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第四話 海のミナトチャンネル

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 マリンはいつだって、全力で、少し心配になるくらいだ。
 夜中の防波堤に、あぐらをかいて座り込む。
 マリンは、レジャーシートを持ってきていたらしい。

 今日は半袖一枚ではなく、俺のウィンドブレーカーも羽織ってるから寒さ対策もバッチリみたいだ。
 そんな準備万端なマリンの横から、パソコンを覗き込む。
 
 夜の海は静かにざぶん、っと岩に、波を打ちつける。
 静かな空間に、マリンの声は反響していく。
 
「で、これがチャンネルロゴね」

 マリンが操作をしたかと思えば、少しだけ俺の方にパソコンをズラす。
 目に入ったのは「海のミナト」と書かれたロゴだった。
 波が撥ねているイラストで、彩られている。
 可愛らしい上に、完成度の高さに目を見開いた。

「すげぇな」

 プロが作ったのか、と思うくらいのクオリティ。
 素直に出た言葉にマリンは、ふふんっと嬉しそうに胸を張った。

「で、チャンネルも作ったからもう投稿もできます! ってことで、一回目はカニ釣りのやつを載せようかなって」
「え? は?」

 マリンの言葉に、ポカーンとする。
 俺がマリンを捕まえた、あの海での動画だろう。
 確かにマリンは、スマホを構えて撮影していた。

 していたけど……
 あの時は、俺はまだ一緒にやるとは決めていなかった。
 マリンは言いたことがわかったのか、そっと海に目線を流す。
 気まずそうな横顔が、目に焼き付いた。

「俺の顔は映ってない、よな?」
「その約束は、守るよ! もちろん!」
「そう……ならいいけど」

 パソコンを横から操作していれば、投稿予定欄に動画を一つ見つけた。
 俺に確認を取る前に、すでに予約していたようだ。

 じろりとマリンの方を見れば、両手を合わせて「ごめん!」と声にした。

「まさか、気にすると思ってなかったから。顔は本当に映ってない」
「いいよいいよ、あん時邪魔したのは俺だし」
「確認してもらって大丈夫だから」

 そのままパソコンを、俺の膝の上に押し付ける。
 そして、パッと立ち上がったかと思えば、ウィンドブレーカーを俺の方に投げてきた。

「私は泳いでくるね~!」
「いやいや、また泳ぐのかよ」
「せっかく、海にいるんだから、泳ぐでしょ」
「昼にしとけよ」

 夏とはいえ、夜になると涼しいくらいだ。
 海に入って冷えてしまったらと思って、つい余計なことを口にする。
 マリンは防波堤の階段を降りながら「だいじょーぶだもーん!」と答えた。

 止めてもやめないことはわかってたから、今度からは一応ブランケットとかも持ってこようと心に決める。
 マリンは放っておいたら風邪でも引いて、寝込みそうだし。

 海を泳ぎ始めたマリンから、目をパソコンに戻す。
 カップルチャンネルはやらないと、はっきり言ったはずなのに。
 登録されてる名前は「カップルチャンネル」と、入ってる。

 勝手に消そうかとも思ったけど、まぁいいか。
 そこまで本気で嫌なわけじゃなかった。
 身もふたもない事を言ってしまえば、マリンみたいに可愛い子と恋人設定は……
 悪くない。

 首をブンブンと振って、下心を吹き飛ばす。

 動画を、眺める。
 カニを釣る俺の手元だけが、流れていく。
 あの時から、顔を出さなければ良いと俺が答えるとわかっていたんだろうか。

 楽しそうな自分の声に、背中がむずむずとしてきた。
 歌っていた動画は上げていたが、自分が話してる声を聞くのは初めてだった。
 
 話す動画を上げたくなかったわけじゃない。
 ただ、歌うために作ったチャンネルだったから……
 話すのは、違うと思っていた。

 SNSの運用だって、基本的に告知だけ。
 あとは、ファンの人たちが書いてくれた内容を確認して、ハートボタンを押す。
 それしか、していなかった。
 関われば、面倒なことになると思っていたから。

 最初の頃は違って、普通の日常を投稿していた。
 海に泳ぎにきました、とか、テスト勉強追いつかない、とか、そんな至って普通の高校生の日常。

 そんな中で海夢と、仲良くなったんだ。
 ふと、海夢のことを思い出して、SNSを確認したくなった。
 消してから、まだ一週間。
 今ログインすれば、削除申請はなかったことになる。

 でも、俺を責め立てる文字列を見る勇気はない。
 ログインせずに見る方法は……他のアカウントを作る?
 そこまでして、海夢のこと気になるか。
 と言われれば……気になる。

 日常の投稿にも、気軽にコメントをくれて、やりとりをしてきた。
 俺が湊音として生きてる間、ずっと寄り添ってくれた友人。
 何も言わずに、消えた俺を心配してくれてるだろうか。
 そんな甘い思いで、見たくなってしまう。
 女々しい思考回路に、ため息がでそうになった。

 一旦頭を切り替えて、続きを確認する。
 テロップが少しふざけてるようには見えたが、普通の高校生のカップルチャンネルらしい初々しい出来だ。
 見る人がいるかどうかは、疑問だが。

 カップルチャンネルで、そもそもカニ釣りに行く人なんて居るんだろうか……
 ある意味、新しい……のか?
 よくわからなくなってきた。

 最後にはお決まりの「チャンネル登録」と「いいね」をお願いする声が入っていた。
 マリンの声、だろうか。
 ボイスチェンジャーで変えられたような、微かな違和感がある。

 録音した声は、話してる声と違うように聞こえることはあるけど。
 やけに、甲高い声に聞こえた。

「見終わったー?」

 濡れた髪の毛を両手で絞りながら、マリンが上がってくる。
 肩には、大きなバスタオルを掛けていた。
 今日は、本当に準備万端だな。

「見終わった。マリンの声って」
「あー、やっぱり、わかった?」
「ボイチェンか?」
「うん、やっぱ、ちょっと恥ずかしくて」

 マリンは以前自分の声が、コンプレックスだと言っていた。
 俺は可愛らしい声だと思うが、何か昔あったのだろうか。
 聞いていいことなのか、わからずに、答えきれずにいた。

「ダメ、かな」
「いや、知らない人が聞いたら普通に聞こえると思う」
「よかった! どんな動画でも声は別に撮らなきゃ行けなくなるから、不便は不便だけどね」

 バスタオルで全身を拭きながら、俺の隣に立つ。
 冷たい雫が、数滴に頬に掛かって目を細めた。

「よし、じゃあ投稿しちゃおう!」

 両手をより丁寧に、タオルで拭いてからパソコンに指を滑らせる。
 こんな真夜中に上げるのかと、見れば予約投稿画面を開いていた。
 時間設定は、明日の朝十時。
 マリンのことだから、考えがあるんだろう。
 ここまで手際よく準備していたくらいだし。
 
「それより」
「んー?」

 隣でマリンにカップルチャンネルの件を聞こうとすれば、横顔に目が釘付けになった。
 拭ききれない水滴が、頬をつうーっと伝っている。

「なーにー?」

 黙り込んだ俺の方を向き直して、マリンはにこりと笑う。
 気まずくなって、俺の方が目を逸らしてしまった。

「カップルチャンネル」

 小声でなんとか答えれば、マリンの「あっ!」が夜中なのに響き渡った。
 しーっと人差し指を立てれば、マリンは慌てて両手で口を押さえる。

「最初はそのつもりだったから! 間違えた!」
「最初はって、いつから一緒にやるつもりだったんだよ」
「え、初めて会った時!」

 当たり前のような声で、丸い目で俺を見つめる。
 初対面の人間と、カップルチャンネルをやろうと思う……か?
 正気じゃねーな。

 マリンに、普通を押し付けるのも間違ってる気がする。
 人魚を騙るような人間だ。
 そもそも、正気を求める方が間違ってる。

「やっぱ、カップルチャンネルじゃダメ?」
「どうして、そんなこだわるわけ?」
「えー、花の女子高生はみんな憧れてるよ!」

 その憧れは、恋人同士でやる、普通カップルチャンネルに対するもんなんだよ。
 改めて口にする気も失せて、ふっと鼻で笑う。
 俺の行動に、マリンはむぅっと頬を膨らませた。

「もう、カップルチャンネルにしちゃうもんね!」

 そう言いながら、予約投稿を完了させる。
 もう後戻りは、できない。

「今からは変えられませーん!」

 パソコンをパタンと閉じて、カバンにしまい始める。
 そして、俺の抗議は聞かないと、耳を両手で塞いだ。
 そこまでイヤなわけでもないけど、大人しく引き下がるのは癪だった。
 だから、タオルを奪い取って、マリンの髪の毛をガシガシと拭く。

「なになに、優しく拭いてよ!」

 痛いまではいかないものの、強めに拭けば大人しく座ったままマリンは俺を見上げた。
 ふんっと笑って、答えないまま拭き続ける。

*  *  *

 ファンを作るために「最初はやっぱり毎日投稿だよね!」と、あれから毎日動画を撮り続けている。
 毎日投稿どころか、一日に二、三回の投稿もあった。
 初めてから三日位の間は、マリン曰くがんばりどころらしい。
 それでも、投稿を続けているうちに、徐々に登録者数や、視聴回数が増えてきた。

 カップルチャンネルの需要は、思ったよりもあるみたいだ。

 今日は市内のカラオケルームで、自己紹介を撮りにきた。
 カラオケルームは、二人で使うには広い。
 でも、ソファはツギハギだらけだし、壁が黄ばんでいる。

 撮影をするためだけ、だから別にどうでもいいのだけど。
 机の上のコップを避けてから、マリンは俺の前にパソコンを置いた。

「はい、開いておいた」
「おう、ありがと」
 
 チャンネルの視聴数やコメントを確認するためにパソコンを操作し始めれば、マリンは選曲を入れる。
 楽しそうに流行りの歌を、隣で歌い始めた。

 耳を澄ませながら、確認していく。
 順調に、増えているようだ。
 細かく見ているうちに、一曲終わったらしい。

「ね、ちゃんと増えてるでしょ! ここで、自己紹介をして、もっとカップルっぽいのも増やして~」

 今投稿してるものは、最初のカニ釣り、海の散策、海鮮丼を食べてるところ。

 もしかしたら、カップルチャンネルに需要があるんじゃなくて、マリンの感性を面白いと思って見てくれてるのかもしれない。
  貰えるコメントは、マリンのちょっと変わったテロップを褒めるものばかりだったから。

 海鮮丼の動画では、「幸せの詰め放題だー!」と喜んだ声で読み上げていた。
 次の海の散策では、「微睡の中を散歩してるみたいで、穏やかな時間でした」とテロップが入った。
 
 そんなちょっと独特な表現が、刺さったのか。
 そう思えば、納得できる。

 カップルチャンネルという名前の割には、投稿してるのは普通の動画ばかりだったし。
 俺が乗り気じゃなかったのと、顔を出していないのも、あるけど。
 申し訳ない気持ちが湧き上がってきた。

 違う、俺、これ付き合わされてるんだった!

「でね、お面作ってきた!」

 カバンをガサゴソ漁り出したかと思えば、何かを取り出す。
 マリンが差し出したのは、手作りのクラゲのお面だった。
 手渡されて受け取れば、思ったよりも頑丈そうだ。
 厚紙に、ラミネート加工までされている。

「私が水色で、ソウくんは青ね」

 裏には輪ゴムが連なっていて、頭にすぽりと被せられるタイプだった。
 付けてみれば目の部分は、微かに開いてるだけで視界は狭い。

「二人とも顔出さねーのかよ!」
「当たり前じゃん! 私だけ、顔を出すと思った?」

 薄い視界でマリンの方を見れば、ちゃんとお面を付けてる。
 表情が見えなくて不安になるが、撮影の時だけだ。
 そもそも……こんな誰でも持って方なお面を付けてたら、見た人にはすぐバレるだろ。
 そう思ったけど、ツッコんでも仕方ない気がしてやめる。

「よし、じゃあ、自己紹介撮ろ!」

 パチンという音がして、マリンがお面を外す。
 そして、テレビのスイッチをオフにして、スマホを三脚に固定し始めた。

 いざ、スマホを意識すると、心臓が少しだけ速く脈打つ。
 思ったよりも、緊張してるみたいだ。
 手を握ったり開いたりして、体を緩ませる。

 それでも、肩が強張っていた。
 お面を一度外して、ドリンクバーから持ってきた炭酸飲料を、飲み干す。
 ふぅっと深い呼吸をする。

「大丈夫? やっぱやめる?」

 心配そうな表情で、スマホをセットし終わったマリンが俺の横に座る。
 マリンとの日々が楽しすぎて、やめるという選択はしたくなかった。
 家に居たって、姉に存在を非難されるだけだ。

 うるさい、邪魔、いなくなって。
 姉に投げかけられた言葉を思い出すと、胃の奥がムカムカとした。
 
 だったら、このまま、マリンと遊んでいたい。
 マリンといると、心が和む。

「大丈夫!」

 わざと大きな声を出して、自分にも言い聞かせる。
 そして、クラゲのお面を付けて、スマホを見据えた。

「よし、じゃあ、撮るよ!」

 マリンがスマホの録画を押しに立つ。
 そして、また隣に戻ってきてすぐさまクラゲのお面を付けた。

「どーも! マリンです」
「ソウです」

 本名でやることにしたのは、少しでも湊音を想像したくなかった。
 それに、誰かに気づかれたら、マリンが傷つくことになってしまう。

 女性関係(事実無根)で炎上したのに、カップルチャンネルを始めるなんて。
 ますます炎上に、油を注ぐだけだろう。
 そもそも、俺の歌ってみた動画を見ていた人たちが、見るとは思ってもないけど。

「海のミナトチャンネルです! ってことでね、今更だけど自己紹介をして行きたいと思います」

 マリンの声は、いつもよりハキハキと聞こえた。
 隣で、俺も声を被せる。

「まずは、私たちの紹介なんですけど……」

 話す内容は、事前に決めていた。
 俺たちは遠距離恋愛中で、マリンが俺の街に会いにきた。
 そして、夏休み期間だけ、カップルとしてチャンネルを運営していく。
 という設定だ。
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