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第二話 進路希望調査

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 夏休みに入るというのに、憂鬱なプリントが目の前に配られる。
 宿題なら、まだどれほど良かったか。
 ぼやぁっとした視界で「進路調査票」と書かれた紙を眺めた。

 姉は、この街を出たくて大学を決めた。
 両親に引き止められながらも。
 俺は……何をしたいんだろうか。
 姉からは、離れられたらいいとは思う。
 でも、この街を離れる選択肢はない。

 クラスメイトたちはザワザワとしながら、ペンを走らせたり、先生に相槌を打ったりしている。

「高校二年生の夏は、重要だ。すでに、進路を決めている人も多いと思うが、自分が将来どうするか、夏休みの間に考えるように」

 偉そうな教師の言葉に、ぐっと息を飲み込む。
 クラスメイトたちは「うぉー」と変な雄叫びを上げていた。
 男が多いのは気楽でいいが、こういう時は少しだけ煩わしい。

「夏休みだからって、はしゃぎすぎないように。節度を守った生活を送れよ」
 
 教師の言葉もほどほどに、クラスでは将来の夢発表合戦が始まってる。
 俺は、輪には入らず、窓から海を眺めていた。

 窓際の席になって良かったことは、海を四六時中見つめられることだ。
 ただ、太陽が照らしつけて、熱くなる難点はあるけど。

 海を見つめながら、将来を少し考えてみてすぐに辞める。
 やりたいことも、出来ることもない。
 海が好きだから、家から通えるから。
 そんな理由でこの学校を選んだ俺には、将来は見えていない。

「おい、ソウはどうすんだよ」

 隣の席のミツルは、俺の肩に手を掛けて体重を押し付けてくる。
 右肩に掛かる重さで、体がイスに沈み込む。

「なにが?」

 海を見つめたまま、答えれば、ミツルはますます俺に体重を乗せてきた。
 太陽を浴びてキラキラと反射しながら、海には観光客が賑わっている。
 他のところでは、夏休みに入ってるんだろう。
 家族連れが多く目立ってるように見えた。

「だーかーらー、進路だよ、進路。漁師継ぐのか?」

 それでもいい、と思っていた。
 父さんに相談したこともある。
 でも、父さんは、俺には継がせないときっぱり断りやがった。

 その理由も、納得のできるものではあったけど……

「答えろよー」

 ふざけた調子で、ミツルが俺の進路調査票を奪い取る。

「何も書いてねーじゃん」
「そんなすぐ書いてるやつ、いるかよ」

 ムッとなって反論すれば、ミツルの進路調査票を突きつけられる。
 第三希望まで書ける欄、全てが埋め尽くされていた。

「俺は決まってるもんね」
「ミツルはいいよな、夢があって」

 ため息と一緒に吐き出した言葉は、やけに冷たく聞こえて、慌ててミツルの方を向く。
 ミツルは、怒った顔もせず、むしろ心配そうな顔で俺を見つめていた。

「なに、どうしたわけ急に」
「別に、何もねーよ」
「そういう答えの時こそ、なんかあるんだって! 俺に言ってみろよ」
「いいってそういうの」

 肩にのしかかってたミツルを、突き放して、窓の外を見つめる。
 ミツルの顔を見れば、不満や不安が溢れ出しそうだった。

「わかった、市内のファーストフード行くぞ」

 ミツルが俺の腕を引っ張って、決まりごとのように呟く。
 市内に行くだけでも、一苦労な場所にあるのに。
 とも思ったが、ミツルの家はそういえば、市内の方だったと思い直す。

 その一苦労をしながら、毎日通い詰めてるんだから、偉い。
 将来のやりたいことがあるから、そこまで出来るのかもしれないけど。

「俺は良いって」
「いや、聞かせてもらうからな!」

 諦めの悪いミツルに、仕方なく付き合うかと腰を上げようとしたところで、窓の外にマリンを見つけた。
 夜の海にいる人魚だと言ってたくせに、普通に歩いてんじゃねーか。

「悪い、用事ができた」
「はぁ?」
「また今度! メッセして!」

 ぽかんっと驚いたミツルをそのままに、カバンを肩に掛けて教室を飛び出す。
 友人と戯れあってる同級生たちの間をすり抜けて、玄関まで急ぐ。
 俺が行くまで、あそこに居てくれればいい。

 人間のマリンと話がしてみたかった。
 表情のわからない夜の海じゃなく、面と向かって。

 下駄箱で、上履きからスニーカーに履き替えて玄関を飛び出す。
 ジリジリと焼けつくような太陽が、背中に汗をかかせる。
 それでも、止まらずに海岸まで走れば、息がどんどん上がっていった。

 こんなに走ったのは、いつぶりだったろうか。
 岩礁で割り箸に糸をつけたものを垂らしてる、マリンにこっそりと近づいていく。
 スマホで釣りの様子を、撮影してるようだった。

「夜しかいなかったんじゃないのか、人魚」

 声をかければ、肩をビクッと揺らして、顔を上げる。
 俺を認識した瞬間、割り箸も、近くに置いてたバケツも放り投げて、走り出そうとした。
 岩礁で転けたら……

 咄嗟に手を掴んで、抱き上げる。
 軽々しくと持ち上がったマリンは、足をジタバタと暴れさせた。

「悪い、危ないから落ち着いて」

 声を掛ければ、非難するような視線で俺を見つめる。
 近くにいた観光客たちが、「なになに?」と、不躾な視線も隠しもせずこちらを見ていた。
 居た堪れなくなって、マリンを下ろして、その場を去ろうとする。

 俺の制服のズボンを、ぎゅっとマリンに握られて、逃げきれなかったが。

「ソウくん、驚かせないでよ!」

 少し潤んだ瞳で俺を見上げて、ふぅふぅっと息を荒げている。
 後ろから近づいたのが、よっぽど怖かったらしい。
 割り箸やバケツを拾い集めて、マリンに渡せば、落ち着いたようだった。

「ごめん」
「びっくりしたから、許さない!」

 まさか、許さないと答えられるとは思っていなくて、ぐっと息が詰まる。
 次の言葉を待てば、マリンは唇をにぃっと広げた。

「罰として、釣りに付き合ってもらいます。せっかく取ったカニも、逃げちゃったし」

 空っぽのバケツを俺に投げ渡してから、ポケットに手を突っ込む。
 様子を見ていれば、ポケットからはもう一本割り箸の釣り竿が飛び出してきた。

「はい」
「エサは?」
「スルメ!」

 反対のポケットから、スルメを取り出して、俺の前に差し出す。
 受け取ろうと手を伸ばせば、カジっと躊躇なく噛み出した。

「さっき驚かされた、仕返し!」

 にししと笑う顔を光の下で見れば、胸がとくんっと熱くなる。
 太陽のせいか、人の多さのせいか、熱中症になりそうだった。

 二人でじっと岩の間に、糸を垂らして待つ。
 ツンツンという刺激を感じて、釣竿をあげれば、スルメをガッチリ挟んだカニ。
 バケツに放り込めば、マリンが「おぉー」と感嘆の声を上げた。

「なに?」
「掴めるんだね」
「慣れてるからな」

 目の前を黒い物体が通っていって、マリンは「ひゃあ」と悲鳴をあげて飛び上がる。
 ガッチリ俺の肩に捕まって「ジー! ジー!」と騒ぎ立てた。
 首を傾げてから、ようやく意味がわかって、お腹を抱えて笑う。

「フナムシだよ」
「カサカサ動いてた! むりぃいいいい!」

 鳥肌をぶつぶつと立てて、立ち上がってバケツを持ったまま逃げていく。
 マリンを追いかけながら、笑いが止まらない。
 海に行けば付き物だろ、それくらいと言いたくなった。

 でも、慣れるまでは俺も気持ち悪さはあった。

 フナムシが比較的少ない、道路沿いまで逃げてからマリンは立ち止まる。

「あんなのにも慣れるの? 無理」
「人魚なのに?」

 意地悪を言えば、マリンは頬を膨らませて、俺にバケツを押し付けた。

「人魚はそういう設定だって、わかってたでしょ!」
「ごめんごめん、意地悪言った」

 謝れば、満更でもなさそうな顔で、「許そう」と腰に手を当てて偉そうに仁王立ちをする。
 まっすぐに立ってる堂々たる姿に、本当に人間なんだと再確認した。
 人魚設定を信じきっていたわけではないけど。
 
 そして、「あっ!」と声を上げて、また走り出す。
 今日だけで、何回走ったか。
 こんなに体を動かしたのは、久しぶりな気がする。

 額を伝う汗が心地よくて、走ってマリンを追いかけた。
 ぐんぐんと、水族館に近づいていく。
 水族館の駐車場は、県外ナンバーの車で埋まっていた。

 三台並んだ自販機の前で、ぴたりと止まって、マリンは俺の方を向く。

「パインサイダーでいい?」
「なにが?」
「この前勝手に貰ったのと、タオルのお返し!」

 律儀に、「お返しする」という言葉を守ろうとするマリンに、つい頬が緩む。
 どうしようかな、と悩みながら自販機を眺めていれば、待つこともせずマリンはパインサイダーを押した。

「俺は……」
「これは、私の! ソウくんは好きなの選んでいいよ、はい」

 小銭をもう一度、チャリンチャリンと鳴らしながら自販機に入れていく。
 結局、俺も同じパインサイダーを選んだ。

「少し歩かない? ここだと、人も多いし」
「いいけど」

 マリンに誘われるがまま、歩道をゆっくりと歩いていく。
 パインサイダーを開ければ、プシュウっと爽やかな音がして炭酸が抜けた。
 喉に流し込めば、奥で刺激になってパチパチとはぜている。

「こっちの人はこれ好きだよねーとは言ったけど、私も飲んだらハマっちゃった」

 まっすぐ前を見つめながら、照れたように頬を染める。
 沈んできた太陽のせいか、本当に赤く染まってるのかは、わからないけど。

「俺も好きだよ」
「急な告白?」
「ちげーよ! パインサイダー!」
「知ってるー!」

 ふざけたように答えて、タッタッタと小走りになる。
 先ほどからこの小さい体のどこに、こんな体力があるのか。
 いつもより動いたせいで、少しへとへとだった。

 俺の高校を見上げながら、マリンは羨ましそうな顔をする。

「いいよね、海の前の高校」
「まぁ、楽しいよ」
「えっ、ここの学校なの?」

 驚いて、俺を振り返ってフェンスによし掛かる。
 まるで疲れたというように、足をパタパタと片足ずつ振った。
 ビタンビタンとヒレを打ちつけていた姿と、なぜか重なってしまう。
 
 水族館前よりも俺にとっては、知り合いの多い場所だから早く離れたい。
 そんな俺の思いも気にせず、マリンはプールを覗き込んでいた。

「羨ましいなぁ、楽しそう」
「何も楽しくないよ」
「無気力少年め!」

 間違いない。
 やりたいことも、好きなことも、失った今、無気力という言葉がしっくりくる。
 乾いた笑い声を出せば、マリンはじっと俺の目を見つめた。

「なんかあったの?」
 
 何かあった。
 今日二人目の問いかけに、情けなさが湧き上がる。
 隠せもしないまだまだ、大人にはなれない自分を突きつけられたようだった。

「とりあえず、もう少し行こうぜ。クラスメイトに会いたくないし」
「それもそっか」

 フェンスから離れて、マリンはまたゆっくりと歩き始める。
 学校から遠ざかりながら、マリンに問いかけた。

「なんで人魚のフリしてたわけ?」
「人魚になりたいんだよね、私」

 思いもよらない答えに、ポカンっと立ち止まってしまう。

「あの人にも釣り合うし」

 微かに聞こえた言葉に、首を傾げる。
 信じきってる将来の夢みたいに、「人魚」と答えた。
 マリンはそれでも、立ち止まった俺を置いて進んでいく。

「どうして人魚?」
「人魚って美しい声でしょ。私この声がコンプレックスなんだよね」

 俺には、可愛らしい鈴の鳴るような声にしか聞こえない。
 それなのに「変な声でしょ」と、吐き出すように笑った。

「良い声だと思うけどな」
「お世辞はいいって」
「お世辞じゃなくて、本気」
「あはは、嬉しいよ」

 感情のこもってない「嬉しいよ」に、胸が詰まる。
 マリンの過去に何があったか、俺は知らない。
 ただの赤の他人だから、なんとでも言えると思ってるんだろう。
  
「だから、人魚になったら美しい声をもらえないかなぁって。だって、人間になりたい人魚から声を奪ってるんだよ! 私の足を上げるから、美しい声を貰って、そしたら、聴いて欲しい人がいるんだ」
「探しにきた人?」

 夜の海で言ってた「会いたい人がいる」という言葉を思い出す。
 そこまで、思う相手は、どんな人なんだろうか。

「そう。美しい声だから、それはもうすぐに元気出ちゃうでしょ」
「相手は、落ち込んでるわけね」
「多分ね、本当にそうかは、わからないけど」

 こくんこくんと頷きながら、マリンはパインサイダーをごくごくと飲み干した。

「落ち込んでなければ一番いいんだけどね。他人に優しさを配って自分を後回しにしちゃう人だから」

 独り言のようにぽつん、とマリンは声にした。
 今のマリンの声だって、「元気出して」と伝えればいいのに。
 そういう簡単な問題じゃないことはわかるから、思うだけに止める。

「で、ソウくんは? 夏休み、何するの?」
「なんで急に俺の話だよ」
「だって、普通こんな学校ある時間に海に来るんだから、夏休みになったんでしょ」

 ビシッと指で俺を指して、にししとまた笑う。
 潮風がマリンの髪を攫って、ふわりと宙に浮かせた。

「何にもないよ」
「何にもなくはないでしょ」
「俺には何にもないんだよ」

 ふいっと顔を逸らせば、マリンはズカズカと近づいて俺の前に立ちはだかった。

「私は、会いたい人がいるし、動画配信もしたいし、海で泳ぎたいし、おいしい海鮮も食べたい! あとは」

 指折り数えながら、やりたいことを口にしていく。
 普通の人間らしいやりたいことに、「人魚はどこへいった!」と言いたくなった。
 それでも、何個も、何個も、すぐに出てくるマリンが純粋に羨ましいと思う。
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