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第十話 真実を告げるべき時
しおりを挟むお互いの好きなところを何個も書き出して、ただ、恥ずかしい思いをしただけだった撮影も終わる。
ビジネスカップルだとわかってるのに、関係を錯覚しそうになった。
マリンも恥ずかしいのか、俺と一切目を合わせない。
その後の問題は、至って普通の問題ばかりだったのに、俺たちはドギマギして噛み合わなかった。
使える動画になってるかは、不安だったけど、マリンへの気持ちを再確認できた良い機会だった気がする。
時間終了の電話で、二人でカラオケを出る。
相変わらずマリンは、無言のままだった。
「何か食べる? お腹空いてない?」
「大丈夫」
「パフェとか、カフェとか!」
まだ、別れたくなくて必死に提案すれば、マリンは少しだけフッと笑って唇を緩めた。
「ソウ?」
聞き覚えのある声が後ろから、聞こえる。
振り向かなくても、わかった。
クラスメイトのミツルだ。
俺に何だかんだと構っては、心配性の友人。
マリンといるところを見られたくなくて、マリンを背中に隠して振り返る。
「よう、ミツル」
「隠さなくていいよ、動画見てるから」
「へ?」
驚いた声は、掠れて、やけに響く。
人通りの多い街中なのに、通行人全員に届いてしまった気がした。
生ぬるい風が、俺たちの間をビュウウウと音を立てて通り抜ける。
ミツルは俺の近くまで寄って、小声で答えた。
「海のミナトチャンネル。見てるから」
知り合いに見られてるとは思っていなくて、恥ずかしさから力が抜けていく。
腰が抜けそうになったが、なんとか踏ん張る。
「ソウってこうクールなイメージだったけど、可愛いと思ったよ。俺は応援してる」
背中をトントンと叩いて、微笑む。
答え方がわからないでいれば、マリンが俺の後ろから出てミツルと握手を始めた。
「初めましてー! マリンです」
「ソウの友人のミツルです。こいつ、結構悩みやすいんで、って彼女さんに言ってもか。嬉しいです。一緒に色々やってくれる彼女さんで」
ミツルもマリンもニコニコと、手を握りしめたまま話している。
むかっとしたから二人の手を引っ張って、離した。
「ってか見てるなら言ってくれればよかっただろ」
文句を垂れれば、ミツルは俺の肩をガシッと掴む。
そして、揺さぶりながら、怒ったように口を尖らせた。
「おーまーえーが、返信しねーからだろ!」
「は?」
「さては、見てないな?」
ミツルの言葉に、スマホをズボンのポケットから取り出してメッセージを開く。
特にミツルから、届いた形跡はない。
「あー、もういい、もういい。お前、忘れてんな」
俺のスマホを奪い取って、ミツルが勝手に操作する。
奪い返そうと手を伸ばせば、スマホを押しつけられた。
開かれたのは、しばらく使っていなかったSMSだ。
「メッセージアプリログインできなくなったから、こっちでメッセージくれって、夏休み入る前に言っただろ」
薄らぼんやりと、思い返してみる。
ちょうど、湊音が炎上した頃で、学校にも通ってるものの何も頭に入っていなかった時期だ。
「ほら、全部読んでない。俺の心配を無視しやがって」
そう言いながら、俺の背中をバシバシと叩く。
ジンジンとする背中が、温かい。
今見たメッセージには、俺を心配する言葉が何通も何通も連なっていた。
「悪い……」
最後の方には、『チャンネル見てるけど、他の奴らには言いふらさないから。がんばれよ』という応援の言葉もある。
一つだけ『ダンス下手で可愛いなw』というメッセージは、いただけないが。
「ありがと」
自分のことをここまで心配してくれる友人がいた事に、胸が熱くなる。
目頭まで熱くなりそうで、空を見上げた。
オレンジに染まりかけの青空は、目に染みて、ますます目が熱くなる。
「マリンちゃんも、こいつのことよろしくお願いします」
「お前は、父さんか!」
俺たちのやりとりを黙って見ていたマリンは、お腹を抱えて「ふふふ、あははは」と笑い出す。
「親友がいるなら教えてよ、もう! こちらこそ、遠距離なのでなかなか会えない時もあるので、ソウくんのことよろしくお願いします」
マリンは笑って出た涙を、指で拭い取ってから、ミツルにもう一度手を差し出した。
二人して俺を置いてけぼりにして、熱い握手を交わしている。
親友という言葉に、恥ずかしさと困惑が生まれた。
どこかに頻繁に、一緒に出かけるわけでもない。
アンチに悩んだことを相談する相手でもない。
それでも、ミツルは……マリンから見たら俺の親友のように見えるのか。
ミツルも否定せずに、うんうん頷いているし。
「ってことで、今度詳しく聞かせろよ、出会いとかな! じゃあお邪魔せず帰ります。マリンちゃんも、また会えたら」
「はい、ソウくんの学校でのこととか、今度教えてください」
そそくさと立ち去っていく、ミツルの背中を見送る。
いい奴だなという感想は、直接は伝えないけど。
ありがたい友人には変わりない。
「いい友だちだね」
「そうか?」
「心配してそれだけメッセージくれるって、いい友だちだよ」
俺のスマホを指さして、マリンはくすくすと笑う。
それでも、羨ましそうな瞳は、少し伏せられていた。
「って言っても、私たちももう解散の時間なんだけどね」
マリンが腕時計を見て、俺に見せつける。
特に、別れる時間は決めていなかったけど、マリンも疲れてるだろうから頷く。
バイバイと手を振って、お互いの帰路を進む。
まだもう少し一緒に居たかったという気持ちは、飲み込んで。
なのに、マリンとの再会はすぐだった。
その日の夕方から夜になりかけくらいのタイミングで、スマホの着信が鳴る。
部屋でウトウトしていたところを起こされて、慌ててスマホを拾う。
今日は珍しく静かな姉に、ビクビクしながら小声で出ればマリンだった。
「ねぇ、海に来れない? 出会ったところ」
いつもよりも、少しダウンした声に、何かあったことがすぐにわかった。
「すぐ行く」
小さな声で返事をして、すぐに出かける準備をする。
開けていた窓からは、冷たい空気が部屋に流れ込んできていた。
だから、温かいお茶を淹れてから、家を出た。
海で会ったマリンの様子は、またおかしい。
理由は、家を出る前に、確認した。
防波堤の上で、人魚のヒレを身につけて華麗に夜の海を泳ぐマリンを見つめる。
俺のせいだ……。
ネットストーカーからの言葉は、止まることはなかった。
最初は、湊音へのメッセージだったのが少しずつ、少しずつ、マリンへの個人攻撃へと変わっていく。
他の視聴者の反応が『似てるかもだけど、湊音くんとは確定してなくない?』とか、『アンチもいるけど、マリンちゃんとソウくん応援してます』という、好意的なことだけが救いだった。
それでも、マリンのメンタルをおかしくさせるには十分な攻撃のコメント。
『私の湊音くんを返して。湊音くんのこと、どうせ脅してるんでしょ、売女』
『また、マリンかよ。鬱陶しい』
『男にチヤホヤされたいなら、湊音くんじゃなくていいだろ、消えろ!!!』
最初に見つけた時にブロックなり、違うと否定するなり、すればよかったんだ。
それを、俺が、湊音であることを隠してるから。
マリンを、巻き込んでしまった。
マリンは俺に直接言わないけど、宣伝用に始めたSNSにもDMで届いてるようだった。
SNSが怖くて、確認も、更新もマリンに全てお願いしていたけど、今回の件でアカウントを作らず覗いた。
そしたら、『DMに返信しろ』という言葉のオンパレード。
色々なアカウントから届いてるように見えたけど、全てあのネットストーカーの複垢だろう。
はぁっとこぼれ落ちるため息を、両手で押さえた。
マリンは海を優雅に泳いでいるから、聞こえてはいないだろうけど。
こんな日でも、海は夜空と交わって星を反射させてる。
マリンは星空を掬うように、両手で海に差し込む。
仕草一つ一つが、美しくて、息が止まりそうだった。
遠目に見ているだけでもマリンが泣き出しそうな顔に見えて、俺まで涙が出てくる。
俺のせいだ。
わかってるのに、湊音としてコメントを出すことも、マリンに打ち明けることもできていない。
体が冷えてきたのか、泳いでいたマリンがゆっくりと防波堤に近づいてくる。
そして、ヒレでぺたんぺたんと鳴らしながら、階段を登った。
「さすがに寒くなってきちゃったねぇ!」
わざとらしく明るい声を上げながら、ヒレをペチペチと防波堤に打ち付ける。
出会った頃と全く同じ仕草に、マリンとの出会いを思い出した。
まだ、数週間も経っていないのに、俺はマリンと出会って、こんなにも楽しい。
家族のことも、湊音のことも、解決はしていないのに、毎日がキラキラ輝いて見えた。
マリンと、このままずっと一緒にいたい。
マリンの目的のために、俺も協力する。
そう決めたはずなのに、俺の弱さがマリンを苦しめてる。
俺の横にマリンは座って、髪の毛をぎゅうっと絞る。
長い髪の毛にまとわりついていた、海水はポタポタと滴り落ちた。
波の音と、マリンの髪から滴るポタ、ポタという音だけが耳に響く。
それだけなのに、なんてキレイな音なんだろうと思った。
マリンに関われば、全て美しいものに変わっていく。
「ごめん」
すぅっと息を吸い込んで、出た言葉は、謝罪の言葉だった。
マリンはヒレをモゾモゾさせながら、俺の方に上半身だけを向ける。
とても不思議そうな顔をしていた。
「炎上っていうか、変な人に絡まれてるだろ。コメントとか」
「ソウくんは、悪くないじゃん」
俺は、本当に悪くない?
俺がもっとちゃんと、ネットストーカーと向き合って決着をつけていれば?
湊音であることを隠して、動画に出ていなければ?
今更どうにもできない、たらればを思い浮かべて、胃の奥がグッと締め付けられた。
できることは、何個もあった。
それなのに、怖いから。
傷つきたくないから。
ただ、自分勝手な理由で逃げ続けてきた、罰なんだろう。
「でも、もっとやれるのとあっただろ」
弄ばれた、その一言で、湊音は炎上した。
そして、その湊音が名前を隠して、カップルチャンネルを運営したら……
簡単に、想像ができることだった。
考えついていなかったのは、歌わなくても俺だとバレてしまうことだけ。
「似てるだけで、ここまでするかねぇ、ほんと!」
ぷくっと頬を膨らませて、眉毛を下げる。
怒ったような、困ったような表情に、胸が熱く締め付けられた。
言わなくちゃ、告げなくちゃ。
わかっていても、体が震えて、ただ、空気だけが口から出ていく。
二人の間の沈黙が、シィーンと広がって、海の波の音だけが押し寄せては、消えていく。
ザザァ。
ザプン。
意を決して、顔を上げればマリンは、か細い声で「やめよっか」と呟いた。
やめたくない。
俺は、まだマリンと二人で……
本当は、本当の恋人になりたいとまで思ってた。
自分の浅ましさに、吐き気がする。
俺のせいでこれだけ、傷つけておいて、俺が湊音だということも隠しておいて、都合が良すぎるだろ。
「マリンに言ってないことがあるんだ」
これを言ったら、本当に好きになってしまったことも伝えよう。
それでマリンが、拒否するようなら、俺はもうこのチャンネルをやめる。
きちんと、湊音なのに、名前を隠して、炎上と向き合わなかったことも謝罪してから。
「いまさら、そんな言わなきゃいけないことあるー?」
「あるよ」
真剣な声色を作れば、頭が割れるように痛い。
言いたくない。
俺が湊音だってこと、知られたくない。
知ったら、マリンはどんな反応をする?
俺のせいでって怒る?
俺みたいなやつ嫌いだって、悲しそうな顔をする?
良い想像は何一つ、思い浮かばない。
だけど、言わないことには、俺たちは前に進めないから。
「俺が悪いんだ」
「なにがー? まさか、このコメント、ソウくんの自作自演?」
防波堤からヒレを放り出して、ペチンペチンと打ち付ける。
苛立ってるのか、ただのクセなのか、判断がつかない。
「それじゃない……そのコメントの……」
「似てるから自分のせいだと思い込んでるの? 違うよ、ソウくんは悪くないって」
慰められるたびに、心臓が壊れそうなくらい、痛かった。
俺のせいじゃないって言われるたびに、死にたくなるくらい辛かった。
このまま、海に飛び込んで泡となって消えてしまえればいいのに。
名前もアカウントも消した。
それでも、どこまで行っても『湊音』が消えることはなかった。
海の泡になって、消えてくれれば、こんなことにはならなかった。
「似てるだけじゃないんだ」
ヒュウっと喉の奥が締め付けられて、熱が上がっていく。
マリンの顔が見えなくて、遠くを眺める。
空も海も、暗い色で混ざり合っていた。
「本当に、俺なんだ。湊音っていうの」
マリンの息を飲む音が、耳に響く。
悲鳴にも似た声だった。
「湊音なの?」
ぐすっと鼻を啜る音と、涙を拭う動きが視界の端に映る。
マリンの方を見れば、マリンは俺の横顔をじいっと見つめていたらしい。
そして、涙を指でもう一度弾いた。
「湊音は、私のこと、わからないの?」
予想外の言葉に、息が詰まる。
私のこと、わからない?
マリンと、湊音に接点があったのだろうか。
考えてみても、思いつかない。
マリンという名前は、本名じゃないと言っていた。
違う名前?
いやでもそれだったら、わからないの意味が通らない。
頭の中で、湊音の知り合いを辿っても、マリンを探し出せない。
ただ、無意に時間が過ぎていって、マリンは絶望したような顔で「そっか」と呟く。
「ソウくんが、湊音で、ソウくんは、私のことわからなくて、そっか……マリンって言っても、わかってなかったもんね」
首をブンブンと横に振って、唇を歪める。
「変なこと言って、ごめんね」
何に対しての謝罪かは、わからない。
むしろ、謝らなくちゃいけないのは、俺の方だったのに。
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