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第十一話 泡となって消えていった

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 マリンからの連絡が、途絶えた。
 いつもメッセージを送れば、数分も経たずに返信が来ていたのに。

 焦燥感だけが、胸の中に募る。
 あの日の「そっか」というマリンの傷ついた表情だけが、目の前に何度もちらついた。
 
 トゥルルル、トゥルルルという音を耳に当てながら、ため息をつく。

 部屋の中は静かで、ため息だけが充満してる。
 スマホを何度開きなおしても、答えは変わらない。

 原因は分かってる。
 昨日の夜のやりとりだ。
 あの後、マリンは何も答えずにただ海を見ていた。
 いつものような笑顔も、おふざけもなく、真剣に。
 
 マリン、という名前に聞き覚えはない。
 それでも、俺とマリンの間に何かがあったんだと思う。

 はぁっともう一度、大きなため息を吐いたら、隣の部屋からドンっと壁を叩かれた。

 人の言葉とも取れない音だけが、ドンッドンッという合間に響く。
 いつもだったら黙ってやり過ごすのに、我慢しきれなくなって、部屋の扉を開けた。

「俺が姉ちゃんに何したっていうんだよ! 毎回毎回」

 姉の部屋の前で叫べば、父さんも母さんもリビングからすっ飛んでくる。
 母さんは俺と姉の部屋の間に立って、「やめなさい!」と叱った。
 父さんは、落ち着けと言わんばかりに、俺の肩を掴む。

「母さんも父さんも、姉ちゃんにビクビク怯えてバカみたいだ! なんでこっちが我慢しなきゃいけねーんだよ、落ちたのは姉ちゃんのせいだろ!」

 俺らが何したっていうんだよ。
 俺が、何したっていうんだよ。

 みんなみんな、自分勝手だ。
 勝手に想像して、勝手に作り上げて、勝手に燃やして。
 みんなに、どんな権利があって俺は踏み躙られなければいけないんだ。

「うるさいっ!」

 姉の怒鳴り声で、家中が静まり返る。
 扉が開かれたかと思えば、姉ちゃんは泣き腫らした目で俺をじいっと見つめた。

「あんたには、わからないでしょうね!」
「そんなに辛いなら辞めればいいじゃん」

 ぽつり、と漏れた言葉に、本当にそうだよなと思った。
 俺は、辞めたくなくて、しがみついて、あの時間はいたずらに傷つくだけだったって、今ならわかる。

「あんたに、何がわかるの」
「姉ちゃんはこの街から出たいだけだろ! だったら、就職でもなんでもして出ていけばいいじゃねーか、こんな街から!」

 俺の言葉に母さんは、首を横に振るし、姉は手を振り上げる。
 父さんは俺をぐっと引っ張って、姉から遠ざけた。

「ソウ」

 真剣な父さんの声に、息が詰まる。
 だって、事実じゃないか。
 姉は、ただ、この家も、この街も嫌いで出て行きたいだけで……
 落ちたのだって、自分のせいだろ。

 八つ当たりできたら、俺だって、八つ当たりしてた。
 俺は、姉にビビって縮こまって、いつまでそんな生活をしなきゃいけないんだよ。

「お姉ちゃんの行動は良くないと思う、良くないとは思うけど……」

 母さんが涙声で呟く。
 相変わらず、母さんは、姉の味方なんだな。

「それでも、家族なんだから、優しく見守ってあげれないの?」

 家族なんだから?
 俺は家族だから、黙って蔑ろにされ続けろってことか?
 うるさいと怒られ、部屋の壁を叩かれ、息を殺して自分の家でまで、我慢し続けろって?

 ドンっと壁を叩けば、家が大きく揺れた。
 姉は、わぁあっと大きな声をあげて泣き喚く。
 そして、頭を抱えて床にへたり込んでいた。

「母さん、ソウと出かけてくる」

 何も解決してない。
 それなのに、父さんはぐいぐいと力強い手で俺を引っ張っていく。
 玄関に連れ出されたかと思えば、父さんは「ん」とスニーカーを指さした。
 冷静になる時間が、必要だと思われたのだろうか。
 俺は至って冷静だった。

 マリンからの返信が来なくて、苛立っていたところに壁を殴られて、つい口に出してしまったけど。
 いつだって思っていた。

 でも、父さんの顔を見てれば逆らう気が起きない。
 なんだかんだ俺は、父さんが好きで、家族が大切だったから。

 素直に薄汚れたスニーカーに、足を突っ込む。
 そのまま、二人で家を出れば、燦々と太陽に照らされた。
 あまりの暑さに今すぐ家に戻りたくなったけど、そうもいかない。

 父さんはただ黙って、車庫へと向かった。
 俺も黙ってついて行けば、父さんは運転席に乗り込む。
 どこかへドライブに行くつもりだろうか。
 助手席に乗り込めば、エアコンが生ぬるい風を吐き出した。

 車は、ヒュウっと素早く家を置き去りにして進んでいく。
 どのくらい走ったかは、わからない。
 右手には海、左手には山がずっと続く。
 少し窓を開ければ、潮風が海の匂いを車内に充満させた。

 視界は青と緑に埋め尽くされたまま、父さんは口を開いた。

「ソウは、お姉ちゃんにイライラしてたんだなぁ」

 無口な父さんなりの答えなんだろう。
 それでも、ゆったりとした言葉に、血が頭に登っていく。
 イライラしてた、とか、そういうことじゃなくて。

「ソウも理解してると思ってたんだ、悪かったな」

 急な謝罪に、頭に集まっていた血は、どくんどくんと脈を立てて全身に広がる。
 何が言いたいんだ、父さんは。

「我慢させてて悪かった」

 黙ったままの俺に、父さんはもう一度、悪かったと口にする。
 いいよ、とも、文句も、どちらも口にできない。
 ただ乾いた喉で、唾を飲み込んだ。

「お姉ちゃん、大学に落ちただろ」

 もう、先ほどまでの怒りは収まってきた。
 だから、素直に父さんと会話をする。

「おう」
「勉強が足りなかったとか、そういうんじゃないんだ」
「え?」

 姉ちゃん自身の問題じゃなかった、ってことか?
 外の緑を眺めたまま、父さんの言葉の続きを待つ。

「ストレスで心が風邪引いたみたいでな。ただこんな田舎だろ。すぐに噂は広まるだろうし、ってネットで診察を受けてたんだ。それが、悪かったんだろうな」

 今まで知らなかった事実に、自分勝手さが身に染みて、ジクジク心が痛む。

「母さんとお姉ちゃんで、一ヶ月に一回くらい出かけるだろ」

 母さんは、いつも姉ちゃんばかり優先してると思っていた。
 出かけるのだって二人きりで、酒田の方までわざわざ……

「ちゃんとしたところに通ってるんだよ、今」
「なんで教えてくれなかったの」
「ソウにとってのストレスになるかもなと思ってな。でも、薄々気がついて、我慢してくれてるのかと勘違いしてた」
 
 姉ちゃんの現状を知りしなかった。
 受験のストレスを俺に八つ当たりしてるんだと、思っていた。
 ただ、俺は弱いから……
 言い返せなかっただけで、ぶつかろうとしなかっただけで……我慢なんかじゃない。

 車が砂利を踏んで、ガタガタと音を立てる。
 そして、駐車場に車を停めた。
 由良海岸前のカフェみたいなところを、父さんは指さす。

 俺はもうあの頃の小さい子供でもないのに。
 ソフトクリームで機嫌を取れると思ってる、父に、おかしくなって、ふっと吹き出してしまった。

 二人で車を降りれば、潮風に、髪の毛が弄ばれる。
 顔面に吹き付ける風に、顔を無理矢理あげれば、父は店の前のメニューを読んでいた。
 
「かき氷なんかも、あるみたいだぞ」

 季節限定だろうか。
 さくらんぼ果肉入り氷、というのもあった。
 一番高いから、それにする。
 さくらんぼが好きというより、少しでも父を困らせたかった。

 子供みたいなワガママに、自分で自分が嫌になる。

 店員さんが持ってきてくれたかき氷は、薄く赤色に染まってた。
 スプーンを差し込んで、口に放り込めば、キィンと頭に響く。

「ソウも、何かあったのか」

 父はかき氷を食べる俺を見ながら、コーヒーを優雅に口に運ぶ。
 そういえば、甘いものを食べない人だった。

「まぁ、ちょっとね」

 マリンとのことを素直に言えるわけもなく、濁す。
 父さんからの「そうか」という返事を待っていたのに、全く違う返事が返ってくる。

「あの動画のことか?」

 口に運んでいた氷が、噛み砕きもせずに喉の奥に流れていった。
 ごほ、げほっと咽せていれば、水を差し出される。
 父さんにまで、見られているとは思わなかった。
 全世界で、誰でも見れる状態で発信してるんだ、こういうこともあり得る。

「知ってたのかよ」
「時々、部屋でも歌ってた、だろう? たまたま見つけてな」
「そっちかよ」

 思いもよらない「湊音」の方で、また、咽せそうになった。

「全て消しちゃったんだろ? 炎上の件も読んだが……」
「そこまで知ってんのかよ」
「ソウは、相談してこなかったから、どうにかなってると思っててな。すまないな」

 それは、家族に対して無関心でということだろうか。
 父さんは、父さんなりに俺たちを見てくれてること。
 育てるために、必死で働いてくれてることも知ってる。

 漁師という仕事柄、顔をあまり合わせなのは寂しいけど、それもしょうがないとも思ってる。

「それは、まぁ、もういいんだよ」
「いいのか? あんなに楽しそうだったのに。あぁ、最近も楽しそうだったから、また何か見つけたのか」

 思ったよりも、見られていたことが恥ずかしくなってきた。
 残りのかき氷をざくざくと、口にかき込めば、頭がまたキィイインと痛んだ。

「姉ちゃんのこと、教えてくれなかったのは、俺のためだったことはわかった」

 話を戻せば、父さんはこくんと頷く。
 姉ちゃんがまさか、鬱だとは思っていなかったし、ただのヒステリックだと思っていた自分を恥じた。
 姉ちゃんなりの苦悩もあるんだろう、とは予想できていたのに。
 もっと優しくすればよかった?
 その事実を知っていたらもっと我慢できた?

 それは……自分でもわからない。

「二人とも、俺たちには大切な子だからな」

 いい話風にまとめようとする父さんを、ちらりと見つめる。
 いつのまにか、薄くなってきた髪の毛や、目の周りのシワ。
 全然気づかなかったけど、父さんも年老いてきてるんだ。

 そんなことを実感して、胸がぎゅうっと締め付けられた。
 いつまでも、ワガママでヒステリックで、自分勝手なのは、俺じゃねーか。

「ソウは、やりたいことをやれ。父さんは応援してるから。炎上の件だって、誤解だろ?」
「誤解だよ。誰か一人を特別にしたことは、あの時はなかったし……弄んだ事実もない」
「そうか」
「まぁそれでも、謝れば丸く収まっていたのかもと思うこともあるよ」

 俺は、悪いことをしたとは思っていない。
 けど、勘違いをさせてしまったことを詫びていれば、もっと違う道に出ていたかもしれない。
 でもそしたら、マリンと出会わなかったのか。

 マリンのことを思い出して、体が急に重たくなった。
 俺の様子を見ていた父さんは、不思議そうに、目を細める。

「なんだ、好きな子でもいんのか」
「なんだよ、いきなり」
「あの時はって言っただろ」
「それは、言いようというかなんというか」

 取り返しがつかなくて、手元のかき氷のコップで手を遊ばせる。
 目線を逸らせば、父さんは「ほぉほぉ」とか茶化してきた。

「それで悩んでんのか?」
「父さんに関係ある?」
「息子の恋バナとか、普通は聞いてみたいだろ!」
「はぁ?」
「どんな子なんだ?」

 ぐいぐいと体を乗り出して、こちらを見る父さんの顔は、初めて見る表情で。
 いつもよりウキウキしてるのが伝わって、ちょっとムカついた。
 俺はマリンと連絡が取れなくなって、こんなにモヤモヤしてるのに。
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