がして、全身が軋むように痛い。
俺とメグルは、どこまでも離れていくしかないのかな。
この先も、未来も、隣にいたいって思うのは、間違いなのかな。
突き刺すような太陽も、生ぬるい風も、目の前を走るメグルも、答えはくれない。
サル山を通り抜けた瞬間、獣臭が鼻を突いてごほっとむせてしまった。
メグルはものともせず、相変わらず走っていく。
手を繋いでるのに、遥か彼方に居るような気がしてきた。
どうしてだか、涙が出そうだ。
「あったー!」
メグルが見つめる先には黒っぽい建物が、ちょこんと存在していた。
大きなテラス席が目立っているが、暑さのせいか人はまばらだ。
「入ろう入ろう」
メグルに引かれるまま、店内に入れば涼しい風が顔に吹き付ける。
ぶわりと沸いていた汗が、急速に引いていくのがわかった。
メニューを見れば、パフェやチュロス、ごはんもある。
俺はパフェにしようか。
そう思った瞬間、ふわりとメグルがスプーンをくわえる姿が脳裏に浮かんだ。
きっと、俺じゃない俺の記憶。
ループを知ってから、ふわりと微かに脳に残る記憶が出てくることが増えた気がする。
それでも、何を伝えたいかは、まだ分かりかねていた。
「サトルは何にする? 私チュロスにしよっかな」
「パフェにする」
「やっぱり、チョコレート? 好きだもんねぇ」
好きとは言ったことないけど。
今更か。
心の中を読める設定は、いつのまにか忘れたらしい。
違う。
ループしてることがわかったから、無かったことにしたんだろう。
今までお見通しだったのは、繰り返しの俺から得た情報。
だから、好きだと告げた時、本気で驚いた顔した。
そして、好きなのかなぁって感じではあったと、曖昧に答えたのだ。
注文をすれば、チュロスもチョコレートパフェも、すぐに出てくる。
テーブルに近づけば、自然と手が離された。
少しだけ物足りなさを感じながら、伸ばした手は空を切る。
メグルが座ってさっそくチュロスを齧り始めたから、俺もチョコレートパフェを口に放り込んだ。
ひんやりとしたソフトクリームと、甘いチョコレートソースが、口から身体を冷やしていく。
味わっていれば、メグルの目が俺のスプーンを射抜いた。
一口分掬って、メグルの口の前に差し出す。
「はい、あーん」
「あ、あーん」
そういえば、いつもメグルから一口交換しようと言われたなと気づく。
戸惑っているのは、初めて俺からあーんをしたからか。
初々しいメグルの反応に、胃の奥がくすぐられるような、不思議な感覚だ。
一口食べたメグルは、頬を緩めて「おいしいね」と呟いた。
「チュロスは、くれないの?」
「あーんしてくれってこと?」
「いつもしてくるじゃん」
回し食べとかに抵抗がないのか、珍しいなと最初は思っていたけど。
今では、当たり前のようになってきていた。
「してくれないの?」
もう一度問い掛ければ、メグルは観念したようにチュロスを差し出す。
カリッと噛み締めれば、生地の奥から油がじゅわりと溶け出した。
口の中がせっかく冷えていたのに、急激にあったまっていく。
甘さがおいしいけど、この季節には熱い。
「おいしい?」
「おいしいよ」
「よかった」
ほっと安心したように、チュロスを齧るメグルの横顔に目が釘付けになった。
目を離したら、ふわりと消えてしまうような、儚い残像のような。
今までそんなこと思ったこともなかったのに。
目を擦ってみても、メグルの表情はいつもと同じに見える。
それなのに、不安が胸の中で激しく蠢く。
「メグルは、ループから抜け出したいって思わないのか」
つい口から出た言葉に、メグルは瞳を少しだけ伏せた。
長いまつ毛が、くるんっとカールしていて美しい。
この瞬間も、絵に残したい衝動に駆られる。
「抜け出したいとも思うけど、抜け出したくないとも思う」
「どうして?」
「さて、どうしてでしょう?」
ずきんっとこめかみが痛んで、また、俺じゃない俺の記憶が蘇る。
口から飛び出ていくのは、俺の言葉じゃない。
「この世界の人間だけど人間じゃない……?」
しっかりと考えてみれば、ループしてることを指してるのか?
それ以外にも何か言っていた気がするのに、思い出せない。
肝心なところを、思い出せない。
それでも、「そうだね」とメグルは頷く。
人間じゃないってなんだよ。
じゃあこの、繋いだ手も、おいしいねぇと笑う声はなんだよ。
なんなんだよ。
一人でモヤモヤが募っていく。
入口の方からぽつぽつと雨の音が聞こえて、目を向ければ天気予報になかった急な雨。
アスファルトを黒く染め上げていく。
空は晴れているのに。
「雨降ってきちゃったね」
「メグルは、メグルなんだよな」
「最初に言ったじゃん、上月メグルだよ」
わざわざ丁寧にフルネームを、確かめるように呟く。
メグルはメグルならもうなんだっていい。
それなのに、メグルの正体が頭の中でモヤモヤしてしまうのは……
このループを終わらせるために、必要なことなんだろうか。
「どうしたの急に」
兄ちゃんの「二人で話し合え」という昨日の言葉を思い出して、雨から目を背ける。
後ろで聞こえるボツボツという雨音は、俺の気持ちを逆撫でした。
今、きちんと向かい合おうとしたところだったのに。
「メグルときちんと話したい」
「なにを?」
「メグルがどうしたいとか、俺のことをどう思ってるとか。なんでそんなに、寂しそうなのか、とか!」
なんとか言い切って、ふぅふぅと呼吸を整える。
メグルは何も答えずに、俺のパフェを掬い取って口に入れた。
パフェを食べる気も起きずに、ただメグルの答えを待つ。
どうして答えてくれないのか、想像もつかない。
「メグルが、なんであろうと知りたいよ、俺は」
ダメ押しのように言葉にする。
メグルが不意に瞳を押さえて、後ろを向いた。
ぱふっと跳ねるポニーテールが、目の前で揺れている。
「私さ、サトルのことが好きすぎて化けて出てるんだよね」
メグルの不意打ちの言葉に、唾を呑み込む。
ごくんっと喉の動きだけ、やけに実感してしまう。
言葉通りに受け取れば、お化けや幽霊の類。
でも、俺はメグルと何度も手を繋いだし、抱きしめもした。
それに、俺以外にも見えている。
店員さんは大体メグルに注文を確認するし、兄ちゃんも──今回は会っていないけど──メグルのことを微かに覚えていた。
だから、幽霊やお化け説はあり得ない。
「あはは、混乱してる」
メグルの掠れた声に目を向ければ、メグルは泣き出しそうな顔で俺を見つめている。
今だって目が合ってる。
消えてしまいそうだとか思ったこともあるけど、幽霊じゃないだろ。
「嫌になった? こんな恋人」
「嫌になるわけないだろ」
幽霊だってお化けだって、メグルはメグルだ。
その言葉が本当だとは思えていないけど。、
また一口俺のチョコレートパフェを掬おうとした、メグルの手を捕まえる。
きちんとここに居る。
感触がある。
俺より小さくて、柔らかいメグルの手だ。
「前も話したんだけどさ。どこまでが同じ人間と言えるんだろうね? サトルは、いつだってちょっとずつ違うんだ、私が出会うたびに」
「たとえば?」
「猫を助けるのは、いつだって私だったんだよ、本当は」
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