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第三話 一つのお願い

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 歩き疲れたのか、マリンは道路脇のガードレールに腰掛ける。
 俺も倣って、ガードレールに体を預けた。

 いつのまにか、オレンジ色に染まった空が、マリンの髪の毛を照らす。
 黒髪だと思っていたが、ところどころ、茶色く見えるのは光の反射だろうか。

「ソウくんはさ、何もないんでしょ」

 確かめるように、俺の言葉を反芻する。
 自分で言ったこととはいえ、面と向かって言われると心臓がズキンとした。

 こくんっと頷けば、マリンは俺の方を見て手を差し出す。

「じゃあ、私と一緒にやろ!」
「なにを?」
「カップルチャンネル」

 気軽に誘われるレベルのお誘い、じゃなくて、目を丸くする。
 手を差し出したまま、俺が握り返すと信じてる顔でじっとこちらを見つめた。
 マリンは、大きい瞳を輝かせている。

 はぁっとため息を吐いて、首を横に振る。
 残りのパインサイダーを全て、喉の奥に押し込んでから答えた。

「イヤだよ」
「なんで! 絶対、楽しいよ!」
「好きにやればいいじゃん。そもそも、俺らはただの知り合い。しかも、数日前に知り合ったばっかり」

 動画配信というのも、カップルチャンネルというのも、イヤだった。
 動画を配信していて、良かったことなんて一つもない。
 ウソ。
 あったけど、辛い思い出ばかりが脳内でフラッシュバックしていく。

 マリンは絶望した顔で、俺の前に立ちはだかる。
 じいっと見つめる瞳は、微かに潤んでるように見えた。
 俺の手を取って、ブンブンと振り回しながら、力説し始める。

「恋人になって、って言ってるんじゃないの」
「そこじゃない」
「楽しいよ! みんなにチヤホヤされたくないの?」

 一番、今、胸を抉る言葉に、マリンの手を突き放す。
 勝手にがなりだした心臓を、押さえる。

「チヤホヤされたって何ひとついいことねーよ!」

 つい荒くなってしまった、声。
 マリンの傷ついた表情。
 自分自身の未練。

 全てが、体に重たくのし掛かる。
 会わなきゃ良かった。
 見つけたからって、声を掛けなければ良かった。

 後悔ばかりが、頭の中を占めていく。
 マリンと話していれば楽しく、あのイヤな記憶を消せると思ったのに。


『湊音くんのこと。私はわかってるから』
『二人だけの秘密だよね、心配しないで』
『早く湊音くんに、会いたいな、愛してるよ』

 一方的な、押し付けの言葉に恐怖が胃の奥から迫り上がってくる。
 何通も、何通も、俺のアカウントを埋め尽くした言葉は、脳内にインプットされていしまっているみたいだった。

 口を押さえれば、マリンは不思議そうな顔で背中をさすってくれる。

「大丈夫?」
「悪い」

 マリンに声を荒げたのは、違う。
 マリンはそんなことを知らないし、関係がない。

 震える足を隠すように、ガードレールに座り込んだ。
 マリンも手を止めて、俺の様子を窺う。

「大丈夫だから、心配すんな」
「そんなに、イヤだった? 元カノとなんかあったとか?」
「付き合ってすらいねーよ」

 やりとりすら、したことなかった。
 それなのに、ファンのみんなへの言葉を曲解して、俺を勝手に作り上げる。
 そして、勘違いを起こして、燃えさせた。

 かと思えば、私はわかってる。
 湊音くんのため。
 私だけが、そばにいるよ。
 と、DMを何通も何通も送りつける。

 執念深い行動に、憂鬱な気分が湧き上がり、歌うことすら楽しくなくなった。
 高校に入学してから、欠かさず、月一で上げていた動画もやめた。
 何をしても、火に油を注ぐとしか思えなかったし、恐怖が強かった。

 男のくせにやら、逃げるんだ、やら。
 俺の動画を見たこともない人たちの、棘は今も胸の奥に突き刺さって抜けそうにない。

「女の子にイヤな目に遭わされたんだ?」
「まぁ、そんな感じ」
「私もそういうのと同じに見える?」

 マリンは自分を指さして、ニコッと笑顔を作る。
 見えない。
 見えないけど、わからない。
 あの子だって最初は、毎回聞きに来てくれるファンの子程度だった。

 俺が動画を上げるたびに、コメントをくれて、拡散してくれた。
 ガチ恋とは言っていなかったし、『ずっと推します』くらいの熱量だったはずだ。

 ガンガンと痛むこめかみに、指を当ててぐっと押し込む。
 少しだけ、マシになった気がする。
 マリンは、横で小さく呟く。

「それに、私、心に決めた人がいるし」

 やっぱり、という気持ちと、残念な気持ちが胸の中で湧き上がった。
 残念……?
 たった数日会っただけなのに、何考えてんだ俺。

 マリンが探しに来た会いたい人は、好きな人だろう。
 分かりきっていた呟きに、頭痛が緩む。

「気づいてたよ」
「あ、やっぱ、バレバレだった?」
「普通追いかけて、こんな田舎来ないだろ」

 マリンは俺の言葉をすぐさま「ううん」と否定した。
 そして、くるくると周りを見渡しながら、街のいいところを上げていく。

「人が優しい。これはもちろん、ソウくん含めてね」
「初対面からタオルとウィンドブレーカー渡すくらいだもんな」

 自分自身で言って、ドヤ顔をしてしまった。
 でも、そうしてしまうほどマリンは、心許ない顔をしていた。
 だから、俺じゃなくたって、同じことをしただろう。

「それに、夕日が沈む海って、宝石箱みたいじゃない? キラキラとした宝石が、箱の中に入っていく感じ」

 情緒的な表現に、感嘆のため息を漏らす。
 会った時から思っていた。
 マリンはちょっと変わってるけど、言葉が美しい。
 素直にそう思った。

「マリンってさ、表現が変だけどキレイだよな」
「普通の感覚のつもりなんだけど、結構言われる。変だよねって」

 にししっと笑って、腕を広げて胸いっぱい空気を吸い込む真似をした。

「空気もおいしい! ちょっぴり切ない塩の香りがして」

 俺もマリンを真似て、空気を胸いっぱい吸い込んでみる。
 塩の香りが鼻の奥に、ふわりと漂う。
 確かに、ちょっと、切ない香りにも似てる気がした。

「マリンが配信したら、人気者になりそうだな」

 こんなに美しい表現をする彼女を、世間は放っておかないだろう。
 俺だって、目が離せなくて、ここまで付き合ってしまってるんだから。

 マリンは飛び跳ねるようにガードレールから降りて、俺の前に立つ。
 そして、俺の両手を握りしめた。
 
「でしょ? だから、一緒にやろ!」

 そういう意味で、言ったわけじゃない。
 あまりにも純粋なキレイな瞳で、見つめるから断りづらい。
 しかも一度、イヤだと即答してるし。

「有名になるって良いことないよ?」
「なによー! 一緒にやってくれるのかと思ったのに」

 俺の手をパッと放して、頬を膨らませる。
 助言は耳にする気はないらしい。
 勝手にフラフラ歩き始めたマリンを追いかけて、続ける。

「妬まれるし、僻まれるし、勝手な自分像を作り上げられるんだぞ」
「そんなの承知の上でしょ」
「それに、すぐ炎上するんだからな! 今の世の中!」

 一ミリの事実もないのに、俺が弄んで傷つけたという噂はあっという間に広まった。
 最低配信者として、俺の名前も同時に。
 槍玉に挙げられた俺のアカウントには、いまだに「死ね」や「クソ野郎」などが届いてるだろう。

 考えてから、消したことを思い出した。
 イヤになって消してしまったことを、後悔はしてない。
 それでも、二年間の俺の生活が消えたみたいで寂しさはある。

 それに……もうやりたいことも思いつかない。
 世界はいつだって、カラフルな音で溢れていたのに。
 遠くの海の、波が押し寄せる音と、マリンの足音だけが耳に入る。

 ザザァン。
 タッタッタ。

 ピタ。

 俺が一人で考え込んでいたせいか、マリンは立ち止まって、振り返っていた。
 そして、俺の目を見てもう一度、懇願する。

「顔は出さなくて良い。夏休みの間だけ。お金も全部私が出す。ソウくんは、遊びに付き合ってくれるだけで良い」

 だから、一緒にカップルチャンネルをやってくれってか?
 言いかけて、あまりに真剣な顔をするから、ごくんっと唾を飲み込んでしまった。

「お願い、私と付き合ってください」

 手を差し出して、ペコっと頭を下げる。
 まるで、愛の告白みたいだった。
 二人の間の時間が止まる。

 とくん、とくんっと、心臓が脈打つ音だけが、全身に広がっていく。

「どうしてそこまで、俺なわけ?」

 自意識過剰だとは、わかっていた。
 それでも、俺にこだわる理由がわからない。

「優しいから?」

 予想外の言葉に「はぁあ?」と、つい出てしまった。
 マリンは顔を上げて、唇を綻ばせる。

「ソウくんなら、お願いすればやってくれるかなぁって。他に男の子の知り合い、いないし」
「そもそも、その会いたい人は良いのかよ。勘違いされるだろ」
「好きだけど、付き合いたいとか、おこがましいこと思ってないもん! 私がここにいて、元気にやってる姿を見せたいの。元気とか、笑顔って伝染するでしょ」

 ニコニコと笑顔を携えて、俺に一歩近づく。
 確かに、マリンの笑顔を見ていると、つい頬が緩む。

「だから、お願い! 私は、あの人に元気が届くならなんでも良いの。動画配信ならきっと見ると思うの」

 お願いお願いと両手を組んで、俺を上目遣いに見つめる。
 不意打ちの可愛い仕草に、胸が高鳴った。
 ずるい、人だ。

「暇さえあれば動画見てるって、言ってたもん」

 ぽつんっとつぶやいた言葉に、ハッと我に帰る。

「それ、カップルチャンネルじゃなくていいじゃねーか!」
「女子高生の日常なんていっぱいあるでしょ! だから、そういうところとの差別化は必要でしょ?」
「カップルチャンネルだって、数えきれないほどあるわ!」

 つい、ツッコミを入れてから、マリンの顔を見る。
 しょんぼりした顔で「知ってるよ、そんなの」と小さく答えていた。
 悪いことをした気になって、言葉がうまく出てこない。
 しどろもどろになりながら、捻り出した言葉は、自分でも想定外だった。

「カップルじゃなくて……普通に二人組なら良い。顔出しはしないけど」
「本当? ありがとう!」

 俺の手をブンブンと振り回して、途端に笑顔を浮かべる。
 そして、飛び跳ねるように歩き出した。

「まずは、チャンネル名だね、マリンソウ? 単純だなぁ……」
「おいおい、やるとは」

 今更、否定しても遅かった。
 こちらに顔だけ向けて、俺を指さす。
 
「言ったじゃん!」

 言った。
 確かに、口が滑った。

 マリンは、スキップするように進んでいく。

「マリンは入れたいから……」

 もうやるしかないなら、変な名前にならないようにするだけだ。
 あんなに詩的な表現をするくせに、出てくるチャンネル名は、変なものばかり。
 だから、口を挟んでしまう。

「海の湊とか?」

 単純すぎるとは思う。
 直訳したマリンと、俺の名前を重ねただけだ。
 それに、湊という字を入れる不安はあった。

 一度炎上した俺の頭文字が入っていたら……と想像してしまう。
 それでも、湊というありふれた名前なら問題ないか。
 
 マリンは小さい声で「海のミナト……」と呟いてから、うんうんと何度も頷く。
 そして、パッと顔を上げて、「いいね!」と声を上げた。

「うんうん、しっくりくる! マリンは海のことだし。良いネーミングだよ! ソウくんセンスある~!」

 茶化したように、呟く。
 そして、もう一度大きく頷いた。
 
「それにしよう!」

 スマホをポケットから取り出して、両手で打ち込み始める。
 忘れないようにメモをしてるんだろう。

 終わったかと思えば、ぐっと俺の方にスマホを向ける。
 よくよく見れば、連絡先のQRコードだ。

「撮影の連絡に必要でしょ?」
「わかったよ」
「編集は私がやる! ソウくんは、撮影に付き合ってほしいんだ」

 付き合うと言ったからには、やる。
 どうせ、何もすることなく夏休みも暇してるんだから。

「これで、ソウくんの将来やりたいことが見つかると一石二鳥だよねぇ」

 一応、マリンなりに俺のことを考えてくれていたらしい。
 ふふふっと不敵に笑って、俺の肩をポンポンと叩いた。

 余計なお世話だ、と言いたくなる。
 それでも、そうなったら、いいなぁという思いも、体の奥の方で少しだけ湧き上がっていた。
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